第8話 ”再会”

「…………」


 村に近づいていくたびに、その惨状の規模が理解できた。

 空を広範囲にわたって穢していく黒煙。聞こえてくる罵声と、悲鳴。時折雄叫びも届いてくるが、それが誰のものなのかまではわからなかった。


「…………っ」


 戦の空気に触れ、生唾を飲む。

 手に持った棍棒が、武器ではない、なにかとても頼りないもののように思えた。

 走ったせいではない汗が全身を濡らす。手が、尋常じゃない震えを放っているのに、その時気づいた。


 リオンは、怖じ気づいていた。


(……なんでだ?)


 一度目の戦闘では、もっと違ったはずだ。

 もっと動けたし、もっと気負いなくできていた。そのはずだ。


 だけど、いまは違う。


 重苦しいなにかが、自分を包み込んでいるようだった。

 手足に重りを取り付けているようで、肺に石が詰まっているような、そんな錯覚を引き起こす。


 顔をしかめたリオンに対し、その横を並んで走っていたアレックスが言った。


「……どうする?」

「なにをッ!」

「別に、戦闘に参加しなくても……」

「やるよッ! 参加するッ!」


 少し、息を切らしながらも、きっぱりと。

 リオンは戦闘に参加する意思をアレックスに告げた。


 別に、リオンは人を助けたいだとか、そんな正義の心に目覚めたわけではない。


 ただ、このままアレックスの言葉に甘えて、戦線からなにもせずに離脱したら、確実に自分は自己嫌悪に苛まれる。それが嫌だったのだ。


 できたのに、なにもしなかった。

 その事実を抱えた上で誰かが死んだとかいう話を聞いたら、リオンという人間は確実に自分のせいだと考える。そのことが彼にはわかっていた。


 ゆえに、リオンは一生懸命にやった、という言い訳を作るために、一生懸命にならなければならないのだ。


 そのために、走って、走って、村に駆け込み――


「見えたッ!」

「――――ッ!」


 ――殺されそうになっている村人を見て、さらに加速した。

 鎧を脱ぎ捨てて身軽になった体が、風を抵抗をものともせずに駆け抜けた。


(当たれば死ぬ。一撃で死ぬ。逃げたら終わる――)


「ひぃっ! た、たすけ……!」

『ゲヒャヒャヒャヒャッ!!』


 錆び付いた鉄の剣を村人に向かって振り上げているゴブリン。前の奴らのような甲冑ではなく、チェインメイルを身につけている。

 その剣が振り下ろされようとしている。受け止めるのは棍棒の強度の問題で危険。頭を殴っても、昏倒した拍子に刺さるかもしれない。錆び付いた剣なので、わずかな傷でも大事になりかねない。


 だから――蹴っ飛ばす。


「ォ――ラァッ!!」

『ヘブァッ!?』

「は……?」


 その横っ腹に跳び蹴りをかました。

 ゴブリンは間抜けた声を出してふらつきながらも、倒れることはなかった。

 だが、これで村人の射程外だ。心置きなく棍棒をたたき込めた。


『ゲグッ!?』

「……無事か?」

「あ、ああ……坊主いったい」

「街道を行ってたら、ここの煙が見えたんだ。なにかあったんじゃないかと思ってな」

「た、旅人なのか!? そんななりで?」

「詳しい事情を話している暇はない。聞かせてくれ。いま誰がなにをしている? 戦っている奴はいるのか?」


 もし、いなかったら――この村からタスラムとラッキーは去ってしまったのだろう。そう思いたい。

 だが、その予測はすぐに外れた。


「む、村の中心の酒場にでっけぇ戦士がいて、そいつがゴブリンの大群、一人で食い止めてた! お、俺ァ様子を見てたらそのゴブリンの一体に気づかれちまって……」

「そうか。安全になるまで隠れて待ってろ!」


 リオンはすぐさま身を翻し、村の中心に向かうことにした。

 少し離れた途端、アレックスが後ろから併走してくる。


「どうする?」

「ちょうど良い場所を見つけたから、私はそこから隙を見て狙撃する。指揮官がいたら伝えるから、君はそいつの隙を作ってくれ」

「ああ……?」

「私も魔法が使えるんでね。戦闘特化で、便利なのはないが」

「わかった」


 アレックス、魔法使えたのかよ。と思ったのも一瞬。

 ひとまずアレックスの言葉を信じて、リオンは酒場に直行した。



 ▼  ▼  ▼  ▼



 村の中心。

 大まかな時刻を知らせる鐘が吊してある塔を中心に、円状に存在する広場。広場には何台かの馬車が停まっており、その中にはラッキーとタスラムの馬車があった。少し外装は壊れているが、無事なようだ。


(……他の馬車も、壊れていない?)


 おかしい。

 ここにくるまで通った道にあるものは、破壊されていた。家は燃えていたし、荷車は壊されていた。井戸も崩れていた。

 だが、広場を挟んで向こう側には、なんの被害もなかった。


「……そんなこと考えてる暇はないか」


 村全体に対して感じ取った奇妙な違和感を無視し、ゴブリンが集まっている場所へと向かう。その場所には、応戦しようとしたのか。くわを持った農民や、斧を振りかぶったまま倒れたような体勢の木こりの死体があった。


(…………気持ち悪い)


 改めて感じた戦場の空気に、吐き気を覚えた。また、怖じ気づきそうになる。

 ――逃げクセがついているのだ。戦いからの逃避がクセになっている。走りながら何度も似た感覚を覚えたことで、それが確信に至る。


「…………」


 行かない方が良いのではないか?

 行っても、もう誰も生きていないかもしれない……。


 そんな考えが、ぐるぐると回り始め――



「ああああッ! うざってぇなあこいつら!!」



 一瞬でそれは吹っ飛ばされた。

 タスラムの声だった。


 体が勝手に動き出した。


「……悪い」


 棍棒を捨て、まだ温かい木こりが握っている斧を手に取る。

 しっかりした重みがあるそれを軽く振るい、血を落としてから――


「ォ……ォオオオオオオオオオオオァアアアアアアアアッッ!!!」


 ――突貫した。


 雄叫びに、何匹かがこちらを振り向く。

 つまり、それはタスラムに背を向けたということだ。タスラムからしたら狙いやすい相手になったので、そっちに任せる。


 リオンはタスラムから背を向けなかった何体かを狙い、斧を振るった。


 当然ながら、それは本来の使用用途ではない。

 だが、十年何十年と生き延びた巨大な木々をきるために存在する、その重厚な刃は小さな生き物の肉や、骨の持つ抵抗をもろともしなかった。


『――――!?』


 鎧袖一触がいしゅういっしょく

 首を狙った一撃で、ゴブリンたちはその多数が血だまりに沈んだ。


 タスラムもこちらの意図をくみ取って行動に移したようで、血だまりを作っている。

 斧と大剣にあるリーチの問題で、あっちの方が倒した数は多いようだ。大剣を振ってある程度の血を飛ばし、入り口を守るように構え直している。


(タスラムが防衛、俺が遊撃か……)


 幸いにして、今の一撃でほとんどのゴブリンは士気を失っている。

 撤退するのも時間の問題だろう。


 そして、それをさせまいとする指揮官が――


『ゲギャガヤッ! ギャギャルァォオオオオオオ!! ォ――ッ?』


 ――どさり、と倒れた。

 高所から放たれた矢が、兜を避けるようにして、不自然に曲がってのどに突き刺さったのだ。傍から見てもおかしいとわかるくらいには、奇妙な軌道だった。


 時刻を知らせる鐘が吊されている塔。その一番上を見ると、アレックスが何本かの矢を同時に弓につがえ、放っていた。

 すべて、命中する。ゴブリンの死体が量産。


 それがきっかけだった。


『ゲッ、ゲギャァ――!!』


 仲間を多数殺され、敵に救援が来たことがわかり、指揮官を奪われ……しかも、相手には人知を逸した力を持つ弓兵がいる。

 それによって、恐怖が限界を越えたのだろう。

 ゴブリンたちは、一目散に広場から逃げていった。


 それを見送って――タスラムがリオンに近づいてきた。

 近づいて、近づいて、走って――突進に近い勢いで抱きしめられた。


「うぉおおおおおっ!」

「げふぅっ!?」


 みぞおちに入る一撃。

 故意ではないのがわかっているが、とても痛い。


「生きてやがったかぁ!!」

「あ、ぁあ……そっちも無事だったんだな」

「ああ!」


 まさか、ここまで熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった。

 もちろん、暑苦しいし、戦っていたから汗臭いし、凄まじい腕力で抱きしめられているから痛い。

 だが――悪い気分ではなかった。


 が、それも長くは続かない。

 耳元で声が聞こえたからだ。


『リオンとそこの傭兵。ちょっと聞いてくれ』

「うぉっ!?」

「……アレックスか」

『正解。……悪い知らせがある』

「なにがあったんだ?」


 この時点で、リオンは十中八九予想通りだろうな、と考えていた。

 広場で違和感を持った時から、大方の予想はついていたのだ。

 果たして、予想は当たっていた。



『そこにいた奴らは陽動だ。別働隊が、いま略奪を働いている』

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