第24話 西への旅路

 道の中央に薪を集め、火をおこす。たちまち周辺が明るくなった。

 たき火の近くで食事を取りながら、小春は晶紀に言った。

「何も持たずに一人で大府に向かうなんて自殺行為だ。鬼がいなくたって、どこかで死んでいたぞ」

 晶紀は小春に謝るしかなかった。

「ごめんなさい。でも、どうしても冬音様が心配でたまらなかったんです」

 お腹が空いているはずなのに、うつむいたまま食べようとしない晶紀を見て、小春は

「とにかく、早く食べな」

 と優しく声を掛けた。

 ようやく食べ始めた晶紀の姿を見ながら

「ここまで来たんだから、一度大府へ行ってみよう」

 と小春が言うと、晶紀はたちまち目を輝かせた。

「本当ですか?」

「仕方ないだろう。だが、大府へ着いたら、そこからは自分で何とかするんだぞ」

「はい、あの・・・ありがとうございます」

 小春は、晶紀の冬音に対する想いを理解しているつもりだった。間接的にとは言え、身寄りのない自分を引き取って育ててくれたわけだから、その恩義に報いたいと思っているのだろう。しかし、冬音の方が晶紀のことをどう思っていたのかは分からなかった。いくら儀式に必要だからといって、今まで育ててきた者を宝石と交換する事などあり得るだろうか。小春は、冬音に対しては不信感を抱いていた。

「冬音さんに会ってどうするつもりなんだ?」

「もう一度、おそばに仕えたいと思います」

「あんたはもう自由の身なんだぜ。もっと違う人生を歩むことだってできるだろう」

「でも、そんな事は考えたこともございませんし・・・」

 ずっと付き人として生活してきたわけだから、いきなり自由に生きてみろと言われてもそれは無理なのだろうと小春は思った。

「大府まではまだ距離がある。着くまでによく考えてみるんだな」

 晶紀は小さくうなずくだけだった。


 山の間を縫うようにして道は続く。

 朝からずっと休みなしに歩いたのに、まだ山道は終わらないようだ。

 ふと気が付けば、厚い雲が太陽を覆っていた。雨が降りそうな気配である。

「雨が降れば多少は涼しくなるだろうが、ひどい雨になるのは御免だな」

 小春は、そう言いながら晶紀の方を見た。

 晶紀は、何か思い詰めた顔をしていた。大府に着いたらどうするか考えているのだろうと小春は思っていた。

 しかし、考えていたのはその事ではない。『鬼の涙』のことだ。

 良心が、小春に返すべきだと訴えかけている。しかし、それを実行に移すことがどうしてもできなかった。

 何も言わずにおけば、この宝石は自分のものとなる。その誘惑から逃れられない。

 そんな自分の気持ちに対して嫌悪感さえ覚えた。それでも、小春に告げることができない。

「小春様」

「どうした?」

「私を助けていただいたとき、あの女性にお渡しになった石の事なのですが、あれはどういうものだったのですか?」

「ああ、あれは『鬼の涙』と言ってな。鬼を退治した報酬としてもらったものだよ。なんでも、災いを招く石らしくてね」

「災いを、ですか?」

「確かに、あの石が原因でいろいろとあったよ。あの女、ひどい目に遭っていなければいいけどな」

 時すでに遅く、あの女性は命を落としてしまった。晶紀は、この石を所有していることが怖くなってきた。

「あの・・・」

 『鬼の涙』を持っていることを小春に告げようとする。しかし、後の言葉が出てこない。

 気が付けば、小春が晶紀の顔を心配そうに見ていた。

「大丈夫か?」

 小春の呼びかけに

「すみません、どうやって御恩をお返しすればいいかと考えていました」

 と答えることしかできなかった。

 小春は話題を少し変えた。

「そう言えば、晶紀さんは宝石と交換されたんだろう? いったい、どんな宝石だったんだい?」

「私にも分からないのです。休憩中に、冬音様が私に突然告げられたのです。儀式に必要な石を手に入れるため、私をどうしても手放さなければならなくなった。これからはあの女のもとに仕えてほしいと」

「どんな宝石なのか教えてくれなかったのか?」

「はい、すでに冬音様の手に渡っていたようです」

 大事な身内を手放さなければならないほどの宝石がどんなものなのか、小春は気になった。

「あの・・・やはり、宝石でお返しした方がよろしいでしょうか」

 晶紀がそう尋ねるので

「私は宝石には興味がない。晶紀さんの身体の方が興味あるな」

 と小春は意味ありげな笑みを浮かべて答えた。

「私の身体ですか?」

「そう。だから、その身体で返してもらえればそれでいいよ」

 晶紀は、今度も小春の言葉が理解できなかった。

「身体のどこで返せばよろしいでしょうか?」

「どこって・・・」

 小春の方が回答に困った。

 顔に何かが当たった。雨粒だ。とうとう雨が降り出したようだ。

「どこかで雨宿りするか」

 小春は話をはぐらかせた。


 木陰に入り、そこで食事をとることにした。

 雨は次第に強くなり、木の葉に雨の当たる音が激しくなる。

「今日はこれ以上進めないかもな」

 空の様子を見ながら小春は独り言のようにつぶやいた。

 しばらくの間、二人は降りしきる雨を眺めていた。大粒の雨が地面を叩く音は、まるで子守唄のように眠気を誘う。遠くの山々は雨の中で黒く浮かび上がり、さながら海に住むと言われる妖怪の海坊主を連想させた。

「私、雨は嫌いですわ」

 晶紀がポツリと言った。

「そうか? 今の季節なら、雨が降った方が涼しくなるからいいと思うが」

「だって、雨の日は外で遊べないじゃないですか。子供の頃は、それが嫌で仕方ありませんでしたわ」

「雨の日だって普通に遊べるだろう?」

「外に出たら濡れてしまうじゃありませんか」

「そんなこと、気にしたことなかったな」

「小春様はおてんばだったんですね」

 晶紀は笑みを浮かべながらそう言った。

「白魂のすぐ近くに小高い山があるだろう? あそこが私の遊び場だったよ」

「あら、小春様のいらっしゃった頃はあの山に入ることができたのですか?」

「今は入れないのかい?」

「ええ、あの場所で儀式が行われるので、冬音様しか入ることができないのです」

「そうなのか・・・」

 小春は、野山を駆けずり回っていた頃のことが懐かしくなった。

「あの山にはいろんな果物があって食べ放題だったよ。柿、桃、りんご、梨、さくらんぼもあったな。遊び疲れた時は、それを食べるんだ」

 それらの果物は野生ではなく、村の者が手入れしていたものだった。つまりは盗んで食べていたわけである。

「羨ましいですわ。果物なんて、めったに口にすることができませんでした」

「兎も捕れたよ。持ち帰って師匠に渡すと喜んでくれたっけ」

 晶紀が、ふと気になって小春に尋ねた。

「小春様のご両親はどんな方なのですか?」

 小春の表情が曇った。

「両親のことは分からない。物心がついた頃には師匠と暮らしていた」

 晶紀が慌てて

「ごめんなさい。余計なことを聞いてしまって」

 と謝るのを見て

「いや、気にしてないよ」

 と小春は笑みを浮かべた。

「師匠は剣生という者だ」

 小春の言葉を聞いて、晶紀は驚いた。

「剣生様と言えば、白魂では英雄として語り継がれておりますわ」

「英雄か・・・私にとってはただの偏屈な親父だったな」

 小春は雨が降る曇り空を見上げながら話を続けた。

「小さい時から父上と呼んでいたんだがな。剣術と妖術の修行を始めることになって、最初に言った言葉が『これからは自分のことを師匠と呼べ』だったよ。その頃は本当の父親だと思っていたから、そんなのおかしいと言い返したけど、剣の道に親も子もないとか言い出して・・・」

 晶紀は、小春の顔をじっと見つめていた。小春の琥珀色の目が潤んでいるようだ。

「あのまま師匠とずっと暮らすことができればよかったのにな。一緒にいるとすごく安心できたんだ」

 そう言うと、小春は下を向いてしまった。

「今の私は、小春様のおかげですごく安心できていますわ」

 晶紀のその言葉に、小春は晶紀の顔を見て

「そうかい?」

 と笑いながら答えた。

 会話が途切れてからも、雨は相変わらず激しく降り続いた。小春は木に寄りかかり、目を閉じている。晶紀は、うつむいたまましばらく考え込んでいたが、顔を上げて小春の方を見ると

「もし、冬音様がもう私のことを必要とされていなかったら、私は小春様にお仕えいたしとうございます。その望み、叶えられますか?」

 と真顔で言った。

 その言葉に目を開けた小春は、晶紀の真剣な顔を見て

「私といると命がいくつあっても足りないよ」

 と返す。

「でも、私は一人で生きていく自信はありません」

 晶紀はそう言うと、またうつむいてしまった。

 そんな晶紀の姿を見ているうちに、小春は剣生が亡くなった直後の自分を思い出した。

「まあ、今のところは一緒にいればいい。先のことをそんなに心配するな」

 小春はそう言って、また空の方を見上げた。


 朝、二日酔いの頭を抱えて桜雪は起き上がった。

 昨夜は、遅くまで酒場で酒を呑んでいた。いつも朝になり後悔することになる。そして思うのだ。次からは酒は控えようと。

(千代殿や冬音殿は大丈夫だろうか)

 千代は酒も飲めないのに、最後まで付き合わせてしまった。周りは酔っ払いばかりで大変だっただろう。

 下戸の千代に比べて冬音は酒に強かった。周りの男性陣と同じくらい呑んでいたが、まったく平気な顔をしていた。

 冬音に勧められて呑んでいるうちに、最後の方はほとんど記憶がない状態になってしまった。どうやって帰ってきたのか、あまりよく覚えていない。

 少し、二人の様子を見に行こうと思い、顔を洗いに台所へ向かおうとしたとき、戸を叩く者がいた。

「誰だ?」

「正宗です」

 昨夜の酒宴で何か問題でも起こしていたのだろうかと、桜雪は不安を感じた。

「いいぞ、入ってこい」

 正宗が戸を開けて入ってきた。

「起きたばかりのようですね。大丈夫ですか?」

「そういうお前はどうなんだ?」

 半笑いの正宗に、桜雪は問いかけた。

「私は飲む量を控えていましたからね。全然、平気ですよ」

「そうか」

「桜雪さんは、かなり出来上がってましたからね。おかげで運ぶのは大変だったんですよ」

「すると、お前がここまで連れてきてくれたのか」

「実は、冬音さんが私の責任だからとおっしゃって・・・」

「まさか、冬音殿が?」

 桜雪は驚いて目を見開いた。正宗はニヤニヤと笑みを浮かべている。

 桜雪は、冬音に肩を預け、千鳥足で家に向かう自分の姿を想像して鳥肌が立った。

「酔いつぶれて冬音殿に介抱されるなんて、合わせる顔がないぞ」

「いや、お客様にそんなことはさせられませんから、丁重にお断りしました。説得するのは大変でしたけどね」

 正宗の言葉に、桜雪は安堵した。

「驚かすなよ」

「でも、余計なお世話でしたか?」

「何がだ?」

「あのまま冬音さんに介抱して頂いた方がよかったんじゃないかなと思って」

「馬鹿言え」

 苦虫を噛み潰したような顔をする桜雪に、正宗は相変わらず笑顔を向けている。

「ところで、ここに来たのは俺をからかうためなのか?」

「あっ、そうでした」

 正宗が真顔になった。

「年寄衆からの伝言で、冬音さんを連れて集会所まで来てほしいとのことでした」

 冬音の言う、鬼を封じる方法を実践する目処が立ったのだろうと桜雪は思った。

「わかったよ、今すぐ向かうことにしよう」

 桜雪はそう言って、身支度を始めた。


 冬音と千代は、同じ宿に泊まっていた。千代はすぐにでも八角村へ戻りたがっていたが、鬼がいる外に護衛なしに出るのは危険だと説得して、しばらくは大府に滞在することになっていた。冬音も当面の間は大府にいることになるだろう。

 桜雪が宿の戸を叩くと、中から声がした。

「どなたですか?」

 千代の声だ。もう、起きているらしい。冬音の方は昨日あれだけ酒を呑んだのだから、まだ寝てるかも知れないと桜雪は思った。

「桜雪です」

「どうぞお入り下さい」

 戸を開けると、千代と冬音は食事中だった。

「これは失礼しました、食事中でしたか。また、後で来ますよ」

「いえ、もう済みましたから、どうぞここでお待ちになって下さい」

 千代はそう言って、膳を片付け始めた。

「千代さんの作る料理はすごくおいしいですわ」

 冬音も食べ終えていたようで、膳を運びながら千代に話しかけた。

「喜んでいただけて何よりです」

 いつの間に食材を調達したのか、手作りの料理が振る舞われていたようだ。桜雪は、ふと空腹を覚えた。

「お待たせしました桜雪様。いかがなされましたか?」

 千代の言葉に桜雪は我に返り、冬音の方へ顔を向けて

「実は、年寄衆より冬音殿にお呼びがかかりましてな。少しお時間をいただきたいのだが、よろしいでしょうか」

 と告げた。

「分かりました。参りましょう」

 冬音はすっと立ち上がり、桜雪の方へと近付いていった。

「千代殿、朝早くお騒がせして申しわけない」

 桜雪はそう言い残し、冬音を連れて集会所へ向かった。


 道すがら、桜雪は昨夜の件を冬音に詫びた。

「冬音殿、昨夜はお見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

「いや、私の方こそ軽率でしたわ。あまりにも楽しかったものだから、つい・・・ごめんなさい」

「冬音殿が謝ることはありませんよ。調子に乗って飲んだのは私だ。途中から記憶も曖昧になってしまって、いやはや情けない話です」

 桜雪の話を聞いて、冬音は桜雪に尋ねた。

「桜雪様、もしかして、昨夜のお約束のこと、お忘れか?」

 桜雪は覚えがない。冬音の方を見て

「はて、何か約束しましたかな?」

 と言った。

「大府の中を案内して下さると」

 桜雪は、はっと思い出した。そう言えば、千代と冬音にそんな事を約束した覚えがある。

「そうでしたな。年寄衆とのお話が終わりましたら、千代殿と一緒に参りましょう」

 すると冬音は、桜雪の腕に抱きついて、甘えるような声で話し掛けてきた。

「私だけに案内して下さいませんか?」

 不意を突かれた桜雪が冬音の顔を見た。少し首をかしげ、上目づかいで見つめる冬音の瞳に吸い寄せられそうな気分になり、慌てて前を向く。

「しかし、それは千代殿に悪いですから・・・」

 桜雪がそう言った途端、冬音はぱっと離れて

「そうですよね」

 と少し拗ねた顔をした。

 桜雪は、女性に疎いというわけでもなかったが、どうも冬音のことは苦手らしい。昨夜も、桜雪の横に腰掛けるとやたらと身体を密着させたり、時には腕に抱きついたりして、千代がかなり驚いていたのを桜雪は覚えていた。他の者にも同じようなことをしているのかと様子を見ていたが、どうやら桜雪だけが対象であるようだ。そのあからさまな態度に、桜雪はかえって引いてしまうのだった。

 結局、その後は二人とも会話をしないまま集会所にたどり着いた。

「さあ、参りましょう」

 桜雪はそう言って、冬音を中へと招き入れた。


「年寄衆は今どちらに?」

 昨日と同じ取り次ぎが、相も変わらずあぐらをかいて座っていた。

「今日は桜の間にいらっしゃいます」

 それを聞いた桜雪は、冬音とともに二階へと上がり、今度は左側の桜の絵が描かれた襖越しに部屋の中へ声を掛けた。

「桜雪です。冬音殿をお連れしました」

「入りなさい」

 襖を開けると、十人の年寄衆がこちらを向いて座っていた。

 二人が中に入り、年寄衆と相対して座る。少し間をおいて、昨日、上座に座っていた白髪頭の男性が話し始めた。

「冬音殿、我々はそなたの指示通り、儀式を行うことに決めた。必要なものも全て揃えよう」

「儀式を行う場所はどちらに?」

 冬音の問いに

「北東の方角に小高い山があってな。人も寄り付かないような場所じゃ。登ることができるよう道を整備しておこう」

 と老人は答えた。

「それでは、儀式を行う日まで、こちらに留まる事といたしますわ。必要なものが揃ったら、一度見せていただけますか?」

「分かった。その時はまた連絡するように致そう」

 老人は心なしか苦渋に満ちた顔をしているように桜雪は感じた。

(いったい、どんな儀式を行うというのだろうか)

 桜雪は少し不安な気持ちになった。

 そんな桜雪の感情に気づいたのか、冬音は桜雪に話し掛けた。

「心配はご不要ですわ。儀式さえ行えば、鬼は消えます。また、今まで通り安心して暮らすことができますわ」

 男なら誰もが魅了されるであろう満面の笑みを浮かべる冬音を、桜雪は黙って見つめることしかできなかった。

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