第6話 カクテル言葉に翻弄される件

 水曜日、いつものようにamenoアメーノの扉を潜る。


「おはようございます」


「お。おはよう。今日は早いね?」


 今日もマスターはカッコいい。


「はい。ちょっと確かめたい事があって」


「何?」


「あの。(株)春と秋って、七尾所長と雨野さんの会社なんですか?」


「そうだよ。言ってなかった?」


「はい。ちゃんと聞いてませんでした。七尾所長が社長なんですか?」


「そうなるね。代表取締役だから」


「はぁ。やっぱりそうなるのか…… オレ、失礼な事してませんかね? 」


「え? 何で? 何か心当たりあるの? 」


「同じビルのただのお隣さんだと思ってたから…… 普通にしちゃってたなって」


「君、面白い事言うね。普通にしてたなら良いじゃない。何か問題ある? 僕も特別扱いなんてしてないよ? 」


「はぁ。そうでしょうか。社長として扱わない失礼な奴だと思われてるんじゃ」


「そこは気にしなくて良い。七尾さんはそんな事望んでないよ。君の事、爽やかな好青年だと褒めてたくらいだ」


「えっ⁈ そうなんですか⁈ 」


「うん。 そんなに気になるなら今日来た時に話してみたら良いよ」


「はぁ…… 」


「はい。今日のおススメ。しっかり食べて元気出して。今日は、デザートにアップルパイも付けてあげよう」


「ありがとう御座います。頂きます!」


 今日のおススメは、チキンのトマト煮。


 トマトとハーブの香りが食欲をそそる。


 お肉は、ホロホロに柔らかく、トマトの酸味と甘みが効いていて、とても美味しい。


「美味しいです。使われているハーブは何ですか? 」


「バジルとオレガノを中心に、生のパセリ。あとは、ほんの少し、コリアンダーとシナモンが入ってる」


「へえー。どのハーブがどの味か分からないけど、美味しい事は確かです」


「あー。そうか。 今度、それぞれのハーブで作ったものを試食してもらおうか。ジェノベーゼあたりから順にね」


「ジェノベーゼ? 」


「バジルのソースで作ったパスタだよ」


「なんだか美味そう。宜しくお願いします」


 20時。


 もうすぐ、森國社長が来るだろう。


 なんだか、どんな顔をしたら良いのか分からない。


 普段通り……、いつも通り……、って、どんなんだっけ?


「旬君。お疲れ。 今日はどうしたの? 百面相だね? 」


「あっ。いらっしゃいませ。森國社長。いつものにいたしましょうか? 」


「いや。 今日は、違うものにしたいんだ」


「珍しいですね?」


「うん。 バレンシアの気分なんだ。たまには君も一緒に飲まない? 君の分は、オレンジジュースを多めにしてもらうといいよ」


「かしこまりました。 では、ご一緒させて頂きますね」


 バレンシア、オレンジジュースのカクテルなんだ。


 美味しそう!


「オーダーです。バレンシア2。1つはオレがご馳走になったものなので、オレンジジュース多めにして下さい 」


「オーケー。 森國社長でしょ? もしかして、君たち、何か有った? 」


「えっ!? 何かってなんですか? 」


「いや。分からないけど」


 心臓が早鐘を打っている。


 マスターに見られた?


 そんなはずはないよな。


 何か気づいているのか?


 マスターだけには知られたくない。


「はい。上がったよ。君も飲むなら、おつまみを作ろうか。ナッツ、オリーブ、ドライフルーツ、ビターチョコ、チーズの盛合せをサービスするから、森國社長にお願いして勉強させて貰おう」


「はい。分かりました」


「頂きますの乾杯は、必ず自分のグラスをお客様のグラスより下にして合わせてね」


「あ、知らなかったです。ありがとうございます」


 じゃ、今日は僕がお出しするね、とマスターが姿勢を正してカウンターへ向かっていった。


「いらっしゃいませ。森國社長。今日は、バレンシアなんですね。 森國社長の分は幾分辛めに作ってあります」


「ありがとう。さすが、マスターは僕の好みが分かってる」


しゅんにもご馳走して頂き恐縮です。そろそろ、カクテルの勉強をさせたいと思っていたところだったんです。定番のおつまみの盛合せをサービスしますので、マリアージュを教えてやって欲しいんです。お願い出来ますか? 」


「それは大役だな。 でも、僕で手助け出来るなら喜んで」


 それから、マスターは森國社長の耳元で何か囁いている。


「森國社長。バレンシアなんて、意味深ですね? 」


「あれ? バレちゃった? 」


「森國社長、オシャレな事しますね。本人は気づいてないみたいだけど」


「いいんだ。僕が・勝手に・始まってしまったばかりだからね 」


 この時オレは、カクテルにはカクテル言葉がある事も、そして、バレンシアは気になってる相手に、好きなりかけてるよ、って伝えるものだったなんて全然知らなかったんだ。


 カランカラーンと、ベルを鳴らして七尾所長が入ってきた。


 いつものように、挨拶を交わし森國社長の隣に座る。


「いらっしゃいませ。七尾所長。 あの…… 七尾所長って、オレの社長だったんですね? 」


「あ、気付いた? 」


「すいません。オレ全然知らなくて…… 」


「大丈夫。気にしないで。 マスターが言ってなかったんだろ? 容易に想像できるよ。それに、そのお陰で、素の状態の旬君の働き振りが見られた。何も問題無い。これからもそのままで良いよ 」


「はい。 すいません。ありがとうございます」


「ところで今日は、なんの日なんだ? 沢山並べて、随分楽しそうだな」


「今日は、お客様も少ないって事で、スタンダードロングカクテルの勉強中なんです」


「七尾所長も一緒にどうですか? オレの味覚じゃ自信なくって…… 」


「いや、春日はるひさんは入れてあげない。社長の好みに傾倒したらつまんないでしょう? 」


「それもそうか。 じゃ、俺は、いつものチンザノ。ドライで 」


「かしこまりました。 氷は、アイスボールにしましょうか? 」


「もしかして、旬君が作ったの? 」


「はい。一応。マスターにはなんとか合格貰いました」


「なら、それで貰おう。楽しみだな」


「えー⁈ 僕もアイスボールが良かったな。旬君の初お目見えでしょ? 」


「2つ合格したから、まだ、有りますよ。何かお持ちしましょうか? 」


「そう? じゃ、僕も春日さんと同じものをお願い」


「かしこまりました」


 四角い氷を丸く刻むのは難しい。


 まだ、マスター程上手くないけど、常連の2人なら、ちゃんと意見してくれるだろう。


「マスター。オーダーです。チンザノ ドライをロックで2つです」


「七尾さん? 旬も飲むの? 」


「いえ、もう1つは、森國社長です」


「了解。あと、1番テーブル見てきてくれる? 食事が終わってたら、デザード出すから」


「はい。分かりました」


 レモン水の入ったデカンタを持って、テーブルへ行く。


 お水を継ぎ足し、空いたお皿を下げる。


 戻って、マスターに声を掛ける。


「1番テーブル、デザードお願いします」


「了解。ドライのロック上がったよ。1番は僕が行くから、カウンターに戻って良いよ」


「はい。分かりました」


 戻ると、2人は何やら親密な話をしていた。


「失礼します。 チンザノ エクストラドライのロックでございます」


「ありがとう。フードも頼もうかな。今日のおススメはまだ有る? 森國は? 」


「はい。ございます。今日のチキンはハーブが効いていてとっても美味しいですよ。森國社長はいかがされますか? 」


「そうだね。随分つまんじゃったから…… トマトのブルスケッタでも貰おうか。」


「それも良いなぁ。俺もブルスケッタも頼むよ」


「はい。かしこまりました」


 そういえば、ミラーリングって相手を信頼させるんだよな?


 心理学で習ったような……


 今日は無意識かもしれないけど、お互いをミラーリングしているように見える。


 もしや、この2人はお互い気付いて無いだけで、相思相愛?


 ベクトル調査をし直さなくては。


「ご馳走さま。今日はこれで帰るよ」


「森國様、今日はご馳走さまでした。ロングカクテルの勉強にお付き合い頂きありがとうございました。まずは、ジントニックを作れるように頑張ります!」


「それは嬉しいな。今度は休日の前の日に、ショートも飲んでみる? 」


「あ、本当ですか? 勉強させて貰えるのは有り難いです」


「では、いってらっしゃいませ」


 amenoアメーノでは、お客様をお見送りする時、「いってらっしゃい」と送り出す。


 この店で癒されて、また、日常の戦場に戻っていく、そして、疲れたら、またここに戻っておいでという気持ちを込めて。


 カウンターに戻ると、七尾所長がニヤニヤして話しかけてきた。


「今日飲んだカクテルはどんなのだった? 」


「はい。全部ロングで、バレンシア、ジントニック、ブルドック、です」


「へぇー。森國もなかなかやるな」


「はい。お酒強いですよね? 全然酔った感じがしない」


「そぉ? 森國は、別のものに酔ってると思うけど 」


「え? ブルスケッタって、お酒入ってます? 」


「いや。そうじゃないよ。旬君はさ、カクテル言葉って知ってる? 」


「いえ。初めて聞きました」


「ん。カクテルには、花言葉みたいに、カクテル言葉っていうものがあるんだ」


「本とか、売ってるのかな? 」


「もちろん。マスターが持ってるから、見せてもらうと良い。今日のカクテルの意味知りたい? 」


「あ、はい。 知りたいです」


「まず、バレンシアは、気になっている相手に贈るんだ。『好きになりつつ有りますよ』って」


「えっ、そうなんですか」


「つぎは、ジントニック、 『強い意志』や『いつも希望を捨てないあなたへ』という意味が込められている。尊敬する人や、頑張ってる人を応援する時に贈るかな」


 なんだか、恥ずかしくなって来た、


「最後は、ブルドック、『あなたを守りたい』」


 なんだこれは、盛大に口説かれているのは気のせいか?


 いや、でもこれは、カクテルを覚えるための練習なわけで。


 森國社長は、七尾所長が好きなんだから、そんな事は無い…… ハズ。


「七尾所長は、森國社長と古くからの知り合いなんですよね? 」


「大学からだから、古くも無いけど、ゼミの研究発表で組まされたんだ。それからの付き合いかな。そして、学生時代の友達はアイツくらいなんだ」


「そうなんですか? 」


「ん。 俺さ、中学の時に、交通事故で家族を一辺に失ったんだ…… それから、色々あって人を信用出来なくなって、誰からも距離を置いてた。相当、偏屈な奴だったと思うんだ。だけど、森國だけは、いつもナチュラルに懐いてくるんだ…… アイツ、真面目で誠実な、裏表の無い優しい奴なんだよ」


「そうなんですね…… 」


「そして、テニスやっててさ、あの見た目だろ? 女の子にキャーキャー言われてた。いつも綺麗な子を連れてたよ。そして、彼女が出来る都度何人も紹介されて、その度に『この人が大事な先輩で、君より優先順位は上だから。覚えておいて。』とかいうんだぜ。ホント正直参ったよ」


「よっぽど好きだったんですね…… 」


「そうだと思うよ。 家族や親友には紹介しても、普通ゼミの先輩には紹介しないだろ? 彼女が出来て嬉しくて仕方なかったんじゃないかな」


 そっちかよ!


 ほんっと、この人天然だな……


 でもやっぱり、森國社長は、この人が好き。


 カクテル言葉は、偶然だな。


 きっと、試されたんだ。


 カクテルの勉強してるって言ったから、これくらい知ってるだろって。


 ちょっと、からかってやろうって思ったんだろうな。


 いつか、覚えて逆に攻めてやろう。


 楽しみになって来た。


 あれ?


 薬指に光るものが!?


 七尾所長、結婚してたんだ!


「七尾所長? 毎日外食して帰ったら、奥さんに怒られません? 」


「ああコレ? 結婚はしてないんだ」


 軽くひねったようなシンプルなデザイン。


 プラチナだろうな。


「あ、そうなんですね? いつ頃のご予定なんですか? 」


「そうだなぁ。 いつになるだろう」


「そんなぁ。 男からバシッと決めないと。彼女さん、可哀想ですよ? ちゃんと逢いに行ってあげてます? 」


「それは、まぁ。 一緒に住んでるから」


「あ、なんだ。そうなんですね? じゃあ、結婚してるのと、殆ど変わらないか」


「そうだね」


「容姿端麗な、七尾所長を射止めたのはどんな人なんですか? 」


「スゴく綺麗な人だよ。 とても優しくて、料理が最高に上手い。そして、努力家なんだ」


「へぇ。ベタ惚れじゃないですかー。羨ましいな。七尾所長にそこまで言われるなんて、どんな人だろ? 」


「さあね 」


 七尾所長のこんな顔は初めて見た。


 幸せそうだ。


 相当、愛が深いんじゃないか。


 今までマスターとの事、どうこう思って悪かったな。


 共同経営者なら、お互いの事を気にかけるだろうし、親密にもなるだろう。


 しかし、森國社長はこの事知ってるのかな?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る