第6話 ”エルフとのふれあい”
心地よい眠りから目覚めると、朝になっていた。
大きく、そして深く息を吸い込むと、冷たく湿った空気が肺に満たされた。朝霧がある。かなり早い時間に起きたようだ。
朝一番の冷たい空気を吸い込むと、目が冴えてきた。
体を動かしたい。湧き上がってきたその衝動に従い、手をグーパー開く。
長い間動かなかったことでわずかに筋肉が硬直しているようだが、それをほぐせば問題なく動けるようだった。
痛みをこらえながら(というのも、昨日よりは格段に楽だったが)体を起こすと、すぐそばでエルフが作業をしているようだった。
(……そういえば、名前を聞いてなかったな)
このまま、エルフエルフと呼ぶのは恩人相手に悪い。
自己紹介の場を取った方が良いだろう――と思いながら立ち上がると、その恩人がすぐさまこちらを振り向いた。
「おや、起きたのかい? 回復が早いね」
「ええ……両親譲りみたいです」
「そうかい。いま、ちょっとウサギを解体しているところなんだ。スープにするから、待っててくれ」
ほら、と言って解体中のウサギを掲げる。
それを見て、赤いのを見て、やけに気分が悪くなった。
(……おかしい)
ウサギの解体は経験したことがあった。
少し気分が悪くなったが、それでも解体してのけた。自分の手で。
だけど、今回はその比ではない。
「…………」
「どうかしたのかい?」
ちょうど、風向きが悪かったのだろう。
血の香りがリオンに届く。
そして――思い出した。
ゴブリンの悲鳴/飛び散る血/突進してくるゴブリン/落ちていく自分/タスラムの雄叫び/水の冷たさ/全身の痛み/肉を断った時の感触/ぴりついた空気/沈む体/苦痛/冷えていく心/自分が、死んでいく感覚
全部、一度に思い出して。
「う、ぷっ」
胃からせり上がってくるものを感じて、リオンは走ってキャンプの片隅まで向かった。木の根元にたどり着く。
そして、吐いた。
「おぇえええええええええぇぇ……!」
だけど、吐くものなんてなかった。
胃のなかはすでに消化されていたのだ。丸一日なにも食っていない。
だけど吐きたかった。体が、心がそれを望んでいた。
「おいおい……大丈夫かい?」
「――――」
心配の色をにじませて問いかけてくる、エルフの声が遠くに聞こえた。
気持ち悪かった。景色が、ぐんにゃりと歪んで見える。
リオンは、自分の症状に心当たりがあった。
(これ……PDTSだっけ、それとも、PTSD?)
たしか、正式名称は心的ストレス障害……だったような気がする。
命の危険が脅かされるような出来事に遭遇した人が、その後に発症する心の病気で、あっちの世界では有名だ。小説なんかにも用いられる。
簡単に言えば、トラウマだ。
▼ ▼ ▼ ▼
「で、起き抜けにいきなり、君は吐いて倒れたわけだけど」
「……すいません」
「いや、そんな真っ青な顔で謝られても……」
吐いて、近くの川の水で口をすすいだ後。
コトコトと煮える小さな鍋の前で、リオンはスープの完成を待っていた。
「ウサギのスープは飲めるかい?」
「飲め、ます。たぶん」
「よし、じゃあ飲もう。こういう時は無理にでも、なにか食べておいた方がいい」
どうやら、調理済みのウサギは大丈夫だったようだ。
美味しそうな匂いがする。香草なんかも使っているのだろうか、食べてみても臭みはほとんどなかった。ウサギ本来の持つ触感で、もちもちしている。鶏肉よりも弾力があった。
食べ終わったあと、ほぅと一息つく。
あのフラッシュバックで失った生命力を、少し取り戻せたような気がした。
改めて、エルフに礼を言う。
「……ありがとうございます。えーっと」
「私の名前ならアレックスだ。君は? あと、敬語はいらない」
「いや、それはさすがに……」
「できないかい? 恩人の頼みに応えることは」
「あー、えっと……俺は、リオン」
「リオンか。良い名前だね」
そう言いながらうんうん、とうなずくアレックス。
感心している様子の彼? に、リオンは気になっていたことを告げた。
「アレックス。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
「俺の装備は……どうなったかわかるか?」
アレックスはきょとん、と。困惑したような――まるで知らないことを訪ねられたような表情を浮かべた。
それでだいたい、わかった。
「全部、ぶっ壊れたのか……装備」
「あ、ああー。なるほど。君、装備つけていたのか。――だったら、幸運だね」
「……それは、どういう?」
「つけてたら、そのまま沈んでたよ。確実に」
「なるほど」
たしかにそうだ。
そう考えると、落下で水面に叩きつけられた衝撃なのかはしらないが――装備が全部消失したのは幸運である、といえるだろう。
「だけど、これから武器なしも防具もなしか……」
「んー。棍棒くらいなら作れるけど」
「……助かる。それは本当に助かる」
原始的であっても、身を守る武器があることは重要だ。
しかし、リオンは再びせり上がってくる吐き気を感じていた。戦闘して、吐かなければいいが……この様子だと、戦闘は極力回避するしかないようだ。確実に吐く。
「じゃあ、私はちょっと木を見繕ってくるよ」
「わかった」
そういって、アレックスは森のなかに入っていく――と思ったら、そう大きな間を空けることもなく、手に木を持って戻ってきた。
さすがエルフ、というべきか。
森での歩き方や、捜し物の仕方は体得しているようだった。
そして、懐からナイフを取り出し、木の皮を剥いだり、持ち手にあたる場所を握りやすいように削ったりと、木を加工していく。
「ああ、そういえば私も君に聞きたいことがあったんだけど」
「なんだ?」
「君はなんで川を流れていたんだい? 装備もしていたようだし」
少し考えた。どこからどこまでを話すべきか。
考えはすぐにまとまった。タスラムの時と同じだ。
日本のこと、本来の目的はしゃべらない。
それで、事のあらましを語ると、アレックスはふぅん、と相づちを打った。
「護衛ともめたあと、その護衛が勤める行商の馬車に相乗りとは、なかなか勇気があるね。あと、運もある。鎧のこともあるし、君は運が良い」
「ああ、それは自分でも思う」
おんぼろ装備にはそのおんぼろさに救われ、タスラムともめたと思ったら、そのタスラムの手で鍛えられることになった。たしかに幸運だ。人の巡り会いに関しては、助けてくれたアレックスのこともある。
リオンがそんなことを考えていると、ふいにアレックスが質問をしてきた。
「それで、なんで魔法使いに会いに行こうと思ったんだい?」
「…………一つ、知りたい魔法があるから」
「使いたい、じゃないんだね」
「ああ、俺じゃない誰かが知っていて、そして使えればそれでいい。その魔法が、自分に対してしか使えない魔法だったら、使いたいに変わるけどな」
「……ふぅん、なるほど」
それから少し間を置いて、アレックスが作業をやめた。
その手には、持ち手ができた棍棒が握られている。
「よし、ちょっと持ってみてくれ」
「わかった」
「握りごこちとかはどうだい?」
「大丈夫。ただ、いつも使ってたのと重さが違うから、慣れる必要があるな」
「まあ、金属製のものと比べたらね」
座っていたのを立ち上がり、少し離れてから棍棒で素振りする。棍棒を振るたびに、風がぶおんぶおんと音を立てた。棍棒での戦い方は知らないが、頭を殴れば――と考えたところで、少し吐き気がした。思考を切り上げる。
「これからどうするんだい」
「魔法使いがいるっていう村に行く。……アレックスは?」
「さあね。基本、目的がない旅路だから」
「…………」
少し考えるそぶりを見せてから、アレックスは言った。
「そうだな、君についていってもいいかい?」
「それは、ありがたいけど……どうして?」
「君と相乗りしていたということは、行商もそこにいるんだろう? その店で消耗品の補充がしたいんだ。君がいれば、話もとんとん進んでいくだろうし……もしかしたら、割引してくれるかもしれないだろう?」
意外とちゃっかりしているんだな、とリオンは思った。
まあ、そうでもないと、旅なんてとても続けていけないのだろう。
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