第9話 特別



「……そんな風に、僕個人に興味を持ってくれるとは意外だな。もっとドライな奴だと思ってた」

「私だって人間よ」

「自己紹介の時はお前、『虫を見る目』って言われてたぞ。僕の友達に生粋の女好きがいるんだが、そいつはお前のこと初見で『怖い』って言ってた」

「ああ、教室では私、そもそも人と関わるつもりがなかったから。あの学校にはそもそも仕事の一環で転入しただけだし」

 何やらとても気になることを言う巳波だったが、僕がその中身を詳しく尋ねる前に、彼女は再び質問を畳みかけてきた。

「――で、どうして家族がいないの?」

 それ、、を訊くことに罪悪感とか、せめて遠慮はないのか――などとは言えなかった。今の巳波の言葉には、僅かだが躊躇いともとれる”間”がある。これでも心中は悩んでのことなのだろうと察せるくらいには、僕もこの転校生との会話に慣れてきていた。

 まあそれはそれとして、どこから僕の個人情報を入手したのかと言う確認だけはさせてもらうが。

「そもそもなんでお前、僕の家族構成を知ってるんだ?」

「訪ねたの、学校と同じように説明をでっちあげる必要があったから。でもすぐにその必要がないと分かった。足を運んでみたら、誰もいないんだもの」

「それだけなら両親とも家を空けてるだけ、って可能性もあるだろ」

「勝手だけど、上がらせてもらったわ。調べてもあの家には、『家族』が暮らした形跡が皆無だった」

「堂々と権限乱用しやがって……」

 思わず口から出た嫌みは、どちらかと言うと図星の照れ隠しのようなものだったと思う。

「別に話すようなことでもない。どっちも事故で死んじまっただけだよ」

 少し考えたが、結局は何も隠すことなく事実を告白することにした。訊かれてまで隠すほど気にしていることでもないし、それに、巳波の方からこちらに興味を持ってくれているこの機会を潰すのは、どこか勿体ない気がしていた。

「もう十年前かな。三人で乗ってた車が崖から転がり落ちてさ、大炎上したんだ。よく覚えてはないけど、何で僕が生きてたのか不思議なくらい派手な事故だったらしい。で、それからずっと一人ってっわけ」

「優しかったの?久也くんの家族って」

 巳波は淡々と、短く問うてきた。相手には見えないが、僕はかぶりを振る。

「正直に話すと、事故のショックで記憶が混乱したらしいんだ。今じゃ親の顔を思い出せないんだよ」

「それって辛い?」

「いや、別段。思い出せないもんは悲しめないからな」

 これも、正直な僕の本心だった。現に今、両親について話しているこの時にも声が震えることさえない。松本に嫌味を言う時と全く同じ口調で僕は喋っている。

 嫌なものにはつべこべ言わずさっさと蓋をしてしまえばいい。僕が唯一持っている持論のようなものだった。

「……と、こんなつまらない話で満足かよ?」

「どうかな。でも、私の中で久也くんのイメージは少し変わった気がする。もう少し普通な人だと思ってたけど、仮面を発現するだけはあるのね」

「何だそりゃ。褒めてんのか貶してんのか分からないな」

「普通の人は貶されてると感じるんじゃないかな。仮にも『普通じゃない』って面と向かって言われたんだから」

「口だけ『面と向かって』な。……まあでも、普通ってのは言い換えれば凡庸ってことだ。それに普通の反対は『特別』だ。そういう意味じゃ、普通じゃないってのはそう悲観することでもないだろ」

「でも特別は、異常とも言い換えられる」

「確かにな」

 けれど人間は何も、『普通』と『特別』の両極端に分かれるわけではない。誰もが自分が特別でありたいと望む一方、誰もが他人との違いに悩んでいる。

 けど今の世界は、誰もがは『普通』に収束するようなシステムなんじゃないかとも思う。

 言い換えればその中で『特別』としか言いようのない巳波や僕は、それこそ唯一明確に『異常』な人間なのかもしれない。

「……ああ、普通だとか特別だとかいう話で思い出した。僕もお前に一つ、踏み込んで訊きたいことがあったんだ。たぶん仮面とは別の、お前自身のことで、、、、、、、、

 たぶん、と枕詞が付くのは避けられない。巳波の説明は簡潔だったと思うが、僕はまだ仮面についてすべてを把握できているとはとても言えない。

 そんな僕の躊躇いがちの質問に、しかし巳波は普段通りの口調で「なに?」と先を促してくれた。

「昨日のさ。お前の、あの手のこと、、、、、、――」

「――――。ああ、見られてたんだっけ」

 気後れするほど長く気まずい沈黙の後、巳波は素っ気なくそう言った。

「――あれはさ、大丈夫なのか?僕が混乱して幻覚を見てたんじゃないんなら、お前の両手は、その……」

「大丈夫よ。今はどっちも私の腕についてる。あなたが寝ている間になおして、、、、もらったから」

 その『なおす』は、きっと『治す』ではなく『直す』と書くのだろう。そしてその答えは、暗に僕の見た光景が勘違いではないと証明していた。

 昨夜——正確には、一度気を失って、それから目を覚ました直後のこと。僕はそこで、両腕の肘から先を失った巳波を確かに目撃したのだ。

 そして同時に、巳波の身体の内面をも僕は見てしまった。

 地べたに倒れていたからこそ見えた、彼女の腕の切断面、、、。その内側からは血もほとんど出ず、代わりにどこか無機質なモノが覗いていた。あれはそう、例えて表現するなら――『部品パーツ』だ。

「あの身体はなんなんだ?まさか仮面を使えるようになった人間はみんな、ああなるってわけじゃないだろうし……」

「こっちは話してもらっておいて悪いけど、今ここであなたにすべてを話すつもりはない。けど、そうね、あれは私の仮面の力の一端と思っていい。私だけの固有の身体よ。久也くんがああなることは絶対にないから、安心して」

「……そうか」

 正直、訊くべきことではないような気は最初からしていた。だから答えてもらえなかったことに文句を言うつもりはないし、すまないという気持ちさえある。

 そう思ってなお質問を口に出したのは、……僕はきっと、巳波に惹かれているのだろう。

 あのとき彼女が自らの腕を見下ろした眼差しには、明らかな自虐と悲哀の色があった。あの身体は巳波にとって、恐らくは喜ばしいモノではない。

 でも――そんな身体で、仮面なんてものを発現してなお、彼女は生きたいと言っていた。もしその理由を知って、理解できたなら、僕だって『生きよう』などではなく『生きたい』と思えるようになるかもしれない。



「ところで話は変わるんだけど」

 と、包帯の口越しに巳波はそう切り出した。

「何だよ、まだ訊きたいことでも?」

「訊きたいことっていうか、提案かな。鷺山さぎやまさんが帰ってきたらどっちみち同じこと言うだろうから、先に言っておこうと思って。

 単刀直入に訊くけど久也くん、仮特課に入らない?」

 その提案とやらを聞いて、言っていることは理解できたものの、僕はひとまず「は?」と訊き返した。

 そう、巳波の言っていることは理解できる。仮特課というのはさっき言っていた彼女の組織のことで、つまり僕は勧誘されれている。意味が分からないのは、その理由の方だった。

「……えっと、まだよく分かってないんだけどさ。その仮特課ってのは警察なんだろ?僕は一介の高校生だ。お前みたいに『特殊な事情』ってのもない」

「分かってないのね。あなたは私みたいに、、、、、仮面の力を発現している。たぶん私の上司は、あなたを管理したがるの」

「管理って……なんか物騒だな」

「大丈夫、そこはモラルのある人だから、久也くんの意志は尊重されると思う……。けど実際のところ、あなたは仮面の力の使い方をまだよく分かっていない上、その能力は極めて危険なものと思われる。だから程度はともかく、あなたには私たちに付き合ってもらう、、、、、、、、必要があるのね。

 その場合、実際に私たちの仕事を手伝ってもらうのが一番早いの。仮面の使い方も現場で教えられるし、懺骸みたいな、仮面の危険性も伝わりやすい。不測の事態が起こっても、仮特課は対処しやすくなるし」

 巳波は最後に、「私もそうやって仮特課にいるんだし」と付け加えた。それを聞いて僕は、『保護観察』と言ったさっきの言葉を思い出す。

 仮面を発現した者を組織内部に取り込むことによって保護し、管理する。なるほどよくできたシステムだ。僕の意思が尊重されるという話はまだ信じていいか分からないが、それ抜きにしても良心的と言えるだろう。

「悪い話じゃないと思うけど。バイト扱いだけど給料だって出るし、あなただって仮面について、もう少しくらい詳しく知っておきたいでしょ?」

「どうかな。実際の仕事に駆り出されるってんなら、それこそ昨日みたいな危険もあるんじゃないのか?」

「リスクがゼロとは、もちろん言えない。……あなたは死なないわとか、私はいま言うべきかな」

「さあ。どっちにしろ、ちょっと考えさせてくれよ」

 そう言って僕は、軽く伸びをする。何故だか肩が凝っていた。少し長く話過ぎたのかもしれない。

 考えてみれば目が覚めてからずっと話していたのだ。その間は水一滴すら飲まずにいたわけで、そう考えると急激に喉が渇いてくる。僕は部屋に設置されていたウォーターサーバーに手を伸ばした。

「そういえば巳波、さっき言ってたサギヤマさんってのは……」

 

 ――突然に部屋が大きく揺れたのは、ふと思い出して質問をしたその時だった。


 どこかで地震が起きただとか、そういう揺れ方ではない。今この場所で巨大な衝撃が発生した、、、、、、、、、、、、、、、、、そんな直接的な振動だ。それとほぼ同時に、何か大きなものが一片に崩れるような轟音が響く。

「な、何だ……!?」

 どちらも絶対にこの場所で起きたものだった。にも拘らず、この部屋にはどこにも変化がない。

 ということは――衝撃の発生点は、扉一枚を隔てた向こう側だ。

 振り返って、僕はその予測が間違っていなことを確信する。

 この部屋の扉を何層にも封じていた、あの”包帯”が消えている。当然その上に出ていた巳波の『口』も今はない。

「ッ……!」 

 漠然とした焦りと不安を胸に抱えて、僕は露わになった扉のドアノブを掴んだ。



 

 

 

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