第5話 鬼の涙
閉鎖的な社会では、よそ者は疎んじられるものだ。
一度、村を訪れたというだけで、盗賊の一味だと断定するのは論理が飛躍し過ぎだろう。
しかし、このようなことを小春は何度も経験していたようだ。
そして、いくら経験しても、それは慣れるようなことはない。
その度にどれだけ涙を流したのかもわからない。一人で生きている以上、このような扱いを避けることはできないのかもしれない。
逆に村という社会の中で生きている以上、犯罪を犯すことは許されない。
森神村の中では、いくつかの掟が定められていた。その中の一つとして、もし、村の中で盗みをした場合、盗んだ物が何であれ、その者は村を永久に追放される、という厳しい罰則がある。
作次郎の場合がそうだ。しかも、自分の罪を隠すために村の者を騙した。もはやこの村で暮らしていくことはできない。
だが、勝爺は作次郎にある提案をした。この件を知っているのはごく一部の者だけだ。作次郎が与一の宝石を盗んだことと、小春に罪を着せるために嘘をついたことは秘密にしておく。その代わりに鬼が出た件を南の村まで伝えに行ってほしい。もし、それができればこのまま村に住み続けてよい。というのがその内容だった。森にまだ鬼が潜んでいれば、それはほとんど死刑宣告に等しいものだ。しかし、自分の犯した罪が世間に広まるのはどうしても避けたい。与一の話から、鬼はまだ一体残っているが、目を潰され姿を消してから遭遇しなかったことはわかっている。作次郎は南の村へ行くことを決心した。
昼頃になり、小春も落ち着いたところで食事をとることにした。
向かい合わせで座り、黙々と食べていたが、やがて夕夏が尋ねた。
「与一から報酬をもらったら、その後はどうするの?」
小春は少し考えてから
「この村を離れるつもりだ。西へ向かおうと思っている」
と答えた。
「東の方から旅をしてきたの?」
「うん」
「東のどこ?」
「出発点は白魂と呼ばれているところだ」
聞いたことのない場所だ。かなり遠くから来たのだろう。
「長い間、旅をしてきたのね」
「そうだな・・・どのくらい季節が巡ったか覚えてない。宛のない放浪の旅だ」
ふと、夕夏は疑問に思って聞いてみた。
「ところで、長旅の割には軽装ね」
腰紐に小さな巾着袋がぶら下がっているのは見たが、それ以外の荷物は頭巾に手拭い、そしてあの大刀だけだった。
「実は、少し前に盗られたんだ」
「そうだったの・・・それは災難ね」
「盗っていった奴はわかってるんだ。肌の黒い小柄な男だった。頭に赤い頭巾をかぶっていたな」
夕夏は、今までに村を訪れた者達を思い浮かべてみたが、そのような人物は知らなかった。
「うーん。会ったことはないわね」
「そうか」
「必要なものがあればここで調達すればいいわ。鬼から助けてもらったんだから、与一が手伝ってくれるでしょう。私も協力するから」
「うん、ありがとう」
そう言って小春は少し笑った。その笑顔を見て、夕夏はようやく安心することができた。
与一が戸を叩くと、中から夕夏の声が聞こえた。
「どうぞ」
戸を開けたとき、夕夏と小春が二人仲よく洗い物をしている後ろ姿が見えた。まるで姉妹のようだ。
「小春さん、少しいいかな」
という与一の声に小春が振り向いた。そこには与一の他に勝爺の姿もある。
「こちらはいいから、話してきたら」
という夕夏の声に小さくうなずいて、小春は与一の方へ近づいていった。心なしか、小春の顔は少し強張っているようだ。
勝爺は与一の横に立っていた。小春が目の前に来ると、勝爺は話を始めた。
「小春さん、あなたに謝罪させてくだされ。我々はとんでもない誤解をしてしまったようだ。そのせいであなたを深く傷つけてしまった。本当に申しわけない」
深々と頭を下げる勝爺を見て小春は
「もう、いいよ」
と一言つぶやいた。勝爺は話を続ける。
「ここには好きなだけ滞在していただいて結構じゃ。その間の面倒は与一が引き受けてくれる」
「ここに長くいるつもりはない。報酬をいただければ、すぐにでも出発するつもりだ」
小春が答えると、与一が口をはさんだ。
「そのことで少し相談があるんだ」
与一はこう言葉を続けた。
「実は今、この村は盗賊に悩まされていてな。その討伐を手伝ってもらえないかと思ってるんだが」
与一は、今までの経緯を小春に説明した。小春はそれを黙って聞いている。
「盗賊がいつ出没するかはわからない。それまではここで好きなように暮らしてもらって構わない。もちろん食事も提供する」
「報酬は?」
小春が尋ねると、今度は勝爺が
「ここは綿織物の産地でな、たくさんの村と取り引きをしておる。布地ならいくらでも提供できるぞ」
と言った。
布地も生活必需品だ。いろいろな物資と交換ができる。急ぐ旅というわけでもない。何より、荷物を盗られてしまった今、このまま旅をするのは少々不安があった。
「わかった。手伝うよ」
小春はそう返事をした。
与一が安堵の表情を浮かべるのを見て、洗い物を終えて皆の方へ近づいてきた夕夏は何か勘付いたようだ。与一に対して
「で、報酬の宝石はどうなったの?」
と棘のある言い方で尋ねた。
「そうだった。見つかったんだよ。これなんだが」
と言って与一が巾着袋から出した宝石は、無色透明で完全な球体だった。小春が与一からそれを受け取って光にかざしてみると、中央部分がほのかに赤くなっている。まるで水滴の真ん中に炎が閉じ込められているかのように、それは光で揺らいでいた。
小春はこんな石は見たことがなかった。
与一は、石を片目でじっと見つめている小春に
「その石は『鬼の涙』と呼ばれているらしい。かなり昔にどっかの富豪が所有してたそうだ。盗賊に盗まれてから長らく行方不明になっていた。裏の世界では結構有名だという話だ」
と説明した。
鬼の目にも涙とはよく言ったものだが、実際に鬼が涙を流すなどありえない。それくらい貴重なものだということなのだろう。
「どこで拾ったの?」
横から覗いていた夕夏が問う。
「だいぶ前に西の方へ取り引きに行ったとき、野宿してた場所で偶然見つけた。幽霊谷のあたりだったかな」
与一はそう答えた。
「あんた、あんなところで野宿したの?」
夕夏が驚いて尋ねるので
「幽霊が現れるって話だろう。そんなの信じてるのか」
と与一がからかうように返す。
「信じちゃいないけど、薄気味悪いじゃないか、あの辺り」
夕夏はしかめっ面をしながら言った。
「ほんとに本物なのか?」
今度は勝爺が尋ねる。
「以前ここへ来た商人が、宝石の鑑定もできるって言うんで見せてみたんだ。かなり驚いた顔をしてたよ。こんなの偽物なんて絶対に作れない。本物に違いないと言ってた」
という与一の返答に夕夏が
「よく教えてくれたねえ。二束三文だとか嘘ついて売らせようとはしなかったのかい?」
と聞くと
「それがなあ・・・」
与一は少し口ごもった。
「どうしたの?」
夕夏の声に促され、与一が言葉を続けた。
「この宝石は災いを招くから、すぐに捨てた方がいいと言われたんだよ」
「あんた、そんなものを小春ちゃんに渡すつもりだったの?」
夕夏は驚いた顔をして怒鳴った。
「いや、その時は鬼が出るなんて思ってなかったから咄嗟に口に出してしまったんだ。それに、拾ってから何も起こらないし」
「村が大変なことになってるでしょ」
「おまえ、俺のせいとでも言いたいのか」
「他に理由がある?」
与一と夕夏の言い争いに勝爺が
「二人ともやめないか。みっともない」
と嗜め、小春に対しては
「この宝石をもらうかどうかはおまえさんが決めればいい。宝石がいらないなら、それ相応の生地を提供しよう」
と提案した。
小春はしばらく思案していたが、やがて与一に向かって言った。
「その宝石をもらうことにしよう」
「でも、呪われでもしたら」
という夕夏に
「そんなものは弾き返してやるよ」
と小春は笑みを見せた。
小春は、呪いなどというものは信じていなかった。宝石なら荷物にならない。その程度の軽い気持ちで所有者となることを宣言したわけだが、これが吉と出るか凶と出るかはまだ先の話となる。報酬の件はこれで片が付き、次は小春にどこで寝泊まりしてもらうかという話になった。
「それなら俺の家で寝泊まりしてもらうつもりだったけど」
与一のその言葉にすぐさま
「男一人のところに年頃の娘さんなんか泊められるわけないでしょう」
と夕夏が反論した。
「俺のことが信用できないっていうのか」
「当たり前でしょ。あんたなら今夜にでも夜這いを掛けそうだわ」
「何だと!」
ここでまた勝爺が仲裁に入った。
「いい加減にせんか!」
二人が静かになったのを見て、勝爺は言葉を続けた。
「与一よ、夕夏の言うことも一理あるぞ。このまま夕夏に面倒を見てもらいたいと思うがどうかな」
夕夏がそれに答えた。
「私は問題ないわよ。小春ちゃんがいいなら」
小春が小さくうなずいた。
「決まりね」
夕夏の言葉に与一は苛立ちを覚えたが
「まあ、それでいいかな」
と仕方なく応えた。
その後、鬼に関するいくつかの質問を小春に投げた。
鬼が村や集落を襲うことはないか。小春からは『襲うことはない』という回答が得られた。理由は定かではないが、なぜか村や集落に鬼が現れたことはないらしい。これで村を出ない限りは安心できることがわかった。
次に、森の中以外でも鬼が出没する可能性はあるのか。これに対しては小春もわからなかった。鬼はまさに神出鬼没で現れる場所は予測できない。
「現れる前の予兆みたいなものはあるのか」
と与一が尋ねた。
「恐ろしいほどの殺気だ」
小春はそう答えた。
与一は、鬼に追い掛けられたときのことを思い出した。
足音は全く聞こえなかった。ただ、ぞっとするような寒気を覚えた。
誰かが後ろを振り向いて
「鬼だ」
と叫んだ。
自分も後ろを見てみると、霧の中に大きな黒い影が見えた。その瞬間のことは一生忘れることができないだろう。
「小春さんは俺達より早く鬼に気づいていたようだが」
「気配を読むための修行をしているからな。特に鬼の気配は独特で遠くにいてもわかりやすい」
「修行か・・・」
その鍛錬の方法を習うことは可能だろうかと与一が考えていると、夕夏が口を挟んだ。
「もし、鬼に遭遇してしまったらどうすればいいの?」
小春はしばらく考えていたが、やがてこう答えた。
「闘うしかないかな」
今夜は小春を自分の家に招待して、是非とも夕食をごちそうしたいという与一の強引な誘いに、夕夏も根負けしたようだ。この日の晩、小春は与一の家を訪れることとなった。但し、夕夏も同伴するという条件付きで。
小春と夕夏が与一の家の中に入ると、すでに料理が並べられていた。
「おう、待ちかねたぜ」
与一はそう言って、二人を席に案内した。
しばらくは、森神村について、小春にいろいろと説明していた。
「この村は昔、天狗様が治めていたという伝説があってな。今でも北の山々に、その天狗様が住んでいると言い伝えられているんだ」
天狗が村を作ったという話は様々な場所で語り継がれている。しかし後に、天狗の多くは村を捨てて山にこもったという。天狗の住む山は神聖な場所として崇められ、人が立ち入ることはたいてい禁止されている。それを知らずに立ち入った者は、二度と戻ることはないらしい。
「ここから南、森の向こう側にある村は森陰村というんだが、そこも別の天狗様が作ったそうだ。なんでも、南側は女の天狗様が治めていたらしい。二人は夫婦だったということだ」
与一はさらに話を続けた。
「そういう言い伝えがあって、昔から森神村と森陰村は交流が盛んだったんだ。まあ、場所も近いからな。お互い、助け合って生活している」
「二つの村が夫婦みたいなもんね」
と夕夏が付け加えた。
「西の方へ行く予定なのよね」
夕夏の問いに小春は
「今のところは」
と答えた。
「西か・・・」
与一がそうつぶやいた。
「西へずっと向かった先に大きな村があってな。そこは村というより一つの国と言った方がいいかもしれないが。一度だけ入ったことがある。警備が厳重で荷物を全部調べられたよ」
「どのくらいかかるんだ?」
小春の質問に与一は
「十日くらいかな」
と答え、さらにこう続けた。
「あそこへ行けば、なんでも手に入るよ。鉄や銅、木綿に麻に羊毛まであったな。いろんな場所から食材が集まっていてな。酒ももちろんあった。行くのは大変だが、それだけの価値はあるぜ」
「そうか・・・何という名前の場所なんだ?」
「えっと、大府というところだ」
交流の盛んなところは情報もそれだけ多く集まってくるはずだ。行ってみる価値はあるかもしれないと小春は考えた。
「西へ行くのはいいけど、幽霊谷と呼ばれている場所には注意したほうがいいわよ」
と夕夏が言った。
「幽霊谷は何度も通ってるけど何もなかったぜ」
と言う与一に対して
「あんたは鈍感だから平気なのよ」
と夕夏がからかったので与一は
「何だと!」
と腹を立てた。それを無視して夕夏は小春にこう忠告した。
「幽霊谷にはちょっとした怪談話があってね。あそこには滝があるんだけど、昔、ある一組の男女が心中しようとして滝壺に飛び込んだらしいの。でも、男の方だけ奇跡的に助かってね。女性の方はというと、遺体も見つからなかったそうよ。ところが、しばらくしてその男が行方不明になってね。探してみると、その滝のところで首が切断されていた状態で見つかったの。首の部分は結局見つからなかったらしいわ。それ以来あの滝は、男が近づくと首を切られ、女が近づくと滝壺に引きずり込まれると言われるようになったの。だから、幽霊谷を通る時は、滝には近付いちゃだめよ」
「迷信だよそんなの。おまえ、結局信じてるんじゃないか」
「念のためよ。実際、あそこで首を切られた男の死体が見つかってるでしょ」
「野盗にでも襲われたんだろう」
「幽霊を見たっていう人もいたじゃない」
「見間違いだよ、そんなの」
二人のやり取りを小春は黙って聞いていたが、やがてふと気になって尋ねてみた。
「二人とも長い付き合いなのか?」
「そうね。幼馴染というやつね」
夕夏が答えた。好き勝手に言い争いができるのもそのためだろう。
「いいものだな」
小春の言葉に与一が
「そうでもないぜ。腐れ縁というやつかな」
と言うので
「あんたにそんなこと言われたくないよ」
と夕夏が言い返した。
「親とは同居してないんだな」
「ああ。ここでは割と早くから一人暮らしを始めるのが普通なんだ。そのときに森神と森陰のどちらに住むか選ぶことができる。俺はここで生まれたんだが、住み慣れた場所の方がいいんで森神を選んだ」
小春の質問に与一が答えると
「私も同じね。森神で生まれてここで暮らすことを選んだわ」
夕夏が続けて口にした。
「そういえば、父親を探してるんだっけなあ、小春さん」
与一の問いに対して、小春は
「ああ」
と生返事をするだけだった。
あまり突っ込んだことを聞くのはよくないと思い、与一も夕夏もそれ以上尋ねることはしなかった。
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