第32話 口移し
儀式の舞台の中央、暗闇の中、炎獄童子はあぐらをかいて座り、目の前で倒れた晶紀をじっと見つめていた。
やがて晶紀の体を両手でつかむと、額にある石に晶紀の口を近づける。
その途端、晶紀の目が見開かれ、体が痙攣し始めた。
炎獄童子の手が力を失い、晶紀の体を放すと同時に、晶紀はふわりと地面に着地した。
炎獄童子は、その場で眠るように目を閉じ、動かなくなった。
晶紀の方へ、冬音がゆっくりと歩み寄る。
「ふむ、女に乗り移るのも悪くはないな」
晶紀が誰に言うとでもなくつぶやいた。それは、もはや晶紀ではなく、『口移し』により晶紀の体に乗り移った炎獄童子であった。
「晶紀の連れの女、お前が闘った相手に間違いはないんだね」
冬音が炎獄童子に尋ねる。
「間違いありませんな」
「どうするつもりだい? 癒やし手のように懐柔するのかい?」
「いや、あの女には遺恨がありますからな。この手で始末せねば気が済みませぬ」
「女の始末はお前に任せるよ。それより、その女が持つ刀の方が気になるねえ」
「剣生の愛刀というやつですか」
「おそらく、そうだろうよ」
「その刀ですが・・・」
晶紀の体を借りた炎獄童子が、あごをさすりながら話を続けた。
「獄卒をたやすく斬り裂くような刀を作ることができる鍛冶師などそういないはず。もしかして、鉄斎の仕業ではありませんか?」
「さあね」
冬音は興味なさそうに答えた。
「もし、鉄斎が刀を鍛えたのであれば、その理由を知りたくはありませんか?」
「奴の居場所は私も知らないよ。理由を知りたくても聞くことなどできないね」
冬音は炎獄童子に指を差して話を続けた。
「それより、ここまでお膳立てしてあげたんだ。剣生の刀、ちゃんと処分するんだよ」
「分かっております。それでは」
炎獄童子はそう言って闇の中に消えていった。
石段を下りてきたのは、冬音ただ一人であった。
「晶紀殿はどうされたのですか?」
桜雪が冬音に尋ねても、冬音は寂しげな笑みを浮かべるだけで答えようとしない。
「さあ、皆、戻るとしよう」
白髪頭の男性の号令の下、十人の年寄衆は大府へ戻ろうとした。
護衛に付いていた兵士たちは互いに顔を見合わせていたが、その大半は年寄衆の後を追う。
そんな中、桜雪、蒼太、正宗、紫音、龍之介の他、何名かの兵士はその場に残った。
「冬音殿、なぜ晶紀殿は下りてこないのですか?」
桜雪がなおも冬音に問い掛ける。
「晶紀は、儀式の生贄として命を捧げました」
冬音が、桜雪の顔を見据えて答えた。
「生贄ですと?」
桜雪が驚いて声を上げた。
「鬼を封じるための儀式には生贄が必要です。年寄衆の方々には、大府の中から選出して頂くようお願いしておりましたが、それができないとおっしゃる。ですから、仕方なく晶紀を差し出すことにしたのです」
「そんな・・・晶紀殿は何も知らずに生贄にされたということですか?」
「生贄になってほしいなどと、私の口からは言えませんわ」
冬音は、強い口調で桜雪に言い返した。
「桜雪様、次の儀式では大府の中から生贄を選出するよう、年寄衆の方々に強くご進言願います。さもなければ、鬼を封じることなどできませぬ」
冬音はそう言って、一人その場を立ち去ろうとしたが、ふと歩みを止め、こう念押しした。
「晶紀の死を無駄にしないためにも、決して儀式の場に人を近づけぬよう、よろしくお願いします」
翌日、桜雪は集会所に出向いた。
「年寄衆はおられるか?」
「はい、今日は松の間にいらっしゃいます」
そう聞くが早いか、桜雪は階段を駆け上がり、松の間の襖をいきなり開けた。
部屋の中では、年寄衆の周りで若い男女が酌をしていた。昼間から宴を開いていたようだ。
突然の来客に、皆の視線が一斉に襖の開いた方へと注がれた。
「どうしたのだ、桜雪?」
痩せて目のくぼんだ男性が、思わず甲高い声を上げた。
桜雪は、年寄衆の方を睨みつけて
「なぜ、生贄のことを黙っていたのですか?」
と言った。
「今、その話はするんじゃない」
白髪頭の男が慌てて叫んだ。しかし、桜雪はやめようとしない。
「白魂の方が大府のために犠牲になったのですぞ。それでもあなた方は平気なのですか?」
「冬音殿のご提案なのじゃ。我らも他に手は思い付かなんだ」
「それなら、儀式を中止すればよかったのだ」
「場所まで準備して今さら止めるわけにはいかぬ」
その声を聞いて、桜雪は年寄衆を睨みつけたまま黙っていた。酌をして回っていた者達は、事情が分からずその場に固まっている。
やがて、桜雪は低い声で尋ねた。
「次の儀式はどうするおつもりか?」
その問いに答えられる者は誰もいなかった。
大府の広い通りを、桜雪はただ一人足早に歩いていた。
年寄衆のあまりの不甲斐なさに半ば呆れ、集会所を出ていったのである。
桜雪は、やるせない気持ちで一杯だった。
晶紀は何も知らされぬまま生贄となったのだ。どんな儀式を行ったのかは分からないが、自分が犠牲となって鬼を封じるのだということを知った時、晶紀はどのような気持ちだったか、考えるだけで桜雪の心は深く沈んでいった。
しかし、儀式を行わなければ鬼が現れる。すでに兵士が二名、犠牲となったばかりだった。結局、儀式の生贄と鬼の犠牲者、両者を天秤にかけることになるのだ。
そして、大府が存続するためには、儀式を続けるしかない。鬼が現れることが世間に知れ渡れば、誰もが大府へ近づくことは避けるに違いない。周囲から集まっていた物資は途絶え、それらを頼りにしていた商売は続かなくなる。多くの者が鬼を恐れて外へと逃げ出すだろう。人と物であふれていた大府は一転、貧しい集落へと変貌していくことになる。
(いったい、どうすればいいのだ・・・)
年寄衆に啖呵を切ったものの、桜雪にもどうしたらいいのか分からなかった。
晶紀の体を借りて、炎獄童子は森神村を目指し歩いていた。
しかし、今は人間の体である以上、飲まず食わずで十日間も歩くことはできない。
炎獄童子は途中、水無村に立ち寄り、食料などを調達するつもりであった。
晶紀の記憶をたどり、小春から銀貨をもらっていることはすでに把握していた。必要なものは貨幣で手に入れようと考えていた。
村の人間に手出しすることは避けるつもりだ。思えば、森神村では派手に暴れ過ぎた。このことが冬音に知れたら、おそらくただでは済まないだろう。
(少し、自重せねばなるまい)
その昔、炎獄童子は、口移しを使っては村に入り、悪事を働いていた。村の中で人を殺めるに及び、とうとう冬音の逆鱗に触れ、炎獄童子は長い間、氷の中に閉じ込められていたのだ。解放されたのは、冬音が白魂に住むようになってからの事だ。冬音がそれまで各地を旅して探していたものを、今度は炎獄童子に調べさせるためである。
炎獄童子は、封じ込まれる前は冬音の力を軽んじていた。しかし、それは誤りだった。圧倒的な力の差の前に、炎獄童子は為す術もなかったのだ。
炎獄童子をも凌駕する冬音とはいったい何者なのであろうか。
小春は、北の山へと近づいていた。山の方からは冷たい風が吹き下ろされ、少し寒気を感じるほどであった。
山へ登る道はどこにも見当たらない。生い茂る草の間をかき分けながら進むしかないようだ。
山の中は静かだった。時折、鳥の鳴く声が聞こえてくる。湿り気のある地面からは土の香りが立ち込めていた。
しばらく進んだところで、小春は石段らしきものを発見した。かなり崩れてしまってはいるが、人手で作られたものであることは間違いない。
小春は、その石段を辿って山を登ることにした。
石段に沿って、沢が流れている。水は澄み、太陽の光を反射して輝いていた。葉の上で羽を休めていたトンボがひらりと宙を舞い、小春の目の前を飛び去っていく。
沢の近くで少し休憩をとることにした。水に手を入れると冷たい感触が伝わり、喉まで潤ったような気分になる。小春は、天狗に会いに来たことをしばし忘れて、水遊びを楽しんでいた。
その時である。ふと、小春は何かの視線を感じた。その方向に目を遣るが、そこには何もいない。
(気のせいだろうか・・・)
天狗が近くに潜んでいるかも知れないと思い、小春はあたりを見渡してみたが、何も見つけることはできなかった。
その場に立ち尽くしていた小春は、再び歩みを始めた。
石段は、消えたり現れたりを繰り返しながら先へと続いている。いつ頃作られたものかは分からないものの、人の手が入らなくなってから、かなり時間が経っていることは確かだ。
しかし、これが人手で作られたものなら、遠い昔にはこの地にも人間が入り込んでいたことになる。いったい、この石段がどこまで続いているのか、小春は気になった。
どれくらい奥へと進んだだろうか。石段が途切れ、広い空き地にたどり着いた。空き地はほぼ円形をしていて、まるで今でも誰かが手入れをしているかのように見えた。
石段のあるところから見て空き地の左右両端にあたる場所に、卵型の石が置いてある。これが何を意味するものなのか、小春には分からない。
一歩、空き地の中に足を踏み入れる。
沢にいたときにあった視線をまた感じる。小春は、背中の大刀を手に取った。
さらに一歩、空き地の中へと入る。
視線と同時に、殺気まで感じるようになった。油断ならないと小春は思った。
空き地の中央までたどり着いた時である。
突然、背後から何者かが襲ってきた。
振り向くと、目の前に刃が飛んでくるのが見える。
小春はかろうじてその刃を大刀で受けた。
金属どうしが激しくぶつかる甲高い音があたりに響き、刃の当たったところからは火花が散った。
小春は、襲ってきた相手を目で捉えようとしたが、すでにその姿はどこにも見えない。
どこからともなく男の声が聞こえた。
「まさか、あの一撃を受け止めるとはな」
小春が黙ったままでいると、また声がした。
「ここは天狗の領域だ。立ち入る者は容赦せぬぞ」
攻撃する前に言ってほしいものだと小春は思った。
「私は、白魂の地で剣生に仕えていた小春と申す者だ」
小春が叫んだ後、しばらく沈黙が続いた。やがて男が尋ねる。
「何の要件で来た?」
「この刀を鍛えた鍛冶師を探している。天狗なら何か知っているのではないかと思ってな」
小春はそう言って、持っていた刀を頭上に掲げた。
「なぜ、剣生に尋ねぬ?」
至極、当然の質問である。
「師匠は亡くなった」
小春がそう告げた後、再び長い沈黙があった。
「なぜ?」
「鬼にやられた」
「剣生が、鬼ごときに?」
小春は、それ以上の事は言い出せなかった。
どちらも押し黙ったまま、長い時間が過ぎた。
「鍛冶師の行方を聞いてどうする?」
また、声が聞こえた。どこに潜んでいるのか小春には見当も付かない。
「その鍛冶師は私の父親らしい」
「剣生がそう言ったのか?」
「いや、それを聞いたのは師匠が亡くなった後だ。人間からそう言われた」
「それを信じているのか?」
そう尋ねられ、小春はすぐに答えることができなかった。
「・・・分からない」
ようやく小春が一言つぶやくと、今度は女の声が聞こえてきた。
「他には何も手掛かりはないのかい?」
もう一体、女天狗が近くにいたのだ。小春は全く気づかなかった。慌ててあたりを見回すが、やはり何も見つからない。
「その鍛冶師に会うためには、この刀が必要になるらしい」
小春が答えた後、また静寂のときが流れた。やがて、女天狗の声がした。
「詳しくは知らないが、自ら築いた迷宮の中で一人で暮らしている輩がいる。名を鉄斎というらしい。私もそいつに会ったことはないのだが」
少し間をおいて、女天狗は話を続けた。
「その迷宮の入口は固く閉ざされている。開けるためには、鉄斎が鍛えたという刀が必要になるそうだ。もしかしたら、その刀がそうかも知れないねえ」
鉄斎という名前を小春は全く知らないが、それが小春の父親だということだろうか。
「その入口がどこにあるかは知らないのか?」
小春が尋ねるが、女天狗は
「私は知らない」
と答えるだけだった。
小春の父親かも知れない者の名前は判明した。そして、どこかにある迷宮の中で暮らしていることも分かった。しかし、それがどこにあるのか、肝心なことはまだ謎のままだ。
「あとは剣生に聞くしかあるまい」
今度は男の天狗が小春に話し掛けた。
「しかし、師匠はもういない」
「白魂の地に何か手掛かりは残っていないのか?」
「白魂に?」
白魂を出てから方々を旅してきたが、白魂の地だけは避けていた。だから、その白魂に手掛かりがあるかも知れないと考えたことは一度もなかった。
まだ剣生の住処は残っているのか、それは分からないが、行ってみる価値はあると小春は思った。
「分かった、一度白魂を尋ねてみるよ。ありがとう、無断で入り込んでしまって済まない」
小春はそう言って立ち去ろうとした。
「待ちなさい」
女天狗の声がした。
「あなた、その鍛冶師に会ってどうするつもりだい?」
その問い掛けに小春は答えた。
「私は、自分がどうやって生まれてきたのか知りたいだけだ」
「知らない方がいいことだってあるのよ」
その言葉に
「そうかもしれない」
と小春は賛同した。
炎獄童子は、晶紀の記憶を辿っていた。
旅の途中で宝石と交換されて妖怪の手に渡り、さらに別の妖怪に渡される寸前で小春に助けられたことを知った。
(運のいい女だ)
炎獄童子は本気でそう思ったのだろうか。今の状況は、とても運がいいとは言えない。
その後、小春に無断で一人で大府へ向かおうとしたとき、途中で宝石を拾った記憶が浮かんだ。
その宝石は、金剛石のように透明で、中央に赤い炎のようなものが見える。晶紀は、その石に魅せられていたようだ。
炎獄童子は、その石のことを知っていた。それは、作次郎の記憶の中にあった石だ。作次郎はこの石の魔力に取り憑かれ自滅した。
ふと、どんな石なのか気になり、懐から取り出して眺めてみた。確かに珍しい石ではあるが、炎獄童子にとって特に興味を惹くところはなかった。
(冬音に知れたら間違いなく奪われるな)
炎獄童子は、そう思いながら石を懐にしまった。
小春たちが月影に遭遇したこともわかった。小春と月影が闘った後、何やら話をしているようだが、その内容までは聞き取れない。
結局、月影が何をしたかったのか、炎獄童子には知る由もなかった。
(食えぬ奴よ)
他に、晶紀の記憶から大した情報は得られなかったが、小春が晶紀の身体に興味を持っていることを知り
(ちょっと、からかってみるか)
と良からぬことを考えているようだ。
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