小雨降る深夜、相合傘になって歩く

 明日は週の真ん中だけど、祝日で休みだ。

 だからなのか、『お仕事』の予定が二つも入っていた。

 夜も遅めの時間に、地元の駅から数駅離れたところでお客さんと会う。

 場所は、駅から少し離れたところにある大きな公園の駐車場だ。

 一人目のお客さんは、何度かお相手した事のあるリピーターのお兄さんで、いつも白いレクサスに乗ってやってくる。

 清潔感があって、僕の事は丁寧に扱ってくれるし、雑談も面白いし、金払いも良いしでさぞかしモテるんだろうなあと思わせる人だ。

 口で受けたお兄さんの精液をティッシュに出したりと後片付けをしていると、お兄さんが嬉しいお誘いをしてくれる。


「今度、良かったら飯でも食べに行かないか? 好きな物なんでも良いぞ」

「ホントですか? やっぱりお肉が食べたいです!」

「若いしそうだよな。じゃあ、良い肉を食わせてやるよ」


 まともなお肉とか、めったに食べられないから楽しみだ。

 ご機嫌でお兄さんの車を見送って、次の約束のお客さんが待っている場所に移動しようと駐車場から出たときだった。


「ちょっと、君」


 いきなり声をかけられて心臓が止まりそうになる。

 油断していた。お肉のおかげでテンション上がっていたせいか、普段はしない気の緩みが出ていたようだった。

 振り向くと、中年のオジサンとオバサンの二人組が僕を取り囲むようにして立っていた。


「あの駐車場で何してたの?」


 何ってナニですが。

 そんな事を言えるわけもなく、事態を打開するために状況を確認する。

 二人は警察? 補導員? 多分、後者だろうな。いずれにせよ、不味い事になった。

 カバンの中には、後処理をしたティッシュ入りビニール袋とか、こまごまとした商売道具とか見られたヤバそうなものがある。


「いえ、知り合いに近くまで送ってもらっただけですよ」

「こんな人気のない公園に?」

「ええ、家が近くなんです」

「でも、その制服は近所の高校のじゃないよね。どのあたりに住んでるの?」


 ヤバい、完全に怪しまれてる。

 二人とも目つきがどんどん鋭くなってるし、頭の中で黄色信号が灯りだす。


「はい、そこの通りを渡ってすぐのところです」


 そう言って、右手で目の前の通りを指さす。

 二人も釣られて通りの方に視線を移した。その一瞬、全力で反対方向に走り出す。向かった先は真っ暗な公園だ。


「あっ! こらっ!」

「待ちなさい!」


 二人もすぐに気づいて追いかけてくるけど、僕の脚には追い付かない。百メートル十一秒台の脚力を遺憾無く発揮してぶっちぎる。

 公園を突っ切って、生垣を走った勢いで飛び越えた。飛び越えた先は歩道になっていて、道路との区切りとなっている柵に勢い余って思い切りぶつかる。胸と腹を思い切り打って、グエェとカエルを踏みつぶしたような声が思わず漏れた。

 あまりの痛さにうずくまりそうになったけど、ここで止まるわけにはいかない。涙目になりながらも、早歩き程度のスピードでなんとか電車に乗って、地元の駅まで帰ることが出来た。


 地元の駅に着いたのは良いけど、雨が降り出していた。傘なんて持っていないから、濡れるに任せるしかない。

 もうすぐ日付が変わる時間だ。クソ親父も酔いつぶれて寝ている頃だろうからマンションに戻ろう。そう思って玄関を開けると、廊下でクソ親父が眠り込んでいた。

 チキショー! 明日は休みだから、遅くまで飲み歩いたか。ついてないなあ。

 このまま無視して寝てもいいのだけど、朝になるとなんでほったらかしていたんだと、八つ当たりしてくるパターンだ。

 もう少し寒い時期なら、玄関の外に放り出して凍死を狙いたいところだ。もちろん、クソ親父をベッドまで連れて行ってやるような優しさは持ち合わせていない。むしろゴミ箱に捨ててやりたいんだけど、生ゴミで引き取ってもらえないのかな。


 仕方ない、やっぱり今夜はどこかで適当に過ごすしかないか。

 雨のなか歩いてきたので、服は濡れて体は冷え切っている。シャワーを浴びたかったけど、少し迷って我慢することにした。親父が寝ている玄関のすぐ隣が風呂場なので、音で起きるかもしれなかったのと、長居はしたくなかったからだ。

 自分の部屋のクローゼットから服を引っ張り出して、手早く着替える。

 僕の部屋は六畳のフローリングに、パイプベッドと折り畳みの長机、その上には教科書や参考書のほかに図書館から借りた文庫本が数冊、部屋の真ん中にラグをひいているほかには何も置いていない。

 マンガやゲームみたいなものは買い与えてもらえなかったし、自分で買っても嫌がらせで捨てられたりしたので趣味のものは置かなくなったな。

 中学生の頃に、近所の大学生のお兄さんにアコースティックギターを貰って一生懸命練習していた時期があった。簡単なコードなら押さえられるようになって楽しくなってきたのに、ある日学校から戻るとバキバキに壊されてしまっていた。それ以来この部屋には何もない。


 外で時間つぶしをするために数学の勉強道具を一式リュックに突っ込んだ。廊下に戻ると、うつぶせで寝ている親父を足でひっくり返してスーツから財布を抜き取る。「おー」思わず声が出る。八万ちょっと入っていた。

 大企業勤めってやっぱり金持ってんのなあと、少し感心する。

 他には、キャバクラや風俗で貰ったらしい名刺が何枚か入っているだけで面白いものはない。

 これだけ酔ってたら、何に使ったか分からないだろう。もともと、コイツが僕にお金をまわさないおかげで『お仕事』する羽目になってるんだし問題ない。

 財布から万札を全部抜いて、元に戻しておいてあげた。

 



 この時間はネットカフェも使えないしなあ。

 仕方がないので駅近くのファミレスで、勉強しながら時間をつぶす。

 深夜のファミレスにはいろんな客層がいる。

 やけに疲れた雰囲気のカップルだとか、OLぽい二人組とか、一人で退屈そうにスマホいじっている大学生とか、あと明らかに中学生ぽいヤンキーの集団とか。みんな思い思いに過ごしている。

 勉強の調子も上がってきたなと思ったところで、スーツ姿の中年女性の二人組が入ってきた。

 店内の様子を見ているが中学生ヤンキーの方に向かっていった。多分、補導員だろう。

 こっちに目をつけられる前に店を出た。

 危なかった、あの子たちがいなかったら捕まってたのは僕だったかも。

 補導員の一人が会計している僕を観察していたので、この辺りからは離れることにする。

 小雨が降る中、行くあてもないまま適当に通りかかった公園の東屋に座った。

 どうしよっかなあ、ホント参った。


「ユート?」

「ん?」


 声をした方を向くと、傘をさした女の子が立っていた。

 背が高くて手足が長くスレンダーな体系、小顔で少し鋭い目つきで薄い唇、なんとなくハーフっぽい顔つきだ。

 可愛いというよりも、カッコいい感じの子だと思う。

 長く伸ばした茶色い髪を後ろで二つにくくっている。

 僕はこの子を知っている。


「ナナコちゃんか」

「久しぶりじゃん」


 ナナコちゃんは、僕と同じように家に居辛くてフラフラしている女の子だ。

 同い年って事以外は、本名も学校もどこに住んでいるのかも知らないけど、似たような境遇なのでこうして出会うことがある。

 いうなればフラフラ仲間だ。

 

「ナナコちゃんも行くとこないの?」

「なーい! なんか補導員やたらいなくない?」

「いるね。さっきファミレスで時間潰してたけど来たよ」

「うっざいわホント。アイツらいなかったら苦労しないのに」


 苛立たしげに吐き捨てると、タバコを取り出した。

 僕にもいるか? と箱を向けてくれたけど断った。

 僕の横に腰かけて、タバコに火をつけた。

 深く吸い込んで煙を吐く。煙は小雨にぶち当たると消えていった。


「次の日が祝日だからかなあ」

「うーん」


 補導員は夏休みや冬休みの長期休暇の時期は目に見えて増える。

 普段から、彼らはいるけど特別に多いというわけでもない。でも今夜はどういうわけか、夏休みの時期に近い雰囲気だ。

 何かキャンペーンでもしているのかもしれないな。

 僕は中学生の頃から、こうやって夜はフラフラと外を歩いて時間をつぶしていた。一度、補導員に捕まって学校とクソ親父に連絡がいった事があったのだけど、あの時はクソ親父に文字通りの半殺しの目に会わされた。

 当時は事情を話せば、しかるべき施設で一時保護ぐらいはしてもらえるかと思っていたけど考えが甘くて、連れて行かれた警察署で対応した警官にいくら必死に訴えても、ただの親子喧嘩で家を飛びしたって事で処理されてしまった。

 深夜徘徊するような子供の言い分なんかに説得力はないんだろう、面倒臭そうに事務的に聞き取りをしていた警官の態度が忘れられない。

 聞いた事はないけど、ナナコちゃんにも苦い思い出はあるんだろう。


「カラオケでもいく?」

「んー、でもあいつらウロウロしてるだろうしなぁ」


 タバコを吸いながら上を向いて、思案顔のナナコちゃん。

 細身で手足が長いせいか、なにげないポーズも様になっている。


「つーか、寒いわ」

「ナナコちゃん、結構薄着だしね」


 赤と黒のボーダー柄のワンピースの上に、グレーのパーカーを羽織っているだけだ。

 昼間ならちょうど良いくらいだろうけど、十一月も終わろうかという時期の夜中には心もとない格好だ。 

 パーカーのポケットに手を突っ込んで、両足を寒そうに合わせながら震えている。


「ユートさ、いま、金ある?」

「臨時収入あったから、まあまああるよ」

「そっか……ラブホいくか?」

「突然だなあ」


 思わず苦笑してしまう。

 今までもこうして行くあてがない時に、二人で入ることはあった。

 寒さもしのげて休めるところとなると、限られてくる。


「女から誘ってんだから、もっと喜べっての」

「はいはい。でも、ラブホ街も補導員いそうだよ」

「それなー。だからさ、外れにポツンとあるようなところなら狙い目じゃね?」

「なるほど……」


 今いるところから、歩いて三十分から四十分ほど国道沿いにあるけばラブホ街がある。補導員も効率的に仕事をしたいだろうから、彼らはそこにいる可能性が高い。

 だから、それの裏を突こうというわけだ。

 ナナコちゃんの案にのって、ラブホ街とは反対側に向かって歩き出す。

 僕たちは線路沿いにポツンと1軒だけ建っている古いラブホを目指している。どういうわけか、ナナコちゃんは自分の傘を使わないで僕の傘に潜りこんできた。

 小雨降る深夜、相合傘になって歩く。人目を避けたい僕たちが歩いているのは、線路と国道に挟まれた歩道だ。国道の上には高速道路が走っていて、車はそこそこ通るけど歩道を歩いている人は僕たちのほかにはいない。高速道路は雨よけにはなってくれず、等間隔に街灯が立って濡れた地面を照らしている様はひどく寂しく見える。

 ナナコちゃんが腕を組んでくるけど、ぴったり体をくっつけるので歩きにくい。


「くっつきすぎて、歩きにくくない?」

「くっつかないと濡れるだろ」


 僕が文句を言うと、ナナコちゃんはふてくされた様な顔になる。

 

「それにしたってくっつきすぎじゃない?」

「寒いんだよ。いちいち文句言うなっつーの」


 そんな会話をしながら、人気の途絶えた国道沿いの歩道を進んで行った。

 



 幸いナナコちゃんの読みは当って、目当てのホテルの周りには補導員もいなくて部屋も開いていた。

 年季の入った古いラブホテルだけど、部屋の中はよく掃除も行き届いているし快適だ。彼女も特に気にしている様子はない。冷え切った体を温めたいから、真っ先に湯船にお湯を張った。

 ナナコちゃんと一緒に入るかと服を脱いだら、


「おまえ、それどうしたんだよ……」


 僕の体を指さして何か驚いている。

 鏡で自分の体を見て、僕も思わず声を上げた。

 

「な、なんじゃこりゃあ!」


 胸から腹にかけて、大きくて赤黒いアザができていた。公園で補導員から逃げたときにできたのだろう。

 どうりで、ときどき変な痛みがすると思った……。さっき着替えたときには全然気づかなかったな。

 公園での話を、ナナコちゃんにすると呆れられてしまった。


「平気かよ……、折れてないか?」

「たぶん、アバラ折ったりはしてないと思う」


 見かけほどは痛まないので、平気……なはず。

 ナナコちゃんはほっそりとした綺麗な指先で、アザの周りを優しくなでて心配してくれる。

 湯船で温まったあとに、お互いの体を洗いっこしたのだけど、その時もアザの辺りは優しく洗ってくれた。


 その後はベッドで何回かイチャイチャして、カラダをさらに温めあったのだけど終わった後に、


「相変わらず、エロすぎるだろおまえ」


 となぜか、ナナコちゃんが怒ったようにいって顔を僕の胸にくっつけきた。

 耳のあたりが赤くなっている。


「それは褒めてくれているの?」

「しらねーよ!」


 ふてくされた様な返事を返してくる。

 なんとなくウトウトしながら、ナナコちゃんの頭をそのままなでていた。

 ふと、ナナコちゃんがぼそぼそと小さな声で語りだした。


「ずっと好きな人がいるんだけどさ、その人がアタシの友達と付き合うことになったんだ」

「うん」

「その子はさ、アタシがその人のこと好きだってことは知ってたんだけどね。アタシがその人になにもできないのも分かってて」

「うん」

「だって、いつもこんな風に誰かと寝てるのに、好きな人に抱きしめてなんて言えないじゃん。友達がさ、『ごめんね付き合うことになった』って言ってきたとき、アタシ何も言えなかった」


 最後の方は、涙声になっていた。

 そのまま、ナナコちゃんは僕の胸で静かに泣き続けた。

 僕には、彼女をそのまま泣かせてあげることしかできない。彼女の嘆きは、とても他人ごとではなくて。

 おまえもそうなんだぞ、彼女と何が違うんだと誰かに言われた気がした。

 吉本さんの顔が浮かんで、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じるのだった。 

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