第16話 そして流れ込む嵐の海に、①
今年は生り物がよく育つらしい。
キュウリにトマトに、ナス、スイカ。
実を連ねる野菜たちにホースで水やりをしながら、理歩はぼんやりと暑さをやり過ごしていた。
夏も盛りに入り、日差しも強い。
草木がずんずんと葉を茂らせる日和である。
「理歩、最近は砂乃子ちゃんのところに行かないのねぇ」
陣ちゃんも顔を見せないし。
後ろの縁側でお茶菓子を用意しながら、祖母がしみじみ言う。
夏休み前の、最後の休日。
理歩は畑仕事で出た汗を拭って、苦笑した。
「うん、今はちょっとね」
あれから一週間。
この家で、一緒に星の海を見たあの日。
陣吉と砂乃子は、そろって砂乃子の家に帰って行った。
多分、すれ違っていた月日を埋めようと、そばに居ることにしたのだ。
そっと寄り添った二人を見送り、理歩はそのまま祖母の家に残った。
遠ざかっていく二人が残した波は、穏やかだった。
鏡面のように澄んだ海が二人の間にはあって、だからそれを見届けた理歩は、何も言わずに二人を見送ることにした。
そうすることが正しいのだろうと、確信を持っていたから。
「喧嘩ではないんだね?」
探りを入れてくる祖母に「違うよ」と返して、縁側に腰かける。
砂乃子の家にも、あれから顔を見せていない。
ちょっとばかり恋しさもあるけれど、
「色々あってさ…………それで多分、今は二人の時間が要ると期間、みたいなかんじで。だから今は、私は待機なんだ」
見上げる夏空のように爽快な気持ちで、強がってみせる。
あの二人がもう一歩先に一緒に進めるなら、ここで待つことぐらい、どうってことない。
最後に見た穏やかな海を思い返せば、やきもきするような心配もわいてこないし。
そんな落ち着いた様子の理歩に安心したのだろう。
祖母も最後には「そうなの」と納得してくれたようだった。
「また、前みたいに砂乃子ちゃんたちと遊べるようになるといいねぇ」
「陣はおまけみたいな感じだけどね」
意地悪っぽくにやつくと、祖母もあらあらと笑ってくれる。
やっぱり、早く会いたいな。 また、笑ってるのを見てたいな。
二人のいる空間を懐かしんで、理歩は内側の受信機をそっと撫でた。
「ホント、早く顔みせて欲しいよ。私だって、砂乃子さんに会いたいんだからさ」
「そりゃ、悪かったな」
そのふてぶてしい声は、いつだって唐突だ。
「陣!?」
「陣ちゃん?」
理歩と祖母は、はじかれたように玄関からの通り路へ顔を向けた。
ざっざという足音と、ビニール袋のゆれる音。
そこには果たして、不本意そうに顔をしかめた陣吉がいた。
「あらぁ、久しぶりねぇ、陣ちゃん」
「御無沙汰してたな、ばあさん。相変わらずか?」
「変わらず変わらず。元気なもんよぅ」
「そりゃよかった。ほい、手土産」
「まぁ、いつもありがとう」
「いいって、気にすんな」
陣ちゃんのお茶もと祖母が用意しに行って、理歩は横に座った陣吉に顔を向けた。
「久しぶり……は、いいけど、なんでそんなに不機嫌?」
あれからどうなったのかを聞きたかったのだが、妙にへそを曲げたような顔つきに、理歩は首を傾げた。
背中を丸めた陣吉が、ジト目で見返してくる。
「え、ほんと何?」
まるでお前が悪いとでも言いたそうな目線だ。
訳分かんないと身を引くと、陣吉ははぁと荒っぽくため息をして、頬杖をついた。
「……砂乃子がお前のことばっかり気にすんだよ」
「え?」
私? ぱちりとまばたきする理歩に、重々しくうなづいてみせる。
「『最近、理歩ちゃんに会ってないね』『どうしてるかな、理歩ちゃん』『理歩ちゃんに会いたいな』『理歩ちゃんが、理歩ちゃんは、』…………泣けばいいのか? 俺は」
俺が目の前にいるってのに。
すねた様子で口をとがらせる横顔に、理歩はきょとりと口をつぐんだ。
ええっと。
つまり陣吉はやきもちを焼いている、ということなのだろうか。
波を分析するに、砂乃子さんが理歩の事を気にするのも面白くないが、理歩に嫉妬する自分にももやもやしている…………と。 なるほど。
「っ、ふふふ」
なんだか、くすぐったい。
さわさわと体の線を撫でるような波が寄って来て、理歩は体をゆすった。
「……笑うんじゃねーよ」
しかめっ面で陣吉が言うのもこそばゆくて、たまらず縁側へ転がる。
陽気な日の猫みたいに、体をくねらせる。
陣吉は、初めこそ不本意そうにしていたが、終いには同じように笑って、理歩の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「あ、じゃあさ、もう砂乃子さんに会いに行っていいの?」
お互い、十分話し合うことはできたのだろうか。
体を丸めたまま聞くと、
「ああ、もう十分だ。――――さんきゅーな」
さらっと笑いながら首を振って、陣吉は目を細めた。
「陣ちゃん、理歩」
グラスを持ってきた祖母が、廊下から顔を出す。
理歩はひじをついて顔を上げた。
「なあに? おばあちゃん」
「いやね。もしこの後砂乃子ちゃんのところへ行くんなら、その後、砂乃子ちゃんを誘っておいでと言おうと思って。折角だから、うちで一緒にお昼御飯を食べましょう」
「え、賛成!」
「いいのかよ、ばあさん」
遠慮する陣吉の服をひらめかせて、理歩は「いいじゃん」とねだる。
「一緒に食べよう? ねぇねぇ、いいでしょー?」
引っ張んなとあしらわれても、繰り返しじゃれつく。
ついには陣吉もうんうんとうなづく祖母を見て、「分かったよ」とスマホを取り出した。
「どうせ家にいるだろうし、電話で呼ぶわ。世話んなるな、ばあさん」
やったぁと大の字になる理歩と、嬉しそうに「いいのよ」と首を振る祖母。
それに苦笑して、陣吉はスマホへ耳を押し当てた。
電話からしばらく後。
電子音の呼び鈴が鳴り、砂乃子がお面姿でやって来た。
「砂乃子さん!」
上がり框で待っていた理歩が立ち上がると、砂乃子はほわっと柔らかな波を発してお面を外した。
「理歩ちゃん、久しぶり。会いたかったぁ」
「私も! 来てくれて嬉しい」
「ふふ、私も」
「だから、お前等は俺を置いてくなって」
奥から顔を出した陣吉に二人で目を寄せ合い、一緒に台所の方へ向かう。
祖母が昼食を用意するのを三人で手伝って、そろって食卓に着いて食事に箸を伸ばした。
「陣、陣! 新作! 見て見て」
食事の最中、二人に会わない間に作っていたお面を引き寄せて押し付けると、「こぼすぞ、味噌汁」と皿を置いた陣吉があきれ顔をする。
「あー、烏天狗ってやつか?」
「あら、本当。とっても上手ね! 迫力があって、いいと思う」
「でしょう? 今んとこ、一番の自信作なんだよ」
「色塗りも、味があって好きだなぁ」
「そう? えへへ」
「……お前ら、これに関してはほんと、相変わらずなのな」
しげしげとお面を観賞してくれる陣吉ににまにますると、祖母が、
「砂乃子ちゃんと理歩の、仲良しの印みたいなもんだもんねぇ」
と合いの手を入れてくれる。
「そうそう、おばあちゃん、いい事言う!」
「これ無しで、私たちは語れないもんねぇー」
「ねぇー」
くふふふふ。
いたずらっぽく砂乃子と笑い合う理歩に、陣吉も、
「仲良しねぇ……」
と半眼で二人をじとりと見る。
そんなにうらやましがっても、このポジションは譲れないぞ。
理歩はちょっぴり優越感で砂乃子の肩にもたれかかった。
すると好戦的な顔をした陣吉が手を伸ばしてきて、理歩を捕まえようとする。
理歩はキャーキャー言いながら身をよじって、砂乃子にすり寄った。
「見せつけてんなよ、このドチビ!」
「見せつけてないもーん。陣こそ心狭い! けーち、けーち!」
「上等だ、おら!」
「もう、二人共、食事中! ストップ!」
ぴしっと制する砂乃子に取り成されて、「はーい」「へいへい」と休戦する。
さすがに騒ぎ過ぎたかと反省するが、箸を取りながら横目で陣吉を見ると、あちらもきらりと光る目で視線を返してきた。
なんとなく、悪友みたいだ。
そんな風に思って、理歩はくすぐったい。
砂乃子ともつながっている。
でも、それとはまた違ったつながりが、自分と陣吉の間にもある。
そう思えて、ほわほわと心が浮き上がるみたいだった。
そのまま、いそいそと食事を再開しかけ、
「あ、そうだ」
不意に声を発して、理歩は砂乃子に顔を向けた。
砂乃子はきょとんと箸を止め、首を傾げている。
理歩は砂乃子の方を見たまま、茶碗を置いてくるりと体を巡らせた。
「あのね、砂乃子さん」
「ん? うん」
「もうすぐ私、夏休みなんだけどね? そのぅ、夏休みになったら、おばあちゃん家にたくさん泊まりに来るんだ。そしたらさ」
「うん」
まばたきする砂乃子へさっと目をやって、理歩は手を握りしめた。迷惑かな? 困るかな? でも、聞いてみたいな。
一瞬葛藤して、ぎゅっと目をつぶった。
「砂乃子さんの家に、泊まりに行ってもいい?」
「もちろん!」
耳に飛び込んできた朗らかな答えに、ぱっと目を開けた。
「え、本当? 迷惑とかじゃ、ない?」
それならそうと、言ってくれていいんだよ? 食い下がる理歩だが、砂乃子は相変わらずの笑顔で理歩の手を取った。
「全然。むしろ来てくれるの、とっても嬉しいよ。あ、でもね?」
祖母の方をうかがうように見た砂乃子は、真面目な顔で付け足した。
「やっぱり、仲が良くても他所の家だからね。こればっかりは親御さんにちゃんと確認してからね?」
「えー……お母さんに?」
ぎゅ。
理歩はつい顔にしわを寄せて言葉をにごした。
喜びから一転、難題に直面である。
「おばあちゃんがいいって言うんじゃダメ?」
「なんだ、反抗期か?」
「そう言うんじゃないし」
陣吉の横槍をむぅとかわして、祖母に手助けの目線を送る。
「おばーちゃーん……」
「おばあちゃんは、いいわよぉ。でも、一言くらい言っとかないと、お母さんも気にするだろうから。一応言っておきなさいな」
そんな。
祖母の追い打ちもあって、理歩は打ちひしがれる。
あの気難しい母相手に、砂乃子宅での宿泊許可がもぎ取れるだろうか。
かなり厳しい見通しだ。 理歩は頭を抱えてうなり声を上げた。
あんまり期待していないが、最後の頼みと陣吉に視線を送れば、
「お前の年で保護者の許可は必須だ。砂乃子のためにも、そういうのはちゃんとしとけ」
と、砂乃子を引き合いに出され、撃沈した。
代案無し、大手。 理歩はあきらめて肩を落とした。
「……分かった、聞いてからにする」
「いいよって言われたら、もちろん泊まりに来ていいから。約束ね?」
なだめてくれる砂乃子にうんと返し、理歩は箸を手に取った。
夏休みまで、あと少し。
強敵・母の首をいかに縦に振らせるか。
難問を前に、しかし、砂乃子たちとの楽しい食卓に笑顔を取り戻していた理歩は、この時知らなかった。
穏やかな海に満ちた、理歩の大切な世界。
そこに避けようもない雷雲の嵐が、ゆっくりと迫っていることを。
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