第5話 "死の淵で"

 全身に痛みがあった。

 鈍い痛みだ。誰かが全身を押しつぶそうと圧をかけているような、そんな痛み。

 しかも、全方向からかけられている。くまなく、痛めつけられている。


 そんな状況で、身じろぎすることもなく、光を見ていた。

 ――光?


(……死んだか? 俺)


 たしか、あの時もこのような光景を見ていたような、そんな気がする。

 それでしばらくしたら、神様が出てきて……願いを叶えてくれたのだ。「ただし、二度目の干渉はない」という条件で。


(また、死んだのか……?)


 なら、今度はどうなる? 俺はどうなる?

 この後は、これからは、どうなってしまうのだ?

 わからないことだらけだった。

 しかし、この現状でただ一つ確信できることがあった。


 ――死んでしまったら、日本には帰れない。


 そう考えると、感覚すらも薄れていた手足に、体に、炎が灯った気がした。


 動け、動けと念じる。意思の波動が力を増し、その意思を駆け巡らせるために、ぼんやりとしていた頭がはっきりしてきたのを感じた。

 それと同時に、激痛も走った。頭も強く打っていたらしい。


(……なんで、あたまうったんだっけ?)


 どうやら、記憶もぐちゃぐちゃになっているようだった。

 あの時、なにが起こったのか。

 それを激痛と、悲鳴をあげる頭をねじ伏せながら思い出す。


(そうだ、俺、崖から落ちて……)


 タスラムは勝てたのだろうか?

 ラッキーは無事なのか? 馬車は壊れていないか?

 結局、あのゴブリンたちはなんだったのだ?


 そんな疑問が頭を過ぎるが、結論に到達する前に頭の痛みがいよいよ限界に達したので、思考を打ち切った。

 生き残るため、現状の把握に努めようとする。


 いま、どうやら自分は空を仰いでいるようだった。

 見える光は、太陽だろう。視界がぼやけているので、確定ではない。


 肌の感覚が戻ってきた。冷たいなにかに浸かっているのがわかる。


 自分はいま、水中にいるらしい。

 沈んでいないということは、チェインメイルなどの装備はすべて砕けたとみて良いだろう。そうでもなければ、意識が覚醒するまえに溺れ死んでいる。


 だが、このままだと、低体温症で死んでしまう。


 水から、出なければならない。

 その意思を、行動に移そうとする。


「……ぁっ、ぐ、ぅ、ぁっ!」


 ゆっくりと、ゆっくりと、体を動かす――ダメだ。流される。

 なら、もっと、強く腕を動かせば――、そう思って行動に移そうとするが、痛みを抱えた人間の体というのは、そう簡単に動くものではないことを思い知る。


 だけど、動かさなければならない。

 そうしなければ、死ぬ。


「あぁ、がぁ……っ、う、ぉ……!」


 生きたい、そう願って体を動かそうとしても、体の方は応えてくれない。

 水面を手で叩き、波紋を生み出すだけだった。


 ――じゃあ、声で誰かに助けを求めるか?


 そう思いもしたが、それは即座に却下された。

 ここがどこかは知らないが、あの崖からそう離れていない場所だとすると、人間の助けより先にゴブリンがやってくるからだ。

 そうすると、完全にトドメを刺される。


「…………ぁ」


 終わりだ。

 もう疑う余地もなく、絶望的な状況だった。


(……死ぬ、のか)


 その事実を意識すると、どこからか熱いものがこみ上げてきた。

 認識すればその熱いものはさらに熱を増し、そして目から涙となってこぼれ落ちた。そして顔を伝い、水面に溶け込んでいった。


 死にたくない、心からそう思った。

 だけど、どうしようもない。


「――――」


 意識が薄れていく。

 手足の感覚が、次第に消えていく。


 心が、体が、冷たい水に溶け込んでいく――


「――――!」


 意識を失う寸前、誰かが必死にこちらに叫んでいたような、そんな気がした。

 幻聴を聞いたのか、本当に話しかける誰かがいたのか。


 わからないまま、リオンは意識を失った。



 ▼  ▼  ▼  ▼



 目が覚めた。

 太陽の光が差し込んできて、まぶしかった。


「……ぁ、う?」


 目を覚ましてすぐに、おかしいと感じた。

 背中に、地面の感触がある。さっきまで水面を漂っていたはずなのに。


 しかも、地面には草が敷き詰められていて、簡易的なベッドになっていた。間違いなく、人が作ったものだ。もし、拾ったのが魔物だったら、ベッドなんて作らずに殺している。

 どうやら、死ぬ前に誰かが拾ってくれたようだった。


 頭もはっきりしている。

 どうやら、かなりの時間休ませてもらっているようだ。


「ッ痛ぅ……!」


 ベッドから起き上がろうとすると、全身に激痛が走った。

 立ち上がろうと、地面に突いた腕が力を失い、体が制御を失う。


「~~~~ッ!?」


 そしてまた、激痛。

 しかも、倒れたことによって変に体勢が固定されてしまっていて、今度は無理に引き伸ばされた関節も、一緒になって痛みを発していた。


「…………ああ、起きたのかい?」


 ふいに、そんな声が届いた。

 誰かが近くに来たのを感じたあと、ひょっこりと、視界に影が差す。


 端的に言葉にするならば、その人物は美しかった。

 詳細なところまで説明すると長くなる。だが、美しいことは間違いない。中性的な容姿をしていて、男だか女だかはわからない。旅装の上から森に溶け込むような色のマントを羽織っており、フードを被っていた。


「起き上がろうとして……体勢を崩したのか。無理して動かない方が良い。だいぶ高いところから落ちたようだからね」

「ぁ……ぃ、がと……」


 うまく動かない口を動かしてそういうと、その人はにっこりと微笑んだ。

 見ていて、安心するような笑みだった。


「どういたしまして」


 その人はしゃがみ込み、そう言いながら自分の体を支えて、草のベッドに寝かしてくれた。

 その時に、その人を至近距離から見て気づいた。


「え、ぅふ……?」

「ん? ……ああ、耳を隠すの忘れてたな」


 まあいいか、と独りごちる。その人物の耳は――とんがっていた。


 エルフ。

 ファンタジー小説のなかでも、ドワーフに並んで著名な種族だ。

 こっちの世界にもいることは知っていた。だが、基本的に俗世間との関わりを断っていると聞いていたため、出会うことは断念していたのだが……。


 と、エルフとの予期せぬ出会いに思いをはせる前に、思い出した。

 このエルフが命の恩人なら、言っておかなければならない。


「ぁ、の……」

「なんだい? 言っておくがエルフの里については――」

「たず、けでくぇて、あぃがと……」

「……ああ、どういたしまして」


 そう言うと、エルフはばつが悪そうにそっぽを向いた。

 手で軽く頭をかきながら、言う。


「君は、寝てなさい。あまりしゃべらず、回復に努めていた方が良い。私は周囲を見回っていることもあるから、起きて誰もいなかったとしても、叫ばないように。魔物に位置がバレる。ここは軽く隠されていて見つかりにくいが、見つからないわけじゃない――良いね?」

「…………」


 言葉を返さず、首を縦に振る。

 エルフにも、このジェスチャーはあるらしい。了承の意を受け取ると、エルフはまぶたの上に手を乗せた。


「おやすみ」

「…………」


 乗せられた手に宿る、ほのかなぬくもりを感じながら目を閉じる。

 とても、とても、心地が良かった。そのぬくもりが体中に行き渡り、未だ残り続ける痛みを癒やしてくれているのがわかった。


 気のせいかもしれない。

 手を乗せたのはただの気休めで、なんの効果もないのかもしれない。


 だけど――いまだけは、信じられた。


 このぬくもりが魔法だということを。

 魔法は本当にあるのだということを、いまだけは。

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