第7話 争奪戦の始まり

 王都に戻った優斗はすぐにクラウスを尋ねた。クラウスは事前に早馬でセシリアからの手紙を受け取っており、おおよその事情は把握していた。

 

 優斗はすぐに美奈に会いたいという事をクラウスに伝えた。


「ミナ様を説得するおつもりですか?」

「説得というほどではありません。話せばわかってもらえるかと」

「こちらで掴んだ情報によりますと、ミナ様は秘密裏に方々で小麦を買い込んでおられるご様子です。そう簡単にいきますでしょうか……」

「方々で買い込んでいる……」


 小麦を買い込む目的は何であろうか。やはり、小麦の値段が上がったところで売り払って利益を上げる気なのだろうか。

 優斗は少し思案したが、すぐに止めた。今、美奈の目的はどうでもいい事に過ぎないのだから。


「それで、美奈はオレストス家の屋敷ですか?」

「ミナ様は只今――」


 クラウスの話を聞き、優斗は少し驚いた。

 美奈は、今は王城に居り、トモエと面会中だという。

 いつの頃からか、トモエは面会を受け付けるようになっていたのだ。そして、それと同時に美奈は王城に通うことが多くなっているようだという。

 美奈のその行動は気になったが、トモエと共にいるのであれば優斗にとっては好都合だった。


「すぐに王城に伺いますか?」

 

 そう尋ねたクラウスに、優斗は答えた。


「王城へは向かいますが、その前に一つ、寄り道をします」




「これは、これは。ユウト殿下、お久しぶりでございます」

 

 トモエの側近であるルキウスが、優斗とクラウスを柔らかな笑みで迎えた。


「陛下は朝から来客が続きましたので、今はお部屋でお休みになっておられます。ですが、ミナ殿下も一緒におられます。ユウト殿下のみでした、お通しして構わないとの事です」


 その言葉を聞き、優斗とクラウスは目を合わせる。

 この魔国の最高権力者であるトモエには、貴族であっても簡単に会う事などできない。今日の優斗のように約束もなく面会を受けてくれるのは優斗が魔王候補という、トモエに次ぐ地位を持っているからだ。

 だが、優斗はトモエが休憩している部屋にまで美奈を入れていることが頭に引っかかる。


(美奈め、随分とトモエに取り入ったようだな)


「殿下、ミナ様も陛下もご休憩中とのこと。日を改めた方が良いのでは?」

「いえ、せっかく陛下がお会いになって下さるのです。ルキウスさん、お願いします」


 自分が立ち会えないこともあってか不安そうなクラウスを尻目に、優斗はトモエと美奈のいる部屋へと通された。

 


 優斗が通されたのは小さな部屋だったが、床の絨毯や装飾品は煌びやかなもので、上等品であろう事が伺えるものだった。

 その部屋の一部に机があり、そこにトモエと美奈は向き合って座っていた。


「如何でございますか、陛下。こちらが『ネイル』というものでございます」

 

 美奈がそう言うと、トモエは鮮やかな模様の書かれた自分の爪を見て笑った。


「ふふふっ。何とも面白き事を考えるものだな。わらわが居た頃には思いもよらぬことよ。いや、しかし艶やかで美しい。気に入ったぞ」

「ありがとうございます。次は、こちらの色をお試し下さい――」


 楽し気に話すトモエと美奈に、ルキウスが告げる。


「お寛ぎのところ申し訳ありません。ユウト殿下がお越しでございます」


 それを聞き、トモエと美奈は優斗に向き直る。

 トモエは、初めて目にした時と同じような着物に似ている黒い服装。美奈の方は、胸元が大きく開いたドレス姿であった。

  久しぶりに見る美奈の姿は、完全にこの世界の貴族のそれとなっていた。


「おお、わらわの息子がやってきたか。近くに来るがよい」


 その言葉を聞いてルキウスは部屋を後にし、その場には優斗とトモエ、美奈が残った。

 美奈は、自然と椅子に座るトモエの後ろに控えていた。


(すっかり側近気取りか……)


 優斗は美奈の態度を少し苦々しく感じながら口を開く。


「お久しぶりでございます、陛下。本日はお時間を取って頂きありがとうございます。本日は陛下と美奈にご相談したい事があって参りしました」


 トモエはにやりとした笑みを見せた。


「ほう……。あの日、わらわに随分と無礼な言葉を吐いた者が随分と殊勝になったものよ」

 

 トモエの言うあの日、とは優斗がこの世界に召喚された時の事だ。


「あの時は混乱しておりました。どうか、お許しを……」

「ふむ……」


 トモエは、しばらく優斗を見定めするように眺めた。その視線を受けて、優斗は心の中を覗かれているように感じ、鼓動が早まるのを感じた。


「まあ良い。要件を申してみよ」

「ありがとうございます。私が本日訪れたのは我が領内での食料事情についてご相談したかったからです。陛下もご存じだと思いますが、近ごろは魔国内での小麦の不足が目立っております。我が領内の状況も非常に厳しいもので、このままでは飢える者も出てしまいます」


 言い終え、優斗はちらりと美奈の様子を見る。だが、美奈の表情には全く変化はなかった。


「なるほど。それで、わらわの支援を当てにしているのか?」

「いえ、私は食料を他国から調達する事にしました。ただ、その事で少し問題が起こりまして。ここからの話は美奈に関連します」


 優斗は美奈の方に視線を送る。それを受け、美奈は


「聞きましょう」


 と微笑みを浮かべて答えた。元の世界に居た頃から多くの人間を虜にしてきた美しい笑みだった。だが、今の優斗には全く逆の恐ろしい物のように感じた。


「美奈、あなたはキリリア共和国からも小麦を購入しようとしていますね」

「それが何か?」

「その小麦は、本来であれば我々が購入しようとしていた物です。その小麦がなければ、我が領内で飢え死にする者が出てしまう。キリリアの小麦は私に譲って貰えないでしょうか」

「なるほど、事情は理解したわ」

 

 美奈はそう言い、トモエに視線を向けた。トモエも同時に美奈に視線を送っており、二人は何かしらのアイコンタクトを取ったように優斗には見えた。


「事情は分かったわ。残念だけど、あたしにも小麦は必要なの。譲るわけにはいかないわね」


(やはりそう来るか……)

 

 優斗は湧き上がってくる感情を抑えながら話を続ける。


「噂によれば随分大量の小麦を買い占めておられるとか。目的が何かは分かりませんが、こちらは人命が掛かっています。キリリアの小麦だけは譲っては戴けませんか?」

「お断りするわ。それにあたしが小麦を必要としている理由を言う必要もないと思うけど」

「俺は、実際に飢えている子供たちをこの目で見てきた。今のあなたは魔王候補であり、オレストス家の当主だという立場があるのも分かる。でも、少し前はただの『神月美奈』だったはずだ。神月美奈は、子供が飢えていても気にしないような人間だったのか?」


 この言葉を聞いた美奈は沈黙した。だが、それは少しの間だけだった。美奈は赤い両目でまっすぐに優斗の目を見ながら言った。


「あたしはオレストス家の当主、ミナ・オレストスよ。今は、それが全てよ」


 

 美奈の目は、後ろめたさを感じさせない澄んだもののようだった。

 この目と美奈の言葉を聞き、優斗の心に広がり始めていた美奈への怒りは不思議と消えていった。

 美奈の短い言葉には、美奈なりの覚悟と決意が籠っているように優斗は感じた。

 美奈が小麦を買い占めている理由は分からない。だが、今の自分ではその決意を変える事は出来ないと優斗は悟った。


「ユウトよ、聞いての通りだ」


 今まで黙って話を聞いていたトモエが口を開いた。


「残念だが、小麦は別の方法を探すがよい。そもそも、キリリアからすればこれは商売にしか過ぎぬ。お前との商いよりも、ミナとの商いが利益になると判断されたに過ぎぬ。さらに残念ではあるが、わらわも今すぐに小麦を支援するのは難しいぞ」


 トモエの、『裁定』とも言える言葉を聞き、優斗は静かに頭を下げた。

 

「それでは、これで失礼させて頂きます」


 優斗は静かにそう言い、部屋を後にした。

 

 部屋を出た優斗の元に、クラウスが不安そうな顔を浮かべてやってきた。優斗とトモエがどんな会話をしたのか、優斗が美奈に無礼を働いていないかが気が気でないようだった。


「如何でしたか、殿下?」

「駄目だった」


 優斗はぶっきらぼうに言い放った。 

 正直なところ、この結末は優斗が予想していたものだった。僅かでも可能性がある事を捨てきれずに、この場に来たに過ぎなかったのだから。

 だからこそ、優斗は次に自分が何をやるべきかは分かっていたし、




「陛下、どうしてあのように優斗を突き放したのですか?」

 

 優斗が退室した後、美奈はトモエに尋ねてみた。


「何か不満なのか?」

「不満というわけでは……。ただ、もう少しこちらの状況を説明しても宜しかったのでは? あのように突き放しては……」

「何かをしでかすと?」


 美奈は静かに頷く。


「まあ、十中八九何かをしでかす……いや、仕掛けてくるであろう」

「そこまでお分かりなのにどうして?」

「後学のために言っておくが、これは『会話』のようなものだ。ミナよ、お前はわらわが面会を受け入れると真っ先に訪れ、今ではこうしてわらわの話相手にもなってくれておる。おかげで、お前の人となりはある程度は理解できた。だが、奴の事はまだそこまで分からぬからな」

「ユウトを試していると?」

「これで奴が何を行うかで、奴の性格や能力が分かると言うものだ。だが――」

 

 トモエはにたりと笑って見せる。


「――お前の邪魔をしてくるやも知れぬな。ともすれば、お前は如何にする?」


 美奈は思った。結局、自分がやっている事も優斗がやっている事も、全ては魔王トモエの掌の上なのではないかと。

 これから起こるかも知れない自分と優斗の対立も、全ては計算ずくなのか。もしくは楽しんでいるのかも知れない。


「ユウトにも言いましたように、今のあたしはオレストス家の当主です。あたしは、自分の役目を果たすだけです」

 

 例え子供を飢えさせる事になっても、美奈は自分がやるべきことに変わりはないと考えた。


「ふふっ。お前の覚悟と忠誠は伝わったぞ。よろしく頼むぞ」


 そう言って、トモエは満足げに微笑んだ。


「では申し訳ありませんが、あたしはこれで失礼させて頂きます……」


 そう言い、美奈は足早に部屋を後にした。




 部屋に一人残ったトモエは、ネイルが施された自分の爪をぼんやりと眺めた。


「急ぐがよいぞ、ミナ。今、圧倒的に有利なのはユウトなのだから……」


 トモエはそんな独り言を言っていた。そして最後に、


「しかし、この面白き時にもう一人の愚息は何をしているのやら……」


 と呟いた。




(急ぐのよ……)


 美奈は、自然と自分の歩みが早まっていくのを感じていた。

 先ほどの優斗の言葉は、いわば『宣戦布告』だ。

 美奈はこうも考える。ご丁寧に宣戦布告をしてから戦いを始めるのは間抜けのする事だと。

 優斗はどうであろうか。優斗は、子供の命のためだと甘いことを言う愚か者だと美奈は思った。だが、

 だとすれば、すでに優斗からの攻撃は始まっていると考えなければならなかった。





 時は少し遡る。

 ウルの町から戻ってすぐに、優斗とセシリアはキリリアの商人フリオを呼び出し、小麦の件を問いただしていた。

 本来ならば、数日の内にフリオがすでに確保している少量の小麦が、そしてその後に必要なすべての小麦がキリリアから届けられるはずだった。だが、キリリア本国、つまり十人委員会からその全ての小麦をミナ・オレストスに売却するように命令が来たという状況だ。


 セシリアは、厳しい口調で言った。


「フリオ殿、今回の件はあまりに酷いのでは? これは単なる契約反故だけではなく、フレイスフェン一族を侮辱する行為です」

「わ、私とてこのような結果は不本意なのです。ですが、本国からの命令ではどうしようもありません。ひとえに私の力不足です」


 フリオは頭を下げて謝罪した。優斗には、フリオの態度は本心のように見えたが、それが正しいかどうかは分からない。

 優斗は静かな口調でフリオに尋ねた。


「フリオ様、一つ聞きたいのですが、美奈は何のために小麦を?」

「そこまでは何も知らされていません。キリリア本国からは、手持ちの小麦を速やかにミナ殿下に売却するようにと。用心深いことに、監視役に十人委員会の一人まで送り込んできました」

「なるほど……。それで、売値は?」

「それは……」

 

 フリオは言葉を濁す。


「何も、詰問しているわけではありません。お答えできる範囲でよいのです。我々が提示した金額よりも高いのか、安いのか……」


 フリオはしばらく思案したようだったが、ポツリと答えた。


「高額、ではございます」


 それを聞き、優斗は声を上げて笑った。オレストス家の領地は魔国の西側で、いくつもの金鉱山を保有していた。資金はフレイスフェン家よりも潤沢であるのだ。

 フリオは弁明しようとしたが、優斗はそれを制した。


「以前言いましたように、我々は買い手と売り手に過ぎません。お気遣いは無用です。ただ、それ故に契約は守ってもらわねばなりません」

「も、もちろんです」


 フリオは、現在事情を説明するために、本国に手紙を送っているという。ただ、その手紙がキリリアに届いてから返答を待っていたのでは遅すぎる。

 優斗の脳裏に、ウルの町で出会った兄妹の姿がよぎる。

 自分なら、飢えている人々を救うことが出来る。

 優斗は、そんな風に考えるのは傲慢な気がした。

 だが、今の自分の地位と権力を使えば、人々を救える可能性がある。

 今、自分には飢えている人々を救う機会が与えられている。自分が出来る事はやるべきではないか。その決意は変わっていない。

 優斗はフリオに向かって言う。


「フリオ様、私と美奈は実は旧知の仲です。もちろん、向こうの世界の話ではありますが。ですので、私から事情を話せば美奈は理解してくれると思います」


 優斗が口にしている事は嘘八白だ。だが、優斗は自分でも不思議なほど、これから自分が何を言うべきなのか、そして何をやるべきなのかが理解できていた。


「まず、フリオ殿がお持ちの小麦ですが、これはすぐにウルの町に届けて頂きたい。そしてキリリア本国から届く小麦はここオリントに届けて下さい」

「わ、私としては是非ともそうしたのですが、本国の意向に背くわけには」

 

 フリオは狼狽した様子でそう答える。


「背くわけではありません」

 

 そう前置きし、優斗は言葉を続ける。


「先ほど言いましたように、私と美奈は旧知の仲です。私が頼めば美奈は納得してくれます。ですが、今すぐ小麦が必要な私には、美奈の承諾を待つ時間がない。ですから、美奈には事後承諾を得るとします。ですから、結果的にはフリオ殿は美奈と、キリリア本国の意向に背くことにはなりません」


 フリオは、優斗の無茶苦茶な意見に言葉を失っていた。

 そんなフリオを無視して優斗は説明を続ける。


「問題なのは、キリリアから派遣されたという監視役です。残念ですが、その方を説得する時間もありません。ですので、まず偽の荷物を小麦と偽って美奈に届けます。その間に、本物の小麦はウルの町へと届けて貰いたい」


「それはっ……!」


 そう声を上げたのは、今まで黙っていたセシリアだった。優斗はそんなセシリアを手で制した。

 

「小麦は、最初の約束通りすべて私が頂きます」


 やるべき事を、やるのみなのだ。

 優斗は心に強く誓った。

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