第33話 漁村にて

 小春が森神村に戻ったのは夕方頃のことだった。

 陽が傾き、空は茜色に染められていた。村の中を歩いていると、周囲からの注目を一身に浴びることになった。

 子どもたちが、小春の後ろを付いて歩く。その中から、一人の女の子が飛び出して小春の前に現れた。

「ももちゃん!」

 小春がしゃがみ込むや否や、桃香が飛び込んできた。

「小春お姉ちゃん、帰ってきたの?」

「うん。でも、またすぐに旅立つんだ」

「そっか・・・」

 桃香は残念そうに下を向いた。

「今から与一さんのところまで行くんだ。一緒に行こうか」

 小春のその言葉に、桃香は大きくうなずいた。

 与一の家にたどり着き、戸を叩くと、中から声がした。

「小春さんかい?」

「ああ、今戻った」

 すぐに与一が戸を開けて大声で叫んだ。

「無事だったんだな、よかった」

 そして、小春の横にいた桃香に気づいて

「ももちゃん、一緒だったんかい?」

 と笑顔を見せた。


「白魂へ行くことにしたんだ」

 桃香のあやとりの相手をしながら、小春が与一にそう告げた。

「今度は故郷に戻るのかい?」

「そこにまだ、師匠の持ち物が残っているかも知れない。その中に、自分の父親のことが書いてないか探そうと思っているんだ」

「なるほど。しかし、まだ残っているのかな?」

「それは分からないが、他にもう手掛かりがないからね」

 与一は、そう応える小春の顔を見て尋ねた。

「ところで、天狗様には会えたのかい?」

「会うには会ったが、姿は見えなかった。声だけだ」

「それでもすごいものだな。まさか天狗様と話をするとは」

「危なかったけどね。すんでのところで一撃食らいそうになった」

「俺は、やっぱり近寄る気はしないな」

 与一はそう言った後、今度は桃香の方を向いて

「そろそろ帰らないと、親が心配するぞ」

 と話し掛けた。

「今日は小春お姉ちゃんといっしょに寝たい」

 桃香が小春の腕にしがみつく。

「じゃあ、お父ちゃんとお母ちゃんに頼んでみな」

 三人で桃香の家を訪れ、両親から宿泊の許可を得た後、その夜は与一の家で一緒に夕食を食べることになった。

「大府に入れなかったとは残念だな」

「ああ。でも、大府から食料をいろいろと買い込んできたよ。本当に物が豊富なんだな、大府は」

 そう言って、小春は荷物の中から干し果物の入った袋を取り出した。

「ももちゃん、これ食べてみるかい?」

 桃香が、袋の中から一個つまんで食べてみた。

「すごく甘くておいしい」

 桃香の顔から笑みがこぼれた。

 笑顔を見せる桃香を見て、小春は内心ほっとしていた。

 あの忌まわしい出来事があった後、桃香はしばらく外に出ることができなかった。

 今は、すっかりその事を忘れ去っているかのようだ。

 夢中になって干し果物を食べる桃香に

「あんまり食べると、他のものが食べられなくなるぞ」

 と与一がたしなめた。


 桃香は夕食後もしばらくは小春と一緒に遊んでいた。しかし、はしゃぎ過ぎたのか、すぐに眠ってしまった。

「小春さん、明日にはもう出発するつもりかい?」

 与一の質問に小春は大きくうなずいた。

「それなら、早く寝た方がいい。ももちゃんもいるし、家まで送るよ」

 与一が桃香を抱きかかえ、二人は小春の宿、夕夏の家へと向かった。

 桃香は熟睡しているようで、全く起きる気配がない。それでも小春と与一は、桃香を起こしてしまわないよう口を閉ざしたまま歩き続けた。夜の静けさの中、二人の足音だけが聞こえる。

 家にたどり着き、まずは小春が家の戸を開け、与一が中に入った。小春が行灯に火を灯し、あたりがほのかに明るくなる。与一は桃香をそっと布団の上に乗せた。

「そう言えば、夕夏さんのお墓に行ってなかったな」

 小春が思い出したように小声で言った。

「明日の朝は、そんなに早く出掛ける必要はないんだろ? 出発前に行ってきたらどうだい?」

「そうだな」

 しばらく、沈黙が続いた。

「もう、ひと月過ぎたんだね」

 小春の言葉に

「ああ」

 と与一は一言答えるだけだった。再びの静寂の後、今度も小春が話し始める。

「そう言えば、あれから鬼は出ていないのかい?」

「この近辺には出ていないな。ここしばらくは平和なものだよ。あの出来事が嘘のようだ」

「そうか。でも、用心はした方がいいよ。私は三体ほど遭遇した。しかも一体は青鬼だ」

 与一が小春の顔を驚きの表情で見つめた。しかし、小春は大した話でもないかのように平然としている。

「また、あの火を放つ奴か?」

「いや、今度は雷さ」

「おいおい、大丈夫だったのか?」

 目を丸くして与一が問い掛ける。

「危ないところだったな。なんとか逃げ延びたよ」

「運がいいのか悪いのか、よく分からんな。『鬼の涙』はまだ持っているのかい?」

「いや、途中で手放したよ」

「その方がいい。やっぱり、あの石は危険だったんだよ」

 そんな言葉を交わしていた時、小春はふと、月影の言葉を思い出した。

「そう言えば、作次郎の件だが」

 与一がその言葉にピクリと反応した。

「どうした?」

「どうやら、彼は青鬼に身体を乗っ取られていたらしい」

「そんな事ができるのか?」

「どうやら、そうらしいな」

 小春は、与一の方へ顔を向けて話を続けた。

「奴はまた、誰かの身体を借りて現れるかも知れない。与一さんも用心したほうがいい」

 小春のその言葉に

「分かった。気を付けるようにするよ」

 と与一は応えた。


 翌朝、小春が目を覚ますと、横で桃香が寄り添って眠っているのに気が付いた。

 小春が起き上がるのに気づいたのか、桃香も目を覚ました。

「おはよう、ももちゃん」

 小春が桃香に声を掛ける。

「おはよう、小春お姉ちゃん」

 桃香も目をこすりながら挨拶を返した。

 二人いっしょに顔を洗い、荷物をまとめて与一の家へ向かった。朝も、与一の家で朝食をとる話になっていたのだ。

 戸を叩くと、中から与一の声がした。

「いいぞ、入ってこい」

 戸を開けて中に入る。すでに与一は朝食の準備を終えていた。

 三人で朝食を食べながら、与一が今後の事を小春に尋ねた。

「白魂へ行った後はどうするつもりだ?」

「今のところはわからないな。さらに遠くへ行くかも知れないし。でも、戻って来たらここに立ち寄るようにするよ」

「戻って来たらまた遊んでね、小春お姉ちゃん」

 桃香の願いを小春は

「いいよ。今度はいっしょに牧場へ行こうね」

 と聞き入れ、桃香の顔を見て笑みを浮かべた。

 与一が、小春のために携帯食をいくらか用意してくれた。

「ありがとう、助かるよ」

 小春が頭を下げる。与一は

「礼には及ばないよ。いろいろと世話になったからな」

 と言いながら携帯食を小春に渡した。

「じゃあ、夕夏さんのお墓へ行って、そのまま出発することにするよ」

 準備を終え、小春が笑顔で告げる。

「俺も一緒に行くよ。ももちゃんはどうする?」

 与一が桃香に尋ねると

「私も行く」

 と桃香は元気よく返事をした。


 三人で、夕夏の墓の前に立つ。小春と桃香は途中で摘んできた花をそっと墓標の前に手向けた。

 しばらくの間、小春は墓標の前で立ったままうつむいていた。その様子を、与一と桃香がじっと見ている。

「また、いつか会えるだろうか?」

 小春が誰に言うわけでもなくそうつぶやいた。

「小春さんは、死後の世界を信じてるのかい?」

 与一が何気なく尋ねる。

「信じてはいないけど、あればいいなとは思っている」

「そうだな。あればまた会えるもんな」

 与一も、死後の世界など信じてはいなかった。与一だけではない。この時代、人妖の大半は死んだらそこで意識は途絶えてしまうものだと思っていた。

 しかし同時に、ほとんどの者が、死後も別の世界で存在できる可能性を否定しなかった。そうすることで、死への恐怖を少しでも和らげられる。

「もし、会うことができたら、俺はまず夕夏に謝らなきゃならないな」

 与一がポツリと言った。

 夕夏は、与一をかばい命を落とした。今でもそれを、与一は悔いている。

「私も夕夏お姉ちゃんに会いたい」

 桃香は、夕夏が亡くなったときも家から出ることができずにいた。夕夏の死を知ったのは、小春が森神村を立ち去った後のことだ。

 朝日が、墓標を明るく照らしている。その墓標から、濃い緑に覆われた遠くの山々に目を遣り、小春は与一と桃香にそっと告げた。

「そろそろ、出掛けることにするよ」


「桜雪さん、いますか?」

 正宗が、桜雪の家を訪れた。

 桜雪は、儀式の後の年寄衆への振る舞いが原因で兵士長の座を降ろされ、しばらく謹慎処分となった。

「ああ、正宗か。どうした?」

「ちゃんと食べているか心配で見に来たんですよ」

 謹慎中は貨幣ももらえないから、食事もままならなくなる。それでも、今までの蓄えと他の者からの支援でなんとか暮らすことはできていた。

「大丈夫だ。お前たちのおかげだよ」

「いや、大したことはしてませんよ。それより、早く謹慎が解けるといいですね」

「俺はこのまま別の職を見つけてもいいんだがな」

「変なこと言わないでくださいよ。紫音さんも大変なことになってるんですから」

 紫音は桜雪の後釜として兵士長になった。

「あいつにも悪いことをしたな」

「そう言えば、桜雪さんの一件を聞いて、冬音さんがカンカンになって、年寄衆に文句を言いに行ったのを知ってます?」

「なに、冬音殿が?」

「ええ、どんな文句を言ったのかは知りませんけどね。それから、桜雪さんの家の場所をしつこく聞かれまして」

「教えたのか?」

「いいえ、謹慎中は人と面会することもできないからと、適当にごまかしておきました」

 桜雪は、安堵のため息をついた。

「家にまで押し掛けられては大変ですからね」

 正宗がそう言って笑い出す。

「笑い事じゃあないぞ」

「いや、失礼しました。でも、冬音さんが年寄衆に直談判してくれたのですから、すぐに謹慎が解かれると思いますよ」

「俺は、もうしばらくこのままでもいいのだがな」

 桜雪はそう言った後、下を向いて

「それに、どんなに年寄衆を責めても、晶紀殿はもう戻ってこない」

 とつぶやいた。

「そうですね」

 正宗も、一言そう返すことしかできなかった。

 しばらく無言が続いた後、桜雪が思い出したように言った。

「小春殿が戻って来たら、晶紀殿のことを伝えねばならぬな」

 桜雪は深いため息をついた。


 森神村を出発してからいく日か過ぎた。小春は、海岸線に沿って北へと進んでいた。

 空は一面、灰色の雲に覆われ、右手には暗い海が岩の多い海岸に波を打っていた。全く色彩のない、寂しい風景であった。

 左手はすぐに急斜面となり、松の木が崖から無数に生えていた。木の幹は蛇のようにねじ曲がり、道の上の方まで枝を伸ばしている。

 小春は、白魂への道筋をよく覚えていなかった。海に近い場所にあることを手掛かりに、とりあえず海岸まで出たものの、どこから奥地に入ればいいか思い出せない。

 やがて、小春は小さな漁村にたどり着いた。

(ここは来たことがある場所だな)

 小春は、その漁村に見覚えがあった。

 朝であれば新鮮な魚を手に入れることができたのを思い出したが、今はもう昼下がりである。

 漁港に着くと、そこには漁のための船が並んでいた。人はだれもいない。

 不思議なことに、家々の建ち並ぶ居住区へ足を運んでみても人影はない。

 村の真ん中あたりまでたどり着く。そこから左側へ折れる道が見えた。その道が白魂へ通じていることを小春は思い出した。

 もう少し先を進もうと、小春は村を通り過ぎることにした。

 両側には家が並んでいるのに、ここにも人影はない。もはや廃村と化したのだろう。村の者はどこへ行ったのか、小春は気になった。

 村の外れまで進んだ時である。小春は、殺気を感じた。大勢が周りに隠れているようだ。

(十人ほどいるな)

 囲まれて一斉に攻撃されてはひとたまりもない。小春はすぐに走り出した。

 家の影から、刀を持った連中が突然飛び出し、小春を追いかける。

 村の者なのか、それとも村を襲った盗賊なのか、それは分からないが、捕まればただで済まないことは明らかだ。

 どれくらい走っただろうか。まだ追いかけてくる者は半分ほどに減り、縦一列に散らばっている。

 小春は突然立ち止まると荷物を置き、今度は向かってくる者達の方へ走り出した。

 突如向かってきた小春に驚き、立ち尽くした目の前の男を、小春が一刀のもとに斬り伏せた。後ろを走っていた連中は恐れをなし、一目散に逃げていく。

 男は、左肩から右の脇腹まで深々と斬られていた。腹から臓物を垂らし、膝を突いて、信じられないという表情で小春の方を見ていたが、やがて事切れてその場に倒れた。

 他の者がもはや追ってこないことを確認すると、小春は死体には目もくれず、荷物を持ってその場を去っていった。


 やがて、厚い雲に隠れていた陽が落ちたらしく、あたりは急に暗くなってきた。

 小春は、道から外れて岩の上に腰を下ろした。

 今回のように、村の中で襲われることを、小春は今までも経験していた。

 よそ者を完全に排斥しようとする危険な村もあったが、そのような場所はよく知られているから回避しやすい。

 しかし、凶作などでその日の糧にも困るようになると、知らないうちに村が盗賊の集団に変貌していることがある。

 たいていは、村の中で奪い合いが始まる。その争いに負けたものは、死ぬか、村を出るかのいずれかを選ばねばならない。

 食料が底を尽きると、残った者は今度は外の者を狙う。村を訪れた者、近隣の村に住む者、手あたり次第に殺し、奪うようになる。

 その後、どうなるか。元に戻ることはまずない。そのまま堕ちる所まで堕ちるのだ。

 そんな世の中である。小春も容赦はしない。情けを掛ければ自分の方が殺られる。

 だから、晶紀のような人間がいることに小春は驚いていた。

 彼女には、一人で生きるのは酷な話なのかも知れない。

(晶紀さんは、冬音さんに会えたのだろうか)

 晶紀の今の悲惨な状況を小春は知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る