第1章「沈黙の姫君」:5

 鷹矢、染葉――陸鬼……。

 眠りに落ちる前、上洛初日に会った人々の顔が順番に思い浮かんだ。全員の祖先が一本の糸に束ねられたかのように、かつてこの地で同志だったと言う。みんな、古(いにしえ)からの一本の縁に繋がれているのだろうか。

 自分には、その実感は無い。けれど、啄馬の言葉が嘘だとも思えない。何より、憑かれた、と噂を立てられた鷹矢美音子が、今この瞬間も孤独な戦いを続けているあの姿が、自分をこの曖昧な妄想に繋ぎ止める鉄鎖のようでもあった。――あのとき、射貫くように自分に向けられた瞳の奥には意志があった。征四郎は布団の中で横になったまま、胸に掌を当てた。トク、トク、と心臓が胸の奥から掌を押し返す。征四郎は、やがて眠りに落ちた。

 

 翌朝。征四郎は目を覚ますと、身支度を整えてから「烏丸」にある『帝国国立図書館』へ向かった。出掛けに蝶子に挨拶を投げたものの返事は無く、蝶子の洒落た西洋靴も見当たらなかった。自分が眠っている間に、すでに何処かへ出掛けたみたいだ。征四郎は、春らしい軽装で幾らかの小銭を持ち、下宿を後にした。

 『帝国国立図書館』までの道程には、寺社仏閣や商店等、様々な「京都」の表情が見られた。日に日に違う仮面を被るように西洋化が進む「東京」と違って、この街は美しく幾重もの化粧を施していくように、時代や季節の変化を受け入れている。調和、という表現が相応しい。書物の中でしか知らなかった「京都」の風情だけれど、こうして実際に歩いてみると、どことなく胸の内に沸くのは懐かしさだ。自分の体に流れる陸鬼の血が、そう想わせるのだろうか。

 二十分程、三条通を西に向かって入ると、コンクリートで造られた商館にも似た館が見えてくる。大正時代の終わりに建てられ、「京都」中の貴重な公文書や図書が集められ保管されていると言う。

 過行く年月を表すように暗褐色に染まりつつある樫の扉を開けて中に入ると、乳白色の陶瓦(タイル)が敷き詰められた空間が広がっていた。その上を、入館の順番を待っている幾人かが列をなし、征四郎は、その後ろにつく。入館の手続きを済ませると、真っ直ぐ新聞の保管室へ歩を向けた。

 征四郎は、早速、昨年夏頃の日付の新聞をひと月分まとめて借り受けた。啄馬が父宛に手紙を寄越した時期である。――きっと、あの頃に何か事件があったのだ。最初に描く輪郭の一点は、そこにある。啄馬に直接訊けば良いのだが、新入学生の受け入れを控えたこの時期に暇であろうはずもない。先ずは自分の手で、情報を集めてみようと思った。答えを待つばかりが、「真実」に近付く近道とは言えない。

 征四郎は閲覧室の一番窓際の席に腰を下ろして、借りてきた新聞の、日付が古い方の第一面から目を通し始めた。「祇園祭」の話題や、鴨川の納涼の話、「先斗町」で起きた喧嘩話に、若き代議士の取材記事等々……彩り豊かな「京都」の日常の風景が、色鮮やかに脳裏に浮かんでくる。特に目を引く事件も無く、次の日付の新聞を開く――そして、また次の日付へ。幾らか繰り返している内に、或る一文が目に飛び込んできた。

 ――怪死事件。

 ……怪死体。指先で一字一字、見出しを追う。

 二条城付近、丸太町通りの一角の民家にて、怪死体が発見される。

 征四郎は、もう一度、口の中で文面をなぞる。数日分に目を通しただけではあったが、初めて目を捉えた言葉。場所も、昨日赴いた鷹矢家の付近らしい。記事には、その遺体は干からびた木乃伊(ミイラ)のようであったと記述がある。けれど、その人物は発見される前日に、隣人と生きたまま挨拶を交わしており、たった一日で木乃伊のようになるのは不可思議である、と。その日の記事は、怪死体である疑問だけを呈し締められていた。

 続いて、その翌日の新聞を開き行く末を追う。翌日には、その怪死体の身元が判明していた。被害者の名は、『陸鬼義久(クガキ ヨシヒサ)』と載っている。

「――陸鬼?」

この名前の親戚が居た話など、一度も聞いたことはない。ましてや、「京都」に親戚が居たという話ですら耳にしたことはない。……他人? でも、同じ姓は珍しい。征四郎は、怪死体とされた陸鬼の名を持つ人物の経歴等を翌日の新聞でも追い続けたが、結局は、名前以上の情報は何も得られなかった。やがて日を追うごとに、事件が砂塵と帰していったかのように紙面から情報が消えた。

 ――陸鬼義久。征四郎は忘れないように、その名を呟いた。

 借りたひと月分の新聞すべてに目を通し終えた後、征四郎は古新聞の束を抱えて受付に戻ろうとした。もうひと月遡ろうと司書に依頼しようとした矢先――屋外から、身体から無理矢理捻り出されたような歪な悲鳴が耳に飛び込んできた。

 何処だ?

 室内に居た幾名かの人間が、示し合わせたように周囲の気配を伺う。征四郎も、新聞の束をカウンターに置くなり、じりじりと警戒するようにその場から退いた後、咄嗟に屋外を目指して駆け出す。

 今、何かが起こった。悟った瞬間、足が動いていた。

 当てずっぽうではあったが、声のした方、中庭へ続く廊下を駆け抜けていく。中庭へ出ると右手に折れ、図書館の壁沿いに駆ける。春らしい陽気とひらひらと舞う桜の花弁の隙間に、確かに、裏腹な『影』が見え隠れしている。

 ――急げ。誰かに、そう急かされたように、征四郎は一心不乱に、前へ前へと走る。壁伝いに駆けていき――そして、裏庭へと駆け込んだ瞬間、横たわった女性の姿と、その前に佇んでいるスーツ姿の男が視界に入った。

 征四郎は、躊躇うことなく、駆けていく。そして、その場に佇んでいた男と目が合い、そして瞳を大きく見開いた。

 神喰雪郎が、居た。

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