第12話 喜貌の懺骸

第三章




 その男の笑顔は、ただひたすらに暗かった。

 彼はきっと、楽しいから笑うのではない。彼の笑顔はきっと、その全てが何かを嘲笑うためにある。


「なに、私は君と同じだよ。この世に好ましいと思える存在がないだけだ。にも関わらず笑うという行為だけは習得しているから、不気味になるのも道理というものだろう?」


 ——男はそう言って。

 きっと僕を、自分が漂うおりにまで引きずりこもうとしていた。





 

 深々と、地獄まで続いているんじゃないかと思うほどに長い廊下。僕はそれを延々と歩いていた。

 またもここは地下らしい。

 薄暗い上に壁なども古いようで、亡霊でも潜んでいそうな雰囲気だったが、空間そのもの思ったより広い。廊下の端には十メートルごとに扉があって、そのどれもが鉄格子の窓が設えられた『牢屋』の出入り口だった。

「ここはいわばパノプティコンの再現だ。ベンサムは知っているか?」

 鷺山洸牙さぎやまこうがと名乗った男は僕の前を歩きながら、振り向きもせずにそう訊いてきた。

「……この間、ちょうど学校で習いました。パノプティコンって確か、少ない人数で最大の囚人を見張れる、効率のいい刑務所のことですよね」

「一望監視施設。最低限で最大限を監視する監獄。ヒトを数値として計測し、もっとも効率のいい状況を作り出す。根底にあるのはそんな量的功利主義の考えだ。

 ここ、、に収監さている連中は、そうして合理にかなったシステムを使わなければとても管理できない。何しろどいつもこいつも、人という次元を逸脱した者ばかりだからな。物理的にも、精神的にも」

「——はあ」

 僕はそうして、中身のない返事を返すしかない。懺骸を捕らえた牢獄――なんて言われても、そんな言葉はあまりに日常からかけ離れすぎているわけで、実感なんて湧くはずがない。

 ただこの場所は、並み一通りでなく澱んでいた。

 人の悪意が意思を持って漂っているような薄寒さが、肌を舐めとっていくような感覚がある。それは誰かの顔に仮面が現れるときの肌寒さに似ていた。

 仮面とは人の悪意が形を成したモノ。そして懺骸とは、仮面を被った犯罪者を指す言葉。

 ならば懺骸を収容するというこの場所が、深く澱んでいるのも当然の話かもしれない。


 廊下を歩き終えると、突き当りにはエレベーターがあった。鷺山さんに倣ってそれに乗り込むと、箱は下降を始める。

「……なんか、随分古い施設ですね」

 一メートル降りるごとに発生するごうん、という鈍い音を聞きながら、僕は言った。

「ここにはもともと採掘場が作られる予定だったが、三十年ほど前にバブルの煽りを受けて計画が倒れたらしい。後には広大な地下空間だけが残り、そこを仮特課が買い取ったのが始まりだ。古いのも仕方がない」

「懺骸が収容されてる監獄って言うのは解ったんですけど、僕はここで何をするんですか?」

「ある囚人と会ってもらう。まあカウンセリングのようなものだな」

 鷺山さんがそう言ったのと同時に、がこん、と音がしてエレベーターが停止した。扉が開くと、目の前に広がっていたのはまたも薄暗い廊下だった。

「囚人って、その人も懺骸なんですよね。危険は無いんですか?」

「ここは施設そのものは古いが、仮特課が管理を始めたのはほんの五年前のことだ。管理設備には信頼を置いてくれていい。扉は指紋と網膜チェックの二重鍵。独房は二十四時間体制で遠隔監視され、異常があれば電流が流れるようになっている。懺骸と言えど人間である以上は、これを易々と抜けることはできない。

 ただ一つ言っておくがな。渦羽根くん、この先で君が会う奴だけは別だ、と言うことは了解しておいてほしい」

「別、って言うと?」

「鍵や電流が全く意味を成さないんだよ。そう言う懺骸がいる」

 全く表情を変えずに言われて、僕は思わず眉を顰める。

「安全なんじゃないんですか?」

「安全だ。そいつはいつでも君を殺せるが、君を殺すことはない。温厚だからな。

 ……ただ、奴は君に直接手を出すことはないだろうが、話す時には注意しろ。相手はそうだな、簡単に言えば詐欺の天才だと思えばいい。軽い認識で言葉を交わすと、それだけで意識を変えられかねない」

 そんな恐ろしいことを、鷺山さんは素面で言う。

 普段に聞いたら笑ってしまいそうだったが、この場合は笑い事ではない。何しろこれから会う相手は、懺骸たちのリーダー、、、、、、、、、だと言う。

 だからこそ、仮特課を束ねる長だという鷺山さんの言葉を、軽く捉えることはできない。

「そいつには、君が羽月と出会ってから先日の襲撃で仮面を発現した時まで、分かる限りの状況をもう伝えてある。訊きたいことを訊けばそのまま答えてくれる」

「……その人のこと、よく知ってるんですか?」

 ふと気になって、僕は尋ねてみた。すると鷺山さんは、僅かに語調を硬いものにして、

「ああ。恐らくは奴自身を除いて、この世で最も奴を理解している」

 そう答えた。

 その言葉は冷たく厳格でありながら、どこか昔を懐古するような悲しさに満ちていた気がした。


 ……僕と同じ、『喜貌の仮面』を発現した犯罪者。

 それがどれほど凶悪な存在なのか、まだ会ってすらいない僕には、当然ながら全く理解できていなかった。

 



 厚い鉄の扉には、鍵が掛かっていなかった。

 この先にいるのは仮にも懺骸たちを束ねるリーダーで、事実、僕たちは地下深くにまで降りてきたというのに、肝心の檻に鍵がない。この時点でとうに、常識的な状況というものは破綻している。

 扉を開けると、その中の景色もやはり異様だった。

 中央をガラスに隔てられた、全面コンクリートの空間。それだけ見ると留置所の面会室のようだが、どうにもそのガラスの向こう側がおかしい。

 有り体に言って、向こう側にあるのは『部屋』だ。ソファーがあり、テーブルがあり、ベッドがある。どうしようもなく陰鬱な雰囲気の漂うこの場所において、その存在感は抜群に異彩を放っていた。

「遅いぞ、鷺山。二分遅刻だ」

 時計のないその部屋の中で、男は高らかに言った。

 囚人服でも着ていて然るべき立場だろうに、彼の身を包んでいるのは見るからに高級そうな紺のコートだった。色が抜け落ちたような白髪は真っ直ぐに整えられ、閉じられた環境を感じさせない。

 そしてこちらに向けられたその顔は、不安になるほど優しかった。

「聞いたぞ、カサネのやつがお前らの施設を襲ったらしいな。あの馬鹿め、少しは大人しくできないのか」

 飄々と、しかし落ち着いた声で、男は鷺山さんにそう語りかけた。

 鷺山さんはガラスの手前にまで歩み寄り、黙ったまま面会用の椅子に腰掛ける。

「あの子はお前を探しているようだったが。『計画』を伝えていないのか?」

「あいつは何も知らないさ、計画など何も無いんだから」

「ならばどうして自ら捕まった」

「犯罪者が自首するのに理由が必要か?大人しく喜べばいいものを。お前らが首ったけになって探していた私が、自ら懐に飛び込んでやったんだ。

 それはそうと、伝言を頼んだよな。私を探す部下に会ったら、『自首したので探しに来るな』と。言わなかったのか、馬鹿者め」

「相手は挑発としか取らないだろう。くだらない事を言うな」

「まあだろうな。あれは思い込むと止まらない餓鬼ガキだ。カサネの奴め、馬鹿はいつまでたっても治らないのか。

 ——で?そっちの少年が、『喜貌』の発現者か」

 そう言って、男は初めて僕の方に視線を向けてきた。

 目があって、思わず生唾を飲み込む。あくまで柔和な笑みを浮かべているというのに、その顔は果てがなく恐ろしかった。不安という概念が人の形をして喋っているようだ。

京楽譲きょうらくゆずるだ。名前はもう聞いているよ、渦羽根久也くん。お仲間同士、よろしくやろうじゃないか」

 それが僕と、京楽譲——つまりは喜貌きぼう懺骸ざんがいとの、初めての会話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る