ホオジロザメは飛び込んで行って

 今週はほとんど部活には顔を出さないまま、放課後の教室で時間を潰して無為に過ごしていた。

 今も机に突っ伏して、バイトまでの時間潰しに勤しんでいる。

 部活も勉強もする気力が沸かない。バイトもする気は沸かないけど、先立つもののためにはやるしかない。

 隣には仁がスマホを触りながら、ぼんやりと座っている。教室には僕と仁の二人しかいない。みんな帰るなり部活に行くなりやるべきことがあるんだろう。


「なあ、いつまでそうしてんだよ」


 仁が呆れたように言う。

 今週、何度これを言われたか分からない。

 アカネちゃんのセフレ宣言は、僕の生活のいろんなところに影響を及ぼしていた。

 まずは、学校中に噂が広まったこと。元がスズキくらいの大きさの話だったのが、尾ひれ背びれが伸びていって、更に巨大化し、おまけに凶暴性をえて、今ではホオジロザメの様相を呈している。みんな好き勝手に噂話するくらいなら放っておいても良かったんだけど、教師の耳にまでホオジロザメは飛び込んで行って、遂には生活指導の先生にまで呼び出されるハメになってしまった。


「一之瀬、例の話は本当なのか?」


 その時の事を思い出す。学校ではわりと優等生の僕は、生活指導室に入るのは初めてだった。

 生活指導の先生はいつも高圧的な態度で苦手だったけど、これまではほとんど接点もなかったから実際にどういう人となりなのかは知らなかった。


「そういう事があったのは本当ですけど、先生が耳にされた話はだいぶ誇張入っていると思いますよ」


 どんな状態の話を聞いているのか冷や冷やする。


「確かに噂話ってのは面白おかしく語られるものだからな。お前の口から聞かせてくれ」


 その強面の先生からは、全部吐くまでは絶対に帰さんぞという強い意志を感じさせた。

 こうなる事は予想していたので、事前に考えていたストーリーを聞かせた。もちろん、真実とブラフを混ぜながら。

 全部を正直に話すと、アカネちゃんのところに警察が直行することは間違いない。何をおいても、アカネちゃんを巻き込むわけにはいかない。

 僕の言う事を全然信じてないのか、昼休みや放課後に三日連続で呼び出されて聞き取りされたのには参った。

 矛盾を突こうとしたり、詰めが甘そうなところを突っ込んできたりと教師よりも警察の方が間違いなく向いてる。

 執念深いというか、粘着気質というか。結婚してるみたいだけど、奥さんはこの人のどこが良かったんだろうと不思議でしょうがなかった。


 なんとか、教師の追及を免れたけど、バイト先のミカちゃんとは超気まずい事になっていて、やりにくい事この上ない。

 ただ、これらの事は序の口だ。一番に最悪なのは、もちろん吉本さんの事だ。

 口もきいてくれない。部活でも事務的な必要最低限の事しか話してくれない。そもそも、目が合わない様によそよそしい態度を取られるし、避けられてる。

 もう死んでしまいたい。

 心がすっかり折れて、部活にも行かなくなった。

 だからと言って、家にまっすぐ帰れるはずもないからできる限り学校で時間を潰さないといけないわけで、こうして教室で机に突っ伏して無為に過ごしている。

 仁はなぜか僕に付き合って、部活には行かずに学校を出るまでこうして教室で一緒にいてくれる。


「あー、死にたい」


 突っ伏したまま、思わず願望が口から漏れ出す。

 隣から仁のため息が聞こえてくる。


「なに、アホな事いってんの」


 頭の方から、呆れたようなアヤちゃんのツッコミが聞こえた。

 でも、顔を上げることはしないで僕は沈黙することにした。


「アンタら、そろそろ部活に顔だしーや、部長さん怒ってたで」


 部活をサボり続けている僕たちの呼び出しに、アヤちゃんが選ばれたみたいだ。


「どーでもいい」


 実際、もう水泳部なんかどうでも良かった。

 体を起こしてカバンからある書類を入れた封筒を取り出すと、渡しておいてと、アヤちゃんに押し付けるようにしてまた机に突っ伏した。

 アヤちゃんが、封筒を開けて中身を確認するのが気配で分かる。


「えっ! 嫌や、こんなん自分で渡してや」


 グイと封筒をカバンに突っ込まれてしまったようだ。

 仁にも渡しておいてと頼んだけど、自分で出せと突き返されてしまった退部届。

 もう、水泳部なんかどうでも良いし、理由を聞かれるのも面倒だったからこれだけ押し付けて終わらせたかった。


「一之瀬君さあ、このままやとホンマに終わってまうで?」

「……ホンマにも何ももう終わってるじゃん。目も合わせてくれないんだよ」


 何が終わるとか、終わったとか確認する必要もない。

 その辺りは話が早くて良いなと益体もないことを考える。


「まあ、アタシも真希ちゃんから聞いた事しか知らんから、一之瀬君の事情とかは知らんけどな」


 僕の前の席の椅子をひいて、アヤちゃんが座ったみたいだ。


「真希ちゃんにしたら、ショックやったんは分かるやろ? 逆に、一之瀬君が真希ちゃんと知らん男が一緒にいるとこに遭遇して、その男から真希ちゃんとはセフレですなんて言われたらどう思う?」

「死ぬ」

「……まあ、真希ちゃんは実際にその気持ちを味合わされたんやから。気まずいのも、避けられるのもしゃあないやろけど、そこで一之瀬君から逃げたらもう取り返しつかへんで」


 アヤちゃんが言いたいことは良く分かる。吉本さんの事を深く傷つけてしまったのは間違いない。僕が傷つくのは自業自得でしかないもんな。


「でも、吉本さんには嫌われちゃってるし、今さらどうしたら良いのさ」


 取り返しなんて今からでもつくのか?

 とてもそうは思えない。

 でもアヤちゃんは何を分かり切ったことを、とでも言いたいような口調で言い放つ。


「どうって、一之瀬君がどうしたいか伝えるしかないんちゃうの?」


 どうしたいか。僕は思わず顔を上げてアヤちゃんを見た。

 彼女はやっと顔あげたなと、ニッコリ笑った。 


「そう、どうしたい? 真希ちゃんとどうしたい? それとも他の女の子と適当に遊んでる方が楽しい? 真希ちゃんにしたら、その他大勢の女の子の一人になりたいなんて思ってるわけないで。それは他の女の子もそうやろけど」


 棘を感じつつも、率直な意見はありがたい。

 それにその件についてはずっと後悔してたから答えは出ている。


「それなら決まってるよ。でも、避けられてるから話なんて……」


 思わず弱気な口調になってしまってカッコ悪いところを見せてしまう。

 どうも心が弱り切ってる。

 

「それならアタシから真希ちゃんに話通したろか? まさかと思うけど、他の子選ぶとかやったらお断りやけどな」


 アヤちゃんは、真顔になってありがたい申し出をしてくれる。


「お願いします。他の子にはどんなに嫌われても良いけど、吉本さんだけは耐えられない」


 僕はアヤちゃんに頭を下げてお願いする。

 

「なんか恥ずかしなるわ。それ、そのまま言ったら良いんちゃうんかなあ」

 

 アヤちゃんはちょっと顔を赤くして気まずそうだ。

 こそばなるわ、とかぶつぶつ言ってる。

 

「明日の放課後でええかな?」


 アヤちゃんは話題を変えるかのように、話を進めた。

 僕はそれに頷く。


「部活には出る気ない?」

「今週はやめとく」

「わかった。そっちも部長さんにはうまく言っとくわ。真希ちゃんにはさっきので話しとくから」


 うん、くれぐれも頼みます。


「早くした方がええもんね。真希ちゃんにちょっかいかけてきてる男の子も結構でてきてるしな」


 落ち込んでる時がチャンスって言うやん、アヤちゃんはそう言って、最後に爆弾を置いて行った。

 いやーな汗が止まらない。仁は僕の心を見透かしたかのように、ニヤニヤ笑ってる。

 急に落ち着かなくなって、教室の中を意味もなく歩き回ってしまうのだった。

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