第16話 月影

「我々は明日にはここを発つつもりです」

 桜雪が千代にそう告げた。

「そうですか・・・」

 千代は少し思案した後、こう切り出した。

「実は、完成した札を再度大府へ出荷しようということが先程決まりまして、明日にでも出発する予定なのです。見込みの半分もない量ですが、あるだけでもお渡しした方がいいと思いまして」

 千代の言葉の後を桜雪が引き継いだ。

「そこで我々に護衛を頼みたいということですな」

「はい、もし同行していただければ、これほど心強いことはありません」

 千代の言葉を受けて、桜雪は他の四人の顔を見た。全員が桜雪の方を向いて頷いた。

「わかりました。お任せ下さい」

 桜雪は、千代の依頼を快諾すると、次は小春に尋ねた。

「小春殿はどうされるか?」

 小春は、少し悩んでいたが、やがて口を開いた。

「大府以外で情報が得られるようなところはないか?」

 桜雪はその問いに答えるべきか迷ったが

「一つだけ知っている」

 とだけ小春に伝えた。

「どこだ?」

「仙蛇の谷と呼ばれている場所なのだが・・・」

 全員が桜雪の方を向いた。

「ここから北にしばらく行くと峠に出る。そこから西へ行ったところが仙蛇の谷だ。あの場所には情報屋がたくさんいるだろうから、もしかしたら有益な情報が得られるかもしれない。しかし・・・」

「しかし、どうした?」

「非常に危険な場所なのだ。人妖問わず、悪党しかいないようなところだ。お尋ね者はたいてい、あの場所に潜んでいると言われている。普通の者は決してあの場所は通らない。下手すれば命すら奪われかねないからな」

「なるほど」

「小春殿は強いから、たいていの者はねじ伏せることができるだろうが、それでも一人であの場所に入るのは勧められない」

 千代が何かを思い出したらしく、話し始めた。

「仙蛇の谷については噂も流れてきません。あの場所から来る者がいないのですから。しかし、いつの頃だったか一人の商人が仙蛇の谷から八角村にやって来たことがありました。案の定、何者かに斬られて荷物を奪われたそうです。普通なら死んでもおかしくない怪我を負ったのですが、たまたま通りかかった方に助けていただいたと伺いました」

「ほう、あのような場所で人助けをする者がいるとは、その商人は幸運でしたな」

 紫音の言葉にうなずきながら、千代は話を続けた。

「それが驚いたことに、その方が手をかざすだけで怪我があっという間に塞がってしまったそうで」

 その言葉に小春が反応した。千代の顔を驚いた顔で見つめるが、千代はそれに気づかない。

「その方は名前も名乗らずに去ったということです。覚えているのは、かざした手が真っ白だったことくらいで・・・」

「兄者だ!」

 小春が突然叫んだ。皆、はっとして小春の方を見る。

「それはいつ頃のことなんだ?」

 小春が慌てて尋ねるので、千代は思い出そうと首をかしげ

「確か・・・三回ほど季節を遡ったくらいだったかしら」

 と答えた。

 小春が呆然としているのを、声を掛けることもできずに皆が見つめていた。やがて、小春が一言つぶやいた。

「仙蛇の谷へ言ってみるよ」


 夜、桜雪ら一行は屋敷の寝室に泊まることとなった。一人に一部屋ずつ個室が用意され、皆、豪華に装飾された室内に慣れず、なかなか寝付けなかった。

 小春は寝床の中で、かつて白魂にいた頃に兄者と呼んでいた男のことを思い出していた。その男は今でも白魂にいるはずだった。それが違う場所にいるかも知れないということに小春は驚きを隠せなかった。

(兄者は私のことを恨んでいる)

 剣生が鬼の一撃を受けて倒れたとき、小春は何をすることもできなかった。そのままでは鬼に殺されていた。それを救ったのが兄者だった。

 しかし、兄者が手をかざしても剣生の傷を癒やすことはできなかった。剣生はすでに息絶えていたのだ。

 兄者は小春を罵倒した。一人では何もできない役立たずだと、刀を預かる資格はないと言い放った。

 小春は、床に横たえた大刀に目を遣った。この刀は、師から受け継いだものだった。

「小春、私に何かあった時は、お前がこの刀を使うのだ」

 剣生はそう言った。

「なぜ、私ではないのですか?」

 兄者が問うた。

「お前には左手がある。武器などなくても相手は倒せよう。それにな、この刀は小春が所有者となる定めなんだよ」

 大刀は剣生が使っていた。小春は、剣生の身のまわりの世話をしているだけに過ぎなかった。しかし、ある時から小春は大刀を持って修行を始めた。そして、それから数回季節が巡り、剣生は死んだ。小春はまだ修行半ばだった。

 兄者が鬼を倒しに遠くへ出向いている間に、小春は白魂を追い出された。そのとき、師の言葉通りこの刀を持って白魂を去った。

 それから兄者には一度も会っていない。

 仙蛇の谷にいるというその男が本当に兄者なのか確認したかった。しかし、会ってどうするのか、小春には解が見いだせなかった。

(なぜ私なんだろうか)

 剣生は小春に刀を引き継いだ。その理由も語らないまま。

 本来なら兄者が受け継ぐべきだ。兄者の方が剣術も優れていたからだ。将来は剣生をも凌ぐだろうと言われた男である。小春が受け継ぐ理由など、どこにもなかった。

 定めとはどういう意味なのか、それも小春は知らない。しかし、刀を所有している以上、鬼を斬り続けなければならない。この刀は、鬼を斬るために生まれたからだ。

 いつ鍛えられた刀なのかはわからない。その昔、鬼のいない世を願って人間の手によって作られたと剣生から聞かされていた。それを成就したとき、刀も使い手もその運命から解放される。だから、鬼のいる限りは闘い続けなければならない。

(厄介なものを押し付けられたものだ)

 そう思いながらも、小春は師の言いつけどおり鬼と闘い続けている。それは、師に対するせめてもの罪滅ぼしのためだった。


 次の日の朝、札を積んだ荷車を囲うように村人たちが集まっていた。

「小春殿、約束の報酬だ」

 桜雪は小春に銀貨を手渡した。

「仙蛇の谷でも使えるとは思うが、商人だとしても信用はできない。注意して使うようにした方がいい」

「わかった。まあ、できれば仙蛇の谷では使わないようにするよ」

 旅の衣装に身を包んだ千代が小春に話しかけた。千代も大府まで同行するつもりなのだ。

「また、いつの日か会えることを祈っていますわ」

「ああ、機会があれば、また立ち寄るようにするよ」

 小春がそう応えた時、あのたぬき顔の老人が近付いてきた。昨日とは異なり、心配そうな顔をしている。

「お千代、お前も大府まで行くと聞いたが、本当か?」

「はい。札を納めることができなかったのです。村の代表としてお詫びしなければ」

「なにもお前が行く必要はないだろう。代理を出せばよい。わしなら伝も多いから話がしやすい。わしが同行しよう」

「いいえ、そんな訳には参りません。これは村の代表の務め、私が参ります。大叔父様には、私の代わりに札作りの指示をお願いします」

 この老人は、先代の兄弟にあたる人らしい。しばらく千代の顔を見ていたが、やがてため息をついてこう言った。

「やれやれ、頑固なところは先代と変わらないな。わかった、村の方はわしが見ておく」

 そして桜雪の方を向いて

「桜雪殿、お千代を頼んだぞ」

 と念押しした。

 出発の準備が整った。村の者は千代をはじめ五人、桜雪ら五人を合わせて十人態勢の隊商だ。

「では、私はそろそろ出発するよ」

 小春は桜雪らにそう伝え、北側の出口へ向かった。皆が見送る中、小春が門をくぐり抜けると同時に千代の大叔父が村の者に伝えた。

「よし、結界を張るんだ」

 隊商は、その言葉を合図に南側の出口へと歩き出した。南の空には巨大な入道雲が、まるで天を支える柱のようにそびえ立っていた。


 一人の男が、たき火を前に座っている。串に刺した肉を火であぶり、その煙を手で払いながら、肉が焼けるのを待っていた。肉から滴る脂が火に落ちる度に、白い煙が立ち込め、食欲をそそる匂いがあたりに漂っていた。

 久々に捕れた獲物だった。しかも、この時代には珍しい兎だ。血抜きをして皮をはぎ、早速もも肉を焼いて食べることにした。

 串を持つ右手は細く真っ白だった。その手だけを見れば女性だと勘違いするだろう。しかし、左腕の方は炭のように黒く、分厚い筋肉で覆われていた。

 上半身は麻で編んだ布の中央に穴を開けただけの簡易な衣装で、下半身はこれも麻で織られた袴を身に着けている。ぼさぼさの髪を肩のあたりまで伸ばし、目つきはまるで常に獲物を探している狼のように鋭い。非対称な腕と同様に、瞳の色も左右で異なっていた。右目が血のような赤色、左目が秋の空のような青色だ。まだ年端もいかない子供のような顔つきで、女性だと勘違いされてもおかしくない。

 焼けた肉を頬張る。無心になって食べているうちに、あたりに霧が立ち込めてきた。しかし、男は気にせずに肉を喰らい続けた。やがて、背後に黒い影が現れた。

 青い鬼だ。

 目が閉じられている。

 それは炎獄童子だった。男の背後に近付いてくる。それでもなお、男は無視して肉にかぶりついていた。

「癒やし手よ、久しぶりだな」

 癒やし手と呼ばれた男は返事をしない。

「ふん、食事中か」

 炎獄童子は、その場に座り込み、まるで見えているかのように周囲に顔を向けた。

「こんなところにいたとはな」

 骨だけになった食べかすを遠くに放り投げると、ようやく男は口を開いた。

「よくここがわかったな、炎坊よ」

「仙蛇の谷にいることは聞いておったからな。しかし、だいぶ探したぞ」

 炎獄童子の方を見た男が

「その目はどうした?」

 と問いかけた。

「人間にやられた」

「ほう、よほどの手練か」

「いや、こちらが油断したのだ。矢に射られた」

「なるほど、それで?」

「この目を治してくれ」

「見返りは何だ?」

「お前にとって有益な情報がある」

「そうか、じゃあ教えてくれ」

「目を治すのが先だ」

「いや、だめだ。先に聞いてから治すかどうか判断する」

「貴様・・・死にたいのか」

「俺を殺せば目は永久に治らない。その前に、目が見えない状態でこの俺を倒せるのか、炎坊よ」

 炎獄童子は男の方を向いたまま黙っていたが、これ以上は無意味と判断したのか口を割った。

「お前が探していた女を見つけた」

 男の顔がわずかに動いた。

「どこだ?」

「森神村というところだ。知っているか?」

「ああ、大体の場所はわかる。間違いないのか?」

「大刀を振り回す小柄な女性など滅多にいないだろう。試しに、村の人間の体を借りて勝負したよ」

「で、どうなった?」

「ふふっ、見事にやられたよ」

「そうか・・・」

 男は立ち上がった。背が高く、体つきは衣装のせいで見えないがだいぶ細身のようだ。炎獄童子に近づくと、その目に右手をあてがった。白い右手が輝きを放ち、やがて炎獄童子の目がゆっくりと開いた。

「おお、ようやく見えるようになった」

「目がなくても困らないんじゃないのか?」

「そんなことはない。気配だけでは限界がある。では、邪魔したな」

 そう言い残して、炎獄童子は黒い煙に包まれ、やがて姿を消した。残された男は何か考えごとをしていたが、頭を左右に振ると、たき火の近くにまた腰掛けた。


 小春が森神村を立ち去ってから数日後のことである。

 森陰村から戻ってきた与一は、すぐに夕夏の墓を訪ねた。森の中の墓が掘り返されているのを見て心配になったのだ。しかし、墓は何も変わるところなく与一のことを待っていた。

 帰る途中、摘んできた花を墓標に手向け、与一は長い間、その場を動かずに花を眺めていた。

 与一は、夕夏が亡くなった後、与一と夕夏のどちらの両親にも、自分が夕夏を伴侶にしたいと告白したこと、そして受け入れてもらえたことを伝えていた。わずか数日の短い間ではあったが、二人が夫婦になったと認めてほしいというのが与一の願いだった。それに反対する者はいなかった。しかし、それが与一自身の足かせにならないかと危惧もしていた。だからといって、次の伴侶をもらうよう勧めても今は効果がないだろう。両親たちは、時間が与一の心を癒やしてくれるのを待つことにした。

「なんで、もっと早く言えなかったんだろうな?」

 与一は一人つぶやいた。

 もう、陽は完全に沈んで夜になっていた。視線を遠くに移すと北の山々の暗い影が見える。空には雲ひとつなく、夜空に無数の星が輝いている。夕夏や小春、桃香といっしょに蛍を見た時のことを思い出した。自然と涙があふれ出すのを抑えることができなかった。

「いつまで泣いてるつもりなのさ?」

 なにか声が聞こえたような気がして、与一があたりを見回した。その声は間違いなく夕夏のものだった。しかし、そんな事はありえない。気のせいだろうと前方を向いたとき、誰かがこちらに近付いてくるのが見えた。

(こんな夜に誰が?)

 用心しながら近付いてみる。まだ距離があるというのに鋭い眼光がこちらを捉えているのがわかった。

 やがて与一の前まで来たその者は見上げるほど背が高く、見た目からは男か女か判断ができなかった。赤と青の瞳が与一を捉え、目を離すことができない。

「お尋ねしたいのだが」

 声から男だとわかった。

「何でしょうか?」

「この村に、小春という者がいると伺ったのですが、本当ですか?」

 小春の知り合いだろうかと与一は思った。

「小春さんなら、何日か前にこの村を出ました」

「そうですか・・・どこへ向かったのですか?」

「あなたは小春さんのお知り合いですか?」

 与一は不審に思い尋ねた。

「失礼しました。私は小春の兄弟子で月影と申します」

「兄弟子?」

 与一は、あの大刀が師の形見だと小春が言っていたのを思い出した。

「故あって互いにはぐれてしまい、居場所を探していたところでした」

「そうですか」

「小春は何の目的でここまで来たのかご存知ですか?」

「なんでも、父親を探すと言ってましたが」

「父親を?」

「ええ、そうです。それで、西の方へ向かいました。行き先はおそらく大府という所だと思います」

「大府へ・・・」

 月影はしばらく考え込んでいたが、与一の方を見ると

「ありがとうございました。私も大府へ向かってみます」

 と言って、その場を立ち去った。

 月影の後ろ姿を目で追いながら、与一はふと疑問に思った。

(小春さんがここにいた事を誰から聞いたんだろうか)

 なぜだかわからないが不安がよぎった。行き先を告げるべきではなかった、なんとなくそんな気がした。

(小春さんは、兄弟子を探しているとは一言も言わなかった)

 小春の身に危害が及ぶかもしれないと与一は危惧した。

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