第17話 Thoughts from the past(過去からの想い)

僕はこの駐車場に降りた瞬間、一瞬、トランス状態にでもあったかの感じに陥った。そういう時には、僕の場合、一瞬「くらっ」と目眩がする感じがするのである。車から降り、地上に足を置いた瞬間、なんだか「来る」という感覚を覚えた。その瞬間、金縛りにあいそうになった。僕は、気を集中し、どうにか金縛りを回避した。


このタプローム遺跡では、気を集中して見学をしないと連れていかれそうになる直感がした。


まぁ、そんなことを思いながら、遺跡見学開始となった。入口の門をくぐって、一歩、遺跡の入口へと近づいていった。入口付近は、乾燥した赤土がむき出しになっている舗装されていない道をしばらく歩いた。道の遺跡へ向かって左側には、草原になっており、水牛が放牧されていた。のんびりと草をほおばっている水牛は、今も昔も変わらない景色なんだろう。


道の右側は、木々に覆われたジャングルになっていた。この草原とジャングルのコントラストが何とも言えない思いを引き出した。このジャングルの木々も、遺跡が実際に崇められた時期からずっとここで生き、何代も世代を重ね続けていることだろう。なんだかこの景色の中にいると「切なさ」を感じてきた。その切なさが、今夜に理由がわかるとは誰しも思ってはいなかった。


山田「なんだか、この遺跡の入口に足を踏み入れた瞬間、切ないという感情が沸き上がってきました。どうしてですかね?」


僕「僕も同じですよ。なんだか切ない感情が心の中から湧き出てくるって感じなんですよね。」


ニャン「酒井さん、山田君、僕もそう感じているんですよ。この遺跡に何回も足を運んでいるんですけど、こんな感情は、初めてです。」


三人が三人ともいままでに感じたことのない感情が沸き上がってきた。三人の共通していた感情は、「切なさ」というものだった。おそらく、この土地から伝わってくるものかもしれないが、カンボジア シェムリアップの悠久の時間とともに培ってきたものであろうと感じた。


僕たちは、とりあえず遺跡の見学へ移った。遺跡は、確かにニャンの言う通り「天空の城 ラピュタ」のモデルになったといわれても過言ではない圧倒的な印象を心に焼き付けるものであった。


苔むした遺跡を覆うようにそびえたつガジュマロの樹々、その樹々の間から入ってくる木漏れ日。その木漏れ日から光の線が一直線に地上に差し込んでいた。


僕は、思わず、苔むした遺跡に触れてみた。どうしてかわからないが、なんだか触れてみたいという気持ちが先走ってしまい、思わずという感じだった。気持ちより先に体が動いてしまったという感じだ。その感じは、動物的感のようなものだろう。遺跡が触れてみなさいとインスピレーヨンを送ってきた感じだ。


世の中には不思議なことがあるもので、物質が僕へインスピレーヨンを送ってくることがある。過去にもおなじようなことがあった。そういった場合、その場所に、自分自身が何らかのかかわりが過去にあったということがよくあった。今回もそれに似た感情が僕に沸き上がってきていた。


僕がタプロームの遺跡へ足を踏み入れた。苔むしたその遺跡からは、僕の感情へ遺跡からのメッセージが入ってきた。


どういったものかというと、三十代ぐらいの夫婦の姿が、僕の頭の中でインスピレーションを伝えてきた。それは、怒りの感情を伴っていたのと、それと同時に絶望の感情も連なってきた。僕は、涙が出た。何が悲しいのかといわれたら困るが、ただただ涙があふれてきたのだった。


僕は僕へインスピレーションを送ってきた女性に、どうしてほしいのか心の中で聞いてみた。そうすると、女性ではなく、男性から(おそらく女性の夫)国の争いのため、自分たちの子供と離れ離れになり、ただもう一度会いたいというメッセージだった。


二人の生きた時代を聞いてみた。そうしたところ、カンボジアの内戦があったあの「ポルポト時代」とメッセージを送ってきた。ということは、その時代の人々の魂も、いまだに成仏できていないということだろう。確かにポルポトの大量虐殺は、歴史上でも数少ない悲惨な出来事であった。その時代には、同じ国の人々が、憎しみ合って殺し合った。そんなことがあったとは思えない。


そういえば、僕たちが滞在しているホテルの近くに違和感のある場所があった。もしやポルポトの大虐殺と何らかのかかわりがあるのだろうか。


話は戻るが、僕の意識の中にできてきた二人は、さらに、こんなメッセージも送ってきたのだ。夫が、仕事へ出ている間に、彼らの村がポルポト派の兵士に襲われたという。子供たちの目の前で、平気で親を切り裂き殺していった。鉈を振り回し、大人子供も関係なく殺害していったという。


泣きじゃくる乳飲み子も、人間の沙汰とは思えない、殺され方をしていたという。生後間もない赤ちゃんのお腹を切り裂いていたという。その子供の横には母親も殺されていたという。その母親は、身重だったようだが、お腹の中の子供がお腹から取り出されていたという。


運良くこの男性の妻は納屋に隠れ、難を逃れたという。ただ子供たちが見つかっていないという。死体もなかったという。ポルポトの兵士の中には女子供を連れ去り、近隣の国々へ幼児売買で売りさばいていたという。その夫婦の子供たちもおそらくそういった状況になったのではと心配しているとインスピレーションを送ってきたという。


タイなどの国々へ売り飛ばされていった現状があった。それは、現在でもあるといわれていることだ。男たちは、家族の前で首をはねられたりと、悲惨な状況だったという。


そういえば、首都プノンペンの博物館に、ポルポト派の兵士に虐殺された人々の頭蓋骨でカンボジアの国の地図が作られているものが、展示されていると聞いたことがあった。人が人を殺すということが、いったいどんな意味を持つのだろうかと心で叫びたい感情になった。


いまもなおカンボジアの地方の村へ行くと、まだまだ地雷が埋まっており、その被害にあう人も少なくないと聞いたことがあった。


僕の意識をその夫婦は、その時代へ連れて行った。僕が見た景色は、まさに地獄絵図その物であった。村一面、血の海となっていた。まだ虫の息をしている人がいたが、彼らの命の灯に消えていく瞬間があちらこちらで見受けられた。それも生後間もない命もだった。こんな残酷なことって、本当にあってもいいものだろうかという言葉しか、僕には出てこなかった。


僕の斜め前に横たわっていた老女は、血の海の中で、痙攣していた。その横には幼稚園ぐらいの子供がすでに息を引き取っていた。生きるために、生き物の命をいただくことは仕方ないにせよ、もてあそぶように人が人を殺している、こんなことが実際にあったことなど、この時代に生きた人しかわからないであろう。僕も、インスピレーションで過去の世界へ意識だけがいき、目の前で実際の光景を見ているので、その残酷さが実感できた。みな、人は自分で目の当たりにしなければ、結局は他人事なんだと思った。僕ももしこの光景を目の当たりにせず、話だけを聞いたのであれば、他人事にしか感じていないだろうと思った。他人事だと思っているから、歴史は繰り返すとよく言われるのであろうか。歴史の中では、同じ残酷なことが形を変え続いている。


僕は、山田、ニャンの呼びかけで、こちらの世界へ意識が戻ってきた。


山田「酒井さん。どうされましたか。」


僕「ポルポト時代に生きていた人が、僕の意識に入ってきて、向こうの世界に意識だけいってましたよ。」


ニャン「酒井さん。大丈夫ですか。」


僕「もう大丈夫ですよ。意識はしっかりしているので問題ないです。」


ニャン「じゃ、この辺りで少し休憩でもしますか。この先の遺跡も見学しましょうか。」


山田「酒井さん、どうされますか?」


僕「大丈夫ですから、先へ進みましょう。よろしく願いしますね。」


なんだか、今から訪れる遺跡は、僕の意識の中に現れた夫婦に関係しているような気がしてならなかった。



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