第7話 ”落とし物”

「…………」


 焚き火の後始末などを済ませ、出立の準備を整えると、リオンは改めて自分の装備の貧弱さ、荷物の少なさを思い知った。


 なにせ、動きやすい。動きやすすぎる。

 チェインメイルをつけていた時とは動きの勝手が違った。あの時は、損傷を覚悟で正面から向かうことができたが、これからは速度を活かして遮蔽をとり、近づいてから殴る必要があるだろう。


「…………」


 この棍棒で殴ったら、ゴブリンとか、人はどんな感じで死ぬんだろうか。

 なんてことを考えてしまいそうになったので、慌てて思考を切り上げた。なんだか、思考がそっち方面にかたむいてしまっている。


「なんとか切り替えないとな……」

「なにをだい?」

「っ!?」


 慌てて振り返ると、すぐそばに荷物をまとめたアレックスがいた。

 興味深そうに、こちらを見つめている。

 男か女かは未だにわからないが、それでも美しい人にじっと観察されているという事実は、心の水面に波を立てさせた。


「あ、ああ、いや、なんでもない……気分の問題だよ。一気に、装備がなくなったから……」

「…………」


 そう、どもりながら返答する。

 なにも間違ったことは言っていない。気分はたしかに下降気味だ。全財産を差し出して装備を失ったのも、その下降した気分に影響している。

 だけど、アレックスはこちらをのぞき込むようにして、言った。


「本当に?」

「……ああ、本当に」


 その問いかけで、リオンはアレックスに嘘がバレているとわかった。

 だけど、別にバレていてもいいと思った。悩みを話さなければ、なにを抱えているか具体的なことがわからなければ、確信は当てずっぽうと同じなのだ。


(――それに、どうせ帰るし)


 帰ったら、この悩みも消え失せるだろう。

 どうせ短い付き合いだ。自分のなかに抱えているものをぶちまけて、迷惑かけるわけにもいかない。そんなのは相手にも迷惑だろう。


 そう思って、リオンは話を切り替えることにした。


「それで、どっちに進めば良いんだ?」

「…………。ここから南に行けば、街道に出るらしい。そこに沿って進んでいけば、村につくはずだ」

「そうか、わかった……あれ、ならなんでこの川で俺を見つけたんだ?」

「私たちは森を進む方が早いんだよ。それに、私は水辺の空気を胸一杯に吸い込んだり、そのせせらぎに耳を澄ませるのが好きだからね」

「……なるほど」


 そんな、命がけで旅をしている人間には不可解な理由での行動。

 それを聞き、リオンは相手が本当にエルフなのだということを理解した。価値観などが違うのだ。


「じゃあ、ここでお別れ?」

「いや、ついていくっていっただろう? 私一人だけで行ってしまったら……こんななりだからね」


 アレックスは被っているフードをはためかせてから、続ける。


「いらぬ警戒をさせてしまうだろう。そこで見るからに不憫な様子の君がいれば、そこを助けてあげた私について、ある程度は善良さが保証される。少なくとも相手からは、怪しいけど良い奴。って評価になるだろう」

「……本当にちゃっかりしてるな」

「そうでなければ、旅なんて続けてられないさ」


 前にエルフ嫌いの街にいた時なんて大変だった……、なんていう、とてつもなく気になることを呟きながら、まとめた荷物を背負うアレックス。

 未だに彼なのか彼女なのかわからないエルフは言った。


「さ、それじゃあ行こうか」

「ああ……しかし」

「今度はなんだい?」

「いや、俺、本当にエルフと旅をするんだなって思ってさ」

「よく言われる。……そうだな、たしかに私たちが外に出ることは稀だから、自慢話にはなりそうだ」


 そんな会話を交わし、歩きながらリオンは思った。


(……皮肉だな)


 理想の異世界生活を断念し、帰ろうとする旅のなかで、異世界に対して夢見ていた体験をすることになるのだから。



 ▼  ▼  ▼  ▼



 しばらく、ただ歩くだけの時間が続いた。


「ハァ、ハァ、フゥ……!」

「休憩するかい?」


 森のなかを歩く、というのは狩猟でも経験済みだったが……ここは一切、木こりなどの手が入っていない原生林だ。

 歩きづらさが格段に違った。


 あっという間に息をあげ、全身に汗をかいているリオンを前方で待ちながら、アレックスが問いかける。


「ハァ、ハァ……ああ、少し、休憩、する……」

「そうかい。じゃあ、水をそこに置いておくから、ちゃんと飲むんだよ」

「……アレックスは?」

「私は、少しこの付近を調べる。疲労回復に効く木の実とかがないか探してくるよ」

「ああ……ありがとう」

「どういたしまして」


 そう返すと、アレックスはまたたく間に木々の間に紛れ、姿を消した。

 森に溶け込むような色のマントを身につけているのもあるが、純粋に個人としての森を歩く技量もかなりのものなのだろう。いまからアレックスに対して追跡しても、容易に振り切られることを、リオンには理解できた。


「まあ……ふぅ……エルフ相手に森で競うのは無駄、か」


 近くの倒木に腰掛け、一息つきながらそう呟く。

 この言葉を言っていたのは、故郷の村で狩猟をして生計を立てていた狩人だ。かつて師事していた壮年の男で――ある日を境に森から帰ってこなくなった。

 それを機に、リオンも森に立ち入ることはなくなった。


「……懐かしいな」

「なにがだい?」

「うぉっ!?」


 とっさに手に棍棒を持って、声がした方を向く。

 すると、そこにはアレックスが立っていた。手にはなぜか、土で汚れた袋を持っている。なかには、なにか入っているようだった。


「……それなんだ?」

「その前に、棍棒を下ろしてもらいたいんだけど」

「悪い……で、それなに?」

「落とし物だよ」

「……森のなかで?」

「逆に、森のなかでしか拾えないよ、これは。ゴブリンのだからね」

「…………。ゴブリンの?」


 心臓が、嫌な跳ね方をした。

 じっとりと、疲れからではない理由の汗がにじみはじめる。

 また落ちるかもしれない、そう思った。


「中には、木の実が入ってた。おそらく食料だろうね」

「ああ、そうか……俺も食えるのか?」

「もちろん。そうでなければ持ってこないさ。しかも、探していた奴だ。疲労回復の効果がある……一つ食べるかい?」

「……もらう」


 袋から二つ取り出された奇妙な形の実。

 アレックスはそれの皮を手早く剥いたあと、手渡してきた。

 リオンはそれを口に運び…………。


「なんというか……いや、なんでもない」

「微妙な味だよね」

「…………」


 それを食べ終わると、少し体の……丹田といえば良いのか。下っ腹あたりに熱が集まってきた感じがした。頭も働いてくる。

 なるほど、どうやら疲労回復に近い効果はたしかにあるようだ。


「それで……殺したのか?」

「いや、本当に落とし物だよ。足跡を追って、巣の位置も大体つかんだ。おそらくだけど、これを落としたゴブリンは採取班なんだろうね」

「採取班? ゴブリンにそんなのあるのか?」

「大規模な巣なら。そして、その巣を知恵のある個体が率いているのならある」

「…………」


 額を伝った汗が目に入った。

 だから目をつむると、まぶたの裏にゴブリンと戦った時の景色が見えた。


「っ!」


 急いで汗を拭い、目を開く。

 呼吸が少し速まっていた。深呼吸をして落ち着けようとする。

 そして、少しだけ落ち着きを取り戻してから、聞いた。


「巣には、行くのか?」

「……いや、いまは人手も、道具も足りない。村に行くよ」


 そういうと、嫌な動悸が収まったのがわかった。

 あれだけ手綱を握るのに苦労していた呼吸が落ち着き、平静を取り戻す。

 熱くなっていた体が、冷めていくのがわかった。

 体調を持ち直したのだ。


「…………」


 しかし、なぜか。

 リオンには、これが致命的なことである気がしてならなかった。


「……~~~~っ!」

「…………」


 頭をかきむしった後、現実逃避をするように空を見上げる。


 そして、あるものを見た。

 リオンの目が、見開かれる。

 しばらく、認めたくなくて呆然としたあと、リオンは言った。


「……なあ、アレックス」

「なんだい?」

「……さっきのゴブリンのことだけど。採取班がいるってことは、戦闘班もいるってことだよな」

「ああ、いるけどそれが――なにが見えた?」


 リオンの意図を察したのか、顔色を変えたアレックス。

 アレックスの問いかけに、リオンは答えた。


「――煙」

「その方角だと……」

「村があるな。襲われてるかもしれねえ」

「…………」


 アレックスは少し考えた。

 本当に、少しの時間だった。すぐさま身をひるがえす。


「街道へ出てから急行しよう。行けるかい?」

「ああ、疲労回復の実もたんまりあることだしな……!」


 そうして、二人は素早く森を抜け、煙の根元まで向かうことにした。

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