第9話 ユウト対ミナ ②

「第一に優先すべきことは、この王都に向かっていると思われる偽の小麦を発見することよ」


 王都周辺の地図を広げながら、美奈は周りを取り囲んだ配下にそう言った。


 キリリアの商人、フリオが保持しているという小麦は既に優斗に奪われていると美奈は見ていた。

 フリオが滞在しているのはフレイスフェンの領地であり、地理的にも政治的にも優斗――フレイスフェン家に圧倒的に有利だ。

 情報によればキリリア共和国は小麦を確実に自分の元に届けるために、監視役も派遣してくれているという。そして、そこからは何も連絡はない。という事は、キリリアの監視役は、小麦はあくまで自分、ミナ・オレストスの元に運ばれていると思い込まされている可能性が高い。

 おおかた偽の小麦を仕立て上げ、それを自分の元に監視役と一緒に運んでいるのではないかと美奈は考えていた。


「偽物の方を探すのですか? 盗まれた本物の小麦を探すべきでは?」


 そうに尋ねて来たのは、美奈が召喚される前のオレストス家の当主、エレナだった。


(まったく……)


 美奈は、前当主の思慮の浅さに内心あきれた。美奈は、この初老に差し掛かった女当主がこれまで一族を纏めてこれたのは、ただひとえに運と財力の賜物だと考えていた。


「小麦がすでに奪われたというのは間違いないと思けど、証拠はないわ。それに、本物がどこにあるかは正直検討がつかないし、見つけたとしても証拠がなければどうにもならない」


 小麦に名前が書いてあるわけではない。奪われた小麦がどこに運ばれたか見当はつかないが、見つけたとしてもどうする事もできない。


「だけど、偽の小麦だったら話は変わるわ。あたしの元に届けられている小麦が偽物だと発覚したら、それだけで向こうの非を叩く事ができる。その後で、大義名分を得て優斗を糾弾し、本物の小麦を手に入れる事が出来るわ」


「な、なるほど……」


 エレナを始めとした周囲の人間は納得した。そして、美奈は東のフレイスフェンの領地からの陸路と、海路を見張るために兵を各地に配置するように指示した。


 実のところ、優斗に奪われたと予想される小麦の奪還は美奈はあまり考えていなかった。そんな少量の小麦よりも、これからキリリア共和国から送られてくるはずの小麦を守る事が第一であった。

 優斗の一番の狙いも、少量の小麦ではなくキリリア本国の小麦のはずだ。そしてそれを手に入れいるための工作をしているはずなのだ。優斗を糾弾し、次の行動を封じるためにも、偽の小麦を見つけなければならない。


 美奈は、キリリアとの連携も密に行うようにした。王都にあるキリリアの大使館は元より、美奈の特技を利用してキリリアの本国とも行った。

 美奈の特技、それはこの世界に来て得た魔法だった。

 この世界に来て以来、美奈は魔法の訓練を行った。その結果、死体を操る術が自分に向いている事が分かった。

 美奈は鳥の死骸を自在に操り、伝書鳩の代わりとして方々に飛ばして連絡を試みていた。



 優斗との対決のために手を打った美奈だったが、とある不安がずっと胸にあった。それは、後悔とも諦めともつかぬ感情となって、美奈の胸に刺さり続けていた。

 どんなに配下の騎士を各地に配して優斗を探させ、魔法による死体の鳥で各地と連絡を試みても、すでに自分の行いは手遅れなのではないかと。

 優斗は、勝利のために万全を期して、自分に会いに来たのではと。


 その不安は、優斗による宣戦布告から僅か数日後に現実となった。

 王都に滞在していたキリリア共和国の大使から連絡が来たのだ。

 小麦を、オレストス家に売却することができなくなったと。

 その理由を大使から聞いた美奈は、燃え上がる自分の感情を抑える事が出来なかった。思わず、近くの机の上にあった書類などをぶちまけ、それでも収まらずに机さえひっくり返そうとしたほどに。

 

 手段を選ばないとは、正にこの優斗の行いだと美奈は激高した。


(あたしの負けなの……?)


 美奈は静かに唇を噛みしめていた。

 





「申し訳ありません、修理に少し時間を頂きます」

 

 車軸が折れた馬車を前にし、優斗は監視役のロドリゴにそう謝罪した。

 勿論、車軸が折れたのは細工を仕込んでいたからだった。

 いら立ちを隠すことが出来なくなったロドリゴは無言で立ち去る。本来ならば、もうとっくに王都に到着していなければならないのだから当然と言えた。


 回り道や、こういったトラブルを装って優斗は時間をひたすら稼いでいた。


「もうそろそろ、限界では?」


 ロブが不安げにそう尋ねる。さすがに、ロドリゴも不審に思っているはずなのだ。


「今更ですが、海路を選択してもよかったかも知れませんね。船でしたら、ある意味ロドリゴ様を監禁できるようなものですから」


 それは優斗も考えたが、それはセシリアに止められた。セシリアが恐れたのは、海運国家キリリアの操船技術だった。もし、キリリアの船団が優斗を追えば、あっという間に取り囲まれてしまうだろうという危惧があったのだ。


 だが、さすがにこれ以上ロドリゴを騙すのは難しい。

 優斗に焦りが生まれ始めていた時、待ち望んでいた報せがついに届けられた。


 その報せは、王都にいるクラウスから届けられたものだった。

 文字を優斗はまだ読むことはできない。だが、その手紙に文字と共に記された大きな丸い印を見て、安堵した優斗は小さくため息を漏らす。そしてポツリとロブに告げた。


「もう時間稼ぎは終わりだ。俺たちの勝ちだ。王都に向かう」



 手紙を受け取ったロブは内容を確認し、静かに頷いた。


 

 優斗の計画、それは人間の大国であるエスぺランドを利用するものだった。

 優斗は美奈に会う前に、エスぺランドの大使館に赴いてこういった話をしていた。

 魔国には、小麦が必要だと。何とか、取引の際の貨幣を制限するラフム条約を緩めてはくれないかと。

 むろん、エスぺランド側はそれを拒否したが、その交渉の際に優斗はわざと情報を漏らした。

 優斗のフレイスフェン家と、美奈のオレストス家は協力して他国から小麦を集めている、と。

 更に、クラウスにも協力してもらって王都で美奈がキリリアから小麦を購入しようとしていると噂を流してもらっていた。

 それはすぐにエスぺランドの大使館も知る事となり、エスぺランド外交官たちはこう考えた。

 その取引は、ラフム条約を守ったものなのか、と。

 

 現実として、ラフム条約は有名無実の物となっており、エスぺランドの外交官たちの中にもそれを感じているものもいただろう。だが、魔王候補の優斗が公式に大使館を訪れ、その疑いがある事をほのめかしたのだ。大使館として、動かないわけにはいかなくなっていた。

 王都のエスぺランド大使館はすぐにキリリアの外交官を詰問した。魔国と進めている取引は、条約を守ったものなのかと。


 これにより、エスぺランドという大国に目を付けられたキリリアは美奈に小麦を売りにくくなってしまったのだ。

 そこに、優斗の意を汲んだフリオの工作が効果を表す。


 優斗は、フリオに今から一月後の二倍の価格で小麦を購入するという好条件を出している。

 キリリアは商人の国だ。出来れば小麦を売却して利益を得たい。ところが、美奈に小麦を売ると政治的に悪影響が出るかもしれない。そんな所に優斗から、好条件で小麦を改めて購入したいという話が舞い込む。

 もともとラフム条約とは、魔国が自国の金銭力で他国から軍需物質を集める事を防ぐための条約なのだ。美奈のオレストス家は金鉱山を所有し、財力は豊富だ。そのオレストス家と条約を破った取引を進めるのは、今となっては危険すぎる行為になってしまった。


 そうして、キリリア共和国は優斗が思い描いた通りに誘導された。

 フレイスフェン家の財源は他国との交易だ。ラフム条約を守るための、人間の国の貨幣を集めるのはフレイスフェン家の方が可能性は高いはずだ。

 フレイスフェン家への売却ならば、何とかエスぺランドにも説明できるのではないか。しかも、フレイスフェン家の優斗が出している条件は破格のものだ。

 美奈への約束を破る事にはなるが、キリリアの責任ではなく、エスぺランドの圧力のせいなのだから。しかも、同じ魔国に小麦を売却することに変わりはないのだから、と。

 



「どんな手段を使ったのですか?」


 王都への道すがら、ロブは小さな声で優斗にそう尋ねてきた。


 優斗はすぐには答えなかった。

 騎士であるロブに話すには後ろめたい気がしたのだ。

 

 優斗の計画は、うまくいくかどうかは賭けのようなものだ。しかも一歩間違えれば、これからの魔国全体の貿易に影響を及ぼす可能性もあるのだ。


「汚い手段だよ」


 優斗は、ロブに聞き取れないような小さな声でそう呟いた。


 


 翌日、勝利を確信している優斗たち一行は王都の城門に迫っていた。道は王都へ向かう人と王都から出てくる人とでごった返している。

 この後は、何食わぬ顔をして王都に入れば良い。それで、美奈に小麦を届けるというシナリオは終了だ。

 王都に入ればすぐにキリリア大使館の人間が監視役のロドリゴに事情を伝えるだろう。そうなれば、小麦は自動的に優斗の物となるはずだ。この偽小麦はそのあとで好きに処分すればいい。


 終わってみると、改めて優斗は自分のこれまでの行いに驚いていた。

 都合のいい嘘を並べ立て、何人もの人々を巻き込んだ。

 アルバ人を助けるためなのか。それとも、美奈への対抗心からなのか。

 だがこれで、必要な小麦が手に入る。アルバ人を助ける事ができる。長い道のりだったが、これでようやく終わる。


「あれは……」


 安ど感を覚え始めた優斗だったが、王都に近づくにつれてある事に気づいた。

 道の両脇を騎士団が固めていた。その騎士が掲げている旗にはからすのような鳥が描かれている。

 紛れもない、オレストス家の旗だ。

 しかも、優斗はその一行の中にとある人物を見つけ、驚愕した。

 黒色に近い地味な外套を羽織っているが、その美貌によってどうしても目立ってしまっている。

 その人物は、神月美奈こと、ミナ・オレストスに間違いなかった。

 

 優斗がその姿に気づくとほぼ同時に、美奈も優斗に気づいたようで、すぐに近づいてきた。


(どうする……)


 計画が成功している事は、クラウスからの報せで間違いがない。だがなぜ、美奈がここに現れたのか。

 優斗が思案している間に、美奈はすぐに優斗の前に立った。


「待っていたわ、優斗。やっと来てくれたのね」


 そう言った美奈は、まるで待ち続けた恋人にようやく会えたかのような笑みを浮かべていた。

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