第7話 タンカレートニックに涙が入ってしまった件

 ここ最近は、カクテル作りの特訓をしている。


 午後の講義の無い日に、早めに行ってマスターの手解きを受ける。


 先ずは、ジントニックを作りたいって言ったら、快諾してくれた。


「ジンにも沢山種類が有るんだけど、ウチで使っているものを説明しておくね。まずは、ゴードン。ジントニックが出来た時代に、使われていたのがこのゴードンだ。ウチでも、ジントニックに使っている。それから、モンキー。これは、ストレートで飲む場合に出している。ジンは冷凍保存が多いけど、コレは常温でオーケー。その方が香りが立って美味いんだ。猿の絵だから覚えやすいだろ? そしてNO.3。これはドライマティーニによく合うんだ。冷凍しておいても芳醇な香りが昇ってくる。ボトルに鍵がついてるのも特徴だ。最後にタンカレー。キレがあって、スッキリしてる。淡麗だから、森國社長のように、辛口好みの人に好まれる。あとは、その時々でいくつか入れてるけど、ウチの基本は4種類」


「はい」


 大丈夫か?オレ……


 ジンだけでこんなに種類があるなんて。


 ジンを使うカクテルは、全部同じジンを使うと思ってた。


 前途多難だな……


 でも、タンカレートニックだけは作れるようになりたい!





 ユニフォームでない姿は、面接の時以来だな。


 鍛えられた身体にVネックが良く似合う。


 あれ?


 一瞬、目が釘付けになった。


 首にかかったチェーン。


 そこに通されているリング。


 緩くひねりの入ったシンプルなシルバーリング。


 あ!!七尾所長と同じものだ。





 …… ショック。


 どうしてオレは気が付かなかったんだ……


 森國社長が忘れようとしている事も、コレが理由じゃないのか……


 バカだ……


 オレはバカだ……



「じゃ、この4種類で、ジントニックを作ってみるから、味見してみて」


「はい。お願いします」


 ちゃんとしなきゃ。


 悟られないように。


 今日のバイトが終わるまでは、絶対に泣いちゃダメだ。


「ね? モンキーで作ると甘いでしょ? タンカレーだとスッキリ辛口」


「ホントだ」


「ははっ。全部飲まなくても良いよ。味見だから。 味の好みは人それぞれで、出来る限りお客様の要望には答えたい。でも、ウチで、モンキーや、NO.3で、ジントニックは出さない」


「どうしてですか? 」


「値段が全然違うんだ。 モンキーで作ると3倍の価格になる。だから、お客様もそんな酔狂な事は言わない」


「なるほど」


「そろそろ5時だ。夜営業の時間だよ。旬はどうする? このまま入ってもいいし、勉強とか有るなら、いつもどおり7時でオーケーだよ。練習の1時間は時給付けとくから」


「ありがとうございます。このまま入っても良いですか?」


「ありがとう。助かるよ。じゃ、着替えて、外看板出して貰える?」


「はい。分かりました」


 今1人になったら、絶対泣いちゃう。


 働いて、なんとか、自分を保たないと。



 4時55分。


 外看板を出していたら、森國社長がやって来た。


 いつもより、随分と早い。


「あれ?森國社長。どうしたんですか?」


「ん? 今日、カクテルの練習するって言ってたろ? 混み合う時間を避けた方が良いかなぁと思ってね。 あれ? どうした? 」


「なんでもないですよ。せっかく来て頂いたのに、…… 今日はあまり飲めないかもしれません。取り敢えず、中にどうぞ」


 いつものように、お水とおしぼりを出す。


「今日のマスターとの練習では、何を作ったんだい? 」


「ジントニックです」


「なら、それを貰おうか」


「まだ、合格貰ってないです」


「いいよ。今の旬が作ったのが飲みたいんだ」


「はい。かしこまりました」


「オーダーです。ジントニックです。オレが作るように言われたんですが、どうしましょう?」


「森國社長でしょ? やってごらん? ステアの回数に気をつけて」


「はい」


 教わった事を思い出し、自分で書いたメモを見る。


 何度も見た、マスターの指先をまぶたの裏に映し出す。


 タンカレーを冷凍庫から出し、ギクシャクしながらも何とか出来た。


 マスターに味見をしてもらう。


「初めてにしては上出来じゃない? お出しして良いよ」


「はい。行ってきます」



 カウンターに行くと、森國社長が微笑んでいた。


 なんとも言えない笑顔で。


 慈愛に満ちた、子供を見るような、そんな目で。


「旬。…… 春日さんと、マスターの関係に気づいたの? 」


「えっ⁈ 」


 気づかれた……


 気づいた事に、気づかれた……


 どうしよう。


 視界が滲む。


 今はダメなのに……


「旬。 我慢しなくて良い」


 一気に溢れた。


 雫が一粒、ジントニックに入ってしまった。


 それを、森國社長は受け取り、一口飲んだ。


「うん。美味い。上出来だよ!」


 森國社長の顔を見たら、瞳の水は決壊し、更に止まらなくなってしまった。


「旬。今日は帰ろ。着替えておいで」


 そういうと、森國社長は、厨房の方へ顔を出した。


「マスター、今日これから、旬の事預かっても良い? カクテルバーに連れて行きたいんだ。僕も、次の日が休みじゃないと、付き合えないしね」


「そうしてくれると助かります。僕も店が有るんで、中々他の店に連れてってやれなくて」


 上がって良いよと、手で合図される。


 *


「よかった。ホールどうする? 春日さんに連絡しておく? 」


「いえ。 小雨の月曜日ですから、さほどでもないでしょう。 あの。……旬の事、宜しくお願いします」


「マスター。気づいてたんだ。」


「そりゃ気づくでしょ? あれだけグイグイ来られたら」


「気づかないフリでやり過ごしてた?」


「タイミングを見て話そうと思ってたんです。でも、それで辞められちゃうのも寂しいなって思う位には可愛くなってて…… 正直、困ってました」


「そか。じゃあ、旬の事は僕が貰っても問題ないよね?」


「え? こないだのカクテル、やっぱりマジなヤツだったんですか? 」


「ははっ。 そうかもね」

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