第22話 大府
轍に沿って荷車は進む。
桜雪と千代を先頭に、一行は大府への最後の旅程を終えようとしていた。
やがて、目の前に木で組まれた櫓が姿を見せた。
「あそこが大府ですか?」
冬音が尋ねる。
「ええ、あれは防御用の櫓の一つですね」
紫音が手で指し示しながら説明した。
進むに連れて道は平らになった。高い石垣が目の前に迫ってくる。それは左右に広がり、端が霞んで見えないほどだ。高くなるほど傾斜が急になり、その頂上は垂直になっている。
石垣の前には幅の広い堀があり、一行が進む先に大きな橋が架けられていた。
さらにその奥に巨大な門が見える。その門の前では、鬼ですら小人に見えてしまうだろう。巨木をそのまま柱にし、左右と中央に三本ずつ、全部で九本が等間隔で並んでいた。柱を結ぶ梁も巨木がそのまま使われている。上部には櫓があり、窓からは人の姿が見えた。
門の前には大勢の見張りがいた。ここで、大府に出入りする者達を念入りに調べているらしい。
一行は橋を渡り、門の前までたどり着いた。桜雪が近くにいる見張りに声を掛ける。
「今、戻って来た。さっそく年寄衆に報告に行きたいのだが、今はどこに?」
「これは桜雪殿、ご苦労様でした。年寄衆は集会所にいるはずです」
「会議中か?」
「いいえ、今日は会議はありません。おそらく、いつもの遊びでしょう」
桜雪はため息をついた。
「昼間から困ったもんだ。とにかく、行ってみるよ。ところで、ここを白魂から来た者が通ってはいないか?」
「白魂ですか? 私が知る限りではいませんでしたね」
「そうか・・・」
大府を出入りする者は多い。一人が全ての人間を調べるのは不可能だから、まだ冬音の共の者が大府にたどり着いていないとは限らない。桜雪はそう考えながら、皆を中へ招き入れた。
「なんて立派なところなのでしょう。これほどの大きさとは想像していなかったわ」
門を通り抜けて中を見渡すなり冬音が思わず口にした。それも仕方のないことだろう。大府は八角村と同じ城郭都市であるが、その規模は遥かに大きいものであった。四方は高い石垣で固められ、それぞれの方角に巨大な門が設置されていた。東と西、北と南の門を結んで広い道があり、その道沿いにはたくさんの店が建ち並んでいる。家々は整然と並び、道が碁盤の目のように通っていた。この中を隈なく歩くにはどれだけの時間が必要になるのか、検討がつかない。
桜雪たちが通ってきた門は大府の北側にあたる。一行は、奥の方へと進んで行った。
たくさんの人々が行き来する中、あちらこちらで客引きの声が飛び交う。店先で吊り下げられた大きな肉の塊、ずらりと並べられた野菜や果物、様々な種類の衣料品や布地、何に使うのかよくわからない雑貨、刀や槍、鉄や皮でできた鎧などの武具、そして子供たちが物欲しそうに眺めている先にある玩具の数々など、ここで手に入らないものはないと思えるほど多種多様な品々が所狭しと並んでいた。
「久しぶりに来ましたが、相変わらずの賑わいですわね」
千代があたりを見回しながら口を開いた。
「しかし、揉め事も多いですからね。我々としては毎日大変ですよ」
桜雪が話している最中にも、遠くから怒号が聞こえてくる。
「ここにいると、大府以外の場所は本当に物静かでいいなあと思いますよ」
正宗がそう言って笑った。
どこからともなく香ばしく焼ける肉の匂いが漂ってくる。
「ああ、もうお腹がペコペコですよ。早く行って報告を済ませてしまいましょう」
蒼太がお腹を叩きながらぼやいた。
一行はようやく大府の中央までやって来た。
中央の広場は一段と多くの人々で賑わっていた。周りには立ち食いの屋台が立ち並び、美味しそうに食べ物を頬張る人の姿がたくさん見られた。
広場のちょうど真ん中に小さな石碑があった。冬音は、その石碑が気になって、近付いて書いてある文字を読んでみた。
「かつての過ちを繰り返さないために、戒めとしてここに刻もう」
「遠い昔、人間同士の大きな戦があったそうです。敵対していた村々の多くが滅んでしまったほどの。それを繰り返さないための誓いの碑なんだそうです」
背後にいた龍之介が冬音にそう説明した。
「今では忘れ去られた呪術まで使ったと言い伝えられています。本当のところは定かではありませんが」
正宗が後に続いて語りかけると、冬音は
「忘れ去られた呪術ですか・・・」
と人知れずつぶやいた。
桜雪が屋台の方を見ながら
「報告が終わったら、屋台で何か食べておくか。もう、昼も過ぎているからな」
と提案した。これに反対する者はなく、一行は先を急いだ。
しばらく進んだ所に、他の家々に比べて遥かに大きな屋敷があった。
「ここが、年寄衆のいる集会所です。少しここでお待ちいただけますか」
そう言って、桜雪は戸を開けて中に入っていった。奥に、取り次ぎがあぐらをかいて暇そうに座っていた。
「桜雪だ。今、八角村から戻って来た。至急、年寄衆に申し上げたいことがある。その旨、伝えてくれ」
取り次ぎが慌てて二階に駆け上がっていくのを見て、桜雪は深いため息をついた。
しばらくすると、階段を慌てて降りる足音が聞こえて来た。派手な柄の着物に身を包んだ若い男女が何人も現れ、一階の小部屋へそそくさと入っていく。
やがて、先程の取り次ぎが下りてきて
「どうぞ、お入りになって下さい。年寄衆は松の間にいらっしゃいます」
と告げたので、桜雪は外で待っていた千代と冬音に声を掛けた。
「千代殿、冬音殿、年寄衆のところへ参りましょう」
三人が二階へ上がると、そこにはちょっとした小部屋があった。周囲に窓はなく、行灯のほのかな灯りに照らされて襖が並んでいた。その襖には、右側に松の絵、左側に桜の絵、そして目の前に梅の絵が描かれている。
桜雪は、右側の襖の前に座り、奥の年寄衆へ話し掛けた。
「桜雪です。ただいま八角村から戻って参りました」
「入りなさい」
奥から声がしたので、桜雪は静かに襖を開けた。
部屋は非常に広く、奥側の開口部から入る光が中を明るく照らしていた。その部屋の中央に年寄衆が座っていた。年寄衆は食事中のようだ。各々の目の前には膳が置かれ、酒も振る舞われていたようである。手前には女性が五人、奥には男性が五人、互いに向かい合わせに座っている。
桜雪ら三人が部屋に入って座るのを見て、奥にいた男性の一人が桜雪に話し掛けた。
「ご苦労でした。で、八角村はどのような状況でしたか?」
「はい、その前にまずお伝えしたいのが鬼の件でして、ここに戻るまでに既に三度遭遇いたしました」
「なんと、本当に鬼が出たのか?」
別の男性が驚いた顔で桜雪に確かめる。
「一度目は八角村の近く、二度目は幽霊谷、三度目は水無村の北側で」
「なぜ、急にそんな・・・」
女性の一人が信じられないという顔つきでつぶやいた。
「八角村から大府へ向かっていた商人の荷車を幽霊谷で発見しました。遺体はどこにもありませんでしたが、鬼の足跡が残っていましたので、おそらく鬼に襲われたものと思われます」
もはや、誰も声を出すものはいなかった。桜雪は話を続けた。
「幸い、八角村そのものは鬼には襲われていませんでした。ある者から、鬼は村や集落は襲わないということを聞きましたので、村から出ない限りは安全でしょう。しかし、そういうわけにも参りませんから、早急に何か手を打つべきです」
皆、下を向いて押し黙ったままだ。
「八角村から、完成した分だけですが、札を仕入れてきました。千代殿にも直接、ここにお越しいただきました」
「皆様、お久しゅうございます。千代でございます」
千代が慇懃に挨拶をした。
「お久しぶりですな、千代殿。大叔父殿はご健在かな?」
「はい、おかげさまで、元気に過ごしておいでですわ」
そう答えた後、千代は手をついて頭を下げながら
「この度は、御札の納品が遅れ、誠に申しわけございませんでした。取り急ぎ、いまある在庫は本日お届けに上がりましたが、残りの品に関してはできるだけ急いで完成させるようにいたします故、今しばらくお待ち頂く様、よろしくお願いいたします」
と年寄衆に謝った。
「いや、この度は災難でしたな。鬼が出ては致し方ありますまい」
「札の在庫は今のところ足りているのですか?」
桜雪がその問い掛けに答えた。
「詳細はいずれ報告があると思いますが、今回の納品分がいつもの半分もありませんから、手持ちを考えてひと月程度が限界ではないでしょうか」
「在庫がなくなることのない様、努力いたしますわ」
千代の言葉に
「しかし、鬼が出るとあっては安心して荷を運ぶこともできないでしょう」
と右端にいた痩せて青白い顔の女性が言葉を返した。
「それについては提案があります。我々兵士を護衛として付けるのはいかがでしょうか」
桜雪の案に対して
「妖怪ならともかく、鬼と闘って簡単に勝てるものだろうか」
と小太りの頭が禿げた男性が頭を捻りながら問うた。
「ちょっとした秘訣がありまして、それを掴むことができれば何とかなるでしょう。我々も一体は倒すことができました故」
「今回は選りすぐりの五人を派遣したのですから、皆が同じように対処できるとは思えません」
「しかし、これから先、外に出る以上は鬼と遭遇することを覚悟せねばなりません。他に選択肢はないと思いますが」
また、しばらく沈黙が続いた。桜雪が冬音の方に目を遣りながら再び話を始める。
「実は、鬼に関してもう一つ御報告があります。こちらは、遠く白魂の地よりお越しになった冬音殿です。冬音殿は、鬼を封じるための方法をご存知とのことで」
「冬音と申します。白魂の地より参りました」
冬音がそう言って顔を上げた瞬間、男たちは、そのあまりの美しさに思わず息を呑んだ。まるで術にでも掛かったかのように、一同は身動き一つしない。千代も負けず劣らずの美しさではあるが、冬音のそれは男の心を鷲掴みにするような危うい何かをはらんでいた。
「よくぞお越し下さいました、冬音殿。して、その鬼を封じる方法とはどのようなものですか?」
ふくよかな体型をした、たぬき顔の女が冬音に尋ねた。
「これは他言無用の事ゆえ、年寄衆の皆様のみにお伝えしたく存じます」
年寄衆が互いに相手の顔を見ている中で、上座に座っていた白髪頭の男性が
「分かりました。桜雪殿、千代殿、しばらく席を外していただけますか?」
と告げた。桜雪と千代はその言葉に従い、いったん他の者の下まで戻った。
「どうでしたか?」
正宗が桜雪に問い掛けた。
「いや、まだ何も決まってはおらぬよ。ただ、冬音殿の言われる儀式が行われるまでの間、札の運搬に護衛は不可欠だろう。誰にその任務をお願いするか、人数をどうするか、いろいろと相談する必要はありそうだ」
「冬音殿はどうされた?」
今度は紫音が尋ねる。
「鬼を封じる方法を年寄衆に説明しているところだ。それが簡単にできるのなら、一番手っ取り早いのだがな」
「気になりますね、その方法というのが」
蒼太が誰に言うとでもなくつぶやいた。
しばらくして、冬音が中から出てきた。
「お待たせしました、皆さん」
「いや、ご苦労さまでした。年寄衆は何か言ってましたか?」
桜雪の質問に対して冬音は
「少し考えさせてくれと言われるだけで・・・」
と答えるのみだった。
「ところで、お供の方がたどり着いたという話はありませんでしたか?」
「お尋ねしてみましたが、誰もここには来ていないようです」
「そうですか・・・」
誰もが口を閉ざしてしまう中、千代が口火を切った。
「私達、札を納品して参りますわ。ちょうどここから近いですし」
「分かりました。我々はここで待っていましょう」
千代は、使用人たちを引き連れて納品所へと向かった。
うつむいたままの冬音に正宗が
「なあに、まだ分かりませんよ。どこかで休んでいるのかも知れません」
と話し掛けると、冬音は弱々しく笑みを浮かべた。
「さて、千代殿が戻って来たら、ようやく屋台で食べられますね」
蒼太が、元気づけようと明るい声で話し出す。
「お前はいつも食べ物の話ばかりだな」
龍之介がからかうように言うので
「そんなことはない。簡単に痩せられる方法を論じるのも好きだぞ」
と蒼太が言い返したが
「お前の理論はあてにならんな。その体が証明している」
桜雪の言葉に、皆が腹を抱えて笑った。
やがて、千代たちが戻って来た。荷車は納品所に預けたようだ。
「さて、蒼太お待ちかねの屋台へ行くか」
一行は屋台のある中央広場へと出発した。
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