第10話 後付けの意味
何時間経ったのだろう。
僕がが目を覚ました時、既に人工太陽が街を照らしていた。
既にクレアはいない。聖堂内に気配はないし、外に出たと言うことか。それなら起こしてくれればよかったのに。
「はぁ……」
どこか、寂しさを感じた。
昨夜感じた安心感が恋しい。相手の見た目は幼いが、年齢は僕と同年代のはず。
そう考えると、随分と恥ずかしいことをしてしまったような気もする。
すると、大聖堂の扉が開いた。
クレアが帰ってきたのかと思い顔を上げたが、そこには予想外の人物が立っていた。
「……君は、ランデ・タチバナ候補生?」
「コーサカ中佐!?あっ、その……おはようございます」
慌てて佇まいを正し、敬礼した。
それを見て彼女は苦笑し、手を横に仰ぐ。崩せという意味である。言われた通り、僕は敬礼を解いた。
「いいのよ、今はまだ授業開始時間でもないし」
歩き、女神像の前に膝を折った。
「ここでの早朝礼拝は、私の日課なの」
「日課、ですか」
「ええ。神様って大事なものよ。特に軍人にはね」
微笑む中佐は、昨日講義をしていた硬派な印象とは打って変わり、柔和な雰囲気を漂わせていた。
彼女は目を閉じ、何かを祈る。
地位も、栄誉も手にしていながら、神に祈ってまで欲しいものとはなんなのか。
しばらくすると中佐は顔を上げ、立ち上がる。
「変かしら?私が神様にお祈りだなんて」
「いえ、そんなこと……」
「いいの、よく言われるわ」
自嘲気味に言う。そんな姿は少女のように可憐で、綺麗だった。
「まぁ確かに、中佐ほどともなれば神に縋るまでもなく勝利を勝ち取り続けられるのではないかとも思いました」
「ふふ、、そうでもないわ。結局何もしてないもの。ただ目の前にあることから逃げ続けていたら、たまたま英雄なんて言われるようになっただけ。それまでの私がなんて呼ばれていたか知っている?」
「……存じ上げません」
「臆病者のシエル。そうやって同期からはよく馬鹿にされていたわ」
「そんなことを言う者が……」
「でも、私の初戦の話は知ってるでしょう?」
確かに、中佐の初戦の話は有名だ。
英雄と呼ばれるようになったことで、民間にまでその話が出回るようになってしまっている。
ただ、なんと答えればいいのやら。
「ふふ、そんな困った顔しないで。事実なんだから。それに、本当は初戦だけじゃない」
「え?」
「私、これまで一機も人類を落としたことはないし、私がやってきたことは基本撹乱程度のことだったわ。実家の力と、最近の功績が大きすぎたからなんとか誤魔化せてきたけどね」
それは、知らなかった。これまで彼女は敵を一機も落とさずに何度も死線を超えてきたと言うのか。
「すごいですね」
「え?」
今度は中佐の方が驚いた顔をした。あれ、何かおかしなことを言ったかな。
「だって、それってすごい回避技術ですよね?殺すか殺されるかの世界でそんなことができる奏士なんて他にいないんじゃないですか?」
「あぁ……そういう見方もできるのか。けど、どうなの?あなた、人類が憎いんじゃないの?」
「憎い、か……」
僕は、このことを何度も問い直してきた。結論は出ている。
「憎いですよ。許せない。僕の大事なものを全部壊していくあの種族を、許せるわけがない」
「……そう、よね」
中佐はなぜか一瞬悲しそうな顔をした。
「けれど、殺すことが偉いわけじゃない。僕は……心の在り様だと思うんです」
「心の……?」
「なぜ人類を倒さなければならないのか。なぜ、故郷を奪還しなくてはならないのか。その軸がしっかりと存在することが、僕は大事だと考えているんです。まぁ、これは受け売りなんですけど」
「……素敵な考えね」
「はい。叔父さんの……あ、いいえ、シドウ・タチバナ大佐の教えです」
「大佐の。なるほど、深く沁みる言葉ね」
「はい。僕の憧れだったんです」
「……だった?」
「僕は、奏士には慣れませんでしたから」
「あ……」
しまった、と言う顔。本当に想像とは違って表情豊かな人だ。
「た、タチバナ訓練兵は、どの兵科を選択するの?」
話題を切り替えるように中佐は笑顔を向けた。
いや、別に切り替わっていないが、前向きな話題にしようとしてくれたのだろう。
「どうすればいいのか、わからなくなってしまいました。
僕は昨日まで立派な奏士になろうって。大佐に追いつきたい、肩を並べて戦いたいって思いで生きてきたんです。
でも、僕の調和レベルは全然足りなかった。足りないどころじゃない。史上最低とまで言われたんです。流石に堪えてしまって、恥ずかしくて。これから何を目標にしていけばいいのかわからなくなってしまったんです」
「それで、家に帰れずにここで寝てたの?」
「は、はは……お恥ずかしいです」
「そんなことないよ」
中佐は椅子に腰掛け、優しい眼差しを向けてきた。その瞳に、嘘は感じられない。それはきっと、調和して心の内を覗いても変わらないだろう。
「私にも、身内に憧れている人がいたの。その人に恥じないように努力してきたんだけど、ある出来事があって、夢とか目標とか、全部消えちゃった時があった。だから、私と君って、ちょっと似ているのかも」
「中佐にも?その時はどうしたのですか?」
思わず食い気味で聞いてしまった。失礼だったが、中佐は気にせず話してくれた。
「うん。その時の私は……酷く、落ち込んだ。食事も喉を通らなくて、何度眠れない夜を過ごしたかわからない。けれどそうして落ち込んで、自分が生きている理由を考え続けたら、答えが出た」
「その答えとは……?」
「答えなんて、ないのよ」
「な……い……?」
「そう。生きてる意味なんてわからない。全部終わった後に、こんな人だったなって意味が生まれると思う。だから、答えなんて分かるはずがないの」
「そ、それを言ったら……」
おしまいじゃないか、と言う言葉はなんとか飲み込んだ。いや、ここまで言ってしまえば手遅れなんだが。
「だから、生きてみるの。進めるところまで進んでみるの。そしたら、何かあるかもしれない。何もなくても、何もなかったって言う結果は得られるでしょ?それってきっと意味あることなのよ」
「すごく前向きな考えですね……」
「どこにいたって戦争ばっかなんだから、前向きすぎるくらいじゃなきゃやってらんないの」
中佐は立ち上がり、背伸びをする。
「進む先すらわからないなら、考えるの。あなたにとって何よりも大切な、価値あるものって、何かしら?あなたはきっと、既にそれを持っているはずよ」
今朝の話はみんなに内緒ね、とだけ言い残し、中佐は教会を後にした。
いたずらっぽいそんな笑顔にも、大人っぽい態度にも、どきっとさせられてばかりな時間だった。
「大事なもの。そんなこと、分かりきってる」
そうだ。奏士になることは、確かに夢ではあったけれど、一番ではない。
本当の望みは、そんなものではなかった。
今も思い出す、エルツの大地。草原を笑顔で駆ける子供達。
誰も失わずに、エルツへに還りたかったんだ。
***
――――翌日。
「おはようございます、コーサカ中佐」
「え?ああ、タチバナ訓練兵。また朝早くからこんなところにどうしたの?」
僕は、再び教会に赴いた。
日課と言うだけあって本当に現れた中佐は、女神像の前で手を合わせ祈りを始めた。
終えると、僕を見つめる。
「兵科は決まった?」
「はい。兵士科に進むことに決めました。中佐のおかげで、思い出したんです。叔父に追いつきたい、奏士になりたいって想いは確かにあったけど、それは目的じゃなかった。
僕は、僕の家族と一緒にエルツへ戻りたい。みんなを守る盾になって、星を取り返す剣になる。それには奏士であろうと兵士であろうと技師であろうと、変わることはないって思ったんです」
「へぇ……じゃあ、どうして兵士だったの?」
「格闘戦には自信があったので……それに、座学はあまり得意じゃないんです」
「入試の時は結構高得点だったじゃない」
「え?どうして知っているのですか?」
「ちょっと目に入ったのよ。それで、ここに来たのはそれを報告するため?」
「いえ、それもそうなのですが……折り入って、お願いがあるのです」
「お願い?」
一瞬逡巡する。
いや、ダメで元々だ。男ランデ、ここで決める!
晴れた日だ。兵科別の授業がいよいよ開始する、訓練兵にとっては、大きな一歩となる日。
「僕と、付き合ってください!!!!」
「…………は?」
そして、僕と中佐が始まった日でもある。
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