赤椿、白い椿と落ちにけり
増田朋美
赤椿、白い椿と落ちにけり
赤椿、白い椿とおちにけり
今日も澤村禎子は落ち込んでいた。息子の太君は相変わらず施設からもどってこない。まだ彼女とは、面会も許されていない状態だった。それでは、いけないと一生懸命育児の本を読んだりして過ごした。
今は、太君がいないので、新聞だけが会話する相手だった。新聞の文芸コーナーを読むのが何よりの楽しみだった。今日の文芸コーナーのテーマは俳句で、川東碧梧桐の句が紹介されており、
「赤椿、白い椿とおちにけり」
と書かれていた。あらやだわあ、と思う。禎子は椿というモノはあまり好きではない。幼いころ、母から聞いたことがある。椿は、縁起の悪い花であり、山茶花の方がよほどいい。なぜかというと、椿は花ごとぼっとりと落ちる。その落ち方が、家が暴落するとか、そういう事にひっかけられて、縁起の悪い花とされるようになったのだというのだ。特に、茶道とか、邦楽とかそういうモノをしているおうちは、椿をことごとく嫌うから気を付けろと。
この俳句も、そういうことをうたったのだろか、と禎子は思った。朱い椿が自分の家で、白い椿は隣の家か。或いは自分の恋人の家か。いずれにしても、単に椿の花が木から落ちたのを描写した俳句ではなく、そういうことをひっくるめて、何かが終わりになったという意味の句であろう。禎子は、そう考えていた。俳句って、本当に大事な事しか書かないので、何十通りも解釈が出来るところがすごいところだ。それをさせる様に書かなければならないので、非常に難しい芸術になるわけだが。今回の句も、それに当てはまる、偉大な俳句だと禎子は思った。
新聞の次のページをめくってみると、今度は、裁判の予定が書かれていた。何だか俳句から裁判に頭を切り替えなければいけないというのが一寸嫌だと思ったが、その裁判の内容が興味深いモノであった。それは、傍聴人の募集であったが、今回の裁判は刑事裁判で、知的障害のある息子を餓死させた母親の初公判というモノであった。禎子は、何となくそれに興味をもった。自分は子どもに会わせて貰えなくてこんなにもくるしんでいる。でも、この人は、息子が邪魔になって殺したのだ。しかも、おそらく息子さんもくるしんだであろう、餓死という一番辛い方法で。
禎子はそこに書いてあった、問い合わせ先に連絡した。たいしてニュースになるような刑事事件ではないので、傍聴券はすぐに貰えると言われた。
当日、禎子はバスを乗り継いで、裁判所に向かった。確かに、問い合わせた通り、傍聴券を求める客は五人くらいしか居なかった。確かにこの事件は以前から虐待があったという訳でもなさそうだし
、テレビをおおきく騒がせたような事件でもないので、興味を持った人も少ないのだろう。禎子は簡単に傍聴券を手に入れ、すぐに、法廷へはいらせてもらうことが出来た。
被告人は、吉村文といった。検察側や弁護側が読み上げる書状によれば、文はたいへんなお嬢様で、知的障害のある子どもを育てる方法をまるで知らなかったという。それなら、どこかで勉強をすれば良かったのではないかと検察側が被告人を追及すると、被告人は弁護士の援助も受けながら、余りにも恥ずかしくて、そのようなことをする余裕がなかったとこたえた。
「では、被告人は、息子さんに対する愛情がなかったとお考えですか?長年、息子さんに接していて、少しでも良くしてやろうとかそういう考えは思いつかなかったのですか?」
検察官が彼女に聞くと、
「ええ、愛情がなかった訳ではありません。でも、私は、もう万引きを繰り返し続ける慎吾に対し、いくら叱っても、覚えてくれなかったので、もう生かしておけないと思ったのです。」
と、彼女は答えた。
「これでお分かりのとおり、被告人は、息子を邪魔だと思っていたのです。息子が居なくなれば、また普通の人生を送ることが出来るとでも考えていたのでしょう。」
検察官がそういうと、弁護士は一寸待ってください、と言って、
「しかし、被告人は夫の死後、慎吾さんの世話のおかげで、仕事をすることが出来ず、一日中家に居なければならなかった。慎吾さんをいつも監視していなければならないという重荷のおかげで、彼女は精神耗弱状態にあったのではないかと思われます。」
と意見を述べた。
一体この人は何を考えているのだろう。と禎子は思った。それでは、本当に身勝手じゃないの。慎吾さんを産んだ時のくるしみとか、生まれた後の感動とかそういう事は覚えていなかったのかしら。慎吾さんの顔を初めて見て、この子のためなら、何でもしようとか、そういう事は思わなかったのかしら。
「私は、知りませんでした。慎吾をどうやって育てればいいか、ただ、万引きして食べ物を持ってくる慎吾に、それでは、どうしたらいいのかを教えてやることもできませんでした。慎吾と二人で、持ち主さんのお宅へ謝りに行って知らないうちに、慎吾を、殺してやろうという気持が芽生えてきたのかもしれません。」
知らなかった?それどういう事だ。もし、何かあったら、育児の本でも読んで勉強するのが先ではないだろうか?其れか、講座に行って勉強するとか、知り合いで育児経験のある人に教えてもらうとか。
「本当にわからなかったんです。私は、幼い時から、母や父にこうすればよい、ああすれば良いといわれて、その通りにするしかしてこなかったんですから。」
「つまり、自分で考えて判断したという経験が少なかった訳だね。」
と、弁護士が言った。
「ま、まあ、何て言ういけない人なんでしょ!おやに甘えっぱなしで育って自分が育児をしようとなったら、何もわからないで片付けて、それで挙句の果てに子どもが邪魔になって殺したなんてね!そんなの、簡単に落ちてしまう椿の花と一緒よ!あなたなんか、徹底的に慎吾さんを殺した報いを受けるがいいわ!」
何時のまに、禎子はそんなことを怒鳴っていた。そう怒鳴って、自分もハッとする。太は、自分のことをどう思っているだろうか。器用に育児をしてくれない、ダメな母親と思っているだろうか。
そうなると、自分も、彼女と対して、変わらないという事を知ったのだ。私も、太を育てられない。でも、私は少なくとも、太を邪魔だとは思った事は一度もないわ。太を、私の元へ返してほしいと心から望んでいるの。戻って来たら、うんとわがままをさせてあげるつもりだから。
「静粛に!」
と裁判長が言ったので禎子は、ごめんなさいと言って、それ以上いわないように口をつぐんだ。
「あなたは、もう一回聞きますが、慎吾さんへの愛情は本当になかったんですか?」
と、弁護士がそう文に聞く。
「今あそこの方がいわれた通り、育児をするというのは、ただわからないではすみません。わからないなら、何か助けを求めるなりしないと。なぜあなたはそれをしなかったんですか?」
「ごめんなさい、私は本当にわからなくて。慎吾をどうやって育てていけばいいか、本当にわからなかったんです!」
と、被告人席に立ったまま、文はしずかに泣きはらすのだった。
禎子は、もう、彼女は取り返しの付かないことをしてしまったのは確かだが、同時に自分も何とかしなければと思ったのだ。自分が、赤い椿と一緒に落ちていく白い椿とならないために。
そのまま裁判は刻々と続いたが、禎子は、もうこの裁判は見ない事に決めた。ああいう風に、わからないとしか主張できない若い女性のような生き方は、私はしたくない。禎子はそう誓ったのだった。
赤椿、白い椿と落ちにけり 増田朋美 @masubuchi4996
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