第15話

 市販のプリンを出して薬の消化を良くすると、百合はうつらうつらしてきた。一旦眠るか? と聞くと。ふるふる頭を振られる。

「下手な考え休むに似たり、だぞ」

「解ってる。直系の孫調べたら寝る」

「今までは何調べてたんだ?」

「実子三兄弟の資産状況と事業規模、あと会社の株価と資本金とか」

「独立してるのか?」

「形状は……孫たちもそれぞれ自分の父親の会社に入ったり学生したりしてる……困窮してる人はいないみたいだけどわかんない。カードで借金とかあるかもしんないし。パートに出てる人はいないみたいだけど、最初から百合籠翁の遺産目当てかもしれないし。よくいるボンボンはいないみたいだけど」

「はいそこまで。孫まで行ったんなら大人しく寝なさい」

「うー……喜世盛母親みたいな言い方する……」

 車椅子のストッパーを外して俺は百合を私室に連れて行く。首に腕を掛けられて抱き着かれると、ちょっと頬が赤くなった。しかしベッドのシーツに下ろした百合はすでにすうすうと寝息を立てている。握っていたタブレットを充電して置いて、百合の頬にキスをし、俺は部屋を出た。

 孫たちまでは何とか安泰だが、そうなって来ると微妙な位置にいるのが百合籠翁自身の兄弟だ。弟と妹が一人ずつ、どちらもケアハウスに入っていて犯行は不可能。甥や姪もとくに困窮している様子はなし。困窮していなくても人は人を殺すか。より大きな富を求めて。医者は? 外部だが苦労料を貰うかもしれない。分厚い札束の。だが元々転寝している医者の失態で百合籠翁は殺されているのだ、逆に責任を問われる立場だろう。病院勤めにそれは厳しい。特別派遣だったのだからなおさらだ。金があると何でもできるな、本当。病院の医師から設備から薬まで何でも自宅に引き寄せられる。

 天斗から考えてみよう。天斗が庇う相手。自分の事にはだらっとしているはずなのに、凶器に指紋まで着けて庇っている相手。天斗の家は裕福だ。本家からの数十万の遺産なんか別に求めていないだろう。金目当てでないとしたら? 恨みつらみでの犯行。そんなの自宅に医療設備持ってる相手だ、すぐに死ぬと分かっていただろう。事の結末は解っていても殺さなきゃ気が済まなかった? 天斗も両親も近い親戚も、誰もそんな動機はない。じゃあ誰が? くそ、純粋に謎解きが難しくなって来た。百合の薬でも拝借してアッパー系の脳みそにしちまうか。だが薬の誤用は頂けない。薬?

 例えば誰かが百合籠翁に薬を盛っていたとしたらどうだろう。

 天斗が会いにくるのを知っていて、百合籠翁に薬を盛り、すでに死んでいる状態にしてからメスで首を刺す。そして天斗が来たタイミングで部屋を出るか隠れる。天斗はただ巻き込まれただけかもしれない。本当は医師に擦り付けるつもりだったのかもしれないし、誰か別の人間が入ってくる予定だったのかもしれない。あるいは誰でも良かったのかもしれない。確実に殺しておけばそれで。となると不憫なのは完全に巻き込まれた形になる天斗だが、医師の転寝と言う不確定要素の持って行き所がない。やはり医師か?

 モルヒネぐらいは持っていただろう。緩和ケアに欠かせない。それで一旦昏睡状態にしてから空気注射か何かで殺す。人間の血管は地球を一周して余りあると聞いたことがあるが、どこかで詰まっていても解らないってことだろう、それは。だがそれは一族の前で行わなくてはならないパフォーマンスだ。天斗一人ではやっぱり、邪魔になる。こうなると警察が天斗を保護しているという与太も本気に思えてきた。分からない。誰が犯人だ? 誰が一番得をする? 誰が一番、恩恵に与れる?

「遺言状ならちょっと前に改定したのを預かってるよ」

「へ?」

 悩みに悩んで相談した先は俺と同じ顧問弁護人である八月朔日さんだった。百合籠翁はこの若いが辣腕の弁護人をひどく気に入って俺に紹介してくれた節がある。何か知っているんじゃないかと思って藁にも縋る思いで連絡をしたら、これだ。遺言状はあったのだ。あっけなくもその事実に辿り着くまで二時間も掛かるとは我ながら情けないと言うかどんくさいと言うか。やはり名探偵にはかなわないのか。感情で考える、名探偵には。

「改定って」

「そこまでは言えない。でも公開現場に君たちも同席するようには言われてる」

「達?」

「百合籠天斗、御園生百合。喜世盛勇志。未成年では君らだけだ」

「なんでそんな……って言うか遺言状はまだ書いていないって言う話で聞いてたんですけど」

「そりゃ書いてることを知れたらいつ殺されても良くなっちゃうからね。最低限の秘密と言うものだよ。私と依頼人による、ね」

「俺も書いた方が良いのかな……」

「何をおっしゃる青少年。君はまだまだたどり着けない境地だよ、余命宣告と遺言状の支度なんて。ご両親が泣いてしまう」

「別に良いですけど」

「相変わらずドライだねえ」

「まあ、面倒くさいんで。死んだ後の事なんて」

「ある意味正しいね。死後三日以上経って関係者全員が揃った場での公開を希望されているが、天斗君はどうなるかねえ」

「警察に保護されてる形だ、って百合には言われました」

「ふむ。それもまた正しいかもしれないね」

「どういう意味です?」

「聞いたところ、点滴を変えた形跡があるらしい。別の液体が床に落ちているのが見つかった」

「それって」

「水銀」

 猛毒じゃないか。

「血管を綺麗に残したかったわけじゃないだろうが、それで天斗君の無罪は決定してるんだ、実際のところ。高校生が人を殺せる程度の量の水銀なんて入手経路が不明すぎる、ってんでね」

 生きた人間に水銀を注射すると心臓の拍動が薬を循環させて血管が綺麗に残るらしい、とはミステリ小説で読んだことだ。色んな事態に備えるために俺の本棚にはそんなもんまで置いてある。もっとも解かれる事件なのであまり参考にはならないし、突発的な苛立ちをぶつけるにはあまりにも向いていないが。

「医師ならどうです?」

「それも新規ルートはシロらしい。今どき水銀の体温計を買いまくったりしたら足も付こうしね」

 つまり。

「つまり現場は名探偵を要求している」

「…………伝えておきます」

「うぃ。っと、次の仕事だ。一旦切るよ」

「はい」

 ありがとうございました、と電話口で言って、俺ははーっと息を吐いた。

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