第13話

 高校も一年秋に入ると、誰も百合の事を気にしなくなっていた。出席日数の為だけに登校日を稼いでいる、優等生。勿論一部では悪いうわさも流れたが、百合は人の話を聞かないので問題もなかった。俺は多少イラっとしたが、三日に一回程度の事なのであまり気にしていない。学校は百合の為にバリアフリーと言うか車椅子の昇降機を付けてくれたので嫌いじゃなかった。俺の成績はそこそこ、百合は優秀。そんな二人をどこに放り出したもんかが早くも職員達の話題になっているらしい。俺は百合と同じ場所を選ぶと決めているので、百合の勉強速度に付いて行くだけだ。なんなら家に呼んで家庭教師してもらう。おかしいの、とうっすら笑う百合の眠たげな眼が可愛らしくて好きだった。何とか同じ程度の偏差値を叩きこんだ頃には冬だった。あまり雪の降らない関東平野部では、車椅子の車輪をスパイクにするとかはしなくて良いから楽だ。そんな車輪があるのかは知らないけれど。

 そして二学期末のテストを上々に終えた俺は、眠っている百合を自宅に連れ込んでいた。そして昨日のうちに仕込んでいた分の片づけをする。

 ずばりクリスマスパーティーだった。百合はそれを楽しみたいから薬は制御していたんだけれど、やっぱり眠気には勝てず、いつものサンルームではなくダイニングに椅子を突っ込んでいる。俺はフルーツポンチにケーキ――ドイツ風のクーヘンだ、百合のお気に入りである――を運んで、ローストチキンも運ぶ。義母が何度も手伝うと言って聞かないのをまあまあと宥めていると、クリスマスディナーの完成だ。これだけは自分に任せろと言える。甘いものと焼けば良いだけの物だから、大して手間でもない。甘いもの作りは得意なのだ、これでも。苦い薬を薄めてやるには甘いものが丁度良い。ケーゼクーヘン、ブランデーケーキ、チョコバナナクレープ。家にある物で十分作れるものもあれば、ちょっと凝ったものも作る。おかげで冷蔵庫には季節のフルーツが絶えない。三つ並べたスパイラルキャンドルに火を点けて明かりを消す。百合、と呼ぶと、ぅん、と返事が来た。こしこし向かいの席で目を擦る気配。それから、ほわ、と息を吐く。

「キャンドルだ。今年は凝ってるね」

「去年は喪中でなんとなくクリスマスも避けてたからな。その分凝ってみた」

「綺麗」

「さんきゅ」

「でも暗い」

「そーゆー奴だよお前は」

 くくっと笑ってリモコンで明かりを点ける。

 ディナーは遅くまで、続いた。

 具体的には百合がトランキライザーの発作を起こす寸前まで。

 楽しみたい時は楽しみたいんだろうが、ゼーゼー発作起こされるまで我慢されるのも困ったもんだと俺は思った。


 百合の名前の由来である花は聖母マリアゆかりのものだ。かの地では冬も咲くのだろうかとひぅひぅ喉を言わせていたのが段々収まって来るのを聞き届け、額にキスしてから、俺は部屋を出る。食器の片づけは食洗器任せだが、ふうーっと息を吐いた義母は、肩をトントン、と叩いた。何もしてないに等しいのに何を疲れてるんだろう、この人は。

「百合ちゃんがいるとちょっと気を遣うわね。いつもなら良いけれどこういうイベントごとは」

「そう? 別に特別なことはしてないと思うけど」

「義兄さんたちとは、いつもこんな調子だったの?」

 義母は母方の叔母である。だからかパトローネもあまり懐かない。

「料理のメインは百合の母さんだったよ。俺はそれを見様見真似してるだけ。本当はもっといろいろあったけど、二年も経つとほとんど覚えてないや」

「二年……一年半か、兄さんたちが亡くなって。早い物ね」

 別に。とは言えない。

 俺としてはその一か月後の事の方が至福として喜ばしかったからだ。

「でもいい加減独り立ちも考えないとね。大学なんかに行ったら車椅子も大変でしょうし、せめて杖で歩けるようになって欲しいわ」

 大きなお世話だ。とも言えない。

「進路は同じにするつもりだから問題はないよ。幸い今も二人して文系で偏差値変わらないし」

「やりたいこととかないの? 将来の夢、とか」

「百合の行きたいところまで一緒に行く事、かな。俺自身は別に何にもないよ」

「こんなご時世にそれで大丈夫かあ?」

「まあ、なるようになるだろ」

 一つ事件を解決する度に数十万の振り込みがあるのを、勿論二人は知らない。贈与税は掛かるが、そんなに大したものでもないし、俺が働けば生活は成り立つだろう。俺は常に百合との今後を結婚の後として考えているが、ありえない未来では絶対にない。その為にあれだけ傷付けたんだから、それが報われないはずがないのだ。精神安定剤不携帯ではまるで尋常でいられないほどに、弱く弱くか弱く育てた俺のお姫様なのだ、百合は。それにばれることも絶対にありえない。思い出そうとすればするほどフラッシュバックで病状が悪化するのは、臨床実験で何度も確認されている。もしかしたら顔ぐらい見られていたのかもしれないが、百合の頭はそれを消し去ってしまっているだろう。息遣いなんかで慣れた俺の物だと分かっても、理性が拒否すれば本能は封じ込める。

 だから百合が俺以外の物になるなんてありえない。それだけは確信して、今日もうっとりした眠りにつくのだ。俺は。

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