第4話



 僕は部屋を改めて見回した。壁には絵画のほかに、本棚と引き出しがあった。本棚に近寄って本を見てみると、どうやら法律関係の書籍が多いようだ。一応指紋を残さないようにするため、服の袖で手を覆ってから、引き出しも開けてみた。そこにはアルバムが何冊か入っていた。めくって中を一通り見てみたが、どの写真にも、自分と思しき男とその隣に寄り添うようにして立つ女性、そして二人の間で笑う少女が映っていた。三人揃って映っていないものであっても、そのうちの誰かが必ず映り込んでいる。

 おそらくは家族写真、なのだろう。

「僕には、家族がいたのか……」

 にぎわう観光地や入学式の校門前など、そんな華やかな場所で映された写真の中で、微笑みを浮かべてこちらを見る自分の姿に、不思議な感覚を覚えずにはいられない。こんなにも幸せそうに笑っているのに、今はこんなざまだ。自分自身の名前さえ思い出せず、その上、ほぼ間違いなく、人殺しにまで成り下がっている。

「いや、落ち着くんだ……」

 僕は頭を振って邪念を払い、気を落ち着けた。ここに自分の家族のアルバムがあるということは、きっとここは僕の所有する建物なのだろう。とすると、本棚にあった法律関係の書籍も自分のものと考えるのが妥当だが、もしかしたら僕は法律にかかわる仕事をしているのか? 

 弁護士か、それとも、検事?

「トラブルに巻き込まれた、とかか……?」

 真っ先に思い浮かんだのは、、という可能性だった。医者が術後、患者に訴えられることがあるのと同じように、弁護士や検事も顧客と揉めて命を狙われることがあると聞いた。いずれにしろ、恨みを買いやすい仕事であるのは間違いないだろう。とすればこれは、僕の仕事がきっかけで起こった殺人なのだろうか。 

「いや……でも、おかしい」

 そう考えたが、すぐにおかしな点に思い至る。たとえその仮説が正しいとしても、体をバラバラにした理由が説明できない。それに何より、その場合、僕が殺されることはあり得ても、僕が殺人を犯す理由が薄すぎる。正当防衛だとしても、これではあまりに過剰防衛だ。かといって、家族もいるような一弁護士や一検事が、ただの依頼人にそこまでの怨念や憎しみを覚えるものだろうか? 頭の狂った依頼人に「お前の大事な人を殺す」などと脅されて、家族を守るため、やむをえず殺したのだとしても、やはり体をバラバラにする理由がない。

 あるいは、バラバラにして、どこかへ運ぼうとした? 

 どこへ? 

 ここはおそらく自分の家で、すぐそばには深い森がある。人もいない。いくら大人の男でも、骨の通った人体を三人分も切り刻むのはきっと重労働のはずだ。そんなことをするよりなら、かついで外へ持って行き、適当に穴を掘って埋めてしまうほうがいいに決まっている。あるいは人を殺したことで頭がひどく混乱してしまい、冷静に考えられる状態ではなくなっていたとも考えられるが……


「どういうことなんだ……」


 その時、ふとひらめいた。ひょっとすると僕はもうすでに家族を殺されていて、その復讐をしたのかもしれない。それならば、体をバラバラにするという凶行にも一応説明がつく。僕は復讐の鬼になっていたのだ。あれほど幸福そうだった妻や娘を奪われたのなら、いくらきちがいじみたことをやらかしても不思議ではない。常人には理解できない精神状態に陥るのも当然といえよう。気を失って倒れていたのも、きっと復讐をやり遂げて気が緩んだせいだろう。


「そうだ……きっとそういうことだ」


 僕は安堵を感じながら、一度深呼吸をした。血の匂いは不快だったが、事態を把握できていなかったときよりは、ちゃんと息が吸えているように感じられた。脳に酸素が行き届くのを感じる。僕が次にするべきことは、決まっている。ここからどう逃げるべきかを、考えるのだ。

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