第8話 ユウト対ミナ ①
「如何ですか? フリオ様」
「殿下……」
フリオは苦し気な顔を浮かべていた。
キリリア本国からの指示に背き、オレストス家から小麦を強奪する計画を奨めているのだから、ごく自然の反応だった。
「私はただの商人です。申し訳ありませんが、明確な契約や指示の下でしか動けません」
フリオが言う明確な契約と指示とは、キリリア本国と美奈との契約と指示の事に他ならない。つまり、フリオは優斗の計画には乗らないという事を暗に言っている。
(まあ、当然だろ)
フリオの様子を眺めた優斗は、セシリアに静かに告げた。
「すまないが、外してくれないか。フリオ様と二人で話がしたい」
「殿下……?!」
セシリアが驚愕の表情を浮かべる。
「頼む……」
優斗がそう言うと、セシリアは無言で部屋を後にした。
不本意ではあろうが、魔王候補であり未来の夫でもある優斗に、人前で逆らうわけにはいかなかったのだろう。
「フリオ様、これで忌憚のない意見を述べて頂けるでしょうか?」
当然のことながら、フリオは訝し気な表情を優斗に見せる。
「これでもう、この場に貴族はいません。ただ、売り手と買い手がいるに過ぎません」
「ご冗談を。優斗殿下は貴族そのものでは?」
「以前、私が言った事を思い出して下さい」
フリオはしばらくの間沈黙した。そして、思い当たる言葉を呟いた。
「商売に貴賤はない……という言葉ですか?」
優斗は頷いた。
「セシリアはフリオ様の長年の得意先であるフレイフェン家の一員ですからね。フリオ様のお立場を考えるとそう簡単に本心を晒すわけにはいかないでしょう。私はまだフレイスフェンには成り立ての男です。どうか、肚を割ってお話下さい」
フリオは再び沈黙した。だが、しばらくして観念したかのように大きなため息をついた。
「全く、殿下は率直で大胆なお方なのですね。少し見誤っておりました。それとも、違う世界から来られた魔王候補の方々は、皆さまこうなのですか?」
フリオの話を聞き、優斗はその通りかも知れないと考えた。自分も美奈も、そして相馬も、生まれたのは身分などない日本だ。そして、飢えた事もなければ大抵の欲しい物はお金と交換によって手に入れる事ができたはずだ。
その自分が欲しい物を、お金と交換してくれるのは商人だ。そして、欲しい物を得るために、商人に対して自分の欲をさらけ出して交渉するのは至極当然のことなのだ。
「殿下のお望みですので、率直に申し上げます。殿下のお話は、あまりにも無謀に過ぎるかと。殿下のお考えは、まるでミナ殿下から小麦を奪うようなものです。私としては、そのような危険な行いには加われません」
「なるほど」
フリオの正直な意見を聞き、優斗は額に手を当ててわざとらしく考える素振りを見せる。
「確かに一理あるかも知れませんが、フリオ様がそんな事を仰るとは意外です」
「……どういう事でしょうか?」
「今回の件は、元々は私とフリオ様とですでに契約された取引だったはず。ですが、キリリア本国からと美奈からの横やりでこのような事態になりました。いわば、私とフリオ様は顔に泥を塗られたのと同じ。ここまで馬鹿にされてもなお、本国の意向に従わなければならないのですか?」
「殿下のお怒りは分かりました。私も悔しいのです。ですが――」」
「――序列、ですかね?」
優斗は、フリオの発言に割り込んだ。
「フリオ様もキリリア共和国の十人委員会のお一人だとは聞いています。ですが、その中でも序列があるのでしょうね。残念ながら、フリオ様は十人委員会の上の立場の方に――美奈との交渉を纏めた方の意向には逆らえないのでしょう?」
優斗のその挑発的な言葉を聞き、フリオの雰囲気が変わったのを優斗は感じた。
「これは手厳しいお言葉……。ですが、殿下の仰る通りです。十人委員会に正規の序列はありません。しかし、私は若輩の成り上がり者として、一番格下とみられており、発言力も最も弱いのが現状です。ですが、失礼ながらそれは殿下も同じようなお立場なのでは? フレイスフェン家は魔国の四名家の中では最も勢力も弱いと言われていますが」
優斗は自然と笑みが出ていた。
「率直なご意見、ありがとうございます。確かに、私もフレイスフェン家は美奈とオレストス家に比べれば格下と侮られているのかも知れません。だからこそ、私は美奈に勝ちたいのです」
優斗のその言葉は紛れもない本心であった。
美奈の目的が何であれ、こちらの計画を妨害され、美奈の利益となる事を、指を咥えて見ている分けにはいかない。
何より、美奈にアルバ人の救済を邪魔されるのは許せない。
「そう、私とフリオ殿の立場は似ている。我々には目指すべき高みがあり、野心があるのでは? お互い、自分よりも上にいる存在を苦々しく思っているはずです」
優斗の脳裏に、元の世界にあったテストの順位が思い出された。自分なりに勉強も努力はしていた。だが、自分の実力ではどうにもならない事もあったのではないか。
今、フリオに投げかけている言葉の多くは説得するために言っているに過ぎない。だが、今の最後の言葉は自分の本心なのかどうなのか、優斗は自分でもわからなくなってきた。
とにかく、フリオへの説得は続けなければならない。真実も嘘も並べ立てて虫の良い話を作り上げ、フリオを抱き込まねばならないのだから。
「フリオ様、あなたがフレイスフェン家を陰から支えてきてくれた事はセシリアから聞いています。今後も、私とフレイスフェン家のあなたへの信頼は揺るぎません。私がこの魔国での地位を上り詰める事が出来れば、もちろんあなたの事も悪いようには致しません。フリオ様のキリリアでの地位を上げる事にも、商いにも協力できる事が多くなります。どうか――」
優斗は、最後の言葉をフリオに投げかける。
「――私たちは今の立場に不満がある同士です。共に戦ってくれないでしょうか?」
フリオは困ったように顔を逸らす。そしてしばらく沈黙が続いた。それでもフリオは決心したようで、視線を優斗に向けた。
「本当でしたら少し検討したい所ですが、今回は時間がありません――」
フリオの回答を待つ優斗の心音が大きくなる。
「――キリリア商人フリオ、喜んで協力させて頂きます」
優斗は自然とフリオに近づいていた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
フリオの回答に対して思わず取ってしまった優斗の行動に、フリオは戸惑いながらも笑みを浮かべていた。
その後、優斗とフリオは計画を改めて話した。
まず、今フリオの手元にある小麦はウルの町に届ける。
そして、キリリアから派遣されてるいる監視役を騙すため、偽の荷物を美奈の指定した王都へと届ける。これは、優斗がフリオより預かり美奈に届けるという体裁で行う。
この小麦は、フリオが協力するとなった今、すでに優斗の物になったといってもいい。
問題は、キリリア本国から届けられる小麦だ。この小麦がなければ、アルバ人全員の飢えを癒す事は出来ない。
「如何するのです?」
フリオが尋ねてくる。
「こちらも、フリオ様のご協力が必要です。ですが、少しお聞きしたいことがあります――」
それは、美奈が小麦の代金をどのように支払うつもりなのかという事だった。
「美奈は、条約を守っていると思いますか?」
条約とは、ラフム条約に他ならない。魔国に食料や武具を売る際、その代金は人間の国の貨幣による即決払いしか認めない条約だ。
フリオはすぐに首を横に振った。
「まさか。ミナ様のオレストス家は魔国でも有数の金鉱山をお持ちですので、財力は豊富だと思います。しかし、それはあくまで魔国の貨幣や、黄金そのものでしょう。東の人間の大国エスぺランドと国境を接し、我がキリリアとも近く、交易の拠点であるフレイスフェン家でもこの短時間では代金を用意できなかったのでしょう? オレストス家が人間国の貨幣で代金を用意するのは無理かと」
「ですが、もしかなり前から準備をしていたとしたら?」
「それでも難しいでしょう。ミナ様は随分あちこちから小麦をお買い求めのようですので。人間の貨幣もそれだけ大量に必要になります」
だが、オレストス家が実際にどれだけの貨幣を準備しているかは分からないし、オレストス家を援助している者もいるかも知れない。
(結局は賭けになるな……)
優斗はフリオに言った。
「フレイスフェン家は、今からひと月後の小麦の価格の、更に二倍で価格でキリリアからの小麦を購入させて貰います。今の魔国での小麦の高騰はご存知でしょう。ひと月後はどれだけ高騰しているか分からない。その更に二倍です。悪い話ではないはずです」
「確かに悪い話ではないです。いえ、破格のお話です。それに、具体的な金額が分からないというのは、却って期待を生むかも知れません。ですが、これだけで本国を説得できる可能性は高くはないかと」
フリオは率直にそう言い放つ。それは優斗も分かっていた。
「もちろん、これだけではありません。手はもう一つあります」
そうして、優斗は最後の秘策をフリオに説明した。
優斗と計画を話し合った後、フリオは屋敷を去っていった。自分の役目を果たしに行ったのだ。
フリオが去ると同時に、セシリアが優斗の前に現れた。
「すまない。でもフリオを説得するには仕方ないと思ったんだ」
優斗はすぐにセシリアに、部屋から追い出した事を謝罪した。そしてこれからの計画を説明しようとしたが、
「不要です」
とセシリアに止められた。
「大変無礼ではありますが、殿下とフリオ殿のお話は全て聞かせて頂いておりました」
怪訝な表情を浮かべた優斗に、セシリアは説明した。
「この世界には魔法があります」
セシリアの説明によると、優斗とフリオが会談したこの部屋の床には魔法陣が隠してあり、同じ魔法陣が施された隣の部屋で、部屋での会話を聞くことができるのだという。
「この魔国での貴族の屋敷には多い仕掛けです。魔法が有効な距離は、どんな高名な魔法使いでもせいぜい隣の屋敷程度でしょうが、今後はご注意下さい」
つまり、優斗は盗聴されたというわけだった。だが、これでセシリアに改めて説明する手間が省けた。
「話を聞いていたのなら、計画は分かっているはずだ。フリオが用意する、偽の小麦を王都に運ばないといけない。美奈とキリリアからの監視役を騙すんだ。その間に、少量でも小麦をウルの町に届ける。すぐに護衛の兵隊を用意してくれないか?」
これから、偽物の荷物を小麦と偽り、キリリアの監視役と共に王都に運ばなければならない。目くらましには、出来るだけ体裁を整えた方が良いだろうと優斗は考えた。
だが、セシリアは何も答えなかった。押し黙ったセシリアを見て、優斗はセシリアに怒りがある事にようやく気付いた。
「殿下、このような重大な事を勝手に決められては困ります。やろうとしている事はミナ殿下から小麦をだまし取るのと同じです。しかも、殿下の秘策は危険すぎます。一歩間違えば、フレイスフェン家の今後にも大きな影響が出る可能性があります」
優斗は初めて向けられたセシリアからの怒りに慌てた。
「た、確かに勝手にこれだけの事を決めたのは悪かったと思ってる。でも、アルバ人を助けるためだ。小麦を美奈に奪われるわけにはいかない。少し強引でも、やるしかないんだ」
セシリアは優斗と視線を合わせず、静かに首を振る。
「あまりにも危険な賭けです。わたしの独断では決めれません。父にも相談しないと……。それに、フリオ様が協力してくださるのでしたら、小麦の第一陣はこちらの手中にあるようなものです。しかし、小麦を奪われたオレストス家は喧嘩を売られたと思うのではないしょうか」
セシリアのその言葉に、優斗は即座に反応した。
「すでに喧嘩は売られています。向こうから」
優斗はセシリアの両肩を掴み、セシリアの目を見つめた。
「頼む、セシリアからもクラウスさんを説得してくれ。ようやくここまで掴んだ糸口なんだ。こんな事で諦めたくないんだ」
しばらく優斗と見つめあった後、セシリアはポツリと言った。
「それは、アルバ人を助けるためですか?」
その問いに、優斗は心臓が大きく高鳴るのが分かった。それをセシリアには悟られないように平静を装って答えた。
「もちろん。今更何を言ってるんだ?」
その言葉を聞いたセシリアはしばらく沈黙していたが、最後には
「分かりました」
と言ってくれた。
セシリアはすぐに護衛役の兵士の手配し、クラウスを説得するための手紙も書いてくれた。
自分の計画に賛同し、手配を進めるセシリアを尻目に優斗は自分の感じる後ろめたさについて考えた。
自分の今の行動は、純粋にアルバ人を救おうとする気持ちからなのかと。
確かに、アルバ人を救いたい気持ちは間違いなく今もあるし、それが第一の目的だった。だが、今の優斗の心にはそれ以外の気持ちもあった。
単純に、優斗は自分の計画の邪魔をし、小麦を横取りしようとする美奈に怒りを感じていた。そんな美奈の思い通りにはさせまいという、下賤な感情があったのだ。
こうして優斗の計画は動き出した。
まずフレイスフェン家の領地、オリエンでフリオに用意させた偽の荷物を小麦と偽り、キリリア共和国から派遣された監視役と共に王都へ出発した。
そして、その途上で優斗は美奈に連絡するためと王都へと先行してクラウスと合流。セシリアの手紙もあって何とかクラウスを味方に引き入れる事に成功した。
そして美奈との交渉が予期していた通り破談になったあと、優斗は馬を走らせて王都に向かっている偽の小麦を運ぶフレイスフェンの一団と合流した。
「しかし、お見事なものです」
ずっと優斗と行動を共にしてきた、護衛役のロブが優斗にそう呟いた。
ロブが言っているのは、優斗の馬術の事だった。
もともと筋がいいとはこの世界に来て言われてはいたが、いつの間にか見事に馬を御するまでになり、ロブを含めた数人の護衛と共に馬で王都までを往復したのだ。
(すっかりこの世界に馴染んだな……)
優斗は自嘲気味に心の中で笑った。だがそのおかげで、王都に向かい、目的を達する事が出来た。
優斗が王都に向かった理由は二つあった。一つは、美奈との交渉のためだ。これはセシリアが協力する条件として挙げたものだった。
美奈に小麦の事情を説明し、所謂『相談』を行う。これは、美奈に事情を相談をしたという体裁をとって大義名分を得るためだ。
フレイスフェンには小麦が必要であり、それを美奈に相談した。だが、美奈が拒絶したためにやむを得ず小麦を奪取したと。
小麦を奪う事には変わりはないのだが、確かに少しは体裁がよくなるかも知れなかった。そして、美奈との交渉が成功して、全てが穏便に終わる可能性に掛けたセシリアの願いかもしれなかった。
「ところで、キリリアのお客人の様子は?」
優斗がロブに尋ねたキリリアの客人とは、監視役として派遣されたロドリゴという中年の男の事だった。この男もまたキリリアの十人委員会の一人であるという。
十人委員会の一人をわざわざ派遣するほど、キリリアと美奈との取引が魅力的なものなのだろう。
「特には何も。今のところ大人しくしています。内心は分かりませんが」
ロブは感情を含まない声でそう答えた。
ロドリゴは、オリエンでフリオが用意した偽の荷物と共に、これまで優斗たちと行動を共にしてきた。海路で王都まで運ばずに、時間のかかる陸路を選んだことを不審に思っているはずだった。
「少し道を変える」
優斗は一向にそう指示をした。
優斗達が現在いるのは王都へ続く主要な幹線道路だったが、その道を外れ、少し遠回りをして王都へ向かう事になる。
「遠回りになりますが?」
すぐにロドリゴが優斗の元に飛んできて、そう尋ねてきた。
「ご安心を。美奈との計画に織り込み済みです。この先は、少し人目を避ける必要がありますので」
そのような嘘を並べてロドリゴを騙す。怪しんではいるであろうが、王都に向かってはいるのだ。
優斗たちは偽小麦と共に王都に向かい、美奈の元に運ばれているとロドリゴに思いこませる必要がある。
優斗に求められているのは、王都に向かいつつも時間を稼ぐ事だった。時間さえ稼ぐ事が出来れば、その間に本物の小麦はウルの町に届けられる。
そして時間さえ稼げば、これからキリリアから運ばれてくる分も含めて、全ての小麦は優斗の物になるはずなのだ。
王都に向かったもう一つの理由。それは、美奈とのこの争奪戦に勝利するために布石を打っておくことだったのだから。
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