第6話 罪の代償

 翌朝、空は灰色の雲に覆われていた。今にも雨が降りそうな気配だ。

 作次郎は、旅の支度を整えると村の中央にある広場、夕夏が与一から鬼が出没したことを聞いたあの場所へ向かった。

 そこには、勝爺と与一の他、何人かの村人がすでに待機していた。

「来たか」

 勝爺はそう言って、一通の書状を作次郎に渡した。

「これを森陰村の代表に渡してくれ。村の重役の血判が押してあるから、これがあれば信じてもらえるだろう。いいか、ちゃんと渡すんだぞ。途中で捨てても、後で聞けば分かるんじゃからな」

「わかっています」

 作次郎はそう答えた後、書状を懐に入れた。

「鬼は足音も立てずに近付いてくる。ただ、出てくる前は妙な圧迫感を感じた。それから寒気を覚えるような気配も。怪しいと思ったら隠れた方がいい」

 与一の言葉に作次郎は

「もし現れたらどうすればいい?」

 と尋ねた。与一はその問いに少し悩んでから

「闘うしかないと言われたが・・・」

 と答えた後、作次郎が持っている小刀を見て

「いや、逃げた方がいいだろう。とにかく逃げてどこかに隠れろ」

 と言い直した。作次郎はため息をついて

「わかった。とにかく気を付けるようにするよ」

 とつぶやくように言った。


 村を出て、森に入る。

 しばらくして雨が降ってきた。暗く沈んだ森の中を、作次郎は笠を頭に付けて歩き続ける。

 なぜ、こんなことになってしまったのか、作次郎は思い返していた。

 鑑定してもらうため、与一が商人に『鬼の涙』を渡したとき、作次郎は偶然、その場に居合わせた。

 あの石を一目見て魅せられてしまった。自分の物にしたいと思うようになった。それが悪いことだとわかっていながら、衝動を抑えることができなかった。

 なぜ、そんな気持ちになったのかはわからない。宝石に興味があったわけでもない。珍品を集める趣味などもない。ただ、あの石が欲しくなった。それだけだ。

 結果として、盗人という汚名を着せられることになった。村のほとんどの者は知らない。しかし、与一がその被害者であることが作次郎にとっては最も辛かった。

(今までのような目で自分を見てくれることはもうないだろう)

 作次郎はそう思っていた。

 与一と作次郎は同い年だった。作次郎は森陰村の出身だったが、一人暮らしを始めるとき森神村へ移った。それは、与一が森神村にいたからだ。

 二人は昔から仲がよかった。子供の頃、森神村を訪れた時は、必ず与一といっしょに遊んだ。与一が森陰村に来たときもそうだった。

 別れる時、しばらくは会えないと思うと悲しい気持ちで一杯になった。そして青年になって、それは友情というものではない別の感情のせいだと気づいた。

 作次郎は与一に恋心を抱いていた。しかし、そんな事を告げることはできなかった。自分の心の中にしまっておくことしかできなかった。それでも、もしかしたら相手も同じ感情であるかもしれないという淡い期待があった。

 今、この恋は永久に成就することはないと悟り、作次郎はひどく落ち込んでいた。

 このまま村を、与一の元を去ろうとも考えた。しかし、そのときは親も自分の犯した罪を知ることになろう。それだけではない。森陰村の中に伝われば、親までが後ろ指をさされることになる。それだけは絶対に避けたかった。

 とにかく、この任務さえ果たせば最悪の結果だけは免れる。そう信じるしかなかった。

 もう昼を過ぎたくらいのはずなのに、相変わらず森の中は薄暗く、雨が物静かに降り続いていた。

 だんだんと霧がかかってきたようだ。遠くの木々が霞んで見える。少し寒気を覚えると同時に息苦しさを感じた。

 どこかで休憩しようと考えていたが、そんな余裕はなくなっていた。何かにじっと見られているような変な気配を感じる。

 与一の言葉が頭をよぎった。ほとんど無意識のうちに近くの茂みに身を潜めた。

 何かがやって来る。鬼だろうか。

 しばらくの間、枝葉の隙間から道のある方を覗いていたが、特に何も現れない。しかし、全身に感じる圧力は消えなかった。

 ふと、何かの気配を感じて後ろを振り向いた。

「うわっ」

 作次郎が見たのはただの木の幹だった。それを鬼と勘違いしたのだ。

「脅かしやがって」

 作次郎は胸を押さえながら震える声で言った。

 少し気分が落ち着いたところで、さてどうしたものかと思案した。このまま隠れていても村に到着することはできない。かと言って、道を歩くのは危険な気がする。時間はかかるが、身を潜めながら道の脇を進むことにした。

 とりあえずの腹ごしらえをした後、大きく深呼吸した作次郎は意を決して歩き始めた。一歩一歩、木の間を縫うように進んでいく。藪の中に入ると、むき出しの腕や足にひっかき傷ができたが、そんなことにかまっている余裕などなかった。

(鬼が近くにいるかも知れない)

(とにかくこの場所を早く離れなければいけない)

 何か気配を感じたらすぐに身を潜めた。しかし、何も現れることはなかった。森の中なら、鹿や猪などを見掛けることはよくある話だが、動物たちも、この異様な気配を察知したのか全く姿を見せない。

 やがて日が暮れてきた。あたりはさらに暗くなってゆく。しかしその頃には雨が止み、霧も晴れてきた。同時にあの奇妙な気配はなくなり、作次郎は道に出て歩くことにした。そのうち雲も流れ、木の葉の間から見える天上には星が輝いていた。ようやく作次郎は安心して旅を続けることができた。

「かなり時間を食ってしまった。急がねば」

 そう独り言を言って、作次郎は歩き続けた。


 作次郎が森陰村に着いたのはもう真夜中で、村人は誰一人として外にはいなかった。明かりのついた家も見当たらない。皆、寝てしまっているようだ。

 実家の前まで来て戸を叩いた。しばらくして中から作次郎の母親が現れ、作次郎の姿を見るなり

「こんな夜更けにどうした?」

 と驚いた顔で尋ねた。

「大事な用があってな。今夜はここで休ませてくれ。詳しくは明日説明するから」

 作次郎がそう言うと、母親は急いで作次郎を家の中に招き入れ、戸を静かに閉めた。

「何があったの?」

 行灯に明かりを灯しながら母親が問いかけた。

「明日の朝、村の代表に会わせてくれ。確か秀さんだよな」

 作次郎は問いには答えずにそう言うだけだった。

 明かりに照らされた息子のなりを見て母親はまた驚いた。作次郎の腕と足には無数の傷があった。

「どうしたの、それ? 窪地にでも落ちたの?」

 と母親が尋ねても

「大したことはないよ。何か食べるものはあるかい?」

 と作次郎は答えるだけだった。

 その後、父親も起きてきて、何があったのか二人から問い詰められたが、作次郎は明日話すからと言うだけで、食事を済ませると寝てしまった。


 与一は、雨の降る音を聞きながら寝床の中で考えていた。

 何事もなければ、もう作次郎は森陰村に到着しているはずだが果たして無事だろうか。

 鬼に会えばまず助からない。危険を冒してまで勝爺の要求を呑んだのは、自分の悪行を知られたくないからだろう。

 特に、親に迷惑を掛けてしまうことが辛かったのだろうということは理解していた。

 しかし、なぜ盗むまでして『鬼の涙』を欲しがったのか、その理由がわからなかった。

 作次郎のことは子供の頃からよく知っている。嘘をつくようなことはなかったし、他人の物を欲しがるようなこともなかった。おとなしい性格で、大それたことなど、とてもできるようには見えなかった。

 昔、大事にしていた人形を、男のくせにと他の子に馬鹿にされ、取り上げられたことがあった。そのときは、自分で取り返すことができず、与一が助けてあげた。大喧嘩になって大人達に大目玉を食らい、人形を無事に取り返すことができた作次郎は泣いて与一に謝った。

 大人になってからも、作次郎は何かと与一に頼ってきた。与一もそれは苦にしていなかったが、今回の件は話が別だ。

(とにかく無事に帰ることができればよいが)

 与一はそれを祈ることしかできなかった。


 翌日の朝、作次郎が森陰村に伝えた内容は、村の中をパニックに陥れるのには十分だった。

 しばらくは森を通り抜けることは禁止とされ、その他の場所へ出掛ける場合も村の代表の許可が必要となった。

 そして当然、作次郎がどうしてこんな危険な任務を負うことになったのか、親だけでなく、村の代表たちからも問われた。

「自分から志願したんだ。強制的に選ばれたわけじゃない」

 作次郎はそう説明した。

 しかし、両親は納得しなかった。

「どうして一人きりで行くことになったの? 大勢で来ればまだ安心できるでしょ?」

 母親の問いに

「一人の方が身を隠しやすい。人数が多くても鬼を倒すことはできないよ」

 と苦しい言い訳をした。

「もう戻る必要はないんだよな?」

 今度は父親が尋ねる。

「そうはいかないよ。ちゃんと伝えたことを報告しなきゃならない」

 村の者を護衛として付けられないかと両親は嘆願したが、すでに盗賊退治のため森神村に人を派遣しているので、これ以上は人員を割くことはできなかった。その上、鬼のせいで二名が亡くなっていると聞いて引き受ける者など誰もいない。せめて我々だけでもいっしょに付いていくと両親がすがりつくのをなんとか説得して、作次郎は急ぎ森神村へ戻ることにした。

「心配はいらない。行きは何事もなかったんだ。帰りも大丈夫だ」

 それは自分に言い聞かせているようにも見えた。

 前日とは打って変わって雲はほとんどなく、晴れて気持ちのいい日であった。森の中は空気がしっとりとして、時折吹く風が心地よく肌をなでた。

 そんな中でも作次郎が警戒を怠ることはなかった。何か異常があれば、昨日と同じようにすぐに隠れるつもりでいた。しかし、何事も起こることはなく、日が高くなり昼食を食べた頃には緊張もほぐれてきた。束の間の休憩の後さらに歩き続ける。

 夕方になり、森は黄金色の光に包まれていた。木陰が道に不規則な縞模様を描き、光の帯が水蒸気をキラキラと照らしていた。

 順調な旅であった。

 しかし、まだ森を抜けてはいない。作次郎は気を抜くことなく、周囲を警戒しながら歩き続ける。

 不意に何かの気配を感じた。昨日と同じ感覚だ。すばやく道沿いの茂みに身を隠した。しばらく待ったが何かが現れる気配はない。

 また、道から少し離れた場所を歩くことにした。しばらく進むと広い空き地にたどり着く。以前、与一らが昼食をとったあの場所だ。

 空き地の中を覗いてみると何かがいた。それは大きな熊だった。森の中は熊も住んでいる。もし遭遇していれば非常に危険な存在だ。

 熊が何かに勘づいたのか、すっと立ち上がってあたりを見回した。しばらくして熊は藪の中に逃げ込んだ。

 危ないところだった。作次郎は、熊が走り去ったのを確認すると、ほっとため息をついて空き地に出ていった。

 さて、このまま道を歩いても大丈夫だろうと空き地の中央まで来た時、突然後ろに何かの気配を感じた。

 周囲から押さえつけられているかのような圧倒的な力に、その場に座り込みそうになる。足がガクガクと震えた。逃げようにも動くことができない。

 気のせいだ、何もいない。そう自分に言い聞かせようとした。

 ゆっくりと後ろを振り向く。すると、そこには二本の足が見えた。その足は夕陽を浴びてもなお真っ青な色を帯びている。

 視線を上に向けると顔が見えた。顔にある一つ目は完全に閉じられていたが、まるで見えているかのようにその顔は自分の方を向いていた。

 作次郎は悲鳴を上げ、その場で気を失ってしまった。

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