第3話 前兆


 どこまでも最悪な夜だった。

 この時期、日が沈んだ途端に寒さのレベルが変わるのはよくあることだ。例えば今のように、ちょっとコンビニに出かけようというだけでもコートを羽織る必要がある。

 家から最も近い店舗で好みの弁当が売り切れていたので、徒歩十五分ほどのコンビニにまで歩こうと思ったのだが、それがいけなかった。せめて天気予報を確認するべきだったのだろう。傘もないのに、歩いている途中で大粒の雨が降ってきた。

 位置的には家に戻るより目的地に向かう方が早かったので、ともかく僕は走ったのだが、コンビニに到着したころにはびっしょりと靴下まで濡れていた。身体の芯まで冷え切った感覚だ。

 大きなくしゃみを何度もしながら、結局目当ての弁当は売り切れているし、おまけに止みそうにない雨のためにビニール傘まで購入する羽目になった。


 ――最近、この町はおかしい。


 名城市なしろし、というのが僕の住む自治体の名前だ。人口約八万人、東京二十三区に隣接するベッドタウン。取り立てて誇るようなこともない、ただ都会で遊ぶには便利な町。生まれてからずっと住んでいるが、好きでも嫌いでもなかった。

 でも、最近はおかしい。僕に直接関係があるわけではないが、この町は変わった。

 いつからだったか、僕の目には奇妙なものが見えるようになった。

 町でも学校でも、すれ違う人々の顔に時折それ、、は現れる。大抵の場合は白い色をしていて、その人の頭部の前面、つまり顔を覆っている。

 それを見たまま、僕は『仮面』と呼んでいる。

 仮面は顔のすべてを隠していることもあれば、下半分だけだったり、中には目元だけ、なんてこともあった。形も人によってすべて違う。ただ仮面にはいつも、どこか不気味な印象があった。見るのがほとんど日が沈んだ後だったからだと思う。

 それが現実の存在でないことは、すぐに解った。他の人間には見えていないようだし、どうやら被っている本人すらその存在に気付いていない。幻覚を疑ったこともあるが、やがて仮面を被る人間に共通点を見つけると、そんな考え方はしなくなった。

 彼らには、何かしら深刻な状況にある、、、、、、、、、、、、という共通点がある。

 例えば定期的にゆすられているだとか、家庭環境の崩壊だとか、高校生なのに妊娠してしまっただとか、……ともかくそんな、人によっては自殺すらしかねないほどの、深刻な”悩み”。『心の闇』とも言い換えられる何かを抱えた人間の顔に、仮面は現れる。

 何故そんなものが見えるようになったのかなんて分からない。

 けれど僕は、今まで幾度となく仮面を被った人間と関わってきた。中には本当に自ら死んでしまった者も少なからずいた。だからこそ僕には分かる。この町は今、明らかにおかしい。

 

 コンビニから出てみると、やはり一目瞭然だった。

 二十二時を過ぎたこの時間、通りには人がごった返している。疲れた顔で歩く若いサラリーマンや、酒気に顔を赤くした中年の集団。そんな人々の、実に二割ほどが仮面を被っている。

 仮面が多いということは、すなわち闇を抱えた人間が多いということ。それこそ都心にでも行けばそんな人間が溢れていそうだが、ここはベッドタウンだ。家庭を持つような人間が多く生活を送る町であり、心の闇なんてものには縁遠いように思える。……いや、実際にそうだったんだ。

 少し前までは仮面などせいぜい一週間に一つ見れば多い方だったのに、今では、ざっと見まわすだけでいくつも目に入る。

 それを事実と裏付けるように、目の前をパトカーがサイレンを鳴り響かせながら通り過ぎて行った。これもだ。最近は、この耳障りな音を聞くことが嫌に多い。

 僕は何も、町が少し騒がしいくらいで悲しむような繊細な神経は持ち合わせていない。だけど、町の人々が前より不幸になっていることを確信できてしまうのは、やはり気が滅入る。

 大粒の雨は、相変わらず降り続いていた。

 雨の音には人の声を聞きやすくする効果でもあるのか、今夜は一段と、嫌でも町の喧騒が耳に入る。

 酒に酔っているのだろう、通行人に大声でがなり立てる人がいる。その横で、楽しそうに笑いあっている女子高生がいる。誰もが繋がっているようで誰も繋がっていない、いつも通りの風景。しかしいつも通りに見えて、実際はそこら中に、例えばあそこで女の子に絡んでいるオールバックの男は仮面を被っている――と。

 その、オールバックの男に絡まれている女の子、、、、、、、、、、、、、、、、、、を、僕は思わず二度見した。

 この寒いのに、やたら扇情的な格好をしていた。Tシャツから腹を出したファッションに、露出度の高いホットパンツ。どれも派手な柄で、服の間から見える色白の肌とはミスマッチだ。

 一見して別人のようだが、しかしその整った無表情だけは見間違えようがない。

 コンビニの建物の陰、あまり人目につかないその場所で絡まれているのは、巳波羽月だった。

「何やってんだ、あいつ……?」

 見るからにトラブルに巻き込まれている同級生を前に、酷い言い草ではあった。しかし僕の心にまず沸き起こった感情は、またしても”疑念”である。

 今朝から接していて、あの転校生の人物像と言うものは何となく掴めているつもりだった。他人とはあまり関わらない、物静かなタイプだ。どうも底の見えない部分もあるようだが、基本的な認識はそれで間違っていないはずだ。

 それが今――絡まれているのは別にしても、この時間帯にあんな格好をして外出しているのは彼女の意志でしかあり得ない。いったい何のために、何のつもりで?と疑問が頭をもたげるのも仕方ないだろう。

 しかしそんな悠長に考えている場合ではなくなった。

 何やら言い争っている様子だった巳波が、相手の男に腕を掴まれ引っ張られている。見ていると、彼女はさして抵抗もせず、そのまま連れていかれてしまった。

 二人が向かった方向にあるのは、小規模な会社や工場などが建ち並んだ路地だ。夜になれば人通りは全くと言っていいほど無くなる。彼らが今まで言い争っていたのが『人目につかない』場所なら、その先にあるのは『人気ひとけのない』場所と言えた。

「……おいおい」

 思わず呟かずにはいられなかった。

 何にせよ放置できる状況ではない。先ほどの二人の会話までは聞こえなかったが、あれはどう見ても穏やかな雰囲気を伴っていなかった。あの調子だと、人目が全く無くなれば何をされるか分かったものじゃない。

 何しろ、あのオールバックの男は仮面を被っていた。

 今までの経験からも、仮面をつけた人間の心が不安定な傾向にあるのは間違いない。心が不安定と言うことは行動が不安定と言うことだ。

 そんな爆弾のような男を前に、か弱い少女には叫び声を上げることすら難しいはずだ――そして同時に。

 懸念しなければならないのは、巳波羽月も仮面を被っている、、、、、、、、、、、、、ことだ。

 昼休み、訳も分からないうちに視認した、あのイタチのような仮面。あれが見えた以上は、彼女も何かを抱えているはずなのだ。

 それが何なのかは、今のところ分からない。が、例えば常習的に強請ゆすられているとか、つまりこの状況がそれである、、、、、、、、、、という可能性は、決して低くないように思える。

 だったら僕は、どうすべきだろうか。

 どうすべきであって、そしてどうできるだろうか。

「どうあっても、無駄なことでしかなさそうだが……」

 どうにもそれが真実らしかった。この状況で僕にできることなど、普通に考えるとあまり無さそうだ。

 しかし、それがいつも通りだとも思う。

 僕が今までしてきた行為の中に、おそらく有意義だったことなどない。少なくとも仮面が絡んだ事柄について、僕のしたことに意味のあったとは言い難かった。

 ふと、だったら何かしよう、、、、、とはしてみよう、と思った。結果何もできなかったとしても、それはそれで。いわば『無駄』というのは僕のルーティーンワークのようなものだ。

 正義の味方を気取るでもなく、ただ何かつまらない義務感のようなものに背中を押されて、僕は二人が消えた路地へと足を踏み入れた。

 


 

 

 

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