第14話

「喜世盛さーん、いますかあ?」

 悪夢は次の日にやって来た。

 朝としては遅い時間帯、クリスマス休暇で義父母もいる中、そいつはチャイムと共にやって来た。ぴくん、とうつらうつらしていた百合が目を開けて、車椅子を動かし玄関に向かう。

「百合っ」

 声を掛けた時にはもう遅かった。

 二重廻しの昔の作家が着ていそうなコート姿に、真っ青な髪。前見た時は真っ赤だったが、覚えていることに違いはない。

天斗たかとッ!」

 百合籠ゆりかご天斗の首に抱き着いて、百合は立ち上がった。

 百合籠天斗はとある企業グループの傍系のいわゆる御曹司だ。歳は俺達より一つ上の十七。おそらくは殆どひと気のない隣の百合の家を見て、こっちだろうと見当をつけたのだろうが――その見当を違えたことがないのが厄介な、百合の従兄である。趣味はコスプレ、ただしアニメラノベよりは文豪を選ぶ。金に飽かせて正岡子規の着物を作らせたりする奴だ。庶民の俺には訳の分からんとしか言いようがないが、とりあえず今回は太宰治らしいのが分かる。

「ははっリリィやっぱりこっちの家にいたか! リリィがいつも世話になっているね、勇志君!」

「別に、勝手に世話してるだけです。礼を言われるほどの事でもない。それより寒いんでドア閉めてください。関東とは言え十二月ですよ」

「ああ、そうだね、この二重廻しが暑くて重くて気付かなかった!」

 言って天斗はやっとドアを閉める。俺は百合の車椅子を引っ張った。身内には軽く抱き着くことも出来るが、小さな頃から一緒だった天斗とは一層に仲が良くなるのだ。勿論俺にとっては天敵としか言えないが、赤ん坊のころから一緒だったと言うのだから仕方あるまい、天斗の両親は子供の世話より仕事に忙しかった。百合の母親は専業主婦だったし、多分丁度良かったんだろう。一つ違いなんて双子レベルの差だ、百合の母さんは随分ぐったりしていたから、うちも応援に行ったりした。勿論俺付きで。その頃から俺は百合を天斗から離したがっていた、と言うのは実母から繰り返された話。つまり俺もまあ幼馴染に当たるが、三歳で名門幼稚園に行ってからは殆ど見ない顔になっていた。クリスマス兼正月以来。年に一度だ。それなら我慢できたが、ハグは許せんハグは。何様だ。婚約者でもないくせに。

 天斗は百合の細い足を見て少しだけ嘆息し、苦笑いで俺に尋ねる。

「歩行練習はどうなってる? 勇志君」

「死体を目にすると蹴ったり殴ったりできる程度です」

「相変わらずだねえ、名探偵」

「天斗までそう言う言い方しないで」

 ダイニングに移って、むうっとした百合は俺のお手製のジンジャーブレッドマンを頭から齧りながら言う。どこから齧ろうが人の勝手だが、首なしジンジャーブレッドマンと言うのはちょっと嫌だった。まあ良いか。美味いから食ってくれるんだし。

 天斗も頭からパクっとジンジャーブレッドマンを齧る。それから俺の方を見て、にっこり笑った。ごっくんしてから笑いなさい、とは、流石に高二に言うことではないだろう。もうすぐ高三、受験生だ。その割に飄々として切迫感ないな、と言うと、ああ、とこともなげに言われる。

「夏ごろにロンドンの大学に入る試験受けててね。まあそこそこ良い所だし、ネイティブの発音身に着けられるから、そこで四年過ごすつもり。大丈夫、お盆とお正月は帰って来るからね、リリィ」

「そんな心配は別にしてないけど次に来る時が夏目漱石スタイルだったら笑い飛ばす」

 かの人はイギリスに慣れずうつ病を患った作家とも知られる。

「漱石スタイルってどんなの? 昔のお札でしか知らないよ俺」

「それを集められるのが天斗でしょ。ついでに猫抱えてきたらそっくり返って笑うよ」

 危ないので止めてくれ。

 いつになく喋る百合に義父母は微笑ましく、俺は少しばかりイラっとしながら自分で作った市松模様のクッキーなどぼりぼり食べる。世の中でクッキーほど楽な菓子はないと思っているのが俺だ。食わせる奴にもよるが。

「さてと、リリィの顔も見たしそろそろ良いかな」

「良いって何が?」

 遠くからサイレンを鳴らす音が聞こえていて、急に玄関のドアが開く。

「警察だ! 出て来い百合籠天斗!」

「俺って今警察に追われてるんだー、あはは」

 笑いながら両手を上げて、玄関に戻って行く天斗。

 流石に百合も俺ら家族も、言葉を失った。


 何をしたんだあの馬鹿は――百合の事件で担当してくれた緑川警部に電話をして事の次第を問い詰めると、電話口でそれがなあ、と歯切れ悪く言う声が聞こえる。

「部署が違うからよくは解ってねえんだが。百合籠グループの会長が殺され、親戚の子供に容疑が掛かってるって話だ」

「天斗は頭のいい馬鹿だけどそんなことしませんよ。何か決定的なものがあったんでしょう?」

「それがなーああー言って良いのかなあ」

「どうせ明日には新聞沙汰です吐いちゃってください警部」

 百合のいつになく怜悧な言葉に、警部は決心を付けたようだった。こうやって一高校生名探偵に情報をくれちゃう人だから現場から離れられない。俺達には便利な人ながら。

「凶器のメスから指紋が出てんだよ」

「普通メスって個人部屋にも個人宅にもないと思うんですけれど」

 ごもっともだ。

「いざという時に喉の切開をするため個人宅においてたそうだ。お抱え医師が白状した」

「個人宅にそんな設備があったんですか?」

「あったんだよ。まだ遺言状も書いてない状態だったから死なれると困る親族が山ほどいたんだと。寝ずの番してた医師がちょっと転寝してるうちに喉をざっくり」

「指紋は血の上からでしたか? 下からでしたか?」

「へ? ってぇと?」

「べっとりついていたのかちょっとついていたのかです」

「べっとり、って話だったが――まさか嬢ちゃん、この事件に頭突っ込む気か?」

「天斗は私の従兄です。もし真犯人を知ってて黙秘しているなら、それを解く。天斗はあんなに可愛がってくれたお爺ちゃんを殺すような奴じゃない。全身ダイブで突っ込みます」

 あー、っと緑川警部が困り果てた声で唸った。

「良いか、俺の名前は絶対出すなよ。絶対だからな」

 そんな子供みたいに警戒しなくても。

 こっちだって大事な情報源をなくすわけには行かないんだから。

 まあ俺としては天斗がどうなろうが知ったこっちゃないが、珍しく百合が自分から頭を突っ込んだ事件だ。温かく見守ることにしよう。それがどんな結果になるんであれ。半年後には国内からいなくなってくれるらしいんだからどうでも良いと言えばどうでも良いが、ミソ付きだと国外には出られないだろう。だから仕方なく、本当に仕方なく、傍観に徹しよう。

「――おかしい」

 緑川警部に無理やりファックスで送ってもらった資料に、百合は否やを唱える。

「これ、血の上から指紋が付いてる」

「ってーと?」

「メスを握って刺したんなら、そこに血は着かないはず。なのにくっきり付きすぎてるのは、天斗が第一発見者で思わずメスに触れてしまった可能性が高い。勿論警察もそれを認識してる。天斗はむしろ保護されているのかも」

「容疑者を保護、ねえ」

「第一遺産相続人は――三人の息子が並列。天斗はその誰とも血縁ではない。姻族だから遺産が回って来ても数十万単位。動機は薄い」

「確かに。ロンドン留学するって奴には安い」

「じゃあ誰だ? 医師か? 医師に相続権はない。一族でもない。一番得をするのは――」

 ぶつぶつ言い出した百合のティーカップにぷちぷち剥いていた精神安定剤をざらららららっと流し込む。百合はそれをがりがり齧りながら脳の回転数を上げたり下げたりする。ダウナーでないと思いつかないこともなくはない。

 百合籠壱久ゆりかご・いちひさ翁は俺達のような外の子供にも優しい爺さんだった。俺たち三人に色んなゲームを教えてくれたし、メンコやベーゴマと言った昭和の遊びもあれば秘密でビデオゲームなんかも買ってくれた。可愛いキャラクターが奮戦するゲームも、カートするゲームも、全部あの爺ちゃんに教えてもらったと言って良いだろう。

 体調を崩したのは百合と俺の両親の急死から、百合が強姦されてPTSDを患う間。本当に心を痛めてくれていた。俺の個人資産が三桁万円なのも、こっそり爺ちゃんがくれたからだ。何かあったらこのお金で逃げなさい。幸い義父母は表面的には良い人なので使ったことはないが、通帳の管理は自分でしている、と言うのもあの時の言葉が胸に焼き付いているからだろう。代理人の八月朔日弁護士を宛がってくれたのも爺ちゃんだった。金さえあれば子供の依頼でも聞いてくれる人たちを教えてくれたのも。

 まあ弔い合戦だな、と俺はタブレットを凄い勢いでタップしていく百合の勢いに押されつつも、カップに錠剤を入れて行った。

 とは言え天斗がブタ箱行きになっても気にしないのが俺だったりするのだが。少年法があるからよもや間違って有罪になっても大したことはないだろう。多分。がりがりとカップから錠剤を呑む百合に、俺は飲み物を入れることにした。一度喉の方に溶解性の強い薬を飲み込んでしばらく喉を痛そうにしていたし。しかしその薬はまだ処方されていただろうか。錠剤の漢方を何度か変えられているぐらいなら変わってもいないか? 残っていたジンジャーブレッドマンはすでにいない。かと言ってこの状況で菓子作りもしてはいられないだろう。どこにいても迷惑な奴だな、天斗。そんなお前が俺は羨ましいよ。主に百合から抱き付かれる辺りだが。俺達は清い仲に見せ掛けなきゃならないので。将来もそうあるためには、割とお前は邪魔な存在だよ、天斗。百合に睡眠薬飲ませて裁判終わるまでうとうとしててもらおうかな。それじゃあ薬の管理をしている俺が怪しくなってしまう。アッパー系を三粒ほどカップに足して、脳内麻薬グリングリンにしてやろう。貸しを作っておくのも悪くない相手だし。もっとも、いなくなってくれるならそれで満願成就ではあるが。

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