諦めるかなって期待してたんだけどなあ

 高校に入ってからずっと続けていた、ファミレスのバイトは今月いっぱいで辞めることにした。

 結局、吉本さんとアカネちゃんと三つ巴になってから、ミカちゃんとは気まずいままだった。シフト表を見ても残りの期間に一緒に入ることはなさそうだから、このままフェードアウトになっちゃうな。それなりに仲良くやってきたから、こういう最後は寂しいけど、自分で蒔いた種だから仕方ない。自業自得ってやつか。

 『お仕事』も、もう辞めた。これまでつながっていたお客さんを切るために、ずっと使ってきた携帯番号も変えることにした。ただ、新しい携帯番号に切り替わる前に連絡をしたい人たちがいた。

 今まで僕を泊めてくれたお姉さんたちに、一人ひとりお礼を伝えたかったからだ。できるだけ、通話で今までの感謝を伝えた。どうしても通話できない場合は、お礼のメッセージを送っておいた。

 どのお姉さんも、納得してくれて最後には応援してくれた。

 最後にかけたのはアカネちゃんだ。不規則な生活をしているアカネちゃんだから、つかまりそうなタイミングを見計らうのにはちょっとコツがいったけど、そこは僕とアカネちゃんの仲だ。


「あー、ユウ君。……どうしたの?」


 すでに、アカネちゃんは何か分かっていそうだった。


「うん、あのさ」


 そこで、電話の向こうでクスクス笑う声が聞こえる。


「そっかあ、あの子と付き合う事にしたの?」

「……うん。そうなんだ」

「ちぇー、諦めるかなって期待してたんだけどなあ」


 ふてくされた様な口調だ。

 電話の向こうで唇を尖らせているアカネちゃんが目に浮かぶ。


「まあ、まだちゃんとは付き合ってないんだけど」

「ふうん。でも、そのために、こうやっていろいろな女とお別れをして泣かせてるんだ。悪い男だねえ」

「いや、まあ、その通りなんだけどさ……」


 ふふふ、と笑うとアカネちゃんは、少し真面目な口調になって、


「でも、大丈夫なの? 泊まれるアテは他にあるの?」

「しばらくは、友達の家と安宿使ってしのぐよ」

「……気をつけるんだよ」

「うん。ありがとう」


 すこしの沈黙。

 今までアカネちゃんと過ごしてきた時間が自然と浮かんでくる。


「ま、しっかり頑張って! あんな綺麗な子なんだから、ちゃんと捕まえとかないと、すぐに他の男に狙われちゃうよー」


 ちょっと涙声だけど明るい口調で応援してくれる。

 あっちには、にへらっと笑っているアカネちゃんがいるはずだ。


「うん! 頑張るよ! アカネちゃん、今までありがとう」


 他にもいろいろ言いたいことはあった。ちゃんと部屋の片付けしなよ! とか、ゴミ出しはサボっちゃダメだよとか。でも、この時はなんとなく口に出せないまま、電話を切った。




 今日も部活が終わってから吉本さんと一緒に帰っている。

 最近の僕たちの間でのホットな話題は、部屋探しと児童福祉の話題だ。


「やっぱり、未成年で部屋を借りるのって難しいんだね……」


 吉本さんはしょんぼりと落ち込んでいる。

 彼女は大きな赤いマフラーを巻いていて、俯いて顔をマフラーにうずめるようにしている。そんな風にしていると、小さな顔がほとんど埋まっているように見えるな。


「まあね。親父の承諾書だけでいいなら、偽装できそうな気もするんだけど」

「バレたら大変でしょ? やっぱり、先生に相談してみよう?」


 吉本さんは、あれからいろいろと調べてくれて、何かとこうやって一緒に考えてくれている。

 彼女が持ってきてくれた情報には、児童養護施設のほかにも家庭に居られない子どもを預かっている活動をしているNPOとか言うのもあった。ただ、どちらも頼るつもりはなかった。今の僕は自分である程度何とかできるようになっているから、本当に必要な子のために枠を潰すような事はしたくなかったからだ。


「……正直、生活指導の先生のしつこさには参ったから、気は進まないけど。仕方ないかなあ」


 うん、と吉本さんも落ち込んだままうなづいた。

 結局、高校生の僕たちでは自分だけで部屋の賃貸契約はできないし、社会的な力なんて皆無なんだ。

 その壁にぶち当たって、落ち込む気持ちは僕も嫌と言うほど味合ってきた。


「早く大人になりたいなあ」


 思わずそう呟く。


「そうだね……。大人になれたら、一之瀬君を本当に支えられるのに」


 吉本さんも、悔しそうに気持ちを吐き出す。

 外はすっかり日も暮れている。山の上に立っている学校からの帰り道、下に広がる街の灯りを見おろすことができる。

 あんなに沢山の家の光があるんだから、一つくらい僕に回してくれたって良いのに、ケチ臭いやつだな。って、誰に文句を言えばいいんだろうな?

 湿っぽくなってしまったから、話題を変えることにした。


「そうだ、吉本さんが行ってみたいって言ってたお店の予約とれたよ」

「えっ、すごい。良くとれたね」


 吉本さんが、目を丸くして驚いた。

 人気のある店だからクリスマスイブなんかに予約を取るのは、無理だろうなと半分諦めていたから僕自身も驚いた。


「キャンセル待ちで、運良くとれちゃった」

「そっかあ、ありがとう。楽しみだな」


 ぱあっと顔を輝かせる吉本さんが、可愛すぎて抱きしめたくなる。

 まだ、ちゃんと付き合っていないからグッと自分を抑える。手を繋いだのも仁の家のあの時きりだ。一応、ケジメとしてそういうことは付き合い始めてからと二人で決めた。

 このままだとクリスマスは、中途半端な関係のままで迎えてしまうことになってしまう。吉本さん以外の女の子とは関係を切った時点で付き合っても良かったのでは……と少し後悔し始めているけど、決めたことはやり切らないとね。

 吉本さんと話しながら歩いていると、あっという間に彼女の家の前まで着いてしまった。

 彼女の家は、白い壁の二階建ての一軒家だ。小さな子なら十分に遊べるくらいの広さの庭があって、綺麗に手入れされた芝生が気持ちよさそうにしていた。庭に面して大きなガラス戸があって、ブラインド越しにそこから明るい灯が漏れている。きっとそこはリビングになっているんだろう。彼女の家族の楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 僕はそこで吉本さんが楽しそうに家族と食事をしている様子を想像してみた。


「今日も送ってくれてありがとね」

「良いって。一緒に帰れて楽しかったし」


 そう言って、僕はバイバイと手を振る。

 吉本さんも手を振り返してくれる。


「さ、じゃあまた明日ね!」


 これからクソ親父が酔いつぶれて寝る頃まで、ブラブラして時間潰さないとな。

 今まではバイトか『お仕事』があったからどうとでも過ごせたんだけど、最近はちょっと持て余し気味だ。

 僕はさっきまで吉本さんと歩いてきた道に引き返そうとする。ぽつぽつと立ち並んでいる電柱にぶら下がっている街灯が、寂しげに地面に弱い光を落としている。住宅街の中だけど暗くなってからのこの道を、吉本さん独りで歩かせたくなくていつも送ってきた。


「あ、待って」


 クイッと袖を引っ張られる。


「ん?」


 吉本さんは何か思いつめたような顔を浮かべている。


「ごめん、ごめんね」

「え? どうしたの?」


 吉本さんに謝られる心当たりが全くなかったので困惑してしまう。

 でも吉本さんは真剣だった。


「偉そうに一之瀬君を守ってあげるとか言ったのに、何もできていない」


 落ち込んだ声でそんな事を言ってくれる。

 吉本さんがそうやって僕の事を気にかけてくれているだけで、どれだけ僕の支えになっているのか伝えたかった。

 僕の中の気持ちをうまく言葉にできなくて、とてももどかしい。


「そう思ってくれるだけで僕は本当に元気になれるんだ。本当だよ? 吉本さんは僕を十分支えてくれているんだよ」


 結局、こんな事しか言えない。

 多分、心から納得させることはできないのだろうけど、少しでも気持ちが伝わるといいな。


「一之瀬君、やっぱり優しいね」


 彼女はそっと袖を離すと笑顔を作った。


「今日は一之瀬君が見えなくなるまで、ここから見送っていい?」

「構わないけど、寒いし早く入った方が良くない? 家族のみんなも待ってるでしょ?」

「もう! ちょっとくらい良いの!」


 吉本さんは本当に僕が角を曲がって見えなくなるまで、家の前で手を振ってくれていた。

 全身を大きく使って手を振ってくれるその姿を見ていると、胸の中に暖かい感情が湧き上がってくる。

 曲がり角の手前、こっちは暗いからあっちからは見えないかな、と思いつつも最後に僕も大きく手を振ってみる。ぴょんぴょん飛んで手を振り返してくれる彼女が見られた。

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