エピローグ

 積み上げた古い本を一心不乱に読む幼い少年が纏うのはワインレッドに金色の縁取りの、宮廷魔術師の証であるローブ。


『トバリ・ツツキミの勇敢な行動を称え、百金及びバルツ国王からの飛び級試験への推薦状を贈呈する。また貴君を特例として宮廷魔術師見習いとし、バルツ魔術師養成学校への入学を許可する。』

『ありがとう、ございます……』


 心にもない言葉を口にした。今の自分が欲しいのは地位でも金銭でも無いというのに。思わず本を握る手に力が入った。


 兵器を倒したあと僕は駆けつけた宮廷魔術師達によって王宮へと連れて行かれ、状況の説明を求められた。パミットちゃんの事は伏せて話すと、次の日軍部大臣の秘書を名乗る男が現れ国民栄誉賞を授与することになったと言われた。どこからか情報が漏れて住んでいる小さなアパートの前にはメディアの人だかりができたので仕方なく母と王宮の客室で寝泊まりすることになり、数日後には全世界へ向けて授賞式がテレビで放送されてしまった。それが昨日のことだ。


「トバリくんですよね。崩落現場立ち入りの許可が下りました。今から行きますか?」

「はい。」


 昨日から同職者となった彼女の車に乗り込み、西の森に着く。窓から見た山葡萄は実をつけ始めていた。規制線の先では警察たちが現場検証を行っていて、こちらに気がつくと何人かがあからさまに顔をしかめた。


「ここは危ない。子供が来ちゃ駄目だろ。っておいこら!」


簡易的な柵に手を掛け、身を乗り出して穴を見つめる。奥が深く暗くてよく見えない。僕は持ってきた双眼鏡に集光の魔術を掛けその二つ穴を覗き込んだ。すると今度はちゃんと底が見えた。砕けた乳白色の石の間に見える布のようなもの。あれは誰のローブなのか、考えたくもない。


「ミンさん、デニさん………」

「失礼、そこの坊や。」


うわ言のように呟きゆっくりと双眼鏡を下ろした僕に声を掛けたのは、優しい表情と声の杖をついたおばあさんだった。えんじ色のローブに盾のマークのピンバッジから、警察勤めの魔術師であることが推測できた。突然のことに、なんでしょうかと身構える。


「私はね、あの古井戸のある廃教会の土地の所有者なの。貴方になら百五十年前の事を話してあげるわ。口伝えのお話で良ければだけど……」


 百五十年前と聞いて僕はすぐに彼女の話を伺うことにした。一度大穴から離れ防音の魔術を掛け、倒れた木の幹に座り二人きりになる。こんな事態になってしまったが、錬金術士たちの真相を世に明かして良いものか判断がつかなかった。しかし、あなたはどこまで知っているの。それによって私もどこまで話すべきか考えなければいけないわ。と言われたので一瞬の躊躇のあとにこの夏の出来事を全て話した。何となく彼女からは自分の知りたい答えを聞ける気がしていたのだ。僕の話を聞き終えると、彼女は口を開いた。


「錬金術士たちとその家族が身を隠した理由は王の横暴の他にもう一つあるの。神職者であったご先祖さまは教会で祀っていた神さま自身からご信託としてその理由を聞いたそうよ。」

「……その理由って?」

「遙か昔にその神さまが地上に降りたけれど、人々の心が変わってしまって力を殆ど失ってしまった。この世界にもう自分の力は必要ないのだと悟った神さまは、地上の力を全て天界に持って帰る事にした。だから錬金術士たちは神さまと命を繋いで、天界に戻るときに力を全て渡せるようにした。……でもきっと、彼女が力を蓄えきる前に錬金術士たちの寿命が尽きてしまいそうだったのね。だから迷い込んだ貴方に依代となって足りない分を集めてもらうことにしたんだわ。」


 最後の方は憶測だけれどね、と付け足した彼女の説明は妙に腑に落ちた。魔力を空にされた者は息絶える。錬金術士もまたそうなのだろう。あの遠くに見えた光の筋たちのいくつかは、きっとミンさんの物だったのだ。そうしてハグミットも彼らも、崩れ去った。


 ぽたりぽたりと涙が湿った土の上に落ちる。僕がミンさんたちを殺したのも同然だ。あの時ミンさんが僕を止めたのはきっと、死にたくなかったからでは無いのだろうか。俯いた僕の震える手に、シワだらけの手が重ね合わされた。


「彼はきっと、あなたがそうやって自分達の死を背負ってしまうと分かっていたから止めたのよ……だからどうか自分を責めないで。」


 ハンカチで目元を拭われる。けれど溢れる涙は止まらず、結局僕はハンカチが手で絞れるのではないかというぐらいに泣いてしまった。

 いつもトバリの心の側にいる。これは決して比喩表現で無かったのだろう。僕は最初から錬金術の素質なんて持っていなかったのだ。僕が持っていたのは、彼女が入ることができるぐらいの大きさの心の隙間。隙間を埋めていたものが消えてしまったというのなら、今までに無いほどのこの孤独感も頷ける。ああ、なんて残酷な神さまなんだ。居なくなるのなら、最初から出会いたくなかったよ。


 トバリが夏休み明けに通い始めたのは、バルツ魔術師養成学校の中等部だった。彼は人より早く大人になった。

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