第3話
「ウソ、だろ……」
そののこぎりを手に取った瞬間、突如として頭の中に、記憶の断片がフラッシュバックしてきた。バチバチっと火花の散るように、長いこと使われていなかった回路にいきなり電流が迸るように、ある場面が脳内再生された。
暗い廊下。視界の端には鈍く光を反射する、真新しいのこぎり。
僕は誰かの名前を繰り返し呼びながら、部屋から部屋を探し回っている。やがて突然、明るい部屋に場所は変わり、そこには……
そして気付けば僕は、人をバラバラに解体している。
「ウソだ‼」
僕は恐ろしい幻影を搔き消すようにそう叫び、のこぎりを部屋の隅へ放り投げた。頭からサーッと血の気が引き、心臓が破裂しそうに苦しい。痛い。吐き気がまたこみ上げた。けれどもう吐くモノなんて残っていない。僕はうずくまって小声で、自分に言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返しつぶやいた。そうでもしていなければ、寒くもないのにガチガチと震えて音を出す歯が、すべて残らず折れてしまいそうだった。
「ウソだ嘘だうそだウソだ嘘だ……」
しかしいくら自己暗示をかけようとしても無駄だった。つい今しがた思い出された記憶は、夢や幻というにはあまりにも鮮明で、尋常でない臨場感があった。つまり十中八九、僕は、人を殺したのだ。
しかも、三人も――。
「うっ……」
たまらず再び嘔吐した。といっても胃液が水のように流れ出てきただけで、固形物は全く出てはこなかった。
吐くモノがなくても、人はちゃんと吐けるのだな。
これなら、いつまででも吐いていられそうだ。
精神的苦痛が限界に達したのか、脳がもう現実逃避をし始めたようだ。あるいはあまりにも絶望的な状況に、頭がどうかしてしまったのか。いずれにせよ恐怖やショックや自己嫌悪を感じるべき状況にいる僕は、やけに冷静な頭で、そんなのんきなことを思い、ひとり笑った。そして冷静になったついでに、部屋をぐるりと見まわした。
「……」
この部屋にはいくつか窓がある。
カーテンが引かれているが、外はどうなっているのだろう?
僕はよろよろと立ち上がり、窓のところまで行って、カーテンを一気に開けてみた。
外は、深い森だった。
虫の声や木々のざわめきが聞こえるほどに、辺りは静かだ。車の通る音や人の声なども全くしない。そして時刻はどうやら真夜中らしく、満月が頭上で輝いている。ふと見れば、窓に自分の顔が映っている。その顔にさえ、僕にはとんと見覚えがない。
「……これから、どうなるんだ、僕は」
虚像の自分に問いかける。彼はゆっくりと口を開いた。
「どうして、こんなことをしたの?」
「どうしてだろう……わからない」
「ならそれを探すんだ。なぜ自分が人を殺したのか、それを自分自身で解明する。君が助かりたいのなら、そうするしかないよ」
僕は小さくうなずき、カーテンを再び閉めた。
なんにせよ、自分の言うとおりだった。実際、自分が置かれている状況を把握しておくことは大事だと思った。殺されてバラバラにされているあの三人は誰なのか、僕と彼らのつながりは何なのか、知らなければならない。もしかしたら――状況はすでに最悪の極みにあったが――、それでもまだ、僕の助かる道は残っているかもしれない。幸い、森深くにあるこの場所には、今すぐ人が来るということはなさそうだから。
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