第7話 英雄と呼ばれた女


 ――――四年前。


 第一次エルツ戦役がサーレの敗北によって終結し、セイレーン内は陰鬱とした空気で満ちていた。

 もう二度と故郷には戻れないのではないかという不安。

 そんな大人の雰囲気は子供にも伝播し、サーレは全体的に活気を失っていた。


 そのような時期に、僕は士官学校の入学式を迎えた。

 だが、家からそのまま学校には向かわず、隣にある孤児院に顔を出した。

 雨の、日だった。


「メイス、ごめん。僕そろそろ行かないと」

「やだ」


 覚悟を決めるために来たはいいが、可愛い足止めを受けてしまった。

 小さな藍色の髪の少女、メイスに足を抱かれ、動けないでいたのだ。


「ほらメイス。俺と遊んでよう?な?」


 院長を務めるジンという中年の男は、メイスの頭を撫で、僕から引き離そうとする。


「やだ!!」

「ランデ、行こう。離れれば少しは落ち着くと思うから」


 そう僕に声をかけるのは、同期でありこの孤児院の年長組でもあるユイだ。

 その後ろには苦笑いで僕らを見つめるカナタの姿もある。彼も同じように、この孤児院の年長だ。


「……わかった。ごめんね、メイス」


 ユイに手を引かれ、孤児院を後にした。


 ……メイスの母親は、彼女が生まれてからすぐに病気で他界し、父親は戦役で出兵、殉職が確認されていた。

 その父親は奏士であり、叔父シドウの腹心の部下でもあった。その付き合いで元々面識があり、たまに遊んであげたりしていた。

 両親を亡くしてから叔父が資金提供をしている孤児院に引き取られたはいいが、うまく周りに馴染むことができず、結果度々顔を出すランデに酷く懐くようになっていたのだ。


「僕、絶対に奏士になるよ」


 電車の中で、ポツリと呟いた。

 横に並ぶカナタとユイは、そんな僕を見て、痛ましげに目を伏せた。


 電車を降りると、改札前に中等学校からの友人であるカイト、ケンタ、ケーコが立っていた。入学式前、この六人で集合する約束をしていたのだ。


「どうして上は入学式を今日にするんだろうね。雨だってことは"決まっている"のに」

「全くだよ。あーあ、どこもかしこも敗戦ムードってやつなのかね?湿気ってて嫌になるよ」


 ケンタの疑問にケーコが答え、水溜まりを蹴飛ばした。


「カイト、君はどの兵科に行く予定なんだ?」

「それは適正検査次第だけど、もちろんなれるなら奏士だな。ランデもそうだろう?」

「うん、そのつもり」


 奏士中トップクラスの実績を持つ戦士、シドウを叔父に持つ僕は、これまでずっと奏士への憧れを抱いてきた。

 叔父と肩を並べ、自分と孤児院の子たちの両親の仇を討ち、その生活を守ることこそが、この士官学校に入る最大の理由であるからだ。


 校門に着くと皆とは別れ、指定された位置に整列する。

 白を基調とした、青いラインの入る制服がざっと三〇〇。皆直立不動の姿勢を取り、静かに前方にある台を見つめている。


 やがて定刻を知らせる鐘が鳴り、台の上に勲章をつけた軍人が立った。

 学長、タイガ・ニシナ少将である。


「敬礼!!」


 新入生はガスター少将に向かって敬礼をする。


「直れ!」


 その様を満足げに見届けた学長は、その大きな体躯に見合う太い声で、開式の挨拶を述べる。


「君たちは、覚えているだろうか。

 八年前、人類が我々の故郷を破壊したあの日を。

 多くの同胞の血が流れた。諸君らの中には、両親を無残に殺された者もいるだろう。

 その苦しみを、悔恨を晴らし、母星を奪還せんと挑んだ先の大戦。しかし、我々サーレは敗れた。

 見よ!街の空気を!商人の痩せた顔を!子供らの生気を失った瞳を!!

 人類と我々の間には、未だ埋めることのできぬ力量の差がある!

 そのことに皆、絶望してしまったか。もう、二度と我らのハゼルを取り返すことはできないのか!

 否!!

 なぜなら君たちはここに立っている!

 多くの犠牲を払い、望んだ成果を得られなかった大戦を見てなお、諸君らは人類を討ち倒さんと、この学門を叩いたのだ!

 誇りに思うんだ!君たちは既に戦士だ!

 その決意を忘れず、存分に学び、心身ともに決して砕けぬ強さを持つのだ!」

「敬礼!!」


 短い演説ではあった。

 だが、その言葉はこれより三年に及ぶ訓練を乗り越えねばならぬ新たな士官候補生たちの心に、確かに火を灯したように思える。


 学長が台から降りると、それと入れ替わりになるようにある女性が台の上に登った。


 若く、美しい女性であった。だが使い込まれた様子の軍服と、短く切り揃えられた黒髪から覗く鋭い視線、胸に光る大きな勲章を見て、只者ではないということは誰もが理解するところであった。


「私は奏士大尉……失礼、中佐となった、シエル・コーサカだ」


 式場は一気に騒めいた。一年前、撤退戦の英雄の話は、セイレーン全体に伝えられていることであったからだ。中佐はその様子を見て苦笑した。


「この様子だと私のことを知っている者も多いようだ」


 そう呟くと、自分の左足を露わにした。そこには痛々しいほどに包帯が巻かれ、ギプスがされていることがわかる。


「一年前のプリマ決戦にて、私はかなり大きな負傷を負った。一年間、集中治療室から出ることができず、ずっと意識は朦朧としたままだったほどに、だ。

 そして、ようやくこうして立ち上がり、話せるようになったわけだが、体は数年は使い物になりそうにない。

 そこで、後続を育てるいい機会だとニシナ少将閣下よりお誘いを受け、教官として本学校に赴任することとなった」


 一部から歓声が上がる。英雄の指導を受ける機会に恵まれるなど、誰も予想していなかったのだ。

 僕もまたその中の一人だった。彼女の下鍛錬に励めば、自分はシドウを超える奏士になることができるかもしれない、という期待を感じられたのだ。

 思わず熱くなった視線に気づいたのか、コーサカ中佐は僕を一瞥した。しかしすぐに目を逸らし、一礼すると台を降りた。


 その後恙無く式は進行、閉式となった。


「なぁランデ、あのコーサカ中佐って人、美人だったよなぁ!?」

「うん、そうだね」


 式が終わると、並び順が近いケーコは僕に軽口を叩いてきた。

 他の友人もそんな僕らに集まってくる。


「ねぇ、ランデはさ、あーいう綺麗な感じの女の人が好きなの?」

「ユイまで何を……」

「私も髪短くしようかな」

「ユイは長い方が似合うよ。それに、十分魅力的だよ」

「うっ!?そ、そう。じゃあこのままでいる……」


 ユイは拗ねたように顔を背け、自身の桃色のふわふわした髪を指で弄んだ。

 褒めたのに、なんだか怒っているようにも見えるのはなんでだろう。


「ラ、ランデは天然でそういうこと言うからすごいね」

「ああ。俺には真似できそうにない」


 少し離れた位置でカイトとケンタが話しているが、天然も何も事実を伝えただけだ。おかしいことなんてないだろうに。


「お、噂をすれば」

「ん?」


 カナタは僕の肩に手を置いて校舎の入り口を指差した。


「式は済んだんだから早く帰りなさい!」


 と、たむろしている生徒を叱るコーサカ中佐の姿があった。


「やっぱりああ言うのが好きなんじゃない」

「ユイ、それ以上は重いぞ」

「重っ!?」


 ケーコとユイが何やら言い争っているが、僕の視線は、確かにユイの言う通り中佐に釘付けだった。


 強い意志を感じる瞳に、立派な立ち振る舞い。

 美貌もそうだが、初見にして僕は彼女に好意的な感情を抱いていた。


 雨が止む。


 これが、僕と中佐の……恩師との、最初の出会いだった。

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