第8話 仮特課
「いったん切り離した心の暗黒面はそう簡単に受け入れられない。だから仮面を長く被り続けると、心の弱い者は意識を乗っ取られてしまうの。
私たちを襲ってきたあの男が、その
「いや待て、仮面の原因って……あいつは僕にも襲い掛かってきたじゃないか。僕はあんなチンピラ見たこともないぞ。心当たりがない」
「それならあの男は、この社会や人間そのものを恨んでいたのかもね」
「人間そのもの……?」
「よくある話よ。あの人は見た感じ教養なさそうだったし、きっといろいろな場面で軽んじられてきたんでしょう。そういう場合は見境がなくなるの」
酷い言いようではあるが、どうもそれが事実のような気がした。今日、この社会の仕組みそのものを憎む人間と言うのはそう少なくないのだろう。
「仮面を発現した人間は総じて攻撃的になる。あの男のように、仮面が発達した爪や牙なんかを携えることもある。そうなったらもう、普通の人は身を守ることさえかなわない」
「確かにあんな化け物になっちまうなら、自力で身を守るなんて無理だな。
――じゃあ訊くけどさ、
この場においては核心ともいえる質問を、ようやく僕は口にした。
身体から傷がさっぱり消えている不思議も、仮面というモノの正体も、当然問わずにはいられない疑問だ。しかし結局僕が一番知りたいのは、
「お前だって仮面を被ってる。けど精神が錯乱した様子もないし、そもそもお前の場合、
「私はね、
巳波はまた、そんなよく分からないことを言った。どころか、
「私だけじゃない。あなたもそうなの、久也くん」
――なんて、その意味不明を僕にまで押し付けてきた。
「……どういう意味だ?」
「仮面を被った人間は、その悪意に心を侵される。でも人によっては、その悪意に打ち勝つこともある。自分の強い意志ってものが悪意を上回ることによってね。
知ってる?悪意にしろウイルスにしろ、自分を侵す苦痛に勝った人間は成長するの。悪意に勝った人間は、その悪意を自分のものにする。――つまり一定以上に心が強い者は、仮面を自分のものにできるの」
そしてそういう人間は、仮面の力を自分の意志でコントロールできるようになる。巳波はそう説明した。
「仮面をコントロールするということは、自分の闇の部分を掌握すること。つまりは悪意の根底――他者に対する『こうあってほしい』『こうなってほしい』という強い願いね。
――そしてその領域に達した者は、仮面を通じて、現実を変化させることが可能になる。決して起こり得ないところに炎を出現させたり、砂漠の真ん中で水を出したり。
「……、つまり魔法みたいなものか」
どこか含みのある例えは取りあえず無視して、僕はそう訊き返した。
「そうね、分かりやすく言えば魔法。その人の根源的な願望が表出した『能力』よ。どんな力かは人によって異なるけど」
「そんな神秘が実在するなら、もっと大騒ぎになってそうなもんだが」
「しょうがないのよ、普通の人には見えないんだから。他人の仮面を視認できるのは、同じく仮面を自分のものにした者だけ。道路の真ん中で炎を出したとしても、道行く人はそれを認識できないの。もちろん触れたら燃えるけどね」
「……ん?」
巳波の説明に僅かな引っ掛かりを覚え、僕は首を傾げる。少し考えると、その原因はすぐに分かった。
「ちょっと待て。僕は今まで能力なんか使えた覚えはないけど、ずっと仮面は見えてたぞ?お前の話じゃ、能力が使える人間じゃなきゃ仮面は見えないんじゃないのか?」
「……それについては、よく分からない」
なんて、巳波はそんな頼りないことを言い出す。
「分からないって……」
「本当に分からないの。でも傷の治りの速さのこともあるし、あなたが何か例外的な存在なのは確かだと思う。
ごめん。私は仮面の専門家ってわけじゃないの。最初に言った通り、この話も
「……何にせよ、なるべく早くして欲しいもんだな。腹が減ってきた」
と、そんな風にぼやいた瞬間だった。僕の胃袋からくぅ、と情けない音が響く。今この瞬間のむつかしい雰囲気にあるまじき、シリアスという言葉からは恐らく最も遠いところにある効果音だった。
そういえば、そもそもあの時外出したのは弁当を買うためだった。
「……ちなみに、今は何時だ?」
「昼の一時。あなたが寝ていたのは、ちょうど十時間くらいね。お腹が鳴るのも仕方ないと思う」
「とってつけたようなフォローをありがとう。……それと、ここはどこなんだ?最初に東京とは言ってたが」
「都内の、――そうね、どこかの地下よ。詳しい場所はまだ教えられない。でもあなたに危害を加えるつもりはないから、そこは安心して」
「危害を加えない、って言ってもな。えっと、つまり――これは一応、拉致監禁ってことになるのか?」
「言葉を選ばなければね。実際には『保護』だけど」
「保護?」
「あなたは率直に言うと、ふとしたことで人を殺しかねないの。昨夜のあの能力は、見た感じだと『モノを破壊する力』だった。単純だけど、とても危険だって解るわよね。なのにあなたは能力を発現したばかりで、きちんと制御できている保証もない。だから隔離して、保護するの。
言い方は悪いけど、危険なウイルスを持っている病人を隔離するのと同じね」
「……なるほどな。ちなみに今日は平日のはずだけど、学校の方はどう対処してくれてるんだ?僕ら二人そろって無断欠席か」
まあ別に、僕は皆勤賞を狙っているわけでもないし、どうでもいいと言えばどうでもいいことなのだが。
「もう連絡してあるわ。私は風邪で病欠、久也くんは昨夜に暴行事件に巻き込まれて、事情聴取を受けていることになってる」
「まあ、嘘はついてないな……つうか事情聴取って、そんな簡単に警察を
「騙ってなんかいないけど」
顔は見えないものの、たぶん今の巳波はすまし顔をしていたと思う。僕は思わず「は?」と訊き返した。
「昨日も言ったじゃない。
「……警察って、高校生でもなれるのか?」
「私は事情が特殊だから。そうね、保護観察みたいなものかな。
仮特課は仮面を被った人間の犯罪に対応するための組織で、私みたいな仮面を扱える人で構成されてる。
「ザンガイって?」
「仮面を被った犯罪者のこと。
「……なんか、詩人みたいだな」
それが正直な感想だった。否定はしないし、むしろセンスはあるように思えるが、仮にも警察というお堅い組織が考える名称ではないと思う。
「で、その懺骸ってのが、お前らの敵ってことか」
「場合によるけど、普通は敵っていうより、保護対象ね。彼らが犯罪を犯すのは、ほとんどが仮面に理性を侵されてのことなの。だから罪を犯す前に懺骸を見つけ出して、仮面を剥がすのが私たちの仕事」
「仮面を剥がす?」
「そのままの意味よ。悪意の原因となっている『心の闇』ごと仮面を破壊してしまうの。仮面を剥がされた懺骸は、その仮面に関係する出来事の記憶を丸ごと失ってしまうけど、以後は悪意に振り回されることはなくなる。無益に警察の厄介になることもね」
「その人にとっても、その後の人生のためってわけか。確かにそれは『保護』だな」
空気を読んで同調するわけでもなく、本心で僕は頷いた。結局悪い出来事なんて言うのは、消してしまう方が良いのだと思う。
それにしても、と僕は溜息をついた。
一息に色々なことを教えてもらって、それこそ脳がパンクしてもおかしくないと思うのだが、これがどうにも僕は落ち着いているらしい。あれだけ現実味のない光景を次々と目にしたのだから当然かもしれないが、今の荒唐無稽な話をもうほとんど信じている自分にはいささかの驚きを覚える。
「……ねえ、一つ訊いてもいい?」
と、包帯の上からそんな風に問われる。僕は何も考えず、「ああ」と頷いた。
巳波の纏う雰囲気が先ほどまでと微妙に違っていることに気付くのは、たぶん無理だったと思う。何しろ僕が対面しているのは彼女の『口』だけだったのだから。
「あなた、
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