でも夢で良かった
一之瀬君が待ち合せの場所に来ない。
普段の彼なら連絡もなしに遅れてくるとか、あまり考えられない。
昨夜もLINEでやりとりしていたのに突然途絶えたきりで、これも普段ならないことだった。
そのときは、スマホになにかトラブルが起きたのかも、そう思ってあまり気にせず待ち合せに向かうことにしたのだけれど。
一之瀬君の携帯に電話をかけてみる。
しばらくコールを鳴らしたけど、出てくれない。
メッセージを送るけど既読もつかない。
いつもなら、かなりマメな性格の彼はバイト中じゃなかったらすぐに返信をくれるのに。
その違和感に少し胸がざわつく。
今日は午前十時に地元の駅で待ち合せて、遊びに行く予定になっている。あっちのお店でお昼を食べて、いろいろ周ってみようという約束だった。
夕方からは前に約束したイルミネーションを一緒に見に行くことになっていて、ちょっと緊張してきた。
今日こそは私の気持ちを伝えようと決めている。そのために準備もぬかりない。
服も靴も髪も、それに少しだけしたメイクも全部良し! のはず。完全武装だ。本気も本気、超絶可愛い私を見せてやる!
明け方までは荒れ気味の天気だったけど、今は良く晴れていて冬の澄んだ青空が広がっている。地面はまだ濡れているけど、天気予報ではこの後は良い天気になるとの事だ。いつもは山から吹き降ろしてくる冷たい風もなりを潜めていて、穏やかで心地良い一日になりそうだった。
駅前には大きなツリーが置かれていて、クリスマスムードを盛り上げてくれている。
ここに来るまでの街中も街路樹に電飾で飾り付けてあったりして、夕方からはライトアップされて華やかになるのだろう。
駅の前に立っていると、待ち合せてしているカップル達を何組もみかける。
どのカップルも幸せそうで、うらやましい。
今日は、私たちもカップルに見えるのかな。
と、そこでLINEにメッセージが届いたので慌てて開く。
『がんばれー!』
アヤからだった。軽くため息をつく。
一之瀬君からじゃなくてちょっと、いや結構ガッカリした。だけど、アヤが気にかけてくれているのはありがたいよね、ため息つなんてついてごめんよ、アヤ。
そんなことを一人ごちている横で、クリスマス一色の町をパトカーが何台か走り抜けていく。
やっぱり、羽目を外して騒ぐ人たちがいるから警戒しているのかな。
結局、一時間経っても一之瀬君は現れなかった。
約束の時間、間違えた?
不安になってきた。もうしばらく待って、彼が来なかったらマンションの方に行ってみようかな。
一之瀬君のマンションの前につくと、周りには沢山の警官がいた。
ひどく物々しい雰囲気だ。
野次馬らしい人もチラホラいて何かがあったらしいことは分かった。
胸騒ぎがした。道路からマンションの様子を伺った。
三階の一之瀬君の部屋があるあたりは、警察がブルーシートをかけて外から見えなくなっている。
走ってマンションの入り口に回り込む。履きなれないヒールだからこけそうになる。
エントランスは、黄色いテープが張ってあって警察官が立っている。
そこで、
私が近づくまでに話は終わったみたいで、時東君は真っ青な顔でなにかイラついたような表情をしていた。
普段は
「時東君、なにかあったの?」
「よ、吉本ちゃん……」
私が声をかけると、すごく驚いていた。
それに、なにか私に見つかってマズそうな顔をしてるのが気にかかる。
「あのね、一之瀬君と待ち合せしてたんだけど来なくって。連絡もつかないんだけど……」
時東君は目を合わせないようにして、下唇をかんで苦い顔をしている。
なんで? なんでそんな顔をするの?
背筋に冷たいものが走る。
嫌な予感を抑え込んで、入り口近くで話している主婦っぽい二人組に駆け寄って何があったのか尋ねてみた。
「あ、あの! すみません、ここで何かあったんですか?」
いきなり話しかけてきた私に少し面食らった様子だけど、話したくて仕方なかったのかすごい勢いで詳細を教えてくれる。
「殺人事件よ、殺人事件! 昨日の夜なんだけどねえ、私が旦那とエレベーターで自分の階にあがったら、エレベーターからに血まみれの人が倒れてたのが見えたの! もう私ビックリしちゃって大声で叫んじゃったわ。様子を見に行ったら全身血まみれで、メッタ刺しよ、メッタ刺し。頭から、足の先まで血まみれよ! ピクリとも動かなったから一目で死んじゃってるのわかったわ。私もう、怖くて怖くてねえ。旦那が慌てて警察に通報したのよ」
廊下も血の跡がすごかったのよ、ホント物騒で怖いわねえともう一人の主婦と話している。
冷や汗が吹き出てきて、吐き気もする。
足が震えるのを必死に抑えて尋ねる。
「さ、刺された人って、誰だか分りましたか?」
「それね、血まみれだったから、私は分からなかったんだけど、旦那が一之瀬さんとこの息子さんって言ってたわ。うちの子と中学まで同じ学校に通ってた子でねえ。すごく可愛らしい顔した子だったのよ……。可愛そうにねえ」
「しかも、刺した人って実のお父さんなんでしょ?」
「そーなのよ! 外で会ったら感じのいい人だったのに、見かけじゃわかんないわねえ……」
それを聞いて、血の気が引いていくのを感じた。耳の奥から激しい川が流れているような音が聞こえる。それは私の心臓の鼓動に合わせて大きくなったり小さくなったりする。多分、私自身の血液が血管の中を流れる音だ。激しい吐き気を覚えるのと同時に視界が狭くなる。血流の音がどんどん大きくなっていくにつれて、視界は映画のスクリーンの様に上下が黒くなっていて、黒い部分が広がりだす。
耐えきれなくなって、膝から地面に足をつく様に濡れた地面に崩れ落ちてしまう。時東君が私の名前を呼んでいる声が聞こえてきてけど、とても遠くから呼ばれているかのように感じる。そして、そこからの記憶がない。
§ § §
「うわぁ……、綺麗だね。僕、初めて見たよ」
「うん……」
沢山の小さな電飾を使ってステンドグラスのような装飾のアーチが、いくつも並んでいて光のトンネルを作っている。そのトンネルを一之瀬君と並んでゆっくりと歩いている。私は彼の二の腕に手を沿わせてると、頭もそっとくっつけていた。
周りも幸せそうなカップル達が私たちと同じように、寄り添うようにしてアーチを見上げながら歩いている。
彼とこうして腕を組んで、イルミネーションの中を歩いているのが信じられない。ここまで来るの、本当に大変だったな。今までの苦労を思い出すと、感慨もひとしおに思う。
「一之瀬君とずっとこうしていたいな」
「僕もだよ、吉本さん」
そう言って、一之瀬君は私に優しく微笑みかけてくれる。
ヤバい、めっちゃ可愛い。イルミネーションは綺麗だけど、ずっと一之瀬君の笑顔の方を眺めていたい。
白と青の電飾を基調にした凛とした色合いのアーチをくぐったところで、さっきまでピッタリと寄り添っていたはずの一之瀬君がいつのまにかいなくなっていた。
慌てて周りを見回すと、アーチの手前に一之瀬君が立っていた。
「あれ? 一之瀬君どうしたの?」
すぐに一之瀬君のもとに駆け寄ろうとしたけど、アーチの真下には透明な壁があって戻ることが出来ない。イルミネーションに照らされているのに一之瀬君は影の様に暗く見える。
いつの間にか周りにあれだけいたカップル達はいなくなり、私たちだけになっていた。
「待ってて! すぐに行くからね」
暗くて表情が見えない一之瀬君が首を横に振っている。
「ごめんね、そっちには行けなくなっちゃった」
「なに言ってるの? やだよ、一緒に行こうよ」
影の様に暗いのに、困ったときにする申し訳なさそうな表情をしているのが分かった。
なんというか、とても憎めなくて、なんでも許しちゃうような顔だから、いつもズルいと思ってしまう。
「あと、服、汚しちゃってごめん」
一之瀬君は私の腕のあたりを指さした。
ふと、目を向けるとコートが血まみれになっている。
特に一之瀬君と腕を組んでいた右側にどす黒い血がべったりと。
「なっ……」
とっさに一之瀬君の方に振り向くと、さっき立っていた場所に血まみれで倒れていた。
「一之瀬君! 一之瀬君!」
いくら叫んでもピクリとも動かない。
足に力が入らない。膝から崩れ落ちる。なんで? どうして? 助けに行かないと。
「真希! 真希! 大丈夫?」
お母さんが、私の体を揺すっている。
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
お母さんが、心配そうな様子で私の顔をじっと覗いている。
「起きた? だいぶうなされてたよ」
優しい口調で、気付かってくれている。
部屋は真っ暗だった。時間の感覚がなくなっていて今が何時頃かハッキリしない。
お母さんが私の首筋にそっと手をあてる。
「寝汗かいてるね。着替えとか持ってくるから待っててね」
私をそっと抱きしめて、頭をゆっくりとなでてくれる。しばらくそうしてから、部屋から出て行った。
どうしてお母さん、あんなに優しいんだろ?
なんで私は自分の部屋にいるんだろう?
寝ぼけてるのか自分が混乱しているのはわかった。
さっきの夢の余韻がまだ残っていて、それを振り払うようにベッドから体を起こした。
いやな夢だったな。でも夢で良かった。
…………夢で?
約束の時間にこない一之瀬君、マンションの周りのパトカー、青い顔をした時東君。そして……。
その瞬間、すべてを思い出す。
涙が溢れかえる。
呼吸がどんどん早くなって、胸が痛くなる。
苦しい。息がうまくできないところに、嗚咽が止まらなくなってベッドの上で溺れそうになってしまう。
「真希、大丈夫よ」
いつの間にか戻ってきたお母さんが、私をそっと抱きしめてくれた。
小さなころの私を寝かしつけてくれた時の様に、背中を優しくとんとんと叩いてくれる。
おかげで少し落ち着いた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、暖かい濡れタオルで拭いてくれる。
「この薬を飲んで。気持ちが落ち着くから」
お母さんが渡してくれた水と錠剤を素直に飲んだ。
私が落ち着くまで、お母さんはまた抱きしめてくれた。
着替えも終わると、私をそっとベッドに横たえると、今度は肩のあたりを優しくとんとんと叩いてくれる。
さっきまで眠っていたはずなのに、飲んだ薬が効いてきたのか眠気を感じてきた。
何も心配いらないよ、そう言って優しい表情で私を見守ってくれている。
お母さん、あのね、一之瀬君が死んじゃったの。
そう言おうと思ったけど、そう口にするのが怖くて喋れなかった。
でも、そんな私の心の中を見透かしたように、
「今は何も考えなくて良いよ。寝ちゃいなさい」
そう言って私の頬にそっと手を添えて微笑んだ。
お母さん、ありがとう。そう言う前に私は眠ってしまった。
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