遂に好きって言えたぜ!

 放課後、アヤちゃんがセッティングしてくれた待ち合わせ場所へと急ぐ。

 学校近くの小さな公園で待ち合せることになったので、ホームルームが終わると速攻で教室を抜け出して向かった。約束の時間までは余裕があるから、別に急ぐ理由もないのだけれど学校にいるのは落ち着かなかったし、万一にも吉本さんより遅く着くわけにはいかなかった。

 昨日から、メシも喉を通らないしほとんど眠れていない。トイレの鏡で自分の顔を見たら本当に酷い顔をしていた。頬はそげているし、目の下には濃いクマが出来ている。

 何度もクラスの子から、しきりに保健室に行くことを勧められる有様だった。

 公園に着くと、外からは見えにくい藤棚の下にあるベンチに座る。

 真ん中には小さな砂場があって、そこに降りるように小さな滑り台が置いてある。他には何もない寂しい遊び場だ。遊んでいる子もいなくって、僕だけがポツンと座っている。

 アヤちゃんにセッティングしてもらったは良いけど、正直なところどんな事を話せばいいのかは分からないままだった。


「どうしたいか伝えるしかない、か」


 昨日から、アヤちゃんの言葉を何度も何度も思い出していた。どうしたいかは、決まってる。けど、それを聞いてもらえるのか……、いや違うな。吉本さんがここに来てくれるのなら、彼女は話を聞いてくれる意思を持ってくれていると思って良いだろう。僕がそれをちゃんと話せるのか、結局はそれが出来るかどうかにかかってる。

 約束の時間まではまだ、十五分ほどあったけど吉本さんが公園の入り口に立っていた。

 僕を見つけると、トコトコと藤棚までやってきて僕の隣に座る。僕と彼女の間には、今まで隣り合って座っていた時よりも体一つ分ほどの隙間ができていた。

 隣の彼女の顔を伺うと、ぎこちない硬い表情だ。しばらく、お互いに無言のままでいた。


「来てくれて、ありがとう」


 意を決して口火を切ってみたけど、緊張しすぎて口から心臓が出てきそうな気分だ。


「うん」


 なんとも素っ気ない返事。俯き加減で僕の方は向いてくれなかった。

 そんな吉本さんの様子に心が折れかけながらも、本番はこれからなんだと自分を奮い立たせる。


「この間はゴメンね」

「別に、一之瀬君が謝ることないんじゃない。私には関係ない事だし」


 ダメだ! 取りつく島もない。頭を抱えて呻きたくなるのをグッと堪える。


「キ、キツイなあ……」 


 僕は思わず苦笑いをしてしまうが、吉本さんは硬い表情のままで僕の方を見ようとはしてくれない。

 話は聞いてくれるだけは聞いてくれるのかも知れないけど、それは前向きな物では無いのかも知れない。嫌な考えが頭をよぎる。今までの付き合いもあったから、最後だけは聞いてあげるとかそういう引導を渡すために来たのかも……。


「一之瀬君ってさ、モテるもんね」

「えっ?」


 冷たい口調でそんな事を言われたら、この後はどう考えても悪い流れしか想像できないじゃないか。


「だからああやって、色んなところで色んな女の子と遊んでるんでしょ」

「いや、あれは……」

「友達、友達ってさ、そう言っておけば良いとでも思ってるの? だいたい、友達とそういう事できちゃうのっておかしいと思う」


 何も反論できないぞ。

 ここから、僕がどうしたいかなんてどうやって伝えたらいいのかさっぱり分からない。

 思わず空を仰ぐ。葉のない藤棚の隙間からは、重い雲が覆いかぶさっている様子しか伺えなかった。

 

「……ごめん。後悔してる」


 ようやく、その一言を吐き出す。

 ここにきて初めて彼女が僕の方を向いてくれたけど、その目は怒っていた。

 

「好きって気持ちを利用してるって事なんだよ。それって酷い事なんだよ」


 今なら、吉本さんの言ってる事が良く分かる。嫌われたくないって本気で思う事の辛さ。


「それにね……。私わかったの」


 急に弱々しくなって、寂しげな表情で僕の事をジッと見つめる。


「わ、分かったって何を?」


 僕の問いに、少し間をおいて吉本さんは答えた。


「一之瀬君が私に全然興味がないって事。だって、そうでしょ? バイト先の子に手を出したり、セフレまで作ってたりしてるのに私には何もしてこなかったよね。知ってる? 一之瀬君って自分から私に触れたこと、ほとんどないんだよ? それって私なんか、触る気もしないって事だよね」


 吉本さんの目には涙が溜まっている。

 違う、それは違う! そう言いたいけど、どんな言葉で伝えても嘘くさく響いてしまう予感がした。

 それでも、僕には他に手はなかった。


「違うんだ、吉本さん。僕にとって吉本さんはとても大切な人で……、その、興味ないとかそんな事はありえないんだよ」

 

 予感のとおり、僕の言葉は届かなくて、吉本さんは首を横に振って聞き入れてもらえない。


「じゃあ、なんで? なんでなの? 本当は私の気持ち気づいてたんでしょ? でも、それって迷惑だったんだよね?」


 そんなわけない! そう言って必死に否定するけど、もう彼女は聞いていない。


「私バカみたいだったよね。ずっと追いかけてきて、一之瀬君の周りをちょろちょろしてさ、うっとおしかったよね」


 とうとう、吉本さんの目から涙がぽろぽろとこぼれる。

 僕は焦って、叫ぶかのように懇願した。

 

「頼む! 僕の話を聞いてくれ! 僕は今まで迷惑だなんて思った事は一度もない!」

「じゃあ、なんで私じゃなくてあの人たちなの? あの人たちの方が好きだったの? 私、一之瀬君のこと分かんなくなってきたよ……」


 多分、このまま何を言ってももうダメだ。吉本さんとの関係は決定的に壊れてしまった。そう確信する。

 現実逃避をしたいのか、涙で濡れている瞳も綺麗だななんてことが頭をかすめる。

 これが吉本さんと話す最後の機会になるんだろう。そう思ったから僕は決心をした。


「わかったよ。全部話してあげる」


 本当は死ぬまで誰にも話さないつもりでいた事だったけど、どうしても吉本さんに言いたいことがあるから、全部を話すことに決めた。

 腹を決めると、不思議と落ち着きを取り戻すことが出来た。

 僕の雰囲気が変わったせいか、吉本さんも話を聞いてくれる姿勢になってくれた。真っ赤になった目で僕の事を見つめている。


「僕の親が離婚してるのは知ってるよね?」


 吉本さんは顔を曇らせて、首を縦にふる。


「……うん、中二ぐらいだっけ?」

「そう。あれって親父の暴力に耐えかねて、母さんが逃げちゃったからなんだ。うちの親父ってアル中でさ。家にいる間はずっと酒飲んで僕か母さんを殴ってるような奴なんだ。母さんが出て行った後は、僕が親父の暴力を全部引き受けることになってね。あの頃はよく顔にアザを作ってたから先生とかにも問い詰められたりして参ったよ」

「一之瀬君、怪我してても『なんでもないよ』ってしか言ってくれないよね。そんなわけないの分かってたのに」


 吉本さんは目を伏せて、少し寂しげにつぶやいた。

 少しの沈黙のあと、『続けて』と言ってきたから話を続ける。


「でもね、僕は親父の暴力から逃げる方法を考えて実行するようになったんだ」


 ここから話すのが怖い。

 緊張してるせいか、舌がこわばるのを感じる。


「なるべく家にいないようにしたんだよね。学校終わってからも夜遅くまで家に帰らないように。泊めてくれる人がいれば知らない人の家でも泊まったり。普通に考えたら、中学生とか高校生を家に泊めるとか相当ヤバいからね。それでもチャンスがあれば手を出したいって考えてる人は結構いるもんなんだよ」


 僕は思わず苦笑してしまう。

 ほんと我ながらひどい話だと思う。

 

「泊めてくれたのは男の人、女の人色々だったよ。当然、そういう事になるんだよね。男の人の時は本番はしなかったけど、レイプされそうになった事なら何度もある。そのうち、お金を貰うようにしたんだ。親父は全然僕にお金を渡さないからさ、生活費を稼ぐ必要があったんだよね。これが結構良い稼ぎなんだよ。んで、そのうちお金をもらうためにお客さん取ったりするようになって。……というわけで、中学生の頃から今までこんな風に生活してきたんだ。ビックリでしょ。お客取った次の日に普通に吉本さんと会ったりしてたんだよ、最悪だよね」


 あはは、と思わず作った笑いが漏れてしまう。

 吉本さんの顔は心なしか青ざめているように見える。

 顔が整っているから、血の気が引くと彫像みたいだな。


「前に会ったアカネちゃんは、僕が泊まるところが無くてウロウロしている所を拾ってくれたのがきっかけで知り合ったんだ。好きか嫌いかと言えばもちろん好きだけど、僕の気持ちは恋とか愛とかそう言うのとは違う気はするかなあ」


 そう言うと、僕はベンチから立ち上がった。

 座ったままの吉本さんは茫然とした顔で僕を見上げている。


「というのが、僕の正体でした。吉本さんが思い描いていた僕と違ってたらゴメンね」


 無理やり笑顔を作る。うまく笑えていたら良いけど。


「もう、僕から吉本さんに話しかけたりはしないし、部活も辞める。面倒かけるけど、LINEとかSNSもブロックしといてよ。僕の方もしとくけど、念のためね」


 そう言って、一歩後ろに下がって距離を取る。


「さっき、僕から吉本さんに触れたことないって言ってたよね。こんな僕だからさ、汚れた手で吉本さんに触れるのってできなかったんだ。大切な物を汚れた手で触らないのと同じことかな」


 手をヒラヒラさせて、芝居がかった仕草をしてみた。

 そして最後に何気ない風の口調で、今までずっと言いたかった事をやっと吐き出す。


「信じてもらえないだろうけど、吉本さんの事ずっと好きだったよ。中学の頃から、ずっとね。大好きだよ」


 吉本さんが何か言いかけるけど、それよりも早く、じゃあね! と言い残して僕は公園を駆け抜けた。

 やったぜ! 遂に好きって言えたぜ! 心の中で喝采を上げながら、そして泣きながら走った。

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