またこうして話せるだけで
なにかひどく悲しい夢を見ていた気がするけど、目を覚ますと霧の様に頭から消えていった。
寝転んだままベッドの横にあるカーテンをそっとめくると、外はほんのり明るくなってきた頃合いだった。いつも朝の練習に間に合うように起きている時間と同じくらいかな。でも、もう誰もいない朝早くの通学路を一之瀬君と二人きりで登校することはできない。そう思うとこれからの毎日を、何のために生きていけばいいのか分からなかった。
涙はもう出なかったけど、信じられないほど深い喪失感だけがあって、ただただ苦しかった。心に深くうがれた穴がこの先ずっと埋まることはない事だけは理解できる。そんな空虚さに耐えられる自信なんてない。いっそのこと、一之瀬君のところにいってしまいたい。なるべく早く追いかけたらあっちでまた会えるような気がした。今までだってずっと追いかけてきたんだから。
下の階から家の電話が鳴っているのが聞こえる。何回かコールしてお母さんが出たみたいだった。こんな早くに家の電話が鳴るのは珍しい。また何か嫌なことが起きたのかな。もう嫌なことは聞きたくない。
頭から布団をかぶって、体を丸くする。
しばらくすると、お母さんが階段を上がってくる足音がして部屋をノックした。
「真希、アヤちゃんから電話よ」
アヤ? 意外な名前を聞いて布団から頭を出す。なんで携帯じゃなくて家にかけたんだろう。
ベッドから体を起こして、お母さんから子機を受け取った。
「終わったら降りておいで。昨日からなにも食べてないでしょ」
お母さんは私の頭をそっと柔らかくなでると部屋から出て行った。
確かに昨日から何も食べていないけど食欲は全然ない。
「……もしもし」
ひどいガラガラ声。
「あ、真希ちゃん、おはよう。体は大丈夫?」
アヤの口調はお母さんと同じくとても優しい。
「体はなんともないよ、心配かけてごめんね」
「ううん。アタシの方も朝早くにゴメンな。でも、真希ちゃんになるべく早く知らせたいことがあってん」
「知らせたいこと?」
「うん、一之瀬君が運ばれた病院がわかってん」
アヤの言葉にキュッと心臓を掴まれたような思いだった。
一番恐れていたかもしれない知らせ。
「……病院?」
「そう、県立病院らしいわ。トッキーから真希ちゃんに伝えといてって言われてんよ」
「時東君が?」
「うん、真希ちゃんは知りたいだろうからって」
多分、そこに一之瀬君の遺体が眠っているんだろう。
でも、会ってしまうと彼が亡くなった事を受け入れるしかなくなってしまう。
その時、私の心が耐えられるのか不安だった。
「……でも、一之瀬君に会うの怖い」
「一之瀬君も真希ちゃんが来てくれるのが、一番うれしいと思うで?」
そう言われてしまうと、もう何も言えなくなる。
私だって、せめてお別れはちゃんとしたいという気持ちもある。
「……わかった」
絞り出すようにして何とか返事をした。
「ただ、今日、明日はまだ面会できないかもって言ってたわ。やから明後日くらいに一緒にお見舞い行ってみよ?」
「うん? お見舞い?」
「せやで、お見舞い」
「え? 一之瀬君の?」
「他に誰がおんの?」
「え……だって……」
「ん? なーんか噛み合ってないなあ」
アヤはしばらく電話の向こうで黙っていたけど、あ、そうか、と何か納得したようで、
「ごめんな真希ちゃん。説明不足やったみたいやね」
いやー、ほんまごめんと謝っている。
まだ混乱している私は要領を得ないでいた。
「一之瀬君が病院にいるって言えば伝わると思ってんけどな、生きてるで」
「……生きてる」
「そう。一之瀬君ちゃんと生きてるで」
「…………」
「ごめん、ホンマごめん。トッキーから真希ちゃんが目の前で倒れたって聞いて、それから昨日もいくら携帯にかけても真希ちゃんと連絡とれんかったから、ひょっとしたら何もまだ知らんかもと思ってこんな時間に家に電話してん」
ちょっと、聞いてる? とアヤが確認してくるけど、うん、と返すので精一杯だった。
「昨日の夕方くらいに、トッキーが情報つかんでんけどな。真希ちゃんがなんも知らんままやったら一之瀬君が死んじゃってると思ってるかもって心配してたんよ。そんなことになったら、真希ちゃん絶対良からぬこと考える気がしてなあ。やから、なるべく早く教えたかってんよ」
アヤの言ってることが理解できて、へなへなと全身の力が抜けた。
一之瀬君が生きてる。
アヤの電話をぼんやりと聞いていたらホッとしたせいか、くーっとおなかが鳴った。
おなか、すいたな。
§ § §
薬指と小指をくっつけてもらって全身の傷口も縫合してもらったは良いけど、四十度越えの熱が全然引かなくて文字通り死にかけていた。
多分、五日か六日ほどだと思う、個室に入れられてやけに手厚い看病をしてもらっていた。この間の記憶は朦朧としていて、夢だったのか現実だったのかあまりはっきりとしない。
「すみません、入院代とか払えないから帰ります」
そんな事を口走りベッドから抜け出そうとして、看護師さん達に押さえつけられたのは何となく覚えている。
お金の事を考えると気が重くなるけど、今はあまり考えない様にしよう……。
とにかく献身的な看護のおかげで、ようやく熱も引いて一般の病室に移って良しとなった。四人部屋のうちカーテンで仕切られただけの窓側のベッドが僕に割り当てられた。
左手はギプスで固められて上から吊るされるような格好になっていて、右手は何かの点滴をされている。
なんでも、指をつなげた左手は常に心臓より高く位置するようにしないといけないんだそうで、寝ているときもずっとこうしている。
特に重傷な左手の他はというと、額より上は包帯とネットを被っていて、左腕も肩から全体的に包帯ぐるぐる巻き。右手も肘から下は包帯を巻かれており、足の方も足裏が包帯でまかれているハロウィンの仮装みたいになっている。
しかし、する事がない。
これまでは面会謝絶ってやつだったけど、今日からはお見舞いも解禁らしい。といっても僕には身寄りもいないので、そんなに来客に心当たりがあるわけないんだけどな。
「今日からお見舞いもOKだから、楽しみだね」
若いお姉さんの看護師さんがやけに含みのある笑顔で、そう言ってきたのは少し気にはなっている。
そもそも、僕がこうして入院している事を知っている人ってどれくらいいるんだろう?
こうして入院していることから、さすがに警察沙汰になっただろうし、そうなると学校にも連絡は行っているだろうけど学校はとっくに冬休みに入っている。仁も下手したら知らないんじゃないか。
それに、吉本さん。恐ろしい事に、何の連絡もなしにほったらかしになっている。もう愛想尽かしちゃったかも……。ひょっとしたら、すでに誰かと付き合ったりしてるかもしれない。
そんな事になってたらどうしよう。胸が張り裂けそうで、視界がにじんでくる。せっかく助けてくれた先生や看護師さんたちには悪いけど死にたくなってくる。
頭を軽く振って、悪い考えを頭から追い出そうとする。
味の薄い病院食での朝食が済んで、先生の検診が終わってしまうと完全にすることがなくなってしまった。
暇だ。
右手側に窓があるけど、すりガラスになっていて外の景色は見えない。窓側に見舞い客用のソファーがあるほかには、小さなテレビを乗せたテレビ台があるだけだ。
テレビ台にはバッテリー切れになったスマホが載っている。
僕の最後の記憶では血まみれだったスマホも綺麗になっていた。ただ、良く見ると、スピーカー部分とかボディの溝になっているところに乾いた血がこびりついている。
充電器もないからスマホも使えないし、テレビも有料らしくて見る気にはなれなかった。
暇になると、さっきの悪い考えが頭を満たしてきて辛い。仁が来たら暇つぶしの本でも持ってきてもらおう……気付いてくれていたらだけど。
ベッドで横になってぼんやりと天井を眺めていたら、視界の端で仕切りのカーテンが揺れた。
目を向けるとカーテンの隙間から、吉本さんがひょっこりと顔を覗かせてこっちを見ていた。
久しぶりに会った彼女は、なぜか少しとぼけたような表情をしてる。
「ちっす」
右手をピースサインの人差し指と中指をくっ付けた形にして、おでこの辺りから軽く振り降ろしながらそんな挨拶をしてくる。
「……ち、ちっす」
予想外の登場に驚いて固まりかけたけど、なんとか僕も同じように挨拶を返す。
吉本さんが来てくれた事がうれしいのと、嫌われてしまっていないかの不安が混じりあっていて、頭の中が混乱気味だ。
彼女はニッコリして、仕切りの中に入ってきた。白いセーターに赤いチェックのスカート、下には黒いタイツを履いていて今日も可愛い。彼女を眺めるだけで体がモリモリ回復するような気すらする。
「具合はどう?」
「ん、ボチボチだよ」
僕がそう返すと、彼女はボチボチってなによ、と軽く笑って窓際に置いてある横長の茶色いソファに腰かけた。
窓にかかっているレースのカーテンごしの薄い日光が吉本さんを淡く照らしている。髪は綺麗な光の輪を作っているけど、少しやつれている様に見えた。
「でも、思ってたより元気そうで安心したかな」
「その……まさか来てくれると思ってなかった」
僕がそう言うと、吉本さんは不満そうに眉間にしわを寄せると、
「なんで? 来るに決まってるでしょ」
と、口を突き出して言った。
「ひょっとしたら、僕がここにいる事、誰も知らないかもって不安だったし」
「もー、そんなわけないじゃん。一之瀬君が早く元気になれるようにって、水泳部のみんなでお参りに行ったりもしたんだよ」
吉本さんは優しい口調で僕の不安を取り除いてくれる。
おかげで、さっきまで混乱していた気持ちが落ち着いてきた。
ここで、ずっと気にしていたことを謝ろう。
「あの……、吉本さん」
「どうしたの?」
「ごめんなさい! 約束破ってホントにごめん!」
吉本さんに向かって、動く右手だけを顔の前で立てて全力で謝る。
少しポカンとした後に、クスクスと笑われてしまう。
「いーよ、別に怒ってないよ」
「ホントに?」
「当たり前じゃん。それに一之瀬君とまたこうして話せるだけで、それだけで嬉しい」
「……ありがとう」
吉本さんは、僕の言葉にコクリとうなずいて柔らかく微笑む。
でも、そのあと少しイタズラっぽい顔をしてこんな事を言った。
「でも一之瀬君、惜しい事をしたかもね。あの日の私は、ちょー可愛かったのに」
「ああ! なんか自撮りとかで残してないの?」
「ないんだな、これが」
ふふふ、と意地悪な笑い方をする。チキショー!
ああ、見たかったなあ。
来年も見に行こうと約束できたら見られるのかなあ。
「また、来年。次のクリスマスにね」
彼女は顔を赤らめながら、少しあらたまった口調でそう言ってくれた。
「うん。次は約束守るよ」
真っすぐ彼女の目を見つめながら僕はそう誓った。
彼女は、はにかむ様に笑った。
吉本さんが、僕が入院している間のことを教えてくれた。
水泳部は年内の活動は終了してすっかりオフモードになった事。部員のみんながすごく心配してくれている事など。他には大晦日に水泳部の暇なメンツで集まって鍋をしながら年越しするらしい。いいなあ、僕もそういう年越しがしたかった。ちなみに吉本さんは、それには参加しないらしい。何か予定でもあるの? と尋ねたら、
「アヤも参加しないしね。来年、一之瀬君が参加するなら私も行こうかな」
との事だった。来年は是非とも参加したいね。
しばらく雑談をしていたのだけど時間が来てしまったようだ。
「さーて、あまり長居してもだしそろそろ帰るね」
「うん、来てくれてありがとう」
「あ、そうだ。一之瀬君、なにかして欲しいことある? その……一之瀬君って今は身近に頼れる人いないでしょ?」
「うん。めちゃくちゃ助かるよ」
そこで、着替えとかスマホの充電器とかを、仁に持ってきてくれるよう伝言を頼んだ。
「他に何かない?」
「んー。あ、暇つぶしの本が欲しいんだ。図書館で長い小説なら何でも良いから借りてきてくれないかな」
「はーい。って、今日で図書館最後の日かも」
「最後?」
「うん、もう年の瀬だからね。今日で年内の営業は終了だった気がするな。早めに閉まっちゃうかもだから、これから寄ってみるね」
「ありがとう。もう、そんな時期なのかあ。イベント事なにもできないまま、時間だけ過ぎていくから損した気分だよ」
「今はそんなこと考えないで、しっかり怪我を治すんだよ?」
「はあい」
吉本さんは、分かってるのかなあ、と訝しげな顔をしながらも諸々を引き受けてくれた。
「じゃあね、明日も来るから良い子にしてるんだよ?」
まるで子供に言い聞かせるお姉さんみたいな口調だな。
僕は苦笑いしながら、バイバイのつもりで少しだけ右手をゆらして見送る。
吉本さんがいなくなると、カーテンで区切られた狭い空間が急にガランとしたように感じた。
§ § §
一之瀬君の入ってる病室を出ると、廊下を真っすぐ進んだ突き当りにある談話室に向かった。
彼の顔を見ていると限界が近かったから少しだけ早めに切り上げたけど、さっきの会話を思い出して、にんまりしてしまう。
イブの日に自撮りをしていないっていうのは、嘘。
本当はしているけど、恥ずかしいから一之瀬君には見せない。見てもらいたい気持ちもあるけど、恥ずかしい方が強い。やっぱり、ああいうのはその時に見せるから良いと思うんだ、とか自分に適当な理由をつけて誤魔化しておく。
談話室には六人掛けのテーブルが二つ置いてあって、壁にはテレビがかけてある。そこで、テーブルについてテレビを見ながらアヤが待ってくれていた。
案外広い部屋だけど、アヤのほかには誰もいない。
「おかえり。一之瀬君どうやった?」
「うん、思ってたより元気そうで安心したよ」
「そっかあ、真希ちゃん来てくれて喜んでくれたやろ」
アヤはそう言うと屈託ない笑顔でうんうんと頷いている。
「真希ちゃんも良かったなあ。会えなくても毎日病院通ったもんなあ。おかげで顔パス状態や」
「あはは……。確かに受付行ったら向こうから、お見舞いOKって教えてくれたもんね」
お見舞いに行っても、まだ面会できる状態じゃないからと通してもらえない事が何日も続いた。ナースセンターで今日も会えないと聞かされるたびに、泣きそうな顔になってしまうのを止められなくて。
今日もダメかもと思いながらいつものようにナースセンターに行ったら、私たちに気付いた看護師さんの方から声をかけてくれたのだった。看護師さんたちの間で話題になってたりしたらどうしよう。さすがに照れくさくて、ちょっと顔が赤くなるのを感じる。
気まずいから慌てて話を無理やり戻した。
「顔色はまだ悪いし、頬もげっそり痩せちゃってたのは心配だけどね」
「まあ、それも傷が癒えてきたらマシになってくるって」
「うん……。あのさ、一之瀬君がクリスマスの約束を破ってゴメンって謝ってくれたんだけどね」
「うんうん」
「一之瀬君ね、その時の私を見たかったーって本気で悔しがってて、何だかそれが可笑しくって……」
さっきの話をアヤにしようとしてたのに、なんだか泣きそうになってきて上手く話せそうにない。
アヤはそんな私をそっと抱きしめて、頭を優しくなでる。
「よしよし。一之瀬君の前では泣かんように頑張ったんやね。偉いぞ、真希ちゃん」
アヤの温かい言葉を聞いて、もう限界だった。
声を殺してアヤの胸でしばらく泣いてしまった。
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