第10話 蛍の下で

 四人の盗賊たちが暗闇の中を音を立てず疾走する。

 目指すは南に広がる森の中だ。

「あそこなら安全だ。しばらくの間は誰も来ない」

「なんでそう言い切れるんだ?」

「村の者はあの森に近づかない」

「何かあるのか?」

「さあな」

 他の三人は、ほとんど作次郎の言うなりになっていた。この男の人間離れした強さを目撃しているからだ。

 作次郎は突然、隠れ家にいた盗賊たちの前に現れた。

「お前たち、いい儲け話があるんだが、手伝う気はないか?」

「なんだ、貴様」

「俺はあの村の住人だ」

「そいつがどうして俺たちの手を借りたいんだ?」

「村の中にたいそう立派な刀があってな。そいつを手に入れたい」

「そうかい。じゃあ、それも俺たちがいただくとしよう」

 盗賊の一人がそう言って作次郎に近付いた。小春に刀を突きつけられ、腰を抜かしたあの男だ。

 男が持っている刀に比べると、作次郎の小刀は短い。間合いは男の方が広かった。男は刀を上段に構え、作次郎の刀が届かない距離から思い切り振り下ろした。

 作次郎は、刀を右手に持ったまま構えも取っていない。しかし、刃が作次郎の眉間を割る直前に小刀を上に振り上げ、相手の刀を弾いてしまった。

 そのまま大きく一歩踏み出し、今度は返す刀で男の首を一瞬のうちに刎ねる。血しぶきをあげて倒れ込む男の体をかわし、何事もなかったかのように盗賊たちを見下ろした。

 あまりの見事な手さばきに、誰も声を上げることができない中、作次郎は盗賊たちに告げた。

「俺の手伝いをするか、それともこの場で斬り捨てられるか、好きな方を選べ」

「待て、俺達は『鬼の涙』がほしいだけだ」

「あの石なら持ち主を知っている。俺を手伝えば手に入るさ。悪い話じゃなかろう」

 その言葉を半ば信じ、半ば強制的に、盗賊たちは作次郎の手伝いをすることになった。

 森の中を進みしばらく経つと、だんだんと霧が立ち込め始めた。あたりは真っ暗だが、明かりは何も持っていない。

 しかし、まるで周囲のことがはっきりと分かるかのように作次郎は歩を進めた。他の連中もその後をぞろぞろと続く。

 やがて、広い空き地に到着した。

「ここが新たな根城だ」

 作次郎は皆の方を向いてそう宣言した。

 目の前に、鏡餅のような形の大きな黒い影が見える。よく見ると、何かが座っているようだ。

「何なんだ、それは?」

「お前たちが仕える者だ」

 盗賊の問いに作次郎はそう答えた。

「仕える?」

 盗賊たちは少し寒気を感じた。作次郎は頭巾をかぶったまま、目だけを覗かせている。その瞳が暗闇の中で赤く燃えているように見えた。

 盗賊たちは逃げようと考えたが、先に釘を刺された。

「逃げようなどとは考えないことだ。死にたくなければな。今日はここで夜を明かすぞ」

 あたりは暗闇に包まれ、足元は霧で覆われている。逃げようにも、すでにどの方向から来たのか見当がつかない。盗賊たちは為す術もなく、その場に座り込んだ。


 陽が昇り始めた。青紫色の空に、赤茶けた錆のような色の雲が漂っている。

 盗賊たちは、恐怖でほとんど眠ることができなかった。

 闇が消え去り、周りが見えるようになる。

 暗がりの中で見えていたあの坐像に目を遣り、盗賊たちは心臓が止まるかと思うほどびっくりした。

 そこには真っ青な色をした鬼が座っていた。目は閉じられ、下を向いて眠っているように見える。

 その傍らに作次郎が立っていた。

「お前たち、よく聞け。これからお前たちは、この炎獄童子の命に従え」

 青鬼は炎獄童子という名を持っていた。その名の通り、炎を操る鬼だ。

 しかし、この鬼は他にも妖術を持っている。それが『口移し』である。自分の魂を他の者の体に移し、その者を自由に操ることができる。しかも、操られる人間の記憶は、全て自分のものにできてしまう。

 作次郎の人間離れした力や技は、炎獄童子が乗り移ったからこそ得られたものだ。作次郎の意識はどうなったのか。実は、自分の思考や行動ははっきりと認識している。にもかかわらず、それは作次郎が考えたり意思を持って行動したわけではない。言わば、自覚のある操り人形のようなものだ。

 これは作次郎にとって、想像を絶するほど恐ろしく辛いものだった。

 作次郎に乗り移った炎獄童子は盗賊たちに命じた。

「今夜だ。あの村へ行くぞ」


 与一らが起きたのはもう昼に近い頃であった。

 三人とも明日までは見張り番の予定はない。しかし、小春は例によって桃香と遊ぶ約束をしていた。

「そう言えば、小川で蛍が見られるみたいね」

 夕夏がふと思い出したように口に出した。

「ああ、そろそろ蛍も終わりの季節だな。みんなで見に行くか」

 与一が提案する。

 特に断る理由もなく、食事を済ませた三人は桃香の家に出向き、その足で放牧地へ向かった。

「今日は小春お姉ちゃんの家にお泊りしたい」

 桃香のおねだりに

「立て続けに盗賊が現れるとは思えないし、今日くらいは泊まってもいいかもな。じゃあ、お父ちゃんとお母ちゃんがいいって言ったら泊まってもいいぞ」

 と与一が答えたので、桃香は大はしゃぎだ。

「あたし、絶対に小春お姉ちゃんといっしょに寝るからね。いいでしょ?」

「うん、もちろん」

 小春はそう答えると、桃香の顔を見て笑みを浮かべた。

 放牧地でしばらく遊んだ後、今度は小川で川遊びを楽しんだ。びしょ濡れになった衣服を乾かしながら休憩していると、もう夕暮れ時だ。空は黄金色に輝き、雲が薄赤い綿菓子のように浮かんでいる。

 あまり夜に外を出歩くことがない桃香にとっては、何だか冒険をしているようで、楽しくてたまらない。

「夜に外を歩くのすごく楽しみ」

 と飛び跳ねながら騒ぐので

「あまりはしゃぐと迷子になるぞ」

 と与一が嗜めた。

「確か、あっちの方へ行くと蛍がたくさん飛んでいる場所があると聞いたことがあるよ」

 夕夏の提案に、全員が川に沿って移動し始めた。

 あたりが段々と暗くなる。

 用意していた提灯の明かりを頼りに進むと、たくさんの緑で覆われた川岸の上を、薄緑色のほのかな光が無数に飛び交う場所に行き着いた。

「わあ、きれい」

 夕夏が思わず叫んだ。

 それは幻想的な風景だった。濃緑色の絨毯の上でゆっくりと点滅する光。その上を様々な方向に乱舞する光。それらが暗がりの中、複雑で美しい模様を描き出す。

 しばしの間、四人は言葉もないまま、ただその光景を眺めていた。他に人はいない。やはり盗賊のことが気になるのか、見に来る人はほとんどいないようだ。

 与一、夕夏、小春の三人は、憂鬱になるような昨日の出来事があっただけに、余計に心が洗われる気分だった。

「こんな景色がこれからもずっと見られるといいねえ」

 夕夏が言葉を漏らした。

「季節が巡ればまた見られるさ」

 与一が笑顔で、夕夏の言葉に応えた。

 小春は、桃香の横にしゃがみこんで、いっしょに蛍を見ている。

 夕夏が、ふと思いついたように桃香に声を掛けた。

「ももちゃん、あっちの岸へ行くと蛍が捕まえられるよ。いっしょに行ってみようか?」

「ほんと? 行ってみたい」

 夕夏は桃香と手をつなぎ、近くにあった丸太橋に向かった。

 途中、与一に対して小さな声で

「私達はしばらく席を外すから、ここで告白しちゃいな」

 と話しかけると、夕夏は与一の肩をポンと叩いて行ってしまった。

 与一は最初、夕夏の言葉を理解できず、呆然と夕夏の後ろ姿を見送っていたが、しばらく経って、やっとその意味がわかったのか、真剣な顔で小春に目を向けた。

 小春はしゃがんだまま、じっと蛍の飛び交う姿を眺めている。その横顔は何か物思いに耽っているようで、与一は声を掛けることをためらった。

 与一は、無言のまま小春の方へ近付く。

 小春が手を伸ばすと、一匹の蛍がその手の上で羽を休めた。その蛍をゆっくり顔に近づけ、じっと見つめる小春の顔は神々しいまでに美しかった。少しだけ緑がかった瞳は潤み、微笑みをたたえた口元は少し開いて、柔らかな唇が艶やかに輝く。白い肌が、あたりをほんのりと明るく照らしているようだ。

 夕夏の持っている提灯が対岸に見える。今が告白の絶好の機会だ。しかし、与一は少し釈然としない気持ちになった。何故だかわからないが、告白すべきか迷いが生じたのだ。

 それを何とか振り払う。せっかく夕夏がお膳立てをしてくれたのだ。それを無下にすることなどできない。

「小春さん、話があるんだ」

 与一がようやく口を開いた。

 小春の視線が蛍から外れ、蛍はどこかに飛んでいってしまった。

 小春がすっと立ち上がり

「なんだい?」

 と答えると、与一ははっきりとした口調で言った。

「よかったら、俺とお付き合いしてほしいんだ。あなたのことが好きになった」

 小春は眼を見開いてしばらく与一を見つめていたが、やがて顔を下に向けた。突然の告白に驚いたようだ。

 あたりは淡い光に包み込まれ、水の流れる音が心地よく聞こえてくる。その中で長い間、二人は身動き一つしなかった。

 与一は、小春の顔をじっと見つめている。小春は、その顔を下に向けたままだ。

 そして、小春は話し始めた。

「悪いが・・・」

 その言葉に、どういうわけか与一は内心安堵した。これでよかったのだと思った。

 まだ小春の話には続きがあるようだ。自分に好意は抱いてないとか、すでに想い人がいるとか、そんな風に言われるのだろう。そう予想していたが、次の言葉には与一も驚きを隠せなかった。

「悪いが、男には興味ないんだ」


 男に興味がないとはどういう意味か。

 自分に興味がないと言いたかったのか。それとも、そのままの意味なのか。

 いずれにせよ、自分が恋愛の対象になっていないことは確かだ。

「そうかい。いや、変なこと言ってごめん。今のは気にしないでくれ」

 与一は、その場を何とか取り繕おうとした。

「わかった。あの、ごめんなさい」

 謝る小春に対して申しわけない気持ちになり

「いや、謝らなきゃいけないのは俺の方だから」

 と与一は慌てて言った。

 気まずい雰囲気のまましばらく二人で立っていると、夕夏と桃香が戻ってきた。

 桃香が何かを手に握っている。

「蛍を捕まえたよ」

 大きな声で与一に話しかけた。

「そっか。でもかわいそうだから逃してあげな」

「せっかく捕まえたのに」

「ももちゃんがそうやって誰かに捕まえられたらどう思う?」

「そんなのやだ」

「そうだろ。蛍も同じ気持ちだよ」

 与一のその言葉に、桃香はしばらく悩んだ後、そっと手を開いた。

 蛍がフワリと飛んで行き、やがて光の渦の中に入っていった。

「やっぱりおうちが一番なんだね」

 桃香がそうつぶやいた。


 家に戻るや否や、桃香は外泊してよいか両親に尋ねた。

「盗賊は今夜は来ないだろう。別に大丈夫じゃないかな」

 与一の言葉に桃香の両親は渋々了承し、四人揃って与一の家に到着すると、早速夕飯の準備を始めた。

「お腹が空いたよ」

 夕夏がそうこぼしながら調理をし、小春がそれを手伝う。桃香も食材や食器を運ぶ手伝いをした。与一はそれを眺めながら食事ができるのを待っていた。

 食事は賑やかなものになった。

 与一と夕夏の口喧嘩が始まると、桃香が小春に

「また始まった。いつもこうなんだよ」

 と話しかける。

「仲がいい証拠さ」

 と答える小春に

「なにが仲がいいもんか。こういうのを犬猿の仲って言うんだよ」

 と与一がぼやいた。

 食事が終わった後は、夕夏と小春が洗い物をしている間に与一が風呂を焚くのが三人でいるときの日課になっていた。

「ももちゃんは誰と入りたいかな?」

 与一が聞くや、即座に

「小春お姉ちゃん」

 と桃香が返事をしたので、最初に小春と桃香がいっしょにお風呂に入ることになった。

 与一は片肘をついて寝転がっている。

 そばに座っていた夕夏が何気なく与一に尋ねた。

「で、結果はどうだったの?」

「何の?」

「決まってるだろ。小春ちゃんは首を縦に振ってくれたの?」

「だめだった」

「そうかい」

 しばらく無言が続いたが、与一がまた話し始めた。

「正直に言うとほっとしてる」

「なんで?」

「よくわからないが、小春さんに対して抱いていた感情が、恋心とは違うのかなと思ったんだ」

「じゃあ、どんな感情なんだい?」

「なんというか、憧れって言うか、いや、それとも違うかな。うまく言い表せないけど」

 与一は起き上がり、夕夏の方へ顔を向けてしばらく考え込んだ。

「例えばさ、森陰村を作った女の天狗様はたいそう美人だって話じゃないか。そういうのに出会った時の感情と言えばいいのかな」

「小春ちゃんが天狗様と同等ってこと?」

「例えばの話だよ。同等ってわけじゃないけど、似たようなものかな?」

「確かに、人間離れしたところはあるかも知れないけどねえ」

 夕夏は、作次郎と闘ったときの小春の異常な強さを目の当たりにしているから、与一の言うことはなんとなく理解できた。

「そんな人が伴侶になれば自慢できるだろ。まあ、一種の支配欲なのかも知れねえ」

「なるほどね」

「告白しようと小春さんの顔を見たときさ、あまりの美しさに人間を超越した何かに見えたんだ。こりゃあ、俺なんかが口説ける相手じゃないなと思ったよ」

「畏れ多いってとこかな?」

「畏れ多い、か・・・」

 一息つくと、与一は続けた。

「恐れがあったのかも知れないな」


 桃香は、寝るときも小春のそばを離れなかった。

 いつもと違う場所で寝られることが嬉しいのか最初ははしゃいでいたが、昼間遊んだ疲れもあって、すぐに寝息を立てだした。

「よほど嬉しかったのかねえ」

 幸せそうな寝顔の桃香を見て夕夏がそう口にした。

 あの悪夢のような出来事は頭の中からすっかり消え去っているようだ。

「あれだけ怖い目に遭ったんだ。大丈夫かと心配だったけど、取り越し苦労だったな」

 与一がそう言うと

「小春ちゃんがいるから安心できるのかもね」

 と夕夏が後に続いた。

「私も、ももちゃんがいると心が癒やされるよ」

 小春はそう言って桃香の頭をそっと撫でる。

 やがて話題も尽きて沈黙が続き、いつの間にか全員が眠りに就いていた。

 それからどれくらい時間が過ぎただろうか。

 家の周りに音もなく忍び寄る三つの影があった。二人は表口、一人は裏口に着くと、それぞれが戸を開けようとする。案の定、戸はどちらもつっかい棒で固定されていた。

 その物音にまずは小春が気づいた。起き上がり、すばやく刀を持って、近くに眠っていた夕夏を揺り起こした。夕夏は異変に気づき、今度は与一を起こす。

「夕夏さんは、ももちゃんを見ていてくれないか。与一さんは裏口の方を頼む」

 小さい声で指示した後、小春は入口の方へ近づいた。しかし、何者かが潜む気配はない。

 与一が裏口のつっかい棒を外し戸を静かに開けた。外には誰もいなかった。

 小春も戸を静かに開けてみる。誰かがいたはずなのに、外には何者もおらず、静まり返っていた。

「確かに何者かの気配がしていたのだが」

 小春は一人つぶやき夕夏の方に顔を向けた。桃香は何も知らず眠ったままだ。与一が戻ってきた。

「おかしい。外に誰もいないようだ。見張りがいるはずなのだが」

 与一のその言葉を聞いて

「ちょっと外を見てくる。二人は中で待機していてくれ」

 と小春は二人に告げた。

「一人で大丈夫か?」

 与一の問いかけに小春は

「もし、あの男・・・作次郎が相手なら、一人で行った方がよさそうだ」

 と言い残して出て行った。

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