第12話 フレイスフェン家の優斗
アクターフ魔王国の東にある町、オリエンは海から少しだけ上流へ遡ったテルベ川沿いの町だ。
大河、テルベは魔国の東の物流を支える動脈だ。潮の満ち引きを利用して、人々は荷を積んだ船をオリエンまでテルベ川を遡らせる。そして、そこからは陸路や小舟に分かれて魔国、そして東の隣国であるエスぺランドを始めとした様々な国々に運ばれていく。
川の流れと海から遡る潮がぶつかる場所。様々な交易品、そして人々がいったんは足を止める場所が、フレイスフェン家の本拠地であるオリエンだ。
キリリア共和国の商人フリオは、人々で溢れるそんなオリエンの港の一角にいた。
少量ではあるが、絹糸が競りに出されるという情報を得たからだ。魔国の特産品である絹糸の品質は大陸でも随一であり、魔国から持ち出すだけで大きな利益を得ることができるのだ。
港を行きかう人々の種族、国籍は様々だった。フリオは、何年もここオリエンには通っているが、ここしばらくで町の活気は間違いなく賑やかになっている。
商人の税が軽減されたり、オリエンで新たなに商売を始める制限が取り払われたりと、その理由はいくつかある。それでも結局は、この町に生まれた新しい『希望』と『未来』に期待して、人々は集まってきているのだとフリオは思っていた。
フレイスフェン家は魔国の名家の一つであったが、これまではあくまで大貴族の一つに過ぎなかった。だが、今はそれだけではない。これからこの魔国を支配する事になるかも知れない存在を手に入れたのだから。
港を歩くフリオの視界に、また多くの人々の群れが現れた。それは、とある波止場を取り囲んでいる。
(ああ、今日は戻られる日だったのか)
フリオはすぐにそう悟る。
フリオの考え通り、その波止場に一隻の船が現れる。その船からは、まず数人の騎士が降りてきて、その後に一人の人物が姿を現す。
その姿を見た途端に、波止場を取り囲んでいた人々が一斉にその人物に集まる。そして、手にしている様々な物を差し出す。
宝石、武具、艶やかな織物。それは全て、その人物への贈り物だった。
「殿下! どうかお受け取り下さい!」
「こちらの剣をお使いください!」
「こちらを奥方に!」
人々は口々にそう言って、何とかその人物に自分の贈り物を受け取ってもらおうとする。
だが、贈り物攻勢を受けている人物――赤い右眼の若い男は冷たく言い放つ。
「承知の事と思いますが、港で贈答品を渡す事は禁じたはずです。贈答品は屋敷に届けて下さい。この場では皆の邪魔になります」
その言葉を聞き、贈り物を渡そうとしていた人々はしぶしぶその場から離れていく。
だがその人物が歩き出すと、今度は違う人々が次々と追いすがっていく。
「殿下、神殿の修繕について……」
「詳細はセシリアに尋ねてくれ」
その答えを聞いて一人が去ると、また違う者が問いかける。
「国境監視のための狼煙台について……」
「予定通りの数を増設してくれ。人員も手配しておく」
「殿下、貧民街の護岸工事についてですが……」
「その件はセシリアに任せてある」
「し、しかしお嬢様は貴族や大商人からその費用を援助させるといっており、それに対しての反発も……」
「私もセシリアと同じ考だ。金額は少しでいいのだ。富める者が貧しい者を援助するのは栄誉な事だと伝えよ」
歩みを止めないまま、その人物は人々の相手をしていく。
多くの人々が、その若者に贈り物をしてでも取り入ろうとし、そして多くの人々が指示、命令を待っているのだ。
数人の騎士を従えて歩くその若者を、この町の人間は全員が知っていた。
この魔国を支配する魔王と同じく黒い髪、そして赤い目を持つ若者。
フレイスフェン家の当主、ユウト・フレイスフェン。次の魔王となるかも知れない一人の若者だ。
人々の群れを捌き切った優斗は、近くに一人の見知った顔がある事に気づいた。相手もこちらに気づいており、小さく頭を下げた。
「殿下、馬車の準備が出来ました」
護衛のロブがそう言ってくる。
「しばらく待ってくれ。友人と話したい」
優斗はそう伝えて、その『友人』、キリリア共和国の商人フリオに歩み寄った。
「これは殿下。このような所で奇遇ですね」
「そちらこそ。私は国境から戻ったばかりです」
「東のエスぺランド王国との、ですね」
「おっと、先に言っておきますが、特に何かがあるわけではありません。私が当主となって、初めての視察です。ただの後学のためです」
「なるほど……」
フリオはわざとらしく大きく頷いた。優斗が、今度はフリオに尋ねる。
「そちらは?」
「私はいつもの商売の途上ですよ」
「木材……でしたか?」
魔国での木材の需要は、近隣の国よりも多いという事を優斗は学習していた。
主な用途は燃料、建築材、そして造船だった。
燃料としての薪は、生活するための必需品だ。そして建築材としての需要は、通常の家屋のものはもちろん、一部の貴族の間で流行している『日本家屋』のような建物に対する物もあった。魔王であるトモエが別荘を日本家屋を模したものにしたらしく、それを真似するのが一部の貴族で流行してしまったのだ。
そして造船での需要は、商船は元より、一番は軍船だった。
今、魔国はトモエの命令で海軍力の増強に力を入れていた。これは、最近増えてきた海賊から商船を守るというのが一番の目的だった。
「儲かっているようですね」
「ええ。おかげさまで」
とフリオは微笑する。
優斗は少し考え、フリオに尋ねた。
「木材は川を使って上流へ運ばれるのですか?」
「はい。そうですが、何か?」
「些細な情報ですが、上流部はここ数日、雨でした。これから川の流れは少しきつい物になると思いますよ」
「ほう……」
フリオの顔色が少しだけ変わる。
「という事は、今回は陸路で運んだ方が少し早いかも知れませんね」
「はい。些細な情報ですが、お役立て下さい」
「いやいや、ありがとうございます」
フリオはそう言って頭を下げる。
優斗は少しだけ微笑んでフリオに告げた。
「いえいえ。こんな事で半年前の『借り』を返せるとは思っていませんので」
優斗の言う半年前の借り、とは小麦を巡る騒動の際の事だ。
半年前、優斗はとある理由から同じ魔王候補の一人である美奈と小麦の争奪戦を行った。そしてその際、キリリア共和国にひと月後の二倍の価格で小麦を購入するという条件を出し、フリオに協力させた。小麦の値段は上昇する一方だったため、それは破格の条件のはずだった。
だが、結果的には美奈、そして優斗の行動によって小麦の値段は下落する事になった。
相場の二倍の値段ではあるため、フリオとキリリア共和国は損失は出していないいはずだが、それでも当初の計画を大きく狂わされてしまう事になったのだ。
キリリア共和国は、騙されたと思っても不思議ではないはずだ。
だが、フリオは微笑みながら首を横に振った。
「あの時にお話したはずです。勉強させて頂きました、と。もちろん、あの展開には脅かされましたが、私は正直感心しました。それで、あのような事をなされる方を敵に回すよりも、折角の縁を大事にした方が良いと考えました。ですので、あの件で殿下に貸しを作ったとは思っておりません」
「ふっ……そんな事を言っていましたね。いいでしょう、先ほどの情報は友人への助言としておいて下さい」
「これからも、どうか末永いお付き合いを……」
フリオは、その日焼けした顔でにたりと笑った。
だがそこで、ロブが後ろから割り込んできた。
「殿下……」
ロブはそう呟いただけだった、優斗に意図は伝わった。
「お互い多忙な身。本日はこれで」
「ではこれにて」
「時間がある時に屋敷を訪ねて下さい」
優斗はそう言ってフリオと別れた。
最後にフリオに向けた言葉は決して社交辞令などではく、本心からのものだった。
半年前、優斗が小麦を手に入れる為に奔走していたとき、例えどのような形であっても手助けしてくれたのはフリオに他ならないのだから。
結果的には、思ったほどの利益をフリオは得る事ができなかったはずだ。それでも、未だに自分との交流を保ってくれている。もちろん、商人としての打算が多くを占めている事は優斗にもわかっていたが、それでもフリオへの印象は良くなっていた。
屋敷に戻った優斗を最初に出迎えたのは、ここでも贈り物攻勢をかける人々だった。
何とかそれを捌き切り、自分の書斎に入ったところでようやく一息をついた。
すると、すぐにその扉が叩かれる。やってきたのはセシリアだった。
「おかえりなさいませ、ユウト様」
セシリアは柔らかに微笑みながら優斗に近づく。
「ただいま。と素直に言いたいところだけど、出迎えもなしだったな」
「すいません」
途端に、セシリアの笑みが悪戯っぽいものに変わる。
その表情に、優斗の心臓が脈打つ。何度見ても、優斗はセシリアのこの表情には弱かった。
「わたしも、時にはあの方々の相手をする事に疲れますので」
「確かに。セシリアへの苦情めいた声も港で聞いたな。とにかく、留守の間に政務を執ってくれてありがとう」
セシリアはくすりと笑った。
「ユウト様、たった十日足らずじゃないですか。わたしは、父が王都にいる間はずっと父の代わりにこの領地を取り仕切っていたのですよ」
「そう言えばそうだったな」
優斗がこの世界に来ておよそ半年。いつからか領地の経営に口を出すようになり、またいつからか決裁は優斗が取り仕切るようになった。いつの間にか、それが当たり前となっていた。
「国境はどうでしたか?」
セシリアが尋ねてくる。
「別に。聞いていた通り、防衛面での不安が大きいだけだった」
魔国の東に位置する国はエスぺランド王国だ。人間の国の中では最も強大であり、その国力は魔国を大きく上回っている。そのような大国であり、なおかつアイリス教という一神教を国教と定め、政治的、宗教的にも魔国とは相容れない存在である。
現在は表立って対立はしていないが、エスぺランドとの関係は常に魔国にとっての重要事項だったはずだ。
しかも、エスぺランドの国境はフレイスフェン家のすぐ隣だ。もしエスぺランドと何かが起これば、真っ先に矢面に立たされるのはフレイスフェン家となる。
しかも、その防衛線は貧弱なものだという事がこの視察で改めて分かった。
国境からオリエンまで大きな砦や城はなく、しかも三日で到達できる距離なのだ。
「そうですね。百年前の、先の戦争でエスぺランドを始めとした人間の連合軍に勝利を納めて以来、国境の防備はおざなりだったようです。忘れていたというわけではありませんが、エスぺランドとの間に大きな川も山脈もありません。大規模な防備を整えるのは容易ではありませんので」
セシリアは神妙な顔つきでそう答える。
「確かにな……」
先の戦争以来、魔国は平和だったのだ。もしかすれば、油断も生まれているのかもしれない。
「そのうち、本腰を入れて考えないとな」
そう、今すぐに何らかの問題があるわけではない。優先すべきことは他にもあるのだ。
だが、こうして今までもこの問題は棚上げされてきたのかも知れないと優斗は少し不安ではあった。
その日の夕刻、優斗は屋敷の最上階のバルコニーに座ってテルベ川を眺めていた。
赤い夕日が川を美しく照らしている。
その赤い川を、何艘もの船が行きかっている。
その船のほとんどは、上流に向かうために岸から縄を結び、人力や馬によって川を遡っていた。
今は潮が満ちていく時間だ。もう日も暮れるというのに、少しでも荷物を上流へと運んでおきたいのだろう。
優斗は、一日の終わりの、赤く染まったこの町が好きになっていた。
町を眺める優斗に、そっと外套が掛けられた。
「冷えますので」
セシリアは、そう言って優斗の隣に座る。
優斗がこの世界に来てからおおよそ半年。季節はもう秋になろうとしていた。
「今年の小麦はどんな感じだ?」
ふいに、優斗はセシリアに尋ねた。
「豊作、と言ってもいいかと」
「それなら、半年前みたいに大騒ぎはしなくてもいいかな」
「そうですね」
セシリアはにこりと笑う。
「それよりも、ユウト様。王都の父からまた手紙が来ています」
「内容は言わなくても分かるよ。王都に来い、というんだろ」
もう何度もクラウスからはそういう連絡を受けていたが、優斗は全て無視していた。
「そろそろ、
クラウスが優斗を王都に読んでいる理由は、一つはその儀式の準備のためだろう。そしてもう一つの理由、こちらの方が大きいだろう。
「別に、このオリエンに居ても魔王候補としての仕事はできると思うが……」
クラウスが優斗を王都に読んでいる理由。それは、魔王候補としての拍付けのためだ。
燈火の儀式の前に、少しでも王都で目に見える功績をあげて民に名前を売る。そして、トモエに取り入ってポイントを稼いでおいて欲しいという事だろう。
風の噂によれば、同じ魔王候補のソウマは優斗と同じく自分の領地に殆どいるが、美奈の方は王都にいるという。
「まあ、自分の力を発揮できる場所はそれぞれだろう」
「なるほど。それでユウト様はこのオリエンの発展に力を注がれていると。残念です。てっきりわたしと一緒に居たいためかと、自惚れていました」
セシリアはおどけてそう言う。
「まあ、その理由は半分くらいだ」
優斗も笑ってそう答える。セシリアとのこうした掛け合いも日常茶飯事となっていた。
優斗は毎日が勉強漬けだった。内容は、この世界の文字、この世界の国々や組織の歴史。そして、魔法だった。残念ながら、優斗に魔法の適性があまりない事は周知の事実だったため、魔法の知識の勉強が主となっていた。
それらの教師は全てセシリアであり、必然的に優斗は一日のうちのかなりの時間をセシリアと共に過ごしていた。
セシリアとは、共にアルバ人を救うために奔走した。それもあり、二人の間にはある種の信頼関係も生まれていると優斗は感じていた。
優斗とセシリアは、一方的に決められた関係とはいえ婚約者である。だが、これまでの期間で優斗とセシリアには、まだ何もなかった。
優斗は隣に座るセシリアの横顔を見る。銀色の髪が夕日に照らされ、一層艶やかな美しさを放っていた。魔国でトモエに次ぐと言われる美貌と、時折見せるあどけない笑顔。そして何より、民の事を真っ先に考える性格に対して、優斗は好意を抱くようになっているのは間違いなかった。
そして、優斗の勘違いでなければ、セシリアも自分の事を嫌ってはいないように思えた。魔王候補の一人と貴族の政略結婚という関係だけではない絆があると、優斗は信じていた。
だがその一方で、優斗にはセシリアとの関係を拒む心もあった。
「今日は、少し船が少ないですね」
セシリアが川を見たまま呟く。
「上流は雨が降ったからな。流れがいつもよりきついのかもしれない」
陸路を選んだか、日を改めて上流へ運ぼうとする商人が多いのだろう。
優斗は望んでこの世界に来て、魔王候補としてフレイスフェン家の当主になったわけではない。いつの間にか、周りに流されるまま当主として働き、それに対してのやりがいや、高揚感も生まれている。
だが常に、この世界に埋もれてしまっていいのかという迷いがあった。
元の世界の家族への想いも当然ある。同時に、この世界に対しての責任感や愛着も湧き始めていた。
優斗は、そんな感情のせめぎ合いで体が引き裂かれそうだった。
気が付くと太陽の半分以上は、はるか遠くの山影に沈んでしまっている。
「しばらくは何もありませんよね。また勉強に専念できますね」
セシリアが言う。
「ふっ……。また鬼教師にしごかれるな」
「年の功かと」
「一つ上なだけだろ」
そう言って優斗とセシリアは笑った。
ゆっくりと、太陽がその最後の姿を隠していく。光の領域が少しずつ消え、暗闇が広がってきていた。
翌日、再び優斗を王都に招く手紙が来た。だがそれはクラウスからではなく、トモエからであった。
魔王からの命令が来たのだ。
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