初等部編

第6話 最初の逆行

 なに? え? 一体どう言う事?

 

 頭が混乱する。自分はさっきまで、学園のパーティー会場にいたのに。今いるのは、どう見ても自分の部屋だった。部屋の中には、派手な家具が置かれていて。家具の表面には、ノワール学園の校章が刻まれていた。

 

 ベッドの中から出て、部屋の中を歩き出す。その感触を確かめるように、ゆっくりと。窓の前で足を止めた時は(目線が何故か、低く感じられた)窓越しから外の景色を眺めた。美しい光。木の枝に留まった小鳥にも、その光が静かに当たっていた。

 

 ネフテリアはその光景をしばらく見ていたが、先程の疑問がふと蘇ると、窓の前から離れて、ベッドの上にそっと腰掛けた。


「これは」


 から続く予想は、大きく分けて三つしかなかった。一つ目は、文字通りの天国。周りの風景から考えても(かなり静かだった)、その可能性は充分に考えられた。二つ目は……考えたくはないが、地獄。自分は生前、あんなのは誰もが普通にやっている事だが、あらゆる悪事をやって来た。

 自分の仲間を使って一人の人間を虐めたり、友人がいない所でその友人の悪口を言い合ったり。たまに開かれるお茶会では、一人の少女を否定……彼女が嫌がる事を平然とやったりした。


 「チッ」と、それらの記憶に舌打ちする。人間としては確かに悪い事かも知れないが、そんな事を言っていては生き残れない。周りの貴族達(特に女子達)は、自分と同じような人間なのだ。それに一種の上関係があるだけで。下になれば、今度は自分がやられるのだ。「恰好の獲物を見つけた」とばかりに。エルス王子を手に入れるためには、それだけの手間が必要だった。


 エルス王子は、女子生徒達の憧れ。それを独り占めしたら、どんな報復が待っているか分からない。報復を防ぐ最高の手段は、周りに自分の恐ろしさを知らしめる事だった。それさえ上手くいけば(度胸がある人は別だが)、大概は王子の下から離れてしまう。それこそ、悪魔の報復を恐れるあまりに。人間は目先の欲望よりも、保身の方が大事なのである。


 ネフテリアはそんな事を思いながら、憂鬱な顔で三つ目の可能性を考えた。三つ目の可能性は……これが一番あり得ない事だが、時間が巻き戻っている。少なくても、自分が殺される前に。自分の胸に触れて(何だか少し、幼い感じだ)伝わってきた感触は、刺される前と何ら変わらない感触だった。


 その感触に胸を痛め、胸の表面からそっと手を退ける。

 ネフテリアはベッドの上から腰を上げると、部屋の中をしばらく歩いて、これからの事をじっくり考えはじめた。


「ここが何処であるにしろ」


 自分は、この世界で生きて行くしかない。元の世界(若しくは時間)に戻ればまた、あの悲劇を繰り返してしまう。「最愛の人に刺される」と言う悲劇を。

 平民の女に男を奪われる未来は……認めたくはないが、受け止めざるを得なかった。「彼女の恋路を邪魔すれば、また最愛の王子に命を奪われてしまう」と。だが……。

 

 ネフテリアは「それ」に絶望しつつも、真っ直ぐな顔で両目の涙を拭った。


「それでも、認めたくない」


 彼の事は、やはり諦められなかった。初めて愛した男を、その唇を味わった男を。彼女は、絶対に手放したくなかった。「絶対に手に入れてやる!」


 どんな手を使っても! あの人の代わりは、いないから。


 ネフテリアは自分の気持ちに気合いを入れて……部屋の扉が開かれたのは、その直後だった。扉の向こう側から聞こえる、「お嬢様」の声。その声に驚いて、扉の方に目をやった。


「な、なに」


 を聞かず、ハナウェイが部屋の中に入って来たが、「え?」


 その姿に思わず驚いてしまった。服装の方は燕尾服をきちんと着ているが、その歳はどう見ても10歳くらいだった。


「ど、どうしたの? ハナウェイ、あなた」


「お嬢様?」


 ハナウェイは、その首を不思議そうに傾げた。


「まだ、ご気分が悪いのですか?」


「え?」と驚くネフテリアだったが、すぐに何かを察したらしく、彼に向かって「私、気分が悪くて寝ていたの?」と聞いた。


 彼の答えは、「そうですが?」だった。


「授業中にお倒れになって。最初は、医務室に行こうとしましたが」


「私が渋って、自分の部屋に運ばせた?」


「……はい」


 ネフテリアは、自分の行いに頭痛を感じた。


「何やっているのよ」


「お嬢様」


 ハナウェイは、彼女の手を握った。

 彼の手は温かく、そして、優しさに満ちていた。


「医務室に行きましょう」


「いいえ」と、首を振るネフテリア。「もう、大丈夫だから」


 ネフテリアは、彼の顔を恐る恐る見た。


「ね、ねぇ、ハナウェイ」


「はい?」


「今はその、何年かしら?」


「え?」と、ハサウェイは驚いた。「お忘れになられたのですか?」


「え? ええ、その、最近疲れていて」


「そうですか。今年は、公暦〇〇〇年で御座います」


「公暦〇〇〇年! 本当に〇〇〇年なの?」


「はい、そうで御座いますが。お嬢様?」


 少女の顔が強ばった。


「そんな! それって」


 彼女は改めて、自分の姿を見た。10歳くらいの子供。髪の色や髪型は変わっていないが、その体型はどう見ても10歳の子供だった。


「なっ、なっ」


 ネフテリアは両手で自分の顔を覆い、今の自分に涙を流した。エルス王子が彼女の部屋にやって来たのは、彼女がその音に気づいて顔を上げた時だった。

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