第30話 永遠の若さ
「冬音殿は、今、八角村というところへ出掛けられています」
宿へ向かう途中、桜雪は冬音の行き先を晶紀に告げた。
「そうだったのですか。しかし、なぜそのような場所へ?」
「話せば長くなるのですが・・・」
晶紀が疑問に思うのも尤もだと思い、桜雪はそれまでの経緯を手短に説明した。
「鬼が逃げてしまうなんて、初耳ですわ」
「最近わかったそうで」
「では、しばらくはお戻りにならないということですね」
「はい。ですから、その間は冬音殿の宿をお使い下さい」
「わかりました。お世話になりますが、よろしくお願いいたします」
そう言って晶紀は頭を下げた。
「ところで、小春殿は今どちらに?」
「小春様は、森神村というところへ向かわれました」
「森神村に?」
桜雪は驚いて立ち止まった。
「はい。そこで、用事を済ませたいとおっしゃっていました」
「そうですか・・・」
桜雪は、月影を門の前で待たせたままだった。晶紀を宿まで送ったら、急いでこのことを告げに行かねばならない。
二人は冬音の宿までたどり着いた。桜雪は中に入り、行灯に火を灯した。
「さあ、どうぞ」
宿の中へ入ってきた晶紀に桜雪は
「小春殿が森神村へ向かったことを伝えに行かねばならないので、私はこれで失礼します。また、明日の朝にでも立ち寄るようにします」
と言い残し、宿を後にした。
晶紀は、床に座り込み、大きくため息をついた。
月影は、夜になっても辛抱強く門の前で待っていた。
(晶紀という者、見つからないのだろうか・・・)
そう思っていると、桜雪が門から出てきた。
「いや、お待たせしてすみません。ようやく晶紀殿が見つかりまして、小春殿の居場所を伺ったのですが」
「そうですか。で、どちらに?」
「それが、小春殿は森神村へ向かわれたという話です」
「森神村にですか?」
「はい。何やら用事を済ませたいということで」
「そうですか・・・」
月影は、小春が森神村へ戻る理由が何なのか、いろいろと考えてみたが一向に分からない。
「分かりました。お手数をお掛けしてすみません」
「立ち入った話で申し訳ないが、小春殿は兄者とおっしゃる方を探しに仙蛇の谷へ向かわれました。もしかして、あなたの事ではありませんか?」
月影は、桜雪の顔をじっと見つめた。
「その通りです。実は私も、小春が大府へ向かったという情報を得て、仙蛇の谷からここへ参りました」
「それで行き違いになったわけですな」
「ですが偶然、道中会うことができました」
「なるほど・・・これで辻褄が合いました」
桜雪は、話を続けた。
「これから、どうなさるおつもりですか?」
「小春が戻るまで、このあたりにいますよ。鬼を狩りながらね」
月影はそう言って笑みを浮かべた。桜雪にはその顔が、なんとなく寂しげに見えた。
大府を出発してから四日目の夜、千代たちは八角村に到着した。
途中、鬼に出くわすこともなく、野盗なども現れず、天候にも恵まれた。
これといった障害もなく進むことができたが、唯一、幽霊谷で見つけた、半ば白骨化した六体の遺体には誰もが目を奪われた。
それが月影の倒した哀れな河童達だとは、当然ながら誰も知らない。
「よくぞご無事で帰って来られた」
大叔父が千代を出迎えた。
「ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
無事を喜ぶ大叔父に、千代は頭を下げた。
「ところで、後ろにおられる御方はどなたかな?」
大叔父は、千代の背後にいる冬音に気が付いた。
「こちらは冬音様です。故あって、八角村までお越し下さいました」
「冬音と申します。以後、お見知りおき下さい」
冬音は微笑みをたたえて挨拶した。大叔父は冬音を見た瞬間、その美貌に魅了されてしまった。
「いや、ようこそ御出でになられた。どうぞ、ごゆるりとなさって下され」
「ありがとうございます。ですが、大府にて所要がございまして、明後日にはここを出発しようと思っております」
冬音は大叔父にそう告げた後、今度は千代の手を取って
「明日は是非、千代さんが持っていらっしゃる宝石を拝見いたしたいですわ」
と楽しげに話し掛けた。
「わかりましたわ」
千代は一言、冬音に承諾の言葉を伝えてから
「皆さん、お疲れになったでしょう。まずは、私の家で夕食をいただきましょう」
と皆に自分の家まで来るよう促した。
大府とは違い、静かな夜であった。一同は、夕食の待つ千代の家へと移動を開始した。
小春は幽霊谷を歩いていた。
小春も月影が倒した六体の河童の遺体を見つけたが、特に関心もなく通り過ぎていった。
しかし、幽霊谷の中で夜を明かす気にはならなかった。与一はこの場所でよく眠れたものだと、小春は半ば呆れていた。
(与一は達者でやっているだろうか)
小春は、森神村での出来事を思い出していた。与一と夕夏、そして桃香といっしょに蛍を見に行った時のことだ。
それが、遠い昔の出来事のように感じられた。
森神村に立ち寄るべきか、小春は悩んでいた。北の山に登るなら、一言断っておいた方がいいだろうが、正直に言えば止められる可能性があるし、要らぬ心配を掛けることにもなるだろう。それなら直接、北の山まで行こうかとも考えていた。
しかし、小春は桃香にまた会いたかった。
可能なら何日か滞在して桃香と牧場で遊びたかった。
結局、どちらにするか決めることができず、今はとりあえず森神村を目指し、着いてから考えることにした。
ようやく、幽霊谷を抜け、山道に差し掛かろうとしていた。空を眺めると、いつの間にか厚い雲が覆っていた。
(雨でも降るのかな?)
小春は早めに休息できるところを探そうと周囲を眺めながら歩いたが、よさそうな場所はなかなか見つからない。
とうとう、雨粒が小春の顔に落ちてきた。
小春は、懐から頭巾を取り出すとそれをかぶり、先を急いだ。
やがて、八角村へと続く道との分岐点を通り過ぎ、峠も越えた。雨は次第に強くなっていく。
ようやく、体を休めることのできそうな場所を見つけ、道から外れて座り込んだ。
荷物の中から、晶紀が買ってくれた干し果物を取り出して、それを食べてみた。
何の果物なのかよくわからないが、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がり、疲れを癒やしてくれる。
小春は、いろいろな果実を一つずつ食べてみた。甘い果実、酸味の強い果実、中には形容し難い独特の味の果実もあった。
(大府に行ったらまた買ってもらおう)
小春は、干し果物が気に入ったようだ。
冬音は、千代が持っていた宝石の数々を見てすっかり満足していた。
八角村を離れる日、冬音は千代に
「千代さんのお持ちになっている宝石はどれも素晴らしいものばかりでしたわ。御祖父様の眼力が優れていらっしゃったのでしょうね」
と興奮気味に話し掛けた。
「ありがとうございます。お陰様で、どれほど価値のあるものか知ることができました」
千代が冬音に礼を述べると、冬音は名残惜しそうな顔をした。
「今度は、私の大切にしている宝石をお見せしたいですわ。ですから、機会があれば、是非、白魂へ遊びにいらして下さいな」
そう言って、冬音は千代の手を取った。
「儀式が済んで鬼が現れなくなったら使いの者を出しますから、それまでは大府に札を運ぶのはお待ち下さい」
正宗は千代にそう伝えた。まだ在庫には余裕があるから、無理に札を運ぶのは避けようというのが大府側の判断だった。
「はい、分かりました。それまでには必要な分の札をちゃんと準備しておきますわ」
「よろしくお願いします。では冬音さん、そろそろ参りましょうか」
正宗に促され、冬音は後ろ髪を引かれる思いで八角村を後にした。
「さて、帰りも順調に進むことができればいいですね」
正宗の言葉に、冬音は
「鬼のことなら心配は要りませんから、きっと大丈夫ですわ」
と笑みを浮かべながら応えた。
八角村に到着した途端に降り出した雨は、出発する頃にはすっかり上がっていた。
森を抜けた先の湿原には、恵みの雨を受けた花々が可憐に咲き乱れている。
「ここは美しい場所ですわね。宝石の永遠の美しさも素晴らしいですが、花の美しさはなんとなく儚さが感じられて好きですわ」
冬音は感嘆の声を上げた。
「儚さですか。そうですね、花は時間が経つとしぼんでしまいますから、その一時の美しさが人を魅了するのでしょうね」
正宗は相槌を打つ。
「正宗様は、今の若さが永遠に続いてくれたらと思うことはありますか?」
不意に、冬音が正宗にそう尋ねた。
「いや、考えたことはありませんね。そんなことは無理な話ですし」
「もし、永遠の若さが手に入るとしたら、正宗様はどうされますか?」
正宗はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「もし、無償で手に入るのなら、私はほしいと願うでしょうね」
「では、それが誰かの犠牲の上で得られるとしたら?」
正宗は冬音の顔を見た。美しいその顔は、まるで自分のことを試しているように見えた。
「実際にそんな状況になってみないと分かりませんねえ」
正宗は前を向いて言葉を続けた。
「本当に永遠の命を手に入れたとして、もし、この世に未練がなくなっても死ぬことができないのなら、それは幸せと呼べるでしょうかね」
「この世に未練がなくなるときは来るでしょうか?」
「永遠を生きることになれば、いつかは来るのではないでしょうか」
正宗の言葉を聞いて、冬音は花々に目を遣った。それらは鮮やかに咲き誇り、いま一瞬のきらめきを謳歌しているかに見えた。
「そうかも知れないわね」
やがて冬音はポツリとつぶやいた。
夜になって、晶紀が宿に一人でくつろいでいた時、戸を叩く者がいた。
晶紀の顔がパッと明るくなる。少し頬を赤らめながら返事をした。
「はい、どうぞ」
「晶紀殿、今日は一緒に夕食でもいかがですか」
入ってきたのは桜雪と紫音だ。以前、酔っ払いに絡まれたこともあり、桜雪は非番のとき、こうして晶紀と食事をともにするようにしていた。
「はい、よろしくお願いします」
晶紀は笑顔で頭を下げた。
人で賑わう通りを歩き、目的の店までの途中で、美しい花々が並んだ店の前を通った。
「ここの花、いつも綺麗でつい見入ってしまうんですよね」
晶紀が花を見ながら口にした。
「ああ、これらは全部、紙で作った造花なんですよ」
紫音が晶紀の方を見て説明する。晶紀は
「まあ、これが造り物だとは信じられませんわ」
と驚いた。
「生花を育てる村は近隣にはないんですよ。ですから、家に飾る花はたいてい造花ですね。たまに外で摘んでくることもありますけど」
「白魂では花を育てて売っていたりするのですか?」
桜雪が晶紀に問い掛けた。
「冬音様はお花がお好きで。お花専用の畑があるんですよ。でも、お店で売ることは致しませんが」
「ほう・・・すると、冬音殿ご自身で?」
「はい、お花のお世話は全て冬音様がなさっています」
「よほどお好きと見えるな」
紫音の言葉を聞いて
「永遠の美しさを持つ宝石と、一瞬の美しさを持つ花々か・・・両極端ではあるが」
と桜雪はつぶやいた。
「晶紀殿は、花はお好きですか?」
紫音が何気に尋ねる。
「はい。大府の周囲を散策した時、綺麗なお花をたくさん見掛けました。機会があれば、また見に行きたいわ」
「我々が見回りをするときに、ご一緒できればいいですね。しかし、今は鬼が出る可能性があるから、儀式が終わるまではご辛抱いただかなくては」
桜雪にそう言われ、晶紀は少し残念そうな顔をした。
「そうですね。外は危険ですものね。でも、皆さんは外を見張るのをお止めにならないのですね」
「これも仕事ですから」
「くれぐれもご注意下さいませ。私、いつも心配でなりませんのよ」
桜雪も紫音も、晶紀に笑顔を向けた。
「心配いりません。危ないと思ったら、退くようにします。無謀な真似はしませんよ」
そう応える桜雪の顔を見て、晶紀も微笑みを返した。
昼下がり、大府の北東、小高い山の頂上で、蒼太は一人、見張りをしていた。
(こんなところに人が来るはずがないのだが)
麓でたくさんの兵士が見張っている中で、ここまでたどり着く者がいるとは考えられなかった。蒼太にとっては何とも退屈な仕事であった。
(それにしても、こんなところでいったいどんな儀式をするのか)
頂上は広く平らにならされ、見渡す限りは特に何もない。幅の広い石段が、麓から真っすぐ頂上まで伸びている。
この場所が、冬音の言う儀式のために使われることはほとんどの兵士が知らない。彼らはただ、この近くに誰も近づけないよう命令されているだけだ。
だから、兵士たちの間では様々な噂が流れている。新しい封術の実験場、天体の観測場、中には、年寄衆の宴の場だという者もいた。
蒼太たちは、年寄衆から儀式のことは内密にしておくように口止めされている。その蒼太も、どんな儀式を行うのかまでは知らない。
ただ、分かっているのは、その儀式が鬼を封じるために行われるということだ。
遂に、大府のすぐ近くで鬼が現れ、二人の兵士が犠牲になった。大府の人間は皆、そのことは知らない。鬼が現れたことも、他には漏らさないよう伝達されているからだ。
しかし、これからも鬼が現れ続ければ、いずれ知られることになるだろう。
それにも関わらず、年寄衆は、この儀式のための舞台が完成したことを喜んではいなかった。
むしろ、苦渋に満ちた顔をしていた。
この場所が完成したことは、蒼太が年寄衆に伝えた。
「北東の山の工事が完了しました」
「そうか、遂に完成したか」
そう応えた年寄衆の顔が、蒼太には何かを思い詰めているように見えたのだ。
新月の夜までもう間もなくである。しかし、今のところ他に儀式の準備をする様子は見られなかった。
(次の月まで待つつもりだろうか?)
工事は十日ほどで完了した。これは工事の規模から考えれば信じられない速さだった。
人足も、儀式の予定日までに間に合わせようと、夜を徹して働くほど無理をしていた。それなのに、儀式を延ばすなどありえない話だ。
いったい、年寄衆が何を考えているのか、蒼太には理解できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます