第2話



「な、なっ、なんだよこれ……!」


 僕は即座に足を引っ込め、みっともなく尻を引きずるようにしてその場から後退した。うっ、と吐き気がこみ上げてきて、高そうな絨毯の上に嘔吐した。胃の中のモノを粗方出し切るまで吐いてしまうと、目から生理的な涙がこぼれた。

「なんなんだよ、これは……」

 荒れた息を整えながら、胸に手を当て、心を落ち着かせようとした。冷静にならなければ。どうしてこんなことになったのか、落ち着いて考えを整理しなければ。


「……」


 もう一度気を落ち着けて、今度は努めて何も考えないようにして、死体の方を見てみた。なんというか、それは、やはり血や死に慣れた外科医のように感情を殺して眺めたところで、「ひどい有様」としか言いようのない光景だった。真っ赤な血が泥のように広がって、油絵の絵の具のように絨毯に染み入っている。

 プラモデルか、あるいは、食用の牛や豚。

 そんなたとえがしっくりくるように、死体のパーツは関節からバラバラにされている。前腕、上腕、ふくらはぎ、太もも、臀部、胴体、そして頭部。頭は見たところ三つある。つまりこのは、元は三人の人間だったのだ。

 そして理由はわからないが、誰かに殺されてしまったのだろう。

「あ、そうだ、警察に電話……!」

 そう思いポケットに手をやると、幸いなことにスマートフォンがあった。が、警察へダイヤルをしようとしたその時、僕は重大なことに気が付いた。


【パスワードを入力してください】


 画面に浮かんだパスワード入力画面を見て、手がぶるぶると震えた。

 自分のポケットに入っていたスマートフォンなのだから、これはまず間違いなく僕の所有物のはずだ。それなのに、僕は……僕の頭には、それらしいパスワードがひとつとして浮かんでこない。それどころか僕の脳味噌は、自分の名前も、自分の誕生日も、何一つ思い出さない。混乱しているせいかもしれない、としばらく冷や汗を流して無駄な努力をしたあと、ようやく、僕は事実を受け入れた。

 僕はどうやら、記憶をすっかり失っているらしい。


「クソッ……クソッ!」


 頭が真っ白になって、無意識に頭を抱えた時だった。視界の端に、ちらりと、何か柄のようなものが映っているのに気が付いた。僕は恐る恐る、その方に目を向けた。柄のようなものはテーブルの下から出ていた。こわごわと手を伸ばしてそれを握り、引き抜く。

 出てきたのは血と肉の破片のついた、大きなのこぎりだった。

 

 

 

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