プレゼント、気に入ってくれると良いな
「一之瀬君、おっかれ―」
「はい、お疲れさまでした」
吉本さんと別れた後に向かったバイトは、いつも通りに何事もなく終わった。店長にあいさつをするとバイト先のファミレスを後にする。
今夜はアカネちゃんにお呼ばれしているので、これから彼女の家に向かう。電車で二十分ほどでアカネちゃんの住んでいる最寄駅に着く。
ここは昔から港町で栄えていて、この辺りでは一番大きな繁華街だ。
僕たちが住んでいる街からこの駅の周辺にかけては、海に迫る様に山がそびえていて、海と山の間のほんのわずかな平地に建物がひしめく様に並んでいるのが特徴の街並みになっている。
駅から山側に向かって少し歩いた所にある、古い住宅やアパートがごちゃごちゃと立ち並んでいる一画。そこに、アカネちゃんの部屋がある古い三階建てのアパートが建っている。
アカネちゃんはデリヘル嬢をやっていて、今はお仕事中だ。
僕が行くときは、いつもアパート入口にある郵便受けに鍵をいれてくれているので、それを取って二階の部屋に向かう。
扉を開ける前に、少し覚悟を決める。
――よし、行くぞ。
中に入ると、そこは汚部屋だった。
「うわぁ……」
2DKの間取りとなっていて、玄関をあけてすぐダイニングキッチンがある。そこはコンビニ弁当の容器や捨て損ねたごみ袋で足の踏み場もない状態だ。
キッチンのシンクには洗っていない食器が山積みになっている。
その奥には洋間と和室があるはずだけど、そっちも脱ぎ散らかした服や下着なんかが散乱しているのが伺える。
はぁ……。
深いため息をつくと、掃除に取りかかるのだった。アカネちゃんが帰ってくる前にある程度はきれいにしなくちゃね。
僕は
週末はだいたい誰かの家に泊めてもらっていて、今日はアカネちゃんのところでお世話になることになっているというわけだ。アカネちゃんについては実際のところ、部屋が崩壊したら僕を呼びつけて掃除をさせるのが目的なんじゃないかという気もしている。
「あー、疲れた」
休憩をはさんで、洗濯物に取りかかる。下着はネットに入れて、色物とそうでないのに分けて洗濯機に放り込む。月曜日に着ていくために、自分の制服のワイシャツやら下着も一緒に洗ってしまう。
たまりまくっていたごみは袋に突っ込んで、キッチンの端に山積みにした。散乱していた雑誌もビニール紐でまとめてこれも山積みに。シンクにたまった大量の食器も洗い終わって、気が付けば明け方の四時近くだ。そろそろアカネちゃんが帰ってくる。
お風呂を沸かしておいてあげよう。きれいなお湯でゆっくりして欲しいから、僕はシャワーですませる。
部活とバイトをした後の大掃除で徹夜。さすがに眠い。でも、アカネちゃんが帰ってくるのを待っててあげないと……。
「ユウ君、ユウ君」
優しい声で僕の名前を呼ぶ声がする。
和室の畳の上でいつの間にか寝てしまっていたようで、肩を揺すられて目を覚ました。
帰ってきたアカネちゃんに起こされたみたいだ。
「……おかえりなさい」
「すっごいキレイになってる! ありがとね、ユウ君」
アカネちゃんは屈んでハグをすると、頬を合わせてすりすりとこすり付けてくる。僕も彼女のやわらかい体に腕をまわして抱きしめた。冷え切っていた体に彼女の体温が沁みこんできてホッとする。
「ごめんね、ちゃんと待ってようと思ってたんだけど」
「気使わないで良かったのにさー。でも、うれしいかな」
アカネちゃんはにへら顔で僕の頭をなでてくれた。この笑顔がアカネちゃんの魅力なんだなあ。
美人というわけではないのだけど、優しそうなたれ目や丸い鼻が印象的で
「疲れたでしょ? お風呂沸かしてるから入ってきたらいいよ。その間に僕はパンを買ってくる」
「さすがユウ君、完璧だー」
アカネちゃんが、にへらと笑って褒めてくれる。
風呂に向かったアカネちゃんが脱いでその辺に無造作に放り投げた服を畳んでから、まだ真っ暗な外に出た。
ここは港町で昔から外国人が多かったせいなのか、やたらとパン屋やケーキ屋が多い。
パン屋は朝早くから開くので助かる。
誰も出歩いていない暗い街中でポツンと明かりを灯している店を見ていると、なんとなく安心させてくれるのだ。
そうした店が一筋にひとつくらいはあって、夜明け前の街を暖かいひかりと、焼きたてのパンの優しい香りで包んでくれている。僕のお目当てもそうしたパン屋のひとつだ。
早朝だけど店の中は少し混雑していて、焼きたてのパンの甘い香りで満たされていた。
今朝は彼女が特にお気に入りのクロワッサンと、スモークサーモンのサンドイッチを選んだ。
少し空が白んできた明け方の帰り道を歩いていると、ふと吉本さんのことが浮かんだ。今はまだ眠っている頃だろうな。
公民館で一緒に勉強したのが遠い昔のように感じる。
しかし、今日も(日付が変わったから昨日も?)めちゃくちゃ可愛かったな。光をうけて輪っかをつくる艶のある髪や、ペンを握る白く形の整った指はもちろん、おしゃべりするときの楽しそうに輝く瞳も、問題が解けなくて悩んでいる時に突き出す癖のある唇も、集中しているときの真剣な表情も全部見とれてしまう。そんなことを思い返していると、今どうして自分はこんなところにいるんだろうと少し不思議に感じた。
部屋に戻ると、アカネちゃんは湯船の中で舟をこいでいた。
「おーい、お風呂で寝ると危ないよ」
「ユウ君、体洗ってー」
半分寝ながらアカネちゃんは甘えてきた。
「帰ってくるとき、洗わなかったの?」
彼女はゆっくりと首を振る。
「ユウ君来てるから早く帰りたかったし、軽く流しただけなのー」
可愛らしい事を言ってくれるなあと嬉しく思ったのもつかの間。彼女はコクリコクリと寝落ちしようとする。下を向くたびにあご先がお湯に触れるので危なっかしくて見てられない。
仕方ないから、僕も一緒に入って面倒を見てあげることにした。彼女を転ばないように慎重に支えながら椅子に座らせてあげる。正直むらむらとしたけど、疲れている彼女の事を思って普通に洗ってあげる。まるで介護だなこれは、と思いながら、ゆらゆら揺れているアカネちゃんの頭からつま先まできれいにするのだった。
お風呂から上がったアカネちゃんにパジャマを着せて、手を引いてベッドに腰かけさせる。うとうとしてる彼女の長い髪をドライヤーで乾かす。ある程度乾いてくると、冷風にして毛先に向かって指を通すように優しくといてあげる。その間、ずっと僕に体をもたれさせて眠っていたけど、サラサラになるころには目を覚ましてくれた。
「ユウ君がしてくれるとホント楽でいいわー」
そう言ってにへらって笑うと、簡単な朝食を作ってくれた。
ハムエッグとインスタントのコーンスープと、フルーツジュースだ。そこに僕が買ってきたパンを加えて二人で食べる。
食べながらアカネちゃんは最近あったたわいもない話をいろいろとしてくれる。いまは友達となぜかギョーザつくりにハマっているらしい。
あとは、彼女はできたのかとか、学校に好きな子がいるのかとか、どんな子なのかとか根掘り葉掘り聞かれた。
ちなみに、お互いに家族の話は絶対にしないことが暗黙のルールになっている。
外はすっかり明るくなって静かだった街がにぎやかになりだした頃、二人で同じベッドに潜りこむ。僕は疲れ果ててたしアカネちゃんもそれは同じだったので、すぐに寝入ってしまった。
目が覚めるともう夕方だった。
一日が終わっちゃったねと、二人で苦笑する。
しばらく、ベッドの中でいちゃいちゃしていると日が落ちてしまった。
最近はすぐに暗くなってしまう。一歩も家から出ないままアカネちゃんは晩ごはんの用意、僕は干していた洗濯物を取り込んでアイロンをあてていると玄関が開く音がした。
あれ? なにか変な感じがしたので玄関をのぞいてみると、やたらと目つきの鋭いガラの悪そうな若い男が立っていた。
男は僕を見つけると、
「誰だコイツ? おいアカネ、新しい男作ったのか?」
と吐き捨てるように言って、ズカズカと部屋に入ってきた。
アカネちゃんの方をみると、え? なんで? と青い顔をしておびえている。
男は僕の胸ぐらをつかんだと思うと、
そのまま腹に一発、顔をもう一発殴られて僕はうずくまる。男が人を殴ることに慣れていることは良くわかった。
「やめてよ!」
「うるせぇよ」
慌てたアカネちゃんが間に入って止めてくれるが、男はアカネちゃんの髪を鷲づかみにする。
今度は僕が、男に飛び掛かる。勢い付きすぎて僕の頭が男のあごの辺りに激しくぶつかる。
めちゃくちゃ痛い、絶対タンコブできたぞこれと思ったけど、男の方も堪えたみたいで白目を向いて倒れこんだ。
「つっー! いってえ……」
僕が頭を押さえて痛みに耐えていると、アカネちゃんがビニール紐を持ってきて男の手首を後ろ手に縛りだす。
普段はおっとりしている彼女からは想像できない俊敏な動きに呆気にとられる。
「ユウ君も手伝って! 早く!」
適当な長さに切った紐を渡してきたので、僕は足首と膝のあたりを縛ることにした。
何とか、作業を終えた僕たちは一息つく。
伸びたまま縛られた男を前に、あぐらをかく様にして座った。アカネちゃんは三角座りをして僕の横に並ぶ。
殴られたときに思い切り口の中を切ったみたいで、鉄の味が広がる。
男を指さしてアカネちゃんに聞く。
「で、この人は知り合いなの?」
「うーん、昔付き合ってたというか、ヒモだったというか。家に転がり込んできたの。ケンジって言ってね。顔は良いんだけど、お金はあるだけ持っていこうとするし、すぐ暴力振るうから別れたんだけどね……」
ホンモノの
アカネちゃんはケンジパイセンの上着のポケットからこの部屋のカギを取り出す。
「コイツ、なんで鍵もってたんだろ?」
「鍵、変えた方がいいかもね」
「うん……」
「どうする? 警察呼ぶ?」
「えー。ケーサツ嫌い」
アカネちゃんは眉を寄せて顔をくもらせる。
確かに僕がここにいることが、警察にばれたらアカネちゃんに迷惑をかけてしまう。
あっ、アカネちゃんが何か思いついたように言う。
「あのさ、一階にちょくちょく話すオジサンが住んでるんだけどさ」
「うん」
「そのオジサン、男の子が好きなんだってさ」
「へぇ」
「この間もね、良い男の子いたら紹介してよ、とか言ってたんだ」
「誰か心当たりあるの?」
「置いてこよっか?」
「うん?」
「だから、コレをオジサンのところに置いてこようかって」
アカネちゃんは、「コレ」のところは、足でケンジパイセンを指しながら言った。
パイセンはまだ伸びていて、うぅ…と声を漏らしている。
「男が好きでも、なんでも良いってわけでもないんじゃないの?」
「そうかもだけどさー、みてみて」
伸びてるパイセンの顔をつかんで、僕に良く見ろって感じで指さす。
「コイツ、すっごいクズなんだけど顔だけはめちゃめちゃ良いんだよ。イケメンなら気に入ってもらえるかも!」
確かに今は白目をむいて、よだれも垂らして汚らしいけど、よくよく見れば顔のパーツはすごく整っている。
アカネちゃんはタオルを持ってきて、パイセンの顔をキレイに拭いて整える。
なるほど、モデルでもやってそうなイケメンだ。
「あ、そうだ」
なんだか、アカネちゃんは楽しそうにタンスから何かひっぱり出してきた。
プレゼントの包装に使うリボンだ。
これを……、こうしてっと……。アカネちゃんはぼそぼそつぶやきながら、ケンジパイセンの胸の周りにリボンを通して上手にリボン結びを作る。
「どう?プレゼントに見えない?」
「……見えてきた」
でしょ? アカネちゃんは得意げに笑うと、今度はお仕事用の大きなバッグからローションの入ったボトルを取り出した。
そのボトルにもリボンをまくと、パイセンの両手に持たせた。
「オマケつきだよ」
にへらっとアカネちゃんは楽しそうに笑った。
パイセンが起きる前に急ごうという事になって、アカネちゃんと二人で一階のオジサンの部屋の前まで運んだ。
彼を扉の横の壁にもたれさせる様に座らせると、チャイムを押す。急いで、なるべく足音をたてないようにして階段まで戻る。僕たちは息を殺して、階段の陰から様子を見守った。
しばらくすると、扉が開いた。その拍子にパイセンはズリッと廊下に倒れこむ。持たせたローションのボトルが廊下に転がった。
扉の向こうにオジサンのスキンヘッドがチラチラ見える。
家のすぐ外で人が倒れていたので、ギョッとしたのだろう。スキンヘッドの動きが止まる。倒れてるのがリボンに括られているモデル並みのイケメンということに気付いてくれたかな。
ラッピングしたプレゼント、気に入ってくれると良いな。
僕の隣でのぞき見しているアカネちゃんは、オジサンに向かって「イケ! ガンバレ! 遠慮するな!」と小声でやじを飛ばしている。
やがて、オジサンは左右を見て他に人がいないか確認すると、ズリズリと哀れなケンジパイセンを玄関に引きずり込んでいった。なにかの獰猛な肉食獣が、巣穴に獲物を引きずり込んでいるかのよう。
アカネちゃんは僕の方に顔を向けて、キラキラした目で最高の笑顔を見せてくれる。
もう一度、扉が開いて太い腕がヌッと出てきてローションのボトルをつかむとひっこんだ。
部屋に戻ってから、アカネちゃんはずっと顔を真っ赤にして体をひくつかせて笑い転げている。
「あはは! あれどうなっちゃうの? どうなっちゃうのー?」
さっきから僕の手を握って、助けてーとか言ってくるけどどうしたら良いんだ。
彼女の手は熱く汗ばんでいた。
「おなか痛い、笑いすぎておなか痛いよ、ユウ君助けてー」
目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら起き上がると、「はー、笑いすぎて喉乾いちゃった」といって上機嫌でビールを一気飲みした。
僕にはチューハイを出してくれている。
「やっぱりさー、リボンが良かったね! あ、そうだ音聞きにいかない?」
「怖いから良いよ……」
「えー、絶対面白いって!」
その後は上機嫌でベッドに入ったアカネちゃんが、いつも以上にサービスしてくれた。
本当は僕がサービスしないといけないんだけど、僕みたいなアマチュアでは勝てないや。
「ユウ君ってさー」
「うん?」
「結構エロいよね」
「それって褒めてる?」
「んー、どうかなー」
そんな感じで、夜は更けていったのだった。
月曜日の早朝、目を覚ますけど隣のアカネちゃんは寝ている。
朝起きられなくてゴミ捨てができない彼女のために、キッチンの端に山積みしていたゴミを出す。一回じゃ全部を捨てきれなかったから、二回往復した。
ゴミ捨ての時にスキンヘッドのオジサンの部屋の前も通ったけど、特段変わった様子は伺えない。
アカネちゃんを起こさないようにそっと部屋から出て外からカギを締めると、ドアについている新聞受けにカギを落とす。
やれやれ、今週も無事に乗り切ったぞ。
こうして毎週、僕はどこかの部屋で夜を過ごして月曜を迎えているのだった。
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