第11話 愛と呼ぶには、あまりに脆い


「いや、知ってたけどね。みんなどうせそんなこったろうと思ってたわ」

「みんなとは?」


 付き合って、と言うのは当然男女交際のことではない。


「改めてお願いします。僕に、訓練をつけてはくれないでしょうか」

「訓練を、私が?」

「はい。烏滸がましい要望であることは重々承知しております。しかし僕は……強くなりたいのです」


 頭を下げて頼み込む。

 その必死さが伝わったか、中佐は瞑目して考えるような仕草を見せた。


「……教官である私が、特定の生徒を贔屓するようなことはできないわ」


 しかし、最終的に出た結論は、色良いものではなかった。

 この結果は僕自身予想していたもの。駄目で元々だったんだ。笑顔を作り、敬礼した。


「不躾なお願いをして申し訳ありませんでした。学校での訓練も、ぜひよろしくお願いします」

「ええ。もちろん」


 とはいえ気まずい。早く立ち去ろう。

 背を向け、大聖堂から退出しようと扉に手を掛ける。


「でも……そうね。朝だけは、私も私人であるかもしれないわ」


 扉を開ける直前、中佐は独り言のように呟いた。


「コーサカ中佐?」


 期待半分、疑惑半分で振り返ると、中佐は笑顔で僕に手を差し出していた。


 その瞬間、喜びに飛び上がりそうだった。

 冷静に考えなくても、一学生であり、数回しか会話したこともない僕に個人で訓練をつけてくれる理由がわからない。

 けれど、伊達でも酔狂でもなんでもいい。この経験はあまりにも貴重だ。


「君、格闘戦が得意だって?なら、そこから磨いていきましょうか。他は授業の成績を見て、といった感じね。でも、明日から。今日はもう学校に行く時間だから」


 教官は生徒より早く学校に到着しなければならない。そろそろ出ねば間に合わない時間であった。


「中佐!ありがとうございます!」

「その代わり容赦はしない。あと、他の人には言わないこと。いい?」

「了解です!」


 そう言って中佐は教会を後にした。その後ろ姿が扉の向こうに消えるまで、僕は敬礼を続けた。




 ***




 それからの日々は、目紛しく過ぎていった。

 朝の訓練初日、格闘戦で僕はナイフ所持というハンデを貰ってなお、十秒と保たず地面に組み伏せられ、プライドを粉々に砕かれることから始まった。

 相手はけが人であるにも関わらず、だ。


「お前、朝早く出て何しているんだ?」

「いや、ちょっと内緒で」

「な、内緒か……」


 叔父さんに微妙な顔をされたりもしたが、日課になっていくうちにそれも薄れていく。


「タチバナ!基礎体力を軽んじているようでは強い兵士になどなれないぞ!」


 早朝訓練の内容は日に日に変化していく。最初期は格闘訓練以前に体力がないということで、毎日10キロのランニングをタイムトライアル形式で行い、その後筋力補強となった。


 容赦ないハードな訓練によって学校の授業、特に座学では睡魔に襲われ、教官からの鉄拳を喰らうこともしばしばあった。

 この期間も中佐の気が向いた時は格闘戦をすることもあったが、その度に僕はサンドバッグレベルでボコボコにされた。

 楽しそうに僕を殴る彼女は、実は内心ストレス発散くらいに思っているのではないかと疑問に思ったものだ。




 ――――四ヶ月目。


「タチバナ君、この成績はどういうことかしら?」

「いや、それはその……」


 まぁ、あれだ。そんな日々が続けば、座学の試験は当然危うくなるわけで。

 気づけば平均くらいだった座学の成績は下から二番目にまで落ちていた。

 訓練は僕自身が頼み、行われているもの。体力的にきつすぎて、なんて口が裂けても言えない。


「座学はこれから個人戦だけでなく、集団で動く際にも非常に重要になってくるもの。甘く見ることは許されない!よって、今日から毎日勉強!座学で学年一位を取るまでは格闘訓練はなし!」

「そ、そんな!?」

「さぁ、ペンとノートを出しなさい!どの教科でも完璧になるまで教えてあげるわ!」


 こうしてほとんどの時間を座学の勉強に費やすこととなった。




 ――――八ヶ月目。


「取りました!取りましたよ学年一位!」

「やったじゃない!やっぱりやればできる子ねぇ!」

「いやぁ、それほどでも……」

「じゃあ今日からはもう一度筋トレのやり直し……」

「え……」

「冗談よ。学年末まで成績を落とさないこと。今日からは格闘訓練を本格的に始めるわ。学んだ知識を活かせる点も多いはずだからね」

「は、はい!」


 それからは格闘訓練を中心に据えたメニューをこなす日々が始まった。

 すると、僕の戦闘技術は相手の身体構造を知ったことによって戦術の幅が広がり、着実に高まっていたことに気づく。

 座学もまた、大事なのだと思い知らされた。




 ――――一年目。


「ランデ、進級おめでとう」

「中佐のおかげです!」

「今年から飛行訓練が本格化していくわ。それに伴って射撃の腕が求められるようになっていく。よって、今日からは銃の扱いを中心に訓練していくわよ」

「了解です!」


 拳銃の扱い方。銃弾の軌道を正確に理解し、狙った的に当てる訓練だった。

 中佐はどこから持って来たのか、様々な種類の銃を僕に貸し与え、実際に人気のない場所で射撃訓練を行わせてくれた。

 その成果は着実に現れ、戦闘機での実習でも、狙撃力が高いと高評価を受けることができた。




 ――――一年四ヶ月目。


 僕の体格は随分としっかりしてきて、成績もかなり上位の方になることができた。

 学校内だけでなく、第一、第二士官学校にも僕の噂が流れてる、なんてユイが教えてくれたっけ。


 僕が彼女に八つ当たりしてしまった後は大変だった。

 奏士なんてやめるって泣きわめいたり、僕を見ると逃げ出したりと、その原因でもある僕が言うのもなんだが子供みたいな態度を取られたものだ。

 なんとか誠意を尽くして謝った結果、なんとか奏士として頑張る気になってもらえ、仲直りもできた。

 今ではそれなりの成績を残しているらしい。っと、そんな話は今はいいか。


「シエルさん」

「んー?あ、ここだけならいいけど、別のところで言ったらとんでもなく怒られるから注意ね」

「ここで中佐って呼ぶとちょっと不機嫌になるじゃないですか……」

「あ?」

「いえ、なんでもありません」


 力関係は、当たり前だが何も変わらない。

 それでも今回は僕にだって言いたいことがある。


「シエルさんも昨日学校で会った時、ランデ〜ってにこやかに声をかけてくるもんだから、カナタやケンタに色々言われたんですよ?いつの間に仲良くなったんだって。ユイに至ってはなぜか一日中機嫌が悪かったし」

「いや、それは……申し訳ないわね」

「そ、そんな落ち込まないでくださいよ……」


 小さくなってしまったシエルを慌ててフォローする。なんだかんだいって師弟関係は良好だ。


「それはともかく、今日は一つ言っておきたいことがあったんです」

「何かしら?」


 意を決して息を吸い、告げる。


「これから僕は、授業で手を抜いていこうと思います」

「は?」

「いや、すみません。でもその、睨まないで……」


 中佐は露骨に不機嫌そうな顔をしている。

 昔だったら震え上がっていただろう眼力だが、彼女の性格を理解した今となってはなんだか少し愛らしさすら覚える。

 なんて、そんなことを思い浮かべながら浮かべた微笑みは明らかに逆効果だったようで、目つきがさらにきつくなってしまった。


「で、なんで手を抜くの?意味は?」

「それは、シエルさんと僕のこの特訓を隠すためです」

「隠すって、一年以上隠して来たじゃない」

「昨日のこともそうですけど、最近シエルさん、僕が好成績を出す度に機嫌が良くなってるって、噂になってるんです」

「……そんなことないわよ?」

「疑問形だし。一週間前に叔父さんが、中佐と仲が良いのか?なんて聞いてきましたよ」

「う……」

「それに、隠せる爪は隠しておいて良いかもしれません。目立ちすぎるのはあまり良くないと思ったんです」

「まぁ、わかったわ。私が悪いんだものね」

「悪いだなんて……とても感謝しています」


 それどころか、僕は彼女が笑顔になってくれるから、辛い訓練も乗り越えてこれたのだ。

 けれど、その成果を見せしめる以上に、この特訓が公然のものとなることが嫌だった。

 中佐が憮然としていれば良いだけなのだが、この一年と数ヶ月で、彼女は嘘がつけない人物だということくらいは理解していたつもりだ。

 ならば、自分が隠すしかない。

 学校で得られる程度の名誉を犠牲にすることなど、痛くもなんともなかったのだ。


「ですがこれからの訓練、一層精進いたします!」

「ふぅん。まぁいいわ。ならその意気、試させてもらいましょうか」


 中佐は構える。まだ移動もせず大聖堂の中だったが、やるつもりらしい。


「今日なら、なぜか勝てる気がします」

「無理よ。私、英雄なんだから」


 まぁ結果いつも通りのサンドバッグっぷりを発揮して敗北したわけだが。

 僕は確かにいつもより調子が良かったが、中佐もそれ以上に調子が良かったのだ。




 ――――二年六ヶ月目


 すっかり髪が長くなり、後ろで一つに結んだシエルさ……中佐は、昔から何も変わらない大聖堂の中で書類を読んでいる。


「ランデ、戦闘機での格闘訓練、一位なんだって?」

「こればっかりは手抜きできませんからね。手が勝手に動いてしまうんです」

「へぇ。じゃあ卒業式の日、私と模擬戦しましょうか」

「え?しかしお怪我は……」

「一年経った頃にはほぼ治っていたのよ。けどせっかく持った生徒たちだから、もう少し教官をやらせてくれって私が頼んだの」

「シエルさん……!」


 いたずらっぽく笑う中佐に、胸が締め付けられるような錯覚を覚えた。

 あと数ヶ月もしたら自分は新兵で、こうして二人で訓練することもなくなってしまう。その寂しさなのだろうか。


「だからその代わりに、今日で早朝訓練はおしまい」

「え?」


 だが、こうして悲しむ間すら与えず、終わりは唐突に訪れた。

 僕は驚きに目を見開き、中佐の表情を伺う。冗談、というわけではなさそうだ。


「まだ極秘だからなんとも言えないけど、大規模な作戦に私も参加することになったの。その会議やら何やらでこれから一気に忙しくなる。学校での教官も、あまりできなくなるかな」

 彼女は英雄であり、中佐だ。作戦立案に参加することもあるだろう。それは、きっと栄誉なことだ。頭では納得できるが、本心ではそれが嫌だった。


「本当、中途半端でごめんなさい……私は、良い教官ではなかったわね」

「そんなことありません!」


 寂しそうに呟かれた中佐の言葉を、全力で否定した。


「中佐と過ごしたこの期間は、私にとって非常に有意義で、かけがえのないものとなりました!」

「ランデ……」


 この約二年間は、奇跡のような日々だったのだ。

 思わず涙がこぼれそうになる。


「私が新兵になった暁には、必ずや中佐の……っ!」


 だが、そこまで言ったところで彼の言葉は途切れる。シエルがランデの唇に人差し指を添え、その先を封じたのだ。


「そういうのは、卒業してから言いなさい。ね?」


 中佐は少しだけ潤んだ瞳で僕を見て、やっぱり優しく笑った。

 そしてその日、最後の格闘訓練をした。だが、これで最後であるという悲しみが心に引っかかり、全力が出せないままに打ちのめされ、気づけば地面に突っ伏していた。


「まだまだね?」


 それ以降、僕が中佐の顔を見ることはなかった。

 極秘任務の指令側に回ったということは容易に想像がつく。

 人類との大きな戦いが、また始まろうとしているのだ。そう思えば、僕も残りの期間を一人で頑張れた。

 中佐が教えてくれたことを反芻し、自分を高めていく。


 そうして卒業する時には、成績はそこまでではないものの、実力としては兵士の中で突出した力を得ることができた……と思う。

 しかし結局、模擬戦をするという最後の約束は、終ぞ果たされることはなかった。




 ***




 ――――二年と、十一ヶ月と、少し。


 奇しくも訓練初日、僕がナイフを持って挑んだ格闘戦と同じ状況が展開されている。

 しかし、僕の目の前にいるのは自分を励まし、育ててくれた師ではない。


 殺すべき、叛逆者だった。


 ギィン、と言う金属音が、地下空間に鳴り響いた。


 少し遅れて、人が土に倒れ込む独特な音と、土埃が舞う。

 僕は爪を躱し、飛び上がると機械獣の背部を駆け、コーサカを掴み、地面に叩きつけた。

 追撃する僕に向けて構えた拳銃を剣で弾き、追い込んだ。つまり。


「まさか、ここで初めての黒星を貰うなんて。毎日神様にお祈りした甲斐がないってものね」


 勝ったのは、僕だった。

 師の首に、剣を突きつける。

 殺す。

 偉大なる叔父の命令に従い、この夢見がちな平和主義者を、この宇宙から永久に葬るのだ。


 瞳を閉じたコーサカに向かい、剣を振り上げる。




 ――――ランデ、次はどんな訓練にしようか?




「うっ……ぅぁ……っ!!」


 しかし、振り上げた剣がコーサカの首元を切り裂くことはなかった。

 震える手では、剣すら握れない。

 その瞬間気づいてしまったのだ。


 僕は、彼女を――――。

 。

「この……この、馬鹿がっ!!」


 コーサカは僕を思い切り蹴り飛ばす。同時に機械獣が再起動し、シエルの横に立った。


「君の芯は……一番価値のあるモノは一体、なんだったの?」

「ま、待て……」


 コーサカは僕を階段に放り込み、扉を閉めた。

 

 薄れ行く意識の中で、小さな扉越しに、"一番価値のあるモノ"が機械獣に乗り込んでいく姿を眺める。


 その長くて綺麗な髪も、蒼い瞳も、大好きだった。

 けれど、そんなに辛そうな泣き顔は、一度だって見たことがなかった。

 機械獣が轟音を立てる。彼女のいた地面は割れ、そこには宇宙が広がっていた。教会が作った非常用の脱出口か何かだったのだろう。


 そうして、シエル・コーサカは、宇宙空間へと飛翔していった。


 残されたのは、無力な少年ただ一人。

 それ以外には、何も残らなかった。

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