第11話 真夜中の死闘

 誰もいない真夜中の道を、小春は一人進んでいる。

 周囲を見渡しても、見張りの姿はどこにも見当たらない。

 外は不気味なほど静まり返っていた。聞こえるのは自分の足音だけだ。

 小春はすでに、人間のものとは思えない冷たい殺気をはっきりと捉えていた。それは、村の中央から放たれているようである。

 一歩ずつ近づくにつれて、その殺気は強くなってゆく。背筋にひんやりとした感触を感じたところで、小春はその相手が作次郎であることを確信した。

 中央の広場には、かがり火が勢いよく燃えていた。その横に人影が見える。

 人影は身じろぎ一つしない。刀を右手に持ち、構えもせずに立っている。

 まだ距離はあるのに、赤く燃えるような瞳がこちらに向けられているのがわかった。

 烈火のような闘気が吹き付けてくるのを肌で感じ、小春は少し離れた位置で止まった。

「一人で来たか」

 作次郎は蔑むような口調で叫んだ。

 小春は、笛を手に取ると口の方へ近づけた。

「吹きたければ吹けばいい。俺は逃げるだけだ」

「どこへ逃げても追い掛けてやる」

「ならば、ここで決着をつけても変わらぬだろう」

 その言葉に、小春は笛を吹くことを止めた。

「さて、存分に楽しませてもらおう」

 作次郎はそう言って、刀を中段に構える。ただそれだけで、肌を刺すような風が吹き荒れ、身体中を貫いてくるように小春は感じた。猛烈な圧力が小春の体を押さえつけ、作次郎の体が、巨大な鬼の姿に変貌したかのような錯覚さえ覚えた。暗闇の中、かがり火の炎が、作次郎の気にあおられ天高く舞っている。

 小春は、左足を出して体を横向きにし、柄が自分の顔の横になるように構えた。刃は地面に平行に、切先は作次郎の方に向いている。作次郎から放たれる氷の刃の如き殺気をその身に受けながら、小春はその格好のまま微動だにしなかった。

 作次郎は武器を大刀に替えていたが、それでも小春の大刀の方が長い。腕の長さを考慮しても、間合いは小春の方が広そうだ。

 しかし作次郎は、いや作次郎に乗り移った炎獄童子は、小春を斬ることさえできれば、この体がどうなろうと構わなかった。

 相打ちになっても、それは炎獄童子の勝ちを意味する。そのときは、盗賊たちに大刀を回収させればいい。刀を持ってこなければ、どこへ逃げようとも自ら死を与えると脅してあった。

 作次郎は、小春の背中側へ回りつつ間合いを詰めた。熱を帯びた空気の塊が容赦なく小春に襲いかかる。

 小春は、切先が作次郎の方へ向くように左足を移動させつつ、放たれる圧から逃げるかのごとく後ろに下がる。

(間合いを取らせないつもりか)

 離れたままでは攻撃はできない。自分から発せられる圧倒的な気迫の前に、小春は為す術もないものと作次郎は考えた。

「臆したか」

 嘲りの言葉を投げたが、小春は黙したままだ。

 作次郎は、一気に間合いを詰めて背中から胴斬りすることに決めた。早足で小春に近づくと刀を振り上げる。凍てつくような冷気の風が小春に襲いかかる。それは、相手を完膚なきまでに砕かんとする殺気の嵐であった。

 作次郎が動き出すのと同時のことであった。小春は右足を踏み出し、凄まじいまでの速さで刀を前に突き出した。もし間合いに入っていれば、避けることなど叶わなかっただろう。しかし初動が早すぎて、刃が相手に届くような距離ではなかった。

 炎獄童子は、気でも急いたのかと一瞬思った。しかしその後、信じられないことが起こった。刃が自分の方へ伸びてきたのだ。気が付くと、見事に胸を貫かれていた。


 大刀の刃が伸びたのではなかった。小春は、刀を矢のように飛ばしたのだ。

 炎獄童子は、小春がそんな行動をとるなどとは夢にも思っていなかった。闘いにおいてなくてはならないもの、それがなければ攻撃も防御もできない、その大切な刀を手放すのだ。もし、相手が避けてしまったらどうするつもりだったのだろうか。絶対に外さないという自信があったのだろうか。いずれにせよ、この命の駆け引きに鬼が負けた。しかも信じられない手段で。

 作次郎は、自分の胸に突き刺さったままの大刀を、呆然と見下ろしていた。手に持っていた刀は、すでに地面に落としている。その視線を、小春の方へと向けた。小春も、作次郎の顔をじっと睨んでいる。やがて口から血の泡を吐き

「おのれ・・・」

 と一言漏らすと、作次郎は膝を突いて座り込み、絶命した。頭をそらし、大刀のせいで体は浮いたままの状態だ。その姿はまるでピンで留められた昆虫の標本のようだった。

 その死体に近づき、小春は大刀を一気に引き抜いた。仰向けに倒れる作次郎の姿を見て大きなため息をついてから、急ぎ与一の家へと走った。


 与一の家の中に入った小春は、その惨状に目を疑った。

 盗賊の振り下ろした刀を与一が刀で受け止めている。

 その横に夕夏が倒れていた。見るとお腹のあたりから出血している。

 桃香は怯えて隅の方で震えていた。

 他の二人の盗賊はすでに斬り殺されたようだ。

 家の中はあちらこちらに血しぶきが飛び散っていた。

 小春がすばやく残る一人の盗賊の脇腹を突いた。盗賊が怯んだところに、今度は与一が胸を突く。盗賊はその場に倒れ込んだ。

 盗賊の様子を確認することもなく、与一が慌てて夕夏のところへ駆け込んだ。

「大丈夫か、夕夏」

「脇腹を・・・やられた」

 夕夏がつらそうに答えるのを聞いて、与一は小春にすばやく指示を出した。

「水を汲んできてくれ。傷口を洗う必要がある。それから止血用に布切れをもらってきてくれないか」

 小春は、水瓶から水を汲んで与一に渡した後、外に出て見張り番を探した。しかし、見張り番は一人も見当たらない。

「まさか、全員殺されたのか?」

 急いで勝爺の家に行き、戸を叩いた。しばらくして中から出てきた勝爺に事情を話すと、すぐに治療に必要なものを手配してくれた。

 勝爺といっしょに与一の家へ向かう。与一と勝爺が治療するのを、小春はただ見守ることしかできなかった。

 夕夏はかなりの重症だった。出血が止まらず、止血用に巻いた布があっという間に血に染まる。

「小春さん」

 与一が小春を呼んだ。

「はい」

「ももちゃんの様子を見てやってくれないか」

 桃香の存在を完全に忘れていたようだ。見ると桃香はまだ隅で震えている。

 小春は静かに桃香に近づいた。

「大丈夫かい?」

 桃香は怯えた目を小春に向けた。

 そっと桃香の手をとろうとするが、桃香は後ろに下がってゆく。

「ももちゃん?」

「来ないで・・・」

 桃香は、震える声でそう言うと、手で頭を抱えてしまった。

 このときようやく小春は気づいた。桃香は、自分に対して恐怖を抱いていることに。


 小春が桃香の家に行って事情を説明すると、両親はすぐに与一の家に向かった。

 両親の顔を見た途端、桃香は父親の雄介に飛びついて泣きじゃくった。

「すまねえ、雄介さん。こんなことになってしまって」

 与一の言葉に

「夕夏ちゃんは大丈夫なのかい?」

 と雄介が返した。

「心配ないよ。丈夫なことだけが取り柄の奴だからな」

 与一がそう言うと

「ひどいことを言ってくれるねえ」

 と夕夏が苦しそうにしながらも言い返すので、与一が慌てて

「こら、しゃべるんじゃない。傷口がまた開くぞ」

 と嗜めた。

 桃香が両親に連れられて自分の家へ帰った後、勝爺は、小春に見張り番の様子を見に行くよう頼んだ。

 夕夏のことが心配で仕方ないが、小春は勝爺の頼みを受け入れ、見張り番を探した。

 見張り番はことごとく殺されていた。首をはねられた者、胸を突かれた者、頭を縦に割られた者もいた。

 死体を見つけては、それを広場まで担いで運ぶという、何ともやるせない作業が長い時間続いた。

 作次郎を含め、広場に並んだ死体の数は十五人に及んだ。盗賊は全て始末したが、その代償は村にとってあまりにも大きかった。

 小春が与一の家に戻ったときには、夕夏はお腹に布を巻かれた状態で寝かされていた。

 そばで与一が、夕夏の容体をじっと見守っている。

 勝爺は、血溜まりを布切れで拭っていたが、小春の姿を見つけて声を掛けた。

「見張り番はどうじゃった?」

「全員、殺されていた。遺体は広場に運んでおいたよ」

「そうか・・・」

 勝爺はしばらくの間うつむいていた。

「盗賊の死体も運んでおくよ」

 そう言って、小春は死体運びを再開しようとした。

「作次郎はどうなった?」

 与一が静かに尋ねた。

「死んだよ」

 小春の言葉に、与一は下を向いて

「そうか、ありがとう」

 とつぶやくように言った。


 与一の家の中をあらかた綺麗にし終えた頃、三人は外が明るくなり始めたのに気づいた。

 夕夏を看病するため与一を一人残し、勝爺と小春は広場へと向かった。

 広場に目をやると、交代のために集まった者が数名、並べられた遺体を見て立ちすくんでいる。

 勝爺がすぐに今までの出来事を説明し、家族の者を呼びに行かせた。

 やがて広場のいたる所で嗚咽が聞こえ始めた。夫や妻、父親や母親、息子や娘、兄弟達が、遺体のそばで座り込み、涙を流している。

 そんな中、作次郎の下には誰も来なかった。彼の家族は全て森陰村に住んでいたからだ。

 彼も犠牲者の一人だ。『鬼の涙』の虜となり、鬼に体を乗っ取られてしまったのだから。

「小春さん、あなたはそろそろ休んだ方がいいだろう」

 勝爺が、小春を気遣い言葉を掛けた。

「夕夏さんのことが心配だ。もう少し様子を見たい」

「ふむ、では見に行くとしようか」

 家に戻ってみると、与一は相変わらず夕夏のそばを離れず、ただ見守っていた。なんとなく様子が変だ。

「与一よ、お前も少し休め。夕夏の両親を呼んで来るから、交代してもらえばいい」

 勝爺の言葉に対し、与一は独り言のように言った。

「俺のせいなんだ。俺のことを、身を挺してかばってくれたんだ」

「誰のせいでもない。自分を責めるな」

「あの石を拾ったのは俺だ。そのせいでこんな事に」

「過ぎたことを悔やんでも、どうにもできんぞ。今は夕夏が回復してくれることを祈ろう」

「作次郎も死んだ。それだけじゃない。何人の村人が犠牲になったか」

 与一に対して、勝爺はそれ以上何も言えなかった。大きなため息をついた後、今度は小春に向かって話しかける。

「小春さん、あとは我々が面倒を見るから、あなたは休んでくれ。体についた血も早いところ拭った方がいいだろう」

 そのとき小春は、全身が血で汚れていることに初めて気が付いた。


 ここにいても何も手伝うことはできない。小春は、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。

 一人、夕夏の家に戻ると、水を汲み、着物を脱いで、体に付いた血を拭う。

 この村であまりにも多くの血が流された。今まで平和に暮らしていたのだ。このような凄惨な出来事が起こるなどと誰が予想できるだろうか。

(明日を無事に迎えられるかなんて誰もわからないでしょ。一日が終わる度に自分の寿命は減ってゆくけど、いつ尽きるのかなんてわからない。私は毎日を精一杯に生きるだけ)

 小春は夕夏の言葉を思い出した。こんな危険な仕事をしているのだから、自分はいつ命を失ってもおかしくない。そう思っていた。それは間違いだと小春は思った。自分だけではない。いつ命を失うかは誰もが分からないのだ。それがもしかしたら今日なのかも知れない。生きとし生けるものは皆、その覚悟を持って生きなければならない。しかし、それに気づかずに生きている者もいる。いや、気づいているが目を背けているだけかも知れない。

 小春は裸のまま寝転がり、天井を見た。いつの間にか、天井の隅に蜘蛛が巣を張っていた。その巣に一匹の蛾が捕らえられている。逃げようとして懸命に羽ばたくが、余計に周りの糸に絡め取られてしまう。そこに蜘蛛が近付いていく。器用に糸を絡められ、あっという間に白い繭と化した蛾を眺めているうちに、小春はそのまま眠ってしまった。

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