第29話 しばしの別れ

 小春は、体がしびれて思うように動けない。

 晶紀が、小春の上半身を抱きかかえて心配そうに様子を見ている。

「ひどい目に遭った」

 つらそうにしながらつぶやく小春に対して

「すまなかった。見張りが騒ぐものだから、悪い妖怪でも現れたのかと思ってしまった」

 と龍之介が謝った。

「だが、十二人の人間に一斉に封術を掛けられても動けるとは、普通なら考えられない。並の妖怪とは格が違うということか」

 封術への耐性がその妖怪の力量と関連しているのかは分からないが、いわゆる大妖怪になると術者が多く必要になる傾向があるようだ。

「ところで、仙蛇の谷へ向かった小春殿がなぜ大府に?」

「それは、私が悪いのです」

 龍之介の質問に対して、小春ではなく晶紀が答えた。

「私は晶紀と申します。小春様は、仙蛇の谷で私を助けて下さいました。私は元は冬音様というお方にお仕えしていたのですが・・・」

「何、冬音殿に?」

 晶紀の言葉に龍之介は声を上げた。

「ご存知なのですか?」

 今度は晶紀が、龍之介の顔を見て叫んだ。

「冬音殿は、今は大府の中におりますぞ。しばらくはここに滞在することになっているはずです」

「冬音様が大府の中に?」

 晶紀は驚いた表情を見せた。

「ええ、その通りです。少し前に、我々とともに大府へ入られました」

「そうですか・・・」

 唖然とする晶紀の顔を見て、龍之介が声を掛けた。

「あの、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。大丈夫です」

 と答えながらも、晶紀は信じられないという表情のままであった。

「ところで、晶紀殿はなぜ仙蛇の谷におられたのですか?」

 龍之介が晶紀に質問した。

「旅の途中で宝石と交換され、仙蛇の谷へ連れて来られたのです。その後、妖怪の手に渡されそうになったところを小春様に助けていただきました」

「宝石と交換ですか?」

 予想外の返答に、龍之介は聞き返した。

「はい。あの、もしかして、冬音様は一人きりだったのですか?」

「残念ながら、他のお供の方々は現在行方がわからないのです」

「そうでしたか」

 目を伏せる晶紀を見て龍之介が

「とにかく、小春殿の具合がよくなったら冬音殿のところまで案内いたしますよ」

 と声を掛けた。


 昼頃になり、小春も自力で立ち上がることができるようになった。

「私はこの辺で待ってるよ」

 北側の門の近くまでたどり着いて、小春が晶紀にそう告げる。晶紀は小春に向かってうなずき、龍之介とともに大府の中へと入っていった。

 晶紀は大府の中央を通る広い道を歩きながら、道沿いに並ぶ店の数々を見回していた。その目に映るもの全てに驚きを隠せないらしく、唖然とした表情をしている。

「いろんな物がお店に並んでいるのですね。時間があったら、一つずつ見て回りたいですわ」

「大府は初めてなんですね。物資は豊富にありますから、見てるだけでも飽きないでしょうね」

 興奮気味の晶紀に、龍之介が話し掛けた。

「白魂はここまで規模は大きくありませんから。元々、他の村々との交流があまりなかったので、店なんてほとんどありませんし」

「確かに店は多いですが、おかげで夜まで喧騒が絶えなくて、それが好きではないという方も多いですよ」

「でも、活気がある方がいいと私は思いますわ」

 晶紀はそう言いながら、立ち並ぶ店を眺めていた。

 やがて二人は大通りから少し中に入った場所にたどり着いた。

「冬音殿はこの宿にいらっしゃいます」

 龍之介はそう言って、軽く戸を叩いた。

 中からは返事はない。

「おかしいな。留守なのかな?」

 もう一度戸を叩いてみるが、やはり中からは物音一つ聞こえなかった。

「困ったな。今はいらっしゃらないようだ」

 首をかしげる龍之介に対し、晶紀は

「場所は分かりましたので、またしばらくしてから訪ねてみることにしますわ。小春様のことも心配ですし、店をいろいろと見て回りたいですから」

 と告げた。すると、龍之介は

「一応、大府の代表である年寄衆にも知らせた方がいいでしょう。もう少しお付き合い願えますか?」

 と尋ねたので、晶紀は承諾し、二人で集会所のある所まで移動した。

 集会所に入り、龍之介が取り次ぎに伝えた。

「今日、白魂からもう一人、大府へ到着された方がいて、一言お伝えしておきたいのだが、年寄衆はいらっしゃるか?」

「本日は会議もなく、誰もお越しになっていません」

「そうか、今日はついてないな」

 龍之介はそうつぶやき、晶紀に向かって

「年寄衆には後ほど私から伝えておきますよ。いったん、小春殿のところへ戻りますか?」

 と話し掛けた。


 おそらく、今が一番暑い時間帯であろう。

 小春は、橋の近くで座って堀の中を眺めていた。深緑色の水の中に、大きな魚が泳いでいるのが見える。

 どこから来たのかはわからないが、旅人が定期的に現れては大府の中へ入っていった。

 また、それと同じくらい、大府から他の場所へと旅立つ者もいた。

 千代たちのように荷車を引いている集団や、ほとんど荷物を持たない一人旅の者、夫婦らしき男女は赤ん坊を抱きかかえ、皆、何か目的を持って大府を出入りしている。

 そんな人間たちは、炎天下の中で座ったまま動かない小春を不思議そうに眺めながら通り過ぎていった。

 小春は、昨日の潜入作戦は失敗だったと考えていた。そんなことをしなくても、最初から桜雪ら五人の名前を伝えて取り次いでもらえばよかったのだ。封術を食らったのは初めてのことだったが、もう二度と経験したくはないと思った。

 やがて、晶紀と龍之介が二人並んで大府から出てきた。

「冬音さんには会えたのかい?」

 小春の問い掛けに

「それが、今はお出かけ中のようでして。また、後で見に行きますわ」

 と晶紀は答えた。

「冬音殿のお世話は桜雪という者が担当しています。彼に会うことがあれば、私の方から伝えておきましょう」

 龍之介はそう告げると、二人に挨拶して自分の持ち場へと戻っていった。

「さて、あとは晶紀さん一人で大丈夫だろう?」

「はい、大丈夫です。しかし、今から出発するおつもりですか?」

「ああ、ここで待っていても仕方ないからな」

「それなら、私が大府で携帯用の食料を買ってきますわ」

「そうかい。それじゃあ、お願いしようかな」

 小春はそう言いながら、銀貨を五枚取り出して晶紀に渡そうとした。

「こんなにたくさんは必要ありません」

「いや、これからしばらくは大府の中で生活しなきゃならないんだろう? 一応、これだけ持っておきな」

「しかし・・・」

「余ったら、私が戻ってきたときに返してくれればいいよ」

 晶紀は、小春の差し出した銀貨を受け取った。

「ありがとうございます、小春様」

 晶紀はそう言って、大府の中へと入っていった。

 とりあえず、これで晶紀のことは心配ないだろうと小春は考えていた。次に目指すのは、森神村の北にある、天狗のいる山の中だ。天狗の領域内に入れば必ず襲ってくるはずだ。その時が、天狗に質問できる唯一の機会となるだろう。危険だが、父親に関する手掛かりを知る者は今のところ天狗以外に考えつかなかった。

「小春様、お待たせしました」

 晶紀が、買ってきた食料を持って小春の下へ戻って来た。

「珍しい物がありましたわ。乾燥した果物なんですけど、いろんな果実が入っていて見た目もすごく綺麗でしょ」

 そう言いながら渡された袋の中には、色とりどりの果実がたくさん入っていた。

「これは綺麗だな。ありがとう」

 他にも、干し肉や乾燥芋、炒り豆など、晶紀は様々な食料を買い込んでいた。

 それらを袋の中に詰め終え、小春は晶紀に告げた。

「じゃあ、そろそろ出掛けることにするよ」

「小春様・・・」

 晶紀は、何かを訴えかけるような目で小春を見つめていた。

「どうした?」

 小春が晶紀の方を見て尋ねると、晶紀は小春に抱きついてきた。

「必ず、戻ってきて下さい」

 晶紀の突然の行為に小春は少し驚いたが、すぐに笑みを浮かべ、晶紀の背中をトントンと軽く叩きながら答えた。

「大丈夫、必ず戻ってくるよ」


 小春が大府を出発した頃、月影は大府の東側にいた。

「まいったな」

 小春の足取りはつかめない。もしかしたら、すでに大府を離れているのかも知れない。

 これからどうするか、月影は決めあぐねていた。

 このまま北へ進めば、例の立入禁止区域にたどり着くだろう。もし通れないのなら、来た道を引き返すしかない。

 しかし、引き返していたら、かなり時間が掛かってしまう。通り抜けできる可能性に賭けて、そのまま進んでみることにした。

 しばらく歩いていると、遠くに見張りが立っているのが見えた。

(やはり無理か・・・)

 あきらめて引き返そうと考えたその時である。背筋が凍りつくような殺気を前方から突然感じた。

 右手に広がる森の中、おそらく鬼が現れたのだろう。

 やがて、悲鳴とともに棍棒が地面を打ち付ける低く鈍い音が聞こえてきた。

 見張りが異変に気づいて森の中へ向かったようだ。

 月影は、鬼のいる方へと走っていった。

 あたりに霧が立ち込め、強い圧迫感を感じる。また、棍棒が叩き付けられたらしい。鐘をついたような音が響き渡る。

 ついに、鬼の姿を捉えた。赤鬼だ。周りに何人かの兵士が取り囲んでいるが、まるで相手にならない。すでに犠牲者がいるらしく、半分潰れた死体が見えた。

「鬼の股の下に入るんだ。足を狙って動けなくしろ」

 月影は兵士たちに対してそう叫んだ。

 鬼が、棍棒を振り回すと、鬼を取り囲んでいた兵士たちが吹き飛ばされた。鬼のあまりにも破壊力のある攻撃に、誰もが鬼へ近づくことをためらっている。

 そんな中、一人の兵士が背後から鬼の股の下へ潜り込んだ。両足を斬ったようだ。鬼は立つことができなくなり、うつ伏せに倒れた。

 他の兵士が鬼の頭めがけて刀を振り下ろす。なんとか、鬼を退治することができた。鬼は黒い煙と化して消えてしまった。

 鬼の両足を斬った男は、左の頬に大きな傷があった。吹き飛ばされた兵士たちの様子を見て大丈夫であることが確認できると、今度は月影の方を見た。

 その男が月影の方へ近づいてくる。

「失礼、あなたは旅の方ですか?」

 兵士は月影に問い掛けた。

「そうです。偶然、鬼が出たのを見掛けまして」

「鬼についてお詳しいようですが」

「以前、鬼退治を生業にしておりました」

「そうですか」

 兵士は頬の傷に触れながら鬼の出た方を振り返り、しばらく眺めていたが、やがて月影の方へ視線を戻し

「このあたりで、他に鬼をご覧になってはいませんか?」

 と尋ねた。

「いや、ここでは初めてですね」

 月影の返答に兵士は軽くうなずき、次に

「どちらまで行かれる予定ですか?」

 と聞いた。

「実は、大府で人を探していまして」

 月影は正直に話した。

「ほう、もしかして、冬音という方ではないですか?」

「冬音? いや、違います。小春という者ですが」

「えっ、小春殿を?」

 その男は驚いた顔をした。

「小春殿なら、仙蛇の谷へと向かったはずですが」

「仙蛇の谷へ? いや、何日か前に大府へ到着したと思うのですが、すぐに仙蛇の谷へ向かったということですか?」

 どうも話が噛み合わない。兵士の

「仙蛇の谷へ向かったのはもう十日ほど前の話です。すると、小春殿は仙蛇の谷から大府へ来られたということですな」

 という話を聞いて、ようやく月影は小春の今までの足取りが分かってきた。理由はわからないが、仙蛇の谷を経由して大府にたどり着いたということだ。だから、月影の方が早く大府に到着したのだと気づいた。

「そのようですね。それで、大府の周りを探しているのですが、見つからなくて。この先はまだ見ていない故、このまま真っすぐ進みたいのですが」

「なるほど」

 兵士は、また頬の傷を撫でながら北の方を眺めていたが、月影の方へ振り返り

「この先は立入禁止区域でしてな。小春殿はここは通ってはいないはずです。少し戻った所に門がありますから、そこから大府の中に入り、中央の広場を右に曲がって下さい。北側の門から外に出ることができます」

 と説明した。

「しかし、私は妖怪で大府に入ることができません」

「そうだったのですか、失礼しました。重ねてのご無礼申し訳ありませんが、小春殿とはどのようなご関係で?」

「昔、小春の兄弟子だった者です」

「兄弟子・・・剣生殿のお弟子さんということですか?」

「そうです」

 しばらく、沈黙が続いた。それを破ったのは兵士の方だ。

「申し遅れましたが、私は大府の兵士で桜雪と申します。私が北側までご案内します。鬼の一件で事後処理がある故、ここで少しお待ちいただけますか」

「ありがとうございます。私は月影と申します」

 桜雪は、月影に一礼すると、後始末をしている者たちの下へと駆けていった。


 堀に沿って桜雪と月影が歩いている。

「小春殿にはどのようなご用件で?」

 桜雪の問い掛けに

「いや、実は旅の途中で一度すれ違いまして。小春は大府へと行くと聞いたのですが、妖怪は中に入れないことを思い出し、慌てて追いかけてきたのです」

 と月影は適当にごまかした。

「そうですか。しかし、小春殿はそれをご存知だったはずなのですが」

「そう言えば、連れの女性が一人いました。その方を大府まで案内していたのかも知れません」

「連れの女性・・・どのような方でしたか?」

「いや、私もよくは覚えてなくて。ごく普通のまだ若い方でしたね」

 桜雪は、小春の連れが冬音のお供の者かも知れないと思ったが、大府を出入りする者は多いため、可能性は低いだろうとその考えを一蹴した。

 しばらく歩いていると、前方から一人の兵士が走ってきた。左目に眼帯を付けている。

「どうした、龍之介」

 桜雪が、近づいて来た龍之介に声を掛けた。

「いや、桜雪殿に伝えたいことがあってな。まず、小春殿が大府にお見えになった」

「えっ、今どこに?」

 月影が反射的に尋ねた。

「北側の門の近くにいらっしゃる」

 桜雪が龍之介に

「他にもあるのか?」

 と先を促した。

「ああ、小春殿に連れが一人いらっしゃってな。晶紀という名で、どうやら冬音殿に仕えていた方らしい」

 桜雪は、自分の直感が正しかったことに驚いた。

「生存者がいたということか?」

「そういうことになる。一応、冬音殿がいる宿の場所はお伝えしてあるが、冬音殿は留守だった。年寄衆も今日は集会所にはいなかったので、まだこのことは伝えていない」

「冬音殿なら今朝、千代殿と一緒に八角村へ向かった」

「えっ、冬音殿が?」

 龍之介も、予想外の話に目を丸くした。

「とにかく、北側の門まで行ってみるよ」

 桜雪はそう告げると、龍之介から月影の方へ目を移し

「早くも見つかったようですな」

 と笑みを浮かべた。


 ところが、北側の門にたどり着いたものの、小春も晶紀も姿を消していた。

「いないようですな」

 桜雪があたりを見回しながら口を開いた。

 陽が傾き、すみれ色の空に橙色の雲が棚引いている。もうしばらくすれば、あたりは暗くなるだろう。

「仕方ない。私はこのあたりで小春が戻ってこないか見張っていますよ」

 遠くを眺めている桜雪に、月影は言葉を掛ける。

「すみません。私は、晶紀という方を探してきます。おそらく小春殿の居場所をご存知でしょうから」

 桜雪は月影に一礼して大府の中へと入っていった。

 まずは、冬音が泊まっていた宿まで行ってみるが、晶紀の姿はない。先に年寄衆へ伝えようと集会場に足を運ぶが、年寄衆もいない。

「まったく、鬼の件も伝えなきゃならんというのに」

 桜雪はぼやいた。

 その頃、月影は橋の近くで堀の中を眺めていた。奇しくもそこは、小春が昼間に座っていた場所だった。

 魚でもいたのだろうか、水面に波紋が現れる。月影は視線を堀沿いの道へと移した。もうすぐ夜になるというのに、まだ人が往来している。大門では篝火が灯され、兵士がその横で外を見張っていた。

 森の中に目を向ける。鬼の気配は今のところない。しかし、相手はいつ何時、姿を現すか分からない以上、油断は禁物だ。

(俺が赤鬼を倒したら、奴らには分かるのだろうか?)

 奴らとは青鬼たちのことだ。青鬼は、できれば裏切ったと気づかれる前に始末したい。どうすればそれが可能か、月影は考えを巡らせていた。

 雷縛童女は月影をある程度は信用している。しかし、不意討ちが通用するほど相手は甘くはない。炎獄童子に至っては、月影のことを信用していないだろう。相手の妖術も厄介だ。小春の妖術が必要になるのは間違いない。小春を見つけたら、協力して相手を倒す方法を一緒に検討したかった。

 しかし、いくら考えても安全な策など存在しない。月影はそう予感していた。

(この命、捨てねばならぬかも知れんな)

 そう考え、月影は笑った。


 小春が森神村へと出発した後、晶紀は大府にある店を見て回っていた。

 様々な食料が店先の棚を埋め尽くしている。晶紀は、今まで見たこともないような食材に興奮気味だ。

 時間も忘れて歩き回っているうちに、いつの間にか空が暗くなっていた。

「あら、もう夜になるのですね」

 そう独り言をつぶやいて、冬音の宿へと行こうとあたりを見回した時、晶紀は自分が今、どこにいるのか分からなくなっていることに気が付いた。

 闇雲に歩いているうちに、大通りらしき場所にたどり着いたが、今度は自分がどの方向を向いているのかわからない。

 太陽は完全に沈み、月も今は沈んでいるようで方向を知ることもできない。

 広い大府の中で一人迷子になり、晶紀は途方に暮れていた。

 ほとんどの店が閉まり、飲食店の灯りだけが目立つようになってきた。晶紀はそれを見るうちに空腹を覚えるようになった。

 驚いたことに、その日は朝から何も口にしていなかったことに晶紀は気づいた。途端に体から力が抜けるような感覚を覚え、近くにあった店に吸い寄せられるように入っていった。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 店員に案内されて席に座る。壁には料理名が書かれた札がずらりと並び、周りの客は店員を捕まえて注文をしていた。

 晶紀は、このような店に入るのは初めてだった。見よう見まねで店員に注文すると、やがておいしそうな料理が運ばれてきた。

 料理を受け取る時に貨幣を渡す仕組みのようで、その通りにしてみると店員は愛想よく貨幣を受け取った。

 ほっと一息ついたところで、さっそく運ばれてきた料理を食べ始めた。今まで携帯食ばかり食べてきただけに余計においしく感じられる。

 周りを見る余裕も出てきて店の中を見回してみる。客のほとんどは男性で、料理だけでなく酒も飲んでいるようだ。ふと、男性客がやたらと自分の方を見ていることに晶紀は気が付いた。

(何か変なところでもあるのかしら)

 自分の格好を見てみるが、変なところは見当たらない。何だか気恥ずかしくなり、うつむきながら食べていると、客の一人がふらふらと近づいて来た。

「お嬢ちゃん、一人かい?」

 そう言って晶紀の方へ近づける顔は赤く、息が酒臭い。酒を相当飲んでいるようだ。

「はい、そうですが」

 晶紀は警戒することなく素直に答えた。

「そいつはいけねえ。俺が家まで送ってあげよう」

「実は道に迷ってしまって。ここはどのあたりになりますか?」

「心配しなくてもいいよ。ちゃんと送り届けてあげるからさ」

 男は、晶紀の横の席に座り、体を寄せてきた。

「何をするんですか。止めて下さい」

 晶紀が大声で叫ぶのを聞いて周囲の目がその方向に集中した。

「お客さん、いい加減にしないと衛兵を呼びますよ」

 店員の言葉に、男はおぼつかない足取りで自分の席に戻っていった。

「大丈夫ですか?」

 そう尋ねる店員にうなずいたものの、晶紀は涙ぐみ震えていた。これ以上、食べる気も起こらなくなり、そそくさと店を立ち去った。

 外に出て深呼吸する。いくらか気分が落ち着いたので、自分の居場所を把握するためにあたりを見回した。通りに沿って灯籠が並び、その先には外への門が見える。晶紀は、龍之介に案内された時、中央の広場からさらに先へ進んだ所に冬音の宿があったことを思い出し、そこまで歩くことにした。

 夜だというのに外を歩く人は結構多かった。酒に酔って千鳥足の者もそこかしこにいる。

(絡まれないように気を付けなくちゃ)

 できるだけ酔っ払いからは離れて歩くようにした。

 中央の広場にたどり着き、晶紀は周囲を眺めながら昼間の記憶を呼び起こそうとした。しかし、夜間は昼間とは全く雰囲気が違う。どうしても思い出すことができない。

「見いつけた!」

 その声に振り向くと、先程の店で絡んできた男がいた。

「じゃあ、行こうか、お嬢ちゃん」

 男はそう言って、晶紀の体に抱きついてきた。

「放して下さい! 誰か助けて!」

 周囲にいた者が何事かと遠巻きに見ている中で、男の腕をぐいと掴む者がいた。

「いてて!」

 腕をひねられ、男は身動きがとれない。

「俺は大府の兵士だ。これ以上狼藉を働くなら牢に入ることになるが、それでもいいか」

 と凄みのある声で警告され、男の赤い顔が一気に青ざめた。

「す、すみません、勘弁して下さい」

 兵士が手を放すと、男は慌てて逃げ出した。

「大丈夫ですか?」

「・・・」

 晶紀は、兵士の顔を見つめたまま固まっていた。

「どこか痛むのですか?」

 兵士がもう一度問いかける。晶紀は慌てて目をそらし

「いえ、大丈夫です。あの、ありがとうございました」

 と言って頭を下げた。

「いや、これも仕事ですから。それより、早く帰った方がいいですよ」

 兵士がそう言い残して立ち去ろうとするので

「すみません、ちょっとお尋ねしたいことがありまして」

 と晶紀は慌てて引き留めた。

「どうされましたか?」

「実は、道に迷いまして。冬音という者のいる宿に参りたいのですが、ご存知ありませんでしょうか」

「えっ、冬音殿の宿に? もしかして、あなたは晶紀殿か?」

「あっ、はい、そうですが、どうして私の名を?」

「いやあ、探しましたぞ。私は桜雪と申します」

「あなたが桜雪様でしたの?」

 晶紀は笑みを浮かべた。

「まずは、冬音殿の宿へ参りましょう」

 桜雪も、晶紀へ笑顔を見せた。

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