第4話 ”落下”

「おるるぅァッ!!」

「――う、おっ!?」


 大剣が、風を薙ぎながら迫ってきた。

 容赦なく顔面を狙ってくるタスラムの攻撃を、紙一重で避ける――頭を引っ張られる感じがしたため、おそらく髪が数本持って行かれた。


「このッ!」

「甘え!」


 なんとか繰り出した反撃も、籠手こてで弾かれる。

 そのまま、タスラムが足払いをしかけようとしてきたのを、リオンはなにげなく跳躍で回避し――


「だから跳ぶなっつってんだろうがッ!!」

「げふっ」


 ――身動きがとれないところで、みぞおちに拳を叩き込まれた。

 チェインメイルを着ていたため、完全に”入った”わけではないが、それでも人体の急所。痛みがないというわけではない。

 思わず膝を屈したリオン、だが、即座に片手にくくりつけた盾を構える。

 この程度でタスラムは止まらないと、昨日で理解したからだ。


「まだ終わってねえぞ!」


 衝撃。

 予想通り飛んで来た、二度目の拳を受け止める。が――それでも衝撃で、地面を削って後退した。


「――くっ」

「おまけだァッ!!」

「うぉっ!?」


 そこに、さらなる追撃。

 片手で軽々と振るわれた大剣の一撃を、のけぞることで回避。

 目の前すれすれを鉄塊が通り過ぎていく恐怖に、顔を引きつらせる。


 そうして回避したリオンだが――のけぞったのが致命的な隙になった。


「これでっ、しまいだッ!」

「げうっ!?」


 拳骨が、膝を突いたまま回避できないリオンの脳天に叩き込まれた。

 どさりと地面に倒れ込むリオン。一息つくタスラム。


「ふぅ……良い運動になったぜ」

「っ……っ……!」

「おーい、そろそろ出発するぞー」


 そこに焚き火などの後始末を終え、出発準備を整えた行商人がやってきた。

 彼の一声で、タスラムの過酷な稽古は終わりを迎えた。



(なんでこんなことになったんだろう……)


 リオンがそう考えるのは、すでに四度目のことだった。

 一度目は腕試しをされた初日の夜。二度目はその翌日の朝、初めての稽古を終えてからのことだ。三度目はその日の夜。いま……旅に出てから三日目の朝が四度目のことだった。


「…………」

「おい、ガキ。暴れたら落とすからな」


 暴れようにもぴくりとも動けないので安心してほしい。

 そう言おうと思ったが、口はまったく動かない。出来ることと言えば、呼吸を整えることくらいだ。

 全身がまんべんなく疲れ果てていた。


「…………」


 タスラムの稽古は一日二回で、どちらも短時間だった。

 馬車が止まる夜と、寝てから出発するまでの朝しか傭兵の自由時間がないからだ。

 そして、稽古の内容は全力で戦うのみである。


 攻め込んでくるタスラムに、終始押されっぱなしのリオン。

 攻撃するタスラムに、防御して吹っ飛ばされるリオン。

 反撃するリオンに、軽々と対応してのけるタスラム。


 そんなやりとりが、短時間に延々と続く。途中で乱暴な助言がくる。そして、終わった後には精根尽きたリオンを、タスラムが文句を言いながら馬車まで運搬する。

 リオンにとっては地獄としか言いようがない稽古だった。


「よし、ここでいいか」

「……ぐふっ」


 馬車のなかに入ったタスラムが、適当な荷物にリオンをもたれかけさせた。

 かなり乱暴な手つきでもたれかけさせたので、肺から強制的に空気が押し出されて、変な音を出した。


 だが、リオンがそれに文句を言うことはなかった。

 体が休養を求めて、リオンを睡眠に導いたからである。



 ▼  ▼  ▼  ▼



 と、言っても。

 リオンが眠っていたのは、少しの間だった。

 稽古をする少し前まで、睡眠を摂っていたからだ。激しい運動をしたからと言って、起床したすぐ後に熟睡できるわけではない。


 ガラガラと、車輪が立てる硬い音で、岩場を進んでいるとわかった。少し目を開けて外を見ると、馬車は崖沿いの道を進んでいるようだった。岩の天井が見えるため、崖の中腹に道があるらしい。


 半分起きて、半分眠っているような状態だった。

 まどろみのなかを漂っているような、そんな状態のリオンの耳に、タスラムと行商人の会話が届いてきた。


「なあ、タスラム。お前、なんで坊に厳しいんだ?」


 リオンの意識が急速に浮上していったが、それだとタスラムに気取られるため、無理矢理まどろみの状態にまで引き戻す。そして平常心を心がけた。

 ここまでするのは、リオンも行商人の男(どうやらラッキーというらしい)と同じ疑問を抱いていたからだ。


 護衛をしているタスラムは、少し間を置いてから言った。


「……ガキは、嫌いだからでさあ」

「お前、嘘つくのヘタだなあ」

「…………」


 タスラムが黙り込んだ。顔をしかめているのが馬車のなかからでもわかった。

 ラッキーが馬を引きながら、タスラムが話すのを待っているのもなんとなく伝わってきた。

 またしばらく間を置いて、タスラムは大きく息を吐いた。


「だってよぉ、旦那。あいつ、まだガキですぜ?」

「おう、そうだな」

「戦場に立つにゃあ早すぎる。……たしかに、あいつは強い。ガキだったころの俺とは違って、泣き言一つ言わねえ。戦いに向いてないのが、自分でもわかっているのに。……まあ、要するにガキは畑耕してるのがお似合いなんでさあ」

「若いうちから、命を危険にさらす必要はないってか?」

「……そうは言ってませんぜ」

「そう言ってるようなもんだよ。じゃあ、あの稽古も生き残れるように、か」

「…………」

「あー、悪い」

「……別になにも。旦那が謝るこたあ、ありませんぜ」

「いや、本当に悪いって。無理に聞き出しちまってさ」


「……………………」


 リオンは、また寝ることにした。

 起きたらとりあえず、タスラムとの稽古で一撃打ち込む方法を考えよう。

 そう思いながら、睡魔に身を任せようとして――


 ――音が聞こえた。


「――――」


 それがかすかに聞こえたのは、馬車の前方。

 金属同士がこすれるような音……旅のなかで聞き慣れた、チェインメイルを着た誰かが動くと、立てる音だ。

 ついで、その誰かが小声で叱られるような音も聞こえる――


 ――ただし、使われているのは人間の言葉ではない。


「っ!」


 二人は会話していて気づいていない。

 リオンは飛び起きて、剣をつかみながら言った。


「タスラム! 前方になにかいるぞっ!」


 その言葉によって起こった変化は劇的だった。

 タスラムはとっさに大剣を握った。そして、だからこそ対応できた。


『ゲギャハァッ!』

「ぬお……! ――ゴブリンだと!?」


 斬りかかってきた緑の魔物に動揺したが、それもほんのわずかな時間だった。

 すぐさま状況を理解し、声を張り上げる。


「旦那っ、馬車を!」

「ああわかったっ。できるだけ下がらせる!」


 タスラムは敵を食い止めに。

 ラッキーは馬車を下がらせようとする。


 そして、リオンは――


「…………ッ!」


 動けなかった。

 というのも、通路の幅が狭いのだ。


 切り立った崖の中腹にある、脆い地層が崩れてできたちょっとしたへこみを通路として使っているようで、天井も低く、幅も狭い。

 馬車一台がようやく通れるような道だ。当然、踏み外したら真っ逆さま。

 下には川が流れているようだが、この高さだと水面に落ちても死ぬだろう。


「ぬぉおおおおおらぁっ!」

『ゲヒャハハッ!』


 その環境によって、タスラムは苦戦していた。

 巨漢で、しかも大剣を使うタスラムだと、この狭い通路のなかでは満足に剣を振るうことができないのだ。強引にでも振ってしまったら、天井が崩れることもありえる。


 一方、ゴブリンたちは小柄な体躯を活かして、連携を取っている。この通路で戦い慣れているのか、短剣を使うことでお互いの体を傷つけることもない。

 地の利も経験も、向こうにあった。


 リオンはタスラムから少し距離があるところに立ち、言った。


「タスラムッ! 交代できるぞッ!」

「交代はいらねえ! 馬車を守ってろ!」

「でも……っ!」


 明らかに苦戦しているタスラムは、剣を短く持って戦いながら叫ぶ。


「あっちにも出てくるはずだ!」

「……っ、わかった!」


 リオンはタスラムに背を向けて、ラッキーと馬車の元へ戻った。

 ラッキーはゴブリンの襲撃に動揺していた馬をなだめて、後方へ下がらせようとしていた。


 その、下がらせようとしていた方向から音が聞こえる。

 がしゃがしゃと鳴る、甲冑の音だ。


「ラッキー!」

「おお、坊。知らせてくれて助かったぜ!」

「後方から別の奴らが来てる!」

「おい、嘘だろ――!」


 リオンは子供の体躯を活かし、馬車の横をすり抜けた。

 途中、蹴っ飛ばした石が谷底まで落ちていくのを見てぞっとしつつも、足を止めることはなかった。


 そして、ゴブリンたちと対峙した。


 ゴブリンたちは、みすぼらしい甲冑に身を包んでいた。

 全部で三体。全員、甲冑に身を包んでいるものの、使い古しなのか、三体ともどこかの部品が砕けていた。


『ゲヒャヒャ――!』


 リオンが子供なのに気づき、油断しているようだった。

 一匹は露骨にこっちを見て大笑いしている。


「――ッ!」


 嫌な気分だった。

 馬鹿にされているのが、ではない。

 これからどちらかが死ぬことが、だ。


 リオンは死ぬ側には回りたくなかったので、地面を蹴って突撃した。

 先頭にいた、大笑いしていた一匹の胴を――壊れていたところを薙ぎ払う。なにが起こったのかわからないような顔をして、パッと血の花を咲かせながら、もんどり打って倒れた。


「――――っ」


 相手が流した血を見て、吐き気がした。

 それをこらえながら、さらに剣を薙ぐ。

 二匹目のゴブリンはそれに反応し、対応してのけた。しかし――


『ゲギャッ!?』


 盾で攻撃を受けた衝撃でよろめき、そのまま足を滑らせ……崖から落下していく。もう助かりはしないだろう。


『ギッ、ギィ――ッ』


 二匹の犠牲を見て、怖じ気づいたのか、逃げようとするゴブリン。

 しかし、リオンの追撃の方が早かった。

 薙いだ勢いを、体を回転させることで殺すことなく、相手に接近しながらもう一度薙ぐ。


『グゲェ――!?』


 腰に入った一撃によって、三匹目のゴブリンの体が二匹目と同じ運命を辿った。鎧は砕けなかったが、衝撃で落ちていったのだ。

 崖から落ちていき、悲鳴が遠ざかって――やがては聞こえなくなる。


 静寂が戻った。

 しかし、リオンの心は穏やかさを取り戻すことはなかった。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


 呼吸が止まらなかった。手の震えも。

 生き物を殺したという事実が、残された血だまりが、気持ち悪かった。


 だから――リオンは気づくのが遅れた。


『グルゥオッ!!』

「なっ――!?」


 最初の一体が、突進をしかけてきたのだ。

 武器を持たない、捨て身の突撃。それはこの場所では、何よりも凶悪な攻撃方法だった。


 押し出されたのがわかった。

 ぐらり、と体が倒れたのがわかった。

 それと同時に、足を踏み外したことも。


「――――ッ!」


 リオンは、ゴブリンとともに崖から落ちることになった。

 迫り来る死に、意識を手放しかけ――


「このッ!」

『ゲバッ!?』


 ゴブリンを殴り飛ばし、握っていた剣を崖の壁面に突き刺そうとする。

 落下の勢いを少しでも殺し、そして生き延びるためだ。

 生き延びて――帰るためだ。


 しかし、リオンは忘れていた。

 その剣は元々錆びており、研ぎ直してようやく使えるような――おんぼろであることを。


 ――バキッ


「う、そだろ……!」


 少しだけ勢いを殺し、そしてそのまま砕け散った剣。

 リオンはそのまま、なにも出来ずに落下していき――


(ああ、これ死――)


 最後に見えた光景は、迫り来る水面だった。

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