第11話 一人暮らしを始めた件

 休み明けの水曜日。


 七尾事務所の戸を叩く。


「失礼します。七尾所長。先日のお話、受けさせて下さい」


「それは良かった。森國は納得したか? 」


「はい。 説得しました。それで、折り入って、ご相談が有ります」


「いいよ。 なんだろう? 」


「オレは、この近くで部屋を借りたいと思っています。でも、ずっと実家暮らしで、この辺りの相場を知りません。部屋を選ぶ時のポイントもよく分からない。所長は、一人暮らしの経験が有ると聞きました。森國社長じゃオレに甘くて、分不相応に成りそうです。所長、一緒に物件探しを手伝って貰えないでしょうか?」


「ん。了解。 確かに …… 森國に頼んだら、君の給料では支払えないような物件に成りそうだもんなぁ。 そういう事なら手伝うよ」


「あっ。給与について聞いてなかった。一人暮らし出来ますかね? 」


「ははっ。 それは大丈夫だ。 それに、家賃分は会社で手当てとして支給出来るから心配無いよ」


「良かった。有り難いです。宜しくお願いします」


「それにしても、よく森國が許したな。一緒に暮らしたいとか言わなかったのか?」


「はぁ。言ってました。嬉しいんですけど、自分の力で自立してからにしたいんです。そうでないと、余計な劣等感で自分自身をダメにしてしまいそうで…… 」


「なるほどな。君は、キチンとした倫理観を持っているよ。そういう感覚は大切にした方が良い。同性同士の関係は脆弱だからこそ、お互いを尊重出来なければ上手くいかない。そこの所、君は感覚として身に付いている。とても良い事だと思うよ」


「有難う御座います。 なんだかくすぐったいですね。 あ、あと一応、教員免許だけは取っておこうと思います。中途半端にしておくのも気持ち悪いので」


「分かった。良いと思うよ。万が一この会社が潰れた場合にも役立ちそうだ」


「えー!? まさか倒産の危機とかじゃ無いですよね? 」


「冗談だよ。今のところ大丈夫だ」


「…… 七尾所長、冗談言うんですね」


 それから、就職と同時に一人暮らしで一辺に環境が変わるのは、オレの負担が大きいだろうとの七尾所長の助言もあり、10月から一人暮らしを始める事になった。


 雇い主として両親にも挨拶をしてくれ、アパートの保証人にもなって貰い、七尾所長には随分お世話になった。


 しかも、10月からの家賃もバイト料に上乗せしてくれるという。


 アルバイトも少し変わった。


 金・土・日は今迄どおり、amenoアメーノに入り、水・木は、七尾事務所で見習いをする事になった。


 後期は講義も少ない上、バスケも引退で、時間を持て余しそうだったオレには好都合だった。


 借りたアパートは、実家と会社の間くらい。


 駅からは少し遠いが、どちらにも10分足らずで行ける場所にした。


 6畳二間の1DK、家賃7万3千円の物件だ。


 築年数は45年と古いが、リフォームし立てだった為、見た目も綺麗で、白を基調とした部屋はどこも清潔だった。


 初めはロフトにも憧れたが、188センチのオレと186センチの森國社長では、いかんせん、天井が低すぎて早々に諦めた。


 オレとしては、バス・トイレが別で、洗濯機が室内に置ければ、それ以外は特に拘りが無かったのだが、オール電化のシステムキッチン、バルコニーがあり、更にオートロックなのが決め手になり即契約になった。


 森國社長がセキュリティに拘っていた上、来た時にバルコニーで喫煙が出来る。


 まぁ、殆ど吸わないんだけど。


 そうやって、オレの社会人としてのスタートは緩やかに始まった。


 一人暮らしを始めてから、amenoアメーノでは、カクテルの他に簡単な料理も教えて貰っている。


 今のイチオシはチキンカレーだ。


 マスターのカレーは作り方が少し変わっているが、失敗が無くとても美味しい。


 じゃがいもと人参はタワシでこすり、泥を落として、食べやすい大きさに切る。


 皮は剥かない。


 やさいの準備をしている間、鶏肉はスポーツ飲料に着けておく。


 これには驚いた。


 こうしておくと、安い胸肉でもパサパサに成らずに、不思議なくらい、しっとり、ふっくら仕上がるのだ。


 深めのフライパンを用意し、鶏肉、じゃがいも、人参を入れる。


 その上から、ドッサリ、刻んだ玉ねぎを入れる。


 フタがギリギリ閉まらないくらい入れていいらしい。


 大体、いつも3個は使う。


 それから弱火にして、しばらく放っておく。


 その間に、付け合せのサラダなんかを作れるくらいだ。


 フライパンがくつくつと音を立て始めると、玉ねぎがトロトロに成り、野菜に火が通っている合図だ。


 そこに、カレールーを割り入れて完成。


 水は一切使わない。


 コレには朔も大絶賛で、家庭料理に飢えているせいか、食は細い方なのに毎回お代わりして食べるくらいだ。


 朔との関係は順調で、時間を見つけては、お互いの部屋を行き来している。


 朔の仕事の方も好調で、春に関西方面に新店舗を出すらしく、最近は忙しそうだ。


 そうして、慌ただしく月日は流れて行った。


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