第11話 喜貌の仮面

「大丈夫?」

 すぐ上から声がして、僕はようやく周囲の状況を正確に把握する。

 数本の触手、もとい『手』は、巳波の体から伸びていた。それは見るからに先ほど扉を塞いでいた『包帯』と同質のものだ。あの状況で間一髪、僕は彼女に救われたらしい。

「ああ、なんとか。……助かった」

 二、三度咳き込んでから僕は答えた。巳波は短く「そう」と頷いて、すぐに視線を前方への戻す。

 その先にいるのは言うまでもない、——僕と同じく攻撃を回避し、瓦礫の山を挟んで反対側に立っている『敵』だった。さも忌々しげに目を細め、彼もまたこちらを見据えている。

「……そうか、お前が巳波羽月か」

 敵は、殺意を込めた声で誰何する。

「こっちもあなたのことは知ってるわ。"カサネ"、だっけ。仮面の画像を見せられて、あいつの腹心だって伝えられた」

 見ているこっちの背筋が凍りそうなほど冷ややかな睨み合いだった。明らかにお互い、背景バックに因縁があるような言い回しをしている。

 そんな中、僕はふと一つの説明を思い出す。

 懺骸とは、仮面を被った犯罪者を指す言葉。巳波はそんな連中のことを、場合によるが普通は保護対象だと言っていた。

 場合によるが普通は、、、、、、、、、——と言うことは状況次第で、懺骸は『敵』でもあるのだ。

 おそらくはそれが、カサネと呼ばれたこの男。僕が見ただけでもこいつは、器物破損や殺人未遂など紛れもない犯罪を犯している。どう贔屓目に見ても『犯罪者』と言うほかない人間だ。

 そしてこいつは、仮面を被った犯罪者、、、、、、、、、だ。

 仮面を被り、その力を自分のものにしながらも、それを使って自ら犯罪を犯している。能動的なその行為は、仮特課という『警察』との敵対を免れない。

 つまり――このカサネこそが、巳波たちの『敵』なのだ。

「あなたの『先生』はここにはいないわ。……それともう一つ言っておくけど、この彼は仮特課の人間じゃない。保護されたただの一般人だから、危害を加えないで」

 そっと立ち上がりながら僕を横目にそう口にする巳波に、カサネは失笑を返す。

「面白いことを言う。俺たちのようなテロリストに、一般人には手を出すなだと?

 覚えておけよ巳波羽月、民衆を傷つけないテロリストは革命家だけだ。我々はこの社会を変えることなど望んでいない。ただこの社会を破壊したいだけだ。社会を構成する大多数たる『一般人』など、最も憎む相手でしかない」

 びりびりと、空気が痺れるようだった。カサネの声と、そこに含まれる憎しみという感情が空間を満たしていく。

 カサネは自信をテロリストと表現した。犯罪者ではない、もっと凶悪な存在。犯罪者というのが個人の悪意のために個人を傷つける存在ならば、テロリストは個人の悪意が社会そのものに向いた破壊者と言える。

 それを名乗るカサネの内にあるものもまた、この社会に対する憎悪と呼ぶべき『悪意』だ。

「ただ訊くのはこれが最後だ。先生はどこにいる」

「知らない。知っていても答えるつもりはない」

 巳波が答えたその瞬間に、再びそれは起こった。

 僕はその時、自分がまた瞬間移動したのだと錯覚した。何しろ今の今まで隣にいた巳波が、瓦礫の山を挟んだ反対側に移動しているのだ。

 だが、それは少し違った。移動していたのは僕ではなく、今回は、巳波が僕から引き離されたのだと、コンマ一秒遅れて理解する。

 何故なら、僕の隣にはカサネがいた。

「――!?」

 驚愕は僕と巳波二人のもの。ただし僕の方には、苦痛による悶絶も含まれていた。

 カサネの存在を認知したと同時に、僕の腹には彼の膝蹴りが叩き込まれていた。胃の中のものすべてが乱回転するような衝撃が腹部を駆け回り、反射的に蹲ってしまう。

 痛みに咳き込む中、しかし僕の頭の中では冷静に理解が進んでいた。

 移動していたのは僕でなく、巳波とカサネの二人。つまり彼らの位置が一瞬にして入れ替わっている。先ほどは跳ね上げられた小石と僕の身体が、そのまま入れ替わっていた。――つまりこれが、カサネの能力、、なのだ。

 仮面を自分のものにした人間は、仮面を通じて、現実を変化させる。その話を聞いた時、まるで魔法のようだ、という僕の感想を巳波は否定しなかった。

 例えば何もないところに炎を生み出したり、例えば念じるだけでモノを破壊したり、――例えば任意の二つを一瞬で入れ替えたり。そんな種も仕掛けもない手品、、、、、、、、、、こそ、仮面が有する真骨頂。

 僕も巳波も、このカサネという男も、みな同じ。自分の悪意ココロを現実に表すことが出来る。

 唯一違うのは、この場において僕だけがずぶの素人だという点だろう。

「ここからは命に訊こう。先生はどこにいる?答えなければこいつを殺す」

 膝をついた僕の背に片足を乗せ、カサネは再び問うた。 

 ……さっきから、先生先生と、そもそもそれは誰なんだ。そんな疑問と混ざった苛立ちが、だんだんと胸中に沸き起こるのを感じていた。

 大原則として、僕は本当に何も知らない。何が起こっているのか、ここがどこで敵が何者なのか、正確に把握できている情報など一つたりとも存在しない。

 なのに今この場で最も苦痛をこうむっているのはまず間違いなく僕だ。

 果たして訳も分からぬまま害を受けること以上に、人の癇に障ることがあるだろうか。

 昨夜の惨事は、心情的にはまだ許容できた。あの懺骸に関しては、何も知らない僕でも正気を失くしていると一目でわかる有様だったからだ。いわば錯乱した獣による被害と同質である。災害と同じく、害を加えてくる側に意思がないと明確であれば、そこに怒りなど生まれない。仕方がないことと呑み込んで、痛みを嘆くことに集中するのが人の性質だ。

 だがこのカサネという男は違う。

 こいつが僕を踏みつけるのは、無力な僕を人質に巳波を揺さぶるためだ。こいつの求める『先生』とやらの居場所を知るための手段として、僕は使われている。人の意志によって、確かな悪意によって僕は害されている。

 ……それは、我慢ならない。

 その場合においては、苦痛を嘆く気持ちよりも、『こいつさえいなければ』という怒りが勝る。

 この男がここに攻め込んでこなければ。この男が僕を人質に使うと選択しなければ。この男がそもそも存在しなければ――僕は今、何ら苦痛を受けることはなかったのだ。

「巳波羽月、俺はお前に訊いているんだぞ。それともこいつが死んでも構わないか?」

「………彼を放して。無関係の人間よ」

「おい、いい加減にしておけよ。答えれば放してやると言っているんだ」

 言ってカサネは、再び僕の横腹を蹴り上げた。

 何故なのかあまり痛みは感じなかった。ただ心の中で、また苛立ちが増大するのを感じた。

 跳ねるようにして床を転がった僕は、今度は仰向けに倒れる。そうして目に当たった蛍光灯の眩しすぎるくらいの光が、何故だか心地いい。

「……それとも、他人の命じゃ響かないか。なら次はお前自身の命に訊いてもいい」

 カサネがそんなことを言う。

 命に問う。それは取りも直さず、命が惜しくば、、、、、、という脅しに他ならない。僕の、そして次には巳波自身の命と、こいつが一貫して求める『先生』とやらの情報とを秤にかけろ、、、、、という意味だ。

 その事実が、どれだけ腹立たしいことか。

 僕の命と引き換えにされても巳波が何も言わないことには、べつだん文句をつけるつもりはない。彼女がこの状況で答えないなら、それだけの理由があるということだ。考えられるのは、巳波も何も知らないか、それとも僕や巳波の命に代えても守るべき情報なのかという二通り。そのどちらにしても、僕に彼女を責める権利は存在しない。

 だから気に入らないのは、この場において、このカサネだけが問う側、、、であることだ。

 僕や巳波の、人の命を脅しに使う資格というものが、この男にのみ存在するなどあって良いわけがない。

 この場で明らかに『悪』であるこいつだけが、何らおびやかされずにいるなど――許されていいはずがない。

 

お前もこっちに来いよ、、、、、、、、、、


 気づけば仰向けのままにそんなことを口走り、僕はカサネの足首を掴んでいた。

 胸の内に恐怖はない。ただ自信を突き動かす苛立ちのみが、僕を支えていた。

 その感情は驚くほどに劇的で、このとき渦羽根久也は、自らの顔の半分が仮面に覆われていることさえ自覚していなかった。

「……!?お前は――」

 見上げたカサネの口からは、驚愕の声が漏れていた。動揺と恐怖。二つの快いモノが入り混じったこの声を、きっと聞きたかった。

 気分が乗ってきて、僕は足首を掴んだ片手に思いきり力を込める。身体の奥底から力が湧き出てくるようで、頭の中で思い描いた通りに僕の手は動いていた。

 掴んだ足首から、ぎぎ、と何かがズレる音がする。その瞬間、泣き顔の仮面の奥から確かな苦悶の気配が伝わってきた。

「く――!」

 悲鳴の出来損ないみたいな声を滲ませて、カサネはその場から飛び退く。彼はそのまま僕と巳波の間に空いた距離のちょうど半分あたり、瓦礫の山の上に着地した。

 僕はそれを横目に、ゆっくりと立ち上がった。蹴られたところは痛んでいたが、思ったより辛くない。それよりも今はカサネと向かい合いたかった。

 この、憎き『敵』を睨みつけたい。この敵と、今この瞬間に言葉を交わしたい。

 そんな子供らしい『悪意』が、今の僕を支配する全てだった。

「……お前」

「ああ、ちょっと感動的だ。こうもシンプルに、『殴られたから怒る』なんて初めてかもしれない。スッキリするもんだな」

 取りあえず、思ったことを口にする。

 顔にこそ出さないが、仮面を被っていても伝わってくる明らかに平常でないカサネの表情、、はやはり快かった。笑いたくなる反面、実際には緊張があるのか、僕の鉄面皮は崩れない。

 ――が、その快感は間もなく不安、、に変化した。

 僕の方を見て驚愕しているのが、カサネだけでなく巳波もだと気が付いたからだ。むしろ仮面がなく、言葉がある分、彼女の方が分かりやすかった。

「あなた……それは、喜貌きぼうの仮面……!?」

 僕の顔を、正確には左側半分を見て、巳波がそう恐れる、、、

 果たして彼女の目に何が映っていたのか、僕には分からない。だが少なくとも、彼女がいま僕に懐いている感情がカサネのそれと大差ないことは確かだった。

 それでようやく、理解する。

 巳波という味方とカサネという敵。両者からいま僕は――まるで化け物のように見られているのだと。

 

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